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EP 11
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熊の涙と、肝っ玉母ちゃん
スタラントの下町。
煌びやかな大通りとは無縁の、古びた木造長屋が密集する貧民街(スラム街手前)。
夕暮れ時、ラウスは重い足取りで家路についていた。
(クビか……。これからどうやって家族を食わせていきゃいいんだ)
ゲッコーに投げつけられた「用無し」という言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
強靭な肉体を持つ熊耳族の男が、今はただの背中の丸まった中年親父に見えた。
ギィ……と音を立てる引き戸を開ける。
「……ただいま」
蚊の鳴くような声だった。
「お帰りなさい、お父さん!」
ドタドタという足音と共に、小さな影が飛びついてきた。
一人娘のムーナだ。ラウス譲りの丸い耳と、つぶらな瞳。継ぎ接ぎだらけの服を着ているが、その笑顔は天使のようだった。
「お父さん、今日はお肉? それともお菓子?」
「っ……」
無邪気な期待が、ラウスの胸を締め付ける。今日の稼ぎはゼロだ。それどころか、明日からの保証もない。
ラウスは大きな手で娘の頭を撫でることしかできなかった。
「お帰り、あんた」
台所から、妻のマナマが顔を出した。
彼女もまた熊耳族で、ラウスに負けず劣らずガタイが良いが、その表情は常に慈愛に満ちている。
しかし、夫婦生活の長い彼女の目は誤魔化せなかった。
「……どうしたんだい? 顔色が暗いじゃないか」
「いや……その……」
「ムーナ。あんたは向こうの部屋で絵でも描いてなさい」
マナマは察し、娘に声をかけた。
「はーい! お父さん、後で遊んでね!」
ムーナがパタパタと奥の部屋へ消えるのを見届けると、マナマはラウスをちゃぶ台の前に座らせ、水が入ったコップを置いた。
「で、何があったんだい?」
ラウスはコップを両手で包み込み、震える声で絞り出した。
「……仕事が、クビになった」
「え?」
「あのカエル野郎……ゲッコーの旦那に、用済みだって言われてよ……退職金も無しだ」
ラウスは拳を膝に叩きつけた。
「すまねぇ……! 俺に甲斐性が無くてよぉ! お前やムーナに、楽させてやるどころか……!」
強面で知られるラウスの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
借金取りという汚れ仕事をしてでも、家族を守りたかった。だが、それすらも失った今、自分には何が残っているのか。ただの力自慢の役立たずだ。
そう自嘲するラウスの手に、温かい手が重ねられた。
マナマの手だった。
「心配すんじゃないよ」
「マナマ……?」
「蓄えは、少しならあるさ。あんたが毎月入れてくれた生活費、少しずつへそくりしてたんだよ」
マナマはニカッと笑った。その笑顔は、どんな強敵よりも頼もしく見えた。
「それにさ、良かったじゃないか」
「よ、良かったって……無職だぞ?」
「あんな借金取りなんて仕事、あんたには向いてなかったんだよ」
マナマはラウスの涙を指で拭った。
「あんたは図体はデカいけど、根は優しい泣き虫だ。他人様を脅して金を巻き上げるたびに、家で暗い顔をしてたの、アタシが気づかないとでも思ったかい?」
「……母ちゃん」
「神様が『もっとマシな仕事をしろ』って言ってるんだよ。借金取りより、あんたに相応しい仕事がきっとあるはずさ」
「すまねぇ……すまねぇ、母ちゃん……!」
ラウスはマナマの腰に抱きつき、子供のように泣きじゃくった。
熊のような大男の背中を、マナマは優しく叩き続けた。
「よしよし。今日はもう寝な。明日は明日の風が吹くさ」
(相応しい仕事、か……)
マナマの温かさに包まれながら、ラウスの脳裏に浮かんだのは、あの工房の光景だった。
自分のような人間に、手作りの温かい飯を振る舞おうとした、あの奇妙な二人組。
「……心当たりが、一つだけある」
ラウスは涙を拭い、小さく呟いた。
明日、恥を忍んであの工房へ行ってみよう。
門前払いされるかもしれない。罵られるかもしれない。
