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第36話 預言者

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 第二王子の話は災害龍討伐の協力要請だった。聖女の力がほしいのだと言う。

 私だって災害龍の存在を忘れていたわけではない。ただ、悪役令嬢が私をバッドエンドにまで追い込んだのだから、聖女無しでの討伐について彼女に考えがあるのだろうと思っていた。

「私の婚約者は予言ができるんだ。今までも、いろいろな出来事を言い当てていてね。その彼女が災害龍が出ると言うから準備を進めているんだよ」

「何か兆候でもあるのですか?」

 私はゲーム内でこの時期に災害龍の存在が確認されていないことを知っている。

「いや……。今のところは彼女の予言だけだ。だが、君がこの街にいることも彼女は言い当てた」

「そうですか」

 第二王子が尊敬の眼差しで悪役令嬢を見ていた。私からすると感心するようなことは何もない。執事が私を監視していたことを、悪役令嬢が知っていたと自白したようなものだ。

 悪役令嬢をチラリと見ると、得意げな微笑みを浮かべている。そこに罪悪感は見て取れない。

「君は伝説の聖女なのだろう? 学園に通うことを特別に許可するから、我が国に戻って来ると良い」

 王子は私にとって有益で名誉あることのように命令した。王族とはそういうものだと思うべきか、悪役令嬢に攻略されたわりには傲慢さをかなり残している。

「お断りします。私はただの光魔導師ですよ」

 もちろん、悪役令嬢に策がないと分かった以上、災害龍が現れれば、私は罪のない人々に害が及ばぬように帰国することになるだろう。過去の例に準ずるなら、隣国であるこの国の冒険者ギルドが協力者を募るだろうし、祖国には苦楽を共にした大切な人たちが残っている。ただ、時期的にはまだ早い。

 ゲームでは災害龍が現れてから人里に被害が出るまでに一ヶ月ほどあった。言ってしまえば、ヒロインが攻略対象者を巻き込んでしまうことへの葛藤などを描くための猶予だ。恋愛的なクライマックスのために与えられた時間で、この街から災害龍の発現地に移動することは簡単だ。

 悪役令嬢により攻略済みとなっている学園に乗り込む理由はない。

「王子のご厚意を何だと思っているんだ!」

 騎士団長の息子が叫び声を上げる。立ち上がろうとしたように見えたが、アランがそちらに顔を向けると後ずさるように椅子に収まった。魔獣と同じ反応を見れば、何をしたかは明らかだ。

 こちらを振り返ったアランは、何もしていないと訴えるように微笑んでいる。私も微笑み返して、小さくお礼を言った。

「本当は君の意思で帰国してほしかったが仕方ないな。私達に同行し帰国しなさい。これは第二王子である私からの命令だ」

 王子は王族らしい威厳をのせて命令した。私の返事は一つしかない。

「あなた方は私が聖女だと確信しているのですよね?」

「ああ、そのとおりだ」

「そういうことでしたら、やはりお断りします。聖女が王族と並ぶ身分であることはご存知ですか? たとえ王族であっても、聖女の意思に反して他国に連れて行くことは許されません」

 これを許してしまうと、聖女は世界のすべての災害に対応しなければならなくなる。法律で決まっているわけではないが、他国の王族が聖女に頼みに来ること事態もマナー違反だ。私がこの国の統治者に訴えれば、祖国は世界中から非難されることになる。私がこの国で聖女になる必要があるので実行する気はないが、脅しには十分だ。

「それは……君は変わってしまったな。孤児院で会ったときには純粋で素朴な娘だと思っていた」

 王子が子供の頃のことを覚えていたとは思わなかった。当時の何を見てそう思ったのかは分からない。

 残念ながら、先程必死でつけたはずのヒロインの仮面は剥がれてしまっていたらしい。

「純粋で素朴……」

 握りあっているアランの手が震えている。隣を見上げると、アランが笑いを必死で堪えていた。確かに私は子供の頃から純粋でも素朴でもないが、笑うところではないと思う。

「わたくしが思うに、報酬が目当てなのではありませんか? 苦しい生活をしているようですし可哀想だわ。心配しないで大丈夫よ。災害龍の対処を手伝えば、国から報酬が出ましてよ。もちろん、祖国に戻る費用はこちらで持ちます」

 悪役令嬢が慈悲深い女だと自分に酔いしれているかのような顔で言った。過去にお金を奪ったことへの嫌味ではなく、純粋にそう思っているのだろう。何となくイラッとするが、そのおかげで思い出したことがある。

「すみません。少し席を外します」

 私は、作業部屋に行って祖国を出た日に使っていたリュックを運んできた。中から麻袋に入った短剣を引っ張り出す。悪役令嬢の家の紋章が入った短剣だ。

「私が協力できない理由はこれです。私は祖国で暮らし続けるつもりでした。この国に来たのは、命を狙われたからです。聖女の力がなければ殺されていたでしょう」

「これは……」

 王子が恐る恐るといった様子で公爵家の紋章の入った短剣に手を伸ばす。悪役令嬢が右手につけていた紋章の入った腕輪をサッと机の下に引っ込めた。

「冒険者ギルドで確認したところ、致死毒が塗ってありました。私でも解毒できるか分からない特殊なものです。扱いには気をつけてください」

「た、確か、公爵家には暗殺に使われる毒が用意されているという噂がありましたよね」

 今まで黙っていたグザヴィエが上擦った声をあげる。悪役令嬢を見る目に怯えが見えた。

「私の居場所を予言したという話も怪しいと思います。私は国境を超える際に監視の存在を確認しています。彼らから聞いたのではありませんか?」

「嘘を言わないでちょうだい! 殿下、信じてはなりません。この者はわたくしの支援でこの国に来たのです。監視ではなく、きっと送り届けただけですわ。こんな偽装をするなんて! これは恩を仇で返すような行為ですわよ」

「公爵家の噂を聞いて、こんなものまで用意するとは……。そこまで我々に協力するのが嫌なのか?」

 王子が悪役令嬢を慰めるように肩を抱きながら、こちらに侮蔑の視線を送ってくる。

「私は偽装なんてしてないわ! 国に帰ってから、紋章をきちんと調べていただければ分かるはずです」

「今すぐに取り消せば罪には問わない。私達と一緒に来てくれるね?」

 私の必死な叫びは、盲目的に婚約者を信じる王子には響いていないようだった。
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