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水仙の誘惑
人はいさ…… -1-
しおりを挟む花音と咲は喫茶店を辞去し、帰宅の途に着いていた。文乃は菜摘と話があるとのことだったので、喫茶店で別れた。
──仲直りができるといいのだけど。
菜摘の行いは、一歩間違えると傷害事件になりかねないものだった。仲直りなどという簡単な話では済まされないだろうが、今の菜摘の支えになれるのは文乃しかいないと思われる。
それにしても、と車の助手席で、咲は花音の様子をチラリと窺った。花音は浮かない顔でハンドルを握っている。
──あんな激しい感情を露わにした花音さんは初めて見た。
菜摘と対峙した花音を思い出す。別人のような振る舞いに、少し距離を感じた。
「……ごめんね」
喫茶店を出てからずっと黙りを決め込んでいた花音が、フロントガラスを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「ごめん?」
咲は突然の謝罪に首を傾げる。
「せっかくのお休みの日に、無理やり付き合わせた挙句、変なことに巻き込んじゃって」
──無理やり付き合わせた自覚はあるんですね。
咲はしげしげと花音を見つめた。
それに、と花音は居心地悪そうに頸へと手を伸ばす。
「──さっきは怖がらせちゃったかな、って」
咲を横目で見、眉根を寄せた。
「いいえ、全然」と咲は首を振る。
「でも、ちょっと意外でした」
「意外?」
クスリと笑った咲に、花音が尋ねる。咲は、えーと、となるべくマイルドな表現方法を探った。
「……花音さんも怒ることあるんだなって」
それに、花音は拍子抜けしたようにキョトンとし、それからフフッと笑い声を上げた。
「そりゃ、僕だって、人間だもの」
どこかの詩人のようなことを曰う。
──よかった。いつもの花音さんだ。
咲はホッと胸を撫で下ろした。
「──実はね、僕も、『世の中不公平だな』って思ってた時期があったの」
すっかり表情を和ませた花音が、独り言のように呟いた。
「だから、さっきは菜摘さんと昔の自分が重なって、腹が立ったんだ。……しっかりしろって」
そう言った花音の顔はどこか儚げで。詳細を聞いてはいけない気がした。
「──でも、不公平って大事ですよね」
だから、咲は話題を変えることにした。
「へ?」
思いがけない返答に、花音は目を剥く。
「不公平が大事?」と困惑した表情を浮かべた。
そうですよ、と咲はずいっと花音に身体を近づける。それを「咲ちゃん、危ないよっ」と花音が制止した。
「ああ、すみません。つい、テンションが上がってしまって」と咲は定位置に戻り続けた。
「その……昔、父に言われたんです。『世の中は不公平だ』って」
咲の言葉に花音が目をパチパチと瞬かせる。
「それって、テンションが上がるどころか、ずいぶん悲観的な教えだよね」
花音は呆れた顔をする。
「まぁ、そうですね」と咲は笑った。
「でも、続きがあるんです」
「続き?」
「はい。──『だから、不公平だって嘆くより、自分なりの対処法を見つけろ』って」
「対処法……」
花音はぼんやりと遠くを眺め、それから、「咲ちゃんは見つけたの?」と尋ねた。
「見つけました」
咲は力強く頷く。
「私の場合は、分析です」
「分析?」
「はい。自分が何を不公平だと感じたのか、何を不満だと思ったのか、とことん考え抜くんです。それで、その正体が分かったら──」
「分かったら?」
花音が興味深げに続きを促した。
「現状と自分の気持ちの折り合いがつくところを探って、妥協点を探すんです」
「妥協点……」
「はい、妥協点です」と咲ははにかんだ。
「私には不公平を質そうという強い意志はありませんから。自分が折れる形で──でも、できるだけ納得のいく方法を探るんです」
咲ちゃんらしい、と花音は小さく笑った。「ですよね」と咲も笑って応じる。
「──だから、不公平は自分のことをよく見つめ、よく知るためのチャンスだと思うんです。私にとっては、大事なものなんです」
そうに言い切った咲に、花音は眩しそうに目を細める。
「ありがとう」
花音が謝辞を述べる。
「……何ですか、急に?」
咲は花音の意図を探り、見つめる。
「ううん……」
花音は少し言い淀む。それから、「今日はいろいろ付き合ってもらって、助かったよ」と笑った。
「遅くなったけど、この辺りの案内をするよ。……どこか行きたいところはあるの?」
「そうですね……」
咲は考えを巡らせた。
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