それでも、家族のために頭を下げる覚悟が、ラウスの中に芽生えていた。
スタラントの下町。
煌びやかな大通りとは無縁の、古びた木造長屋が密集する貧民街(スラム街手前)。
夕暮れ時、ラウスは重い足取りで家路についていた。
(クビか……。これからどうやって家族を食わせていきゃいいんだ)
ゲッコーに投げつけられた「用無し」という言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
強靭な肉体を持つ熊耳族の男が、今はただの背中の丸まった中年親父に見えた。
ギィ……と音を立てる引き戸を開ける。
「……ただいま」
蚊の鳴くような声だった。
「お帰りなさい、お父さん!」
ドタドタという足音と共に、小さな影が飛びついてきた。
一人娘のムーナだ。ラウス譲りの丸い耳と、つぶらな瞳。継ぎ接ぎだらけの服を着ているが、その笑顔は天使のようだった。
「お父さん、今日はお肉? それともお菓子?」
「っ……」
無邪気な期待が、ラウスの胸を締め付ける。今日の稼ぎはゼロだ。それどころか、明日からの保証もない。
ラウスは大きな手で娘の頭を撫でることしかできなかった。
「お帰り、あんた」
台所から、妻のマナマが顔を出した。
彼女もまた熊耳族で、ラウスに負けず劣らずガタイが良いが、その表情は常に慈愛に満ちている。
しかし、夫婦生活の長い彼女の目は誤魔化せなかった。
「……どうしたんだい? 顔色が暗いじゃないか」
「いや……その……」
「ムーナ。あんたは向こうの部屋で絵でも描いてなさい」
マナマは察し、娘に声をかけた。
「はーい! お父さん、後で遊んでね!」
ムーナがパタパタと奥の部屋へ消えるのを見届けると、マナマはラウスをちゃぶ台の前に座らせ、水が入ったコップを置いた。
「で、何があったんだい?」
ラウスはコップを両手で包み込み、震える声で絞り出した。
「……仕事が、クビになった」
「え?」
「あのカエル野郎……ゲッコーの旦那に、用済みだって言われてよ……退職金も無しだ」
ラウスは拳を膝に叩きつけた。
「すまねぇ……! 俺に甲斐性が無くてよぉ! お前やムーナに、楽させてやるどころか……!」
強面で知られるラウスの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
借金取りという汚れ仕事をしてでも、家族を守りたかった。だが、それすらも失った今、自分には何が残っているのか。ただの力自慢の役立たずだ。
そう自嘲するラウスの手に、温かい手が重ねられた。
マナマの手だった。
「心配すんじゃないよ」
「マナマ……?」
「蓄えは、少しならあるさ。あんたが毎月入れてくれた生活費、少しずつへそくりしてたんだよ」
マナマはニカッと笑った。その笑顔は、どんな強敵よりも頼もしく見えた。
「それにさ、良かったじゃないか」
「よ、良かったって……無職だぞ?」
「あんな借金取りなんて仕事、あんたには向いてなかったんだよ」
マナマはラウスの涙を指で拭った。
「あんたは図体はデカいけど、根は優しい泣き虫だ。他人様を脅して金を巻き上げるたびに、家で暗い顔をしてたの、アタシが気づかないとでも思ったかい?」
「……母ちゃん」
「神様が『もっとマシな仕事をしろ』って言ってるんだよ。借金取りより、あんたに相応しい仕事がきっとあるはずさ」
「すまねぇ……すまねぇ、母ちゃん……!」
ラウスはマナマの腰に抱きつき、子供のように泣きじゃくった。
熊のような大男の背中を、マナマは優しく叩き続けた。
「よしよし。今日はもう寝な。明日は明日の風が吹くさ」
(相応しい仕事、か……)
マナマの温かさに包まれながら、ラウスの脳裏に浮かんだのは、あの工房の光景だった。
自分のような人間に、手作りの温かい飯を振る舞おうとした、あの奇妙な二人組。
「……心当たりが、一つだけある」
ラウスは涙を拭い、小さく呟いた。
明日、恥を忍んであの工房へ行ってみよう。
門前払いされるかもしれない。罵られるかもしれない。
それでも、家族のために頭を下げる覚悟が、ラウスの中に芽生えていた。
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