君にことほぎ 猫にゆめ

安芸月

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第二章

半分あやかし 半分人間①

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 夏休みに入る七月半ばのこと、優李ゆうりは夏服の裾を揺らしながら木々の作り出す涼しい木陰を渡り、坂道を下りていた。通学路から外れたお気に入りの道だ。
 細い坂道の木陰には、ところどころで猫が転寝うたたねをしている。優李はその愛らしい姿に目を細めてから足を速めた。
 猫たちも優李によくなれているようで、行き先行く先で出会う猫たちに囲まれてしまう。

 今日はあまりにも空が綺麗だったので、自宅から遠回りをして坂の上にある千光寺せんこうじから景色を見ていたらついつい遅くなってしまったのだ。内海に浮かぶ無数の浮島が海に陰影をつける。島々にかかる橋も晴れた日は特に美しく見えた。

 坂道を下ると、行きつけのお菓子屋さんのおばさんが駆けてくる優李に声をかける。

「優李ちゃん遅刻じゃないかい?」
「そうなんです、お天気がいいから千光寺さんまで上っていたらこんな時間になちゃって。いってきまーす!」
「転ばないようにね」
「気を付けます。よい一日を!」

 後ろ手におばさんに手を振ると、優李は海沿いの道まで一気に下った。線路に沿って走ると、海風が頬を撫でる。
 路地から大きなトラックが顔をのぞかせたとき、優李の視界の端に黒いものが動いたように見えた。黒猫だ、猫はチラリと優李を見たような気がした。一瞬、視線が交わった、咄嗟に足が動く。

「危ない!」
 
 優李は必死で腕を伸ばして黒い塊を抱きかかえると、歩道にしゃがみこんだ。腕の中に納まっているのは、一匹の黒猫だ。

「あぁ、怖かった。もう飛び出そうとしないようにね」

 黒猫は優李の腕からするりと抜け出すと、振り返りもせず走り去った。優李は立ち上がると、スカートの裾を払って走りだす。

 時間ギリギリに門の中に飛び込むと、優李は大きく深呼吸した。

「間に合った……」

 校舎に入ると廊下はまだがやがやしている。楽しそうに談笑する学生たちからは、昨日までの期末テストの緊張感はすっかり消え失せ、明日から始まる長期休暇への期待に満ちていた。

「優李おはよう~ どうしたの、今日はいつもに増してギリギリじゃない」
「千光寺まで寄り道」
「反対方向じゃん」
「だって、今日は空がすごく綺麗だったから」
「そぉ? 暑いだけじゃない?」

 クラスの友達と話していると担任の先生が教室に入ってくる。がやついていた教室がにわかに静かになった。明日から夏休みが始まる。

 いくつかの授業のあと、短いホームルームが終わると、生徒たちはほらほらと帰り支度を始めた。優李も机の横にかけていたカバンを背負う。

「優李、夏休みは家でバイト?」
「そのつもり。お父さん帰ってくるから夏中は営業すると思うよ、暇があったら来て」
「行く行く!」
「おじさんいつ帰ってくるの?」
「明日っていってた」
「南米とか憧れるー! いつか優李も行くんでしょ?」
「あはは、どうかなぁ」

 優李の実家は喫茶店だ。細い坂道から石段の階段を上った先にある小さな喫茶店には、裏側に広い庭がある。この庭が人気で地元の人だけではなく観光客も訪れる老舗の喫茶店。
 マスターは優李の父親だ。放課後や休日には優李も手伝いに行くけれど、小さな店なので父一人で経営している。母は優李が十歳の時に交通事故で亡くなった。存命の折は夫婦仲睦まじく営業していた。
 優李は両親ががいる喫茶店の雰囲気が大好きだった。

「またねー」

 優李は友達に手を振って駆けだした。

 海沿いの道を走り、坂を上る。そこではたと足を止めた。路地に黒猫がいる。猫は優李をじっと見ていた。

「あれ、君、朝の猫ちゃんじゃない?」

 猫はじっと優李を見ている。その金色に光るその目を見ていると、優李は心の中に靄が架かったような気持ちになった。
 猫は身を翻してゆっくりと歩きだす。呼ばれているような、ついていかなければいけないような気がする。そんな強迫観念に駆られて、優李は足を踏み出した。

 猫は細い道を上へ下へ歩いていき、時折優李が付いてきていることを確認するかのように振り返った。

 小高い山に辿り着くと、猫は「にゃぁ」と一声鳴くように口を開いて山の中に入っていく。竜王山りゅうおうざんと呼ばれる山だ。
 険しい山ではない。優李も何度か上ったことがある。優李はためらわずに足を踏み入れた。
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