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EP 1
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最期と始まりのラグ
カチャカチャカチャ、ッターン!
薄暗い六畳一間。モニターの明かりだけが照らすその部屋で、多田野英一(23)は神速のマウス捌きを見せていた。
画面の中、架空空想3D型FPSゲーム『ガン・オブ・デストロイ(GoD)』の世界において、彼の操るアバターは戦場を疾走していた。スコープを覗く時間はコンマ数秒。遭遇した敵の頭部を正確に撃ち抜き、即座に次へ走る。
芋砂(待ち伏せスナイパー)を狩り尽くす恐怖の遊撃手。世界ランキング一位、「凸スナのエイイチ」。それがここでの彼の名だ。
「……よし、ドン勝」
ヘッドセットを外し、英一は大きく息を吐いた。
途端に、現実は重くのしかかってくる。
「英一! いつまで起きてるの! 電気代もタダじゃないんだからね!」
「……うっせぇな」
階下から母親の怒鳴り声が聞こえた。妹に至っては、最近口も利いてくれない。廊下ですれ違えば「うわ、ニート菌が移る」と露骨に避けられる始末だ。
工業高校を出て、自動車工場に就職した。でも、初日で辞めた。あの上司の怒鳴り声、理不尽な命令、油の匂い。全てが無理だった。
「……課金、しねぇとな」
新しい迷彩スキンが出たのだ。
英一は音を立てないようにリビングへ忍び込み、置いてあった親父の財布から一枚、紙幣を抜き取った。
罪悪感? そんなもの、とうの昔に麻痺している。いや、そう思わないとやっていられない。
「……全てはあの上司が悪いんだ。俺は悪くない。俺には才能があるんだ、場所が悪いだけなんだ……」
玄関を出て、夜の冷たい空気に触れながら、英一は虚しく呟いた。
握りしめた千円札は、手汗で少し湿っていた。
コンビニでWebマネーを購入し、店を出た。
深夜の交差点は静まり返っている。信号は赤。
ふと、視線を落とすと、横断歩道の真ん中に小さな影があった。
猫だ。
黒い子猫が、アスファルトの熱に惹かれたのか、ちょこんと座り込んでいる。
「……おい、危ないぞ」
英一が声をかけた、その時だった。
遠くからエンジン音が轟いた。深夜の配送トラックだ。激務なのか、居眠り運転なのか、信号が変わっていることに気づく様子がない。猛スピードで交差点へ突っ込んでくる。
(あ――)
思考するより早かった。
工業高校で叩き込まれた「危険予知」か、それともFPSで培った「反射神経」か。
英一の体は、理屈や恐怖を置き去りにして飛び出していた。
猫を抱きかかえ、路肩へ放り投げる。
ドンッ、という鈍い衝撃。
空が回った。
熱いとも、痛いともつかない感覚が一瞬だけ走り、やがて英一の意識はブラックアウトした。
「……ん、あ~……起きましたか? 多田野英一さん」
どこか気だるげな、女性の声がした。
メンソールのタバコの匂いが鼻をかすめる。
英一が目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
目の前には、場違いなパイプ椅子に座り、足を組んでいる女性がいる。
美しい顔立ちをしているが、着ているのは高校の芋ジャージ。足元は便所サンダルのようなゴム草履。そして手には、火のついた細いタバコ『ピアニッシモ』。
「え? ここは? ……あんたは誰だ?」
「ここは審判の場。私の名はルチアナ。まぁ、『女神』と言った方が分かりやすいかしら?」
ルチアナと名乗った女は、ふぅーっと煙を吐き出した。
「女神……? じゃあ、俺、死んだのか……そっか……」
呆気ない幕切れだった。
親の金を盗んで、コンビニの帰りに轢かれて死ぬ。最悪の人生だ。
「う~ん、貴方は惜しいんですよねぇ」
ルチアナは手元の資料――どう見ても安っぽいバインダー――をめくりながら言った。
「自動車整備士に溶接、危険物に電気工事士……資格はいっぱい持ってる。FPSの反射神経も世界一。才能はあるのに、引きこもってニートになっちゃって。宝の持ち腐れとはこのことです」
「えっ……?」
「まぁ、私の大好きな猫ちゃんを助けてくれたので、特別に機会を与えましょう」
ルチアナはサンダルをペタペタ鳴らして歩み寄り、英一の顔を覗き込んだ。
「『アナステシア世界』。剣と魔法、そして魔獣が跋扈する世界に行く機会を」
「そ、それって……異世界転生って奴か?」
「そうです。貴方のその腐らせている才能、向こうなら使い道があるかも知れません」
ルチアナはニヤリと笑うと、指をパチンと鳴らした。
「特典として、スキルは貴方の大好きなFPS『ガン・オブ・デストロイ』のシステムをそのまま使えるようにしてあげます。銃も、弾薬も、ミニマップもね」
英一は呆然とした。
あの大好きなゲームの世界の力を持って、やり直せるのか?
あの上司もいない、俺を馬鹿にする家族もいない世界で。
「……あ、ありがとう」
英一は顔を上げ、ルチアナの目を真っ直ぐに見た。
コミュ障の彼が、他人の、しかも女性の目をこれほどはっきりと見据えたのは数年ぶりのことだった。
「……ふふっ」
ルチアナは少しだけ驚いた顔をして、それから満足げに微笑んだ。
「ようやく、私の目を見て、まともな会話ができましたね。その目ができるなら、きっと大丈夫」
彼女は吸い殻を携帯灰皿に押し込むと、英一の背中をポンと押した。
「では、多田野英一さん。良い異世界転生を。――たまには私の神殿に、お布施(タバコ)を持ってきなさいよ?」
その言葉を最後に、英一の体は光に包まれ、白い空間から吸い込まれるように消えていった。
残されたルチアナは、誰もいない空間で大きく伸びをした。
「さて……あの子、どうなるかしら。ま、とりあえず今日はもう閉店ガラガラ~」
彼女はジャージのポケットからスマホを取り出すと、どこかへ通話をかけ始めた。
「あ、もしもしラスティア? 今から女子会やんない? いい酒が入ったのよ……」
気がつくと、英一は鬱蒼とした森の中に立っていた。
土の匂い、風の音。
そして視界の端には、見慣れた半透明のUI――ミニマップと残弾数表示――が浮かんでいる。
「……マジだ」
右手をかざすと、空間が歪み、重厚なスナイパーライフル『M24』が実体化して掌に収まった。
ずしりとした冷たい鋼鉄の感触。これが、俺の新しい相棒。
「やってやる……今度こそ、逃げずに」
多田野英一、23歳。
元ニートで世界ランク一位の凸スナ。
アナステシア世界での、彼の新しい人生(ゲーム)が始まった。
カチャカチャカチャ、ッターン!
薄暗い六畳一間。モニターの明かりだけが照らすその部屋で、多田野英一(23)は神速のマウス捌きを見せていた。
画面の中、架空空想3D型FPSゲーム『ガン・オブ・デストロイ(GoD)』の世界において、彼の操るアバターは戦場を疾走していた。スコープを覗く時間はコンマ数秒。遭遇した敵の頭部を正確に撃ち抜き、即座に次へ走る。
芋砂(待ち伏せスナイパー)を狩り尽くす恐怖の遊撃手。世界ランキング一位、「凸スナのエイイチ」。それがここでの彼の名だ。
「……よし、ドン勝」
ヘッドセットを外し、英一は大きく息を吐いた。
途端に、現実は重くのしかかってくる。
「英一! いつまで起きてるの! 電気代もタダじゃないんだからね!」
「……うっせぇな」
階下から母親の怒鳴り声が聞こえた。妹に至っては、最近口も利いてくれない。廊下ですれ違えば「うわ、ニート菌が移る」と露骨に避けられる始末だ。
工業高校を出て、自動車工場に就職した。でも、初日で辞めた。あの上司の怒鳴り声、理不尽な命令、油の匂い。全てが無理だった。
「……課金、しねぇとな」
新しい迷彩スキンが出たのだ。
英一は音を立てないようにリビングへ忍び込み、置いてあった親父の財布から一枚、紙幣を抜き取った。
罪悪感? そんなもの、とうの昔に麻痺している。いや、そう思わないとやっていられない。
「……全てはあの上司が悪いんだ。俺は悪くない。俺には才能があるんだ、場所が悪いだけなんだ……」
玄関を出て、夜の冷たい空気に触れながら、英一は虚しく呟いた。
握りしめた千円札は、手汗で少し湿っていた。
コンビニでWebマネーを購入し、店を出た。
深夜の交差点は静まり返っている。信号は赤。
ふと、視線を落とすと、横断歩道の真ん中に小さな影があった。
猫だ。
黒い子猫が、アスファルトの熱に惹かれたのか、ちょこんと座り込んでいる。
「……おい、危ないぞ」
英一が声をかけた、その時だった。
遠くからエンジン音が轟いた。深夜の配送トラックだ。激務なのか、居眠り運転なのか、信号が変わっていることに気づく様子がない。猛スピードで交差点へ突っ込んでくる。
(あ――)
思考するより早かった。
工業高校で叩き込まれた「危険予知」か、それともFPSで培った「反射神経」か。
英一の体は、理屈や恐怖を置き去りにして飛び出していた。
猫を抱きかかえ、路肩へ放り投げる。
ドンッ、という鈍い衝撃。
空が回った。
熱いとも、痛いともつかない感覚が一瞬だけ走り、やがて英一の意識はブラックアウトした。
「……ん、あ~……起きましたか? 多田野英一さん」
どこか気だるげな、女性の声がした。
メンソールのタバコの匂いが鼻をかすめる。
英一が目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
目の前には、場違いなパイプ椅子に座り、足を組んでいる女性がいる。
美しい顔立ちをしているが、着ているのは高校の芋ジャージ。足元は便所サンダルのようなゴム草履。そして手には、火のついた細いタバコ『ピアニッシモ』。
「え? ここは? ……あんたは誰だ?」
「ここは審判の場。私の名はルチアナ。まぁ、『女神』と言った方が分かりやすいかしら?」
ルチアナと名乗った女は、ふぅーっと煙を吐き出した。
「女神……? じゃあ、俺、死んだのか……そっか……」
呆気ない幕切れだった。
親の金を盗んで、コンビニの帰りに轢かれて死ぬ。最悪の人生だ。
「う~ん、貴方は惜しいんですよねぇ」
ルチアナは手元の資料――どう見ても安っぽいバインダー――をめくりながら言った。
「自動車整備士に溶接、危険物に電気工事士……資格はいっぱい持ってる。FPSの反射神経も世界一。才能はあるのに、引きこもってニートになっちゃって。宝の持ち腐れとはこのことです」
「えっ……?」
「まぁ、私の大好きな猫ちゃんを助けてくれたので、特別に機会を与えましょう」
ルチアナはサンダルをペタペタ鳴らして歩み寄り、英一の顔を覗き込んだ。
「『アナステシア世界』。剣と魔法、そして魔獣が跋扈する世界に行く機会を」
「そ、それって……異世界転生って奴か?」
「そうです。貴方のその腐らせている才能、向こうなら使い道があるかも知れません」
ルチアナはニヤリと笑うと、指をパチンと鳴らした。
「特典として、スキルは貴方の大好きなFPS『ガン・オブ・デストロイ』のシステムをそのまま使えるようにしてあげます。銃も、弾薬も、ミニマップもね」
英一は呆然とした。
あの大好きなゲームの世界の力を持って、やり直せるのか?
あの上司もいない、俺を馬鹿にする家族もいない世界で。
「……あ、ありがとう」
英一は顔を上げ、ルチアナの目を真っ直ぐに見た。
コミュ障の彼が、他人の、しかも女性の目をこれほどはっきりと見据えたのは数年ぶりのことだった。
「……ふふっ」
ルチアナは少しだけ驚いた顔をして、それから満足げに微笑んだ。
「ようやく、私の目を見て、まともな会話ができましたね。その目ができるなら、きっと大丈夫」
彼女は吸い殻を携帯灰皿に押し込むと、英一の背中をポンと押した。
「では、多田野英一さん。良い異世界転生を。――たまには私の神殿に、お布施(タバコ)を持ってきなさいよ?」
その言葉を最後に、英一の体は光に包まれ、白い空間から吸い込まれるように消えていった。
残されたルチアナは、誰もいない空間で大きく伸びをした。
「さて……あの子、どうなるかしら。ま、とりあえず今日はもう閉店ガラガラ~」
彼女はジャージのポケットからスマホを取り出すと、どこかへ通話をかけ始めた。
「あ、もしもしラスティア? 今から女子会やんない? いい酒が入ったのよ……」
気がつくと、英一は鬱蒼とした森の中に立っていた。
土の匂い、風の音。
そして視界の端には、見慣れた半透明のUI――ミニマップと残弾数表示――が浮かんでいる。
「……マジだ」
右手をかざすと、空間が歪み、重厚なスナイパーライフル『M24』が実体化して掌に収まった。
ずしりとした冷たい鋼鉄の感触。これが、俺の新しい相棒。
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