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藤の花の咲く頃に
プロローグ
しおりを挟む「最近、花音さんが過保護すぎる気がするんです」
田邊咲は『喫茶カノン』のカウンターで店主の悠太《ゆうた》にぼやく。
「花音さんが、ですか?」
悠太はキョトンとし、カフェラテを咲の前に置いた。
「あ、可愛い」
咲はカフェラテに寄せていた眉を緩める。
カップの上には、先日、咲が伝授したハリネズミのカフェアートが描かれていた。下絵をくり抜いた紙にココアを振りかけて描く方法だ。
そうでしょ、と悠太はホクホク顔で頷く。
「昨日、ようやくSNSにアップすることができたんです」
笑顔で告げた。
「まぁ、でもまだ全然、反応がないんですけどね」
しょんぼりと肩を落とす。
「そんなすぐ成果があるわけないだろ」
咲の後ろの、二人掛け席に座っていた男が呆れた声を上げる。
このビル──華村ビル三階の住人・瀧川凛太郎だ。
悠太にSNSを使った宣伝方法を勧め、カフェアートを勧めた張本人だ。
「こういうものは、ゆっくり時間をかけて、ジワジワ浸透させていくものなんだ」と曰う。
そういうものなんですか、と悠太は素直に頷いた。
「で?」と凛太郎は、コーヒーを一口啜り、咲に視線を移した。
「あんたは花音に迷惑していると?」
意地悪な笑みを浮かべる。
「迷惑なんて言ってません」
咲は慌てて否定した。
「……ただ、過保護過ぎるって言ってるんです」
その原因には、心当たりがあった。たぶん、つい先日行われたフラワーアレンジメント教室での出来事がきっかけだ。
その教室は中山森林公園にあるカフェで行われ、咲は敷地内の森に迷い込んでしまったのだ。おそらく花音はそのことに責任を感じて、過保護になっているのだと思う。
だからと言ってだ。咲は小さくため息を零した。
「花音さん、休日のたびに、私の用事に付き合ってくれるんです」
咲は眉根を寄せた。
ほかの人が聞いたら、単なる惚気のように思われるかもしれないが、付き合っているわけでもない、ビルオーナーと一住人という関係では気にするなというのが無理な話だ。
「別にいいだろ。どうせお互い一人身で暇なんだから」
凛太郎が身も蓋もないことを言う。咲はギロリと凛太郎の意地の悪い顔を睨みつけた。
「だからって、いっつもいっつも、付き合ってもらっていたら、悪いじゃないですかっ」
思わず声を荒げた。それに凛太郎がニヤリと口の端を歪める。
「だってよ、武雄」
悠太の後ろ、居室スペースのほうに向かって声をかけた。
え? 武雄って……。
咲は目を白黒させ、凛太郎が声をかけた方向を見つめた。
ややあって、居室スペースに繋がる通路に、バツが悪そうな顔をした花音が姿を現す。
「か、花音さん……」
咲は目をパチクリと見開いた。
「や、やぁ、おはよう、咲ちゃん……」
いつもとは明らかに違う空々しい態度に、咲は話が筒抜けだったのだと、理解した。
「い、居たんですか?」
「うん、ちょっと……花を、生けてたの……」
そうなんですか、と相槌を打つ。気まずい空気が流れた。その様子を凛太郎がニヤニヤと面白そうに眺めている。
「……えーと、つまり咲さんと花音さんって、付き合っている?」
咲と花音を交互に眺め、悠太が小首を傾げた。
とんでもない、と咲は大きく手を振り否定する。
「付き合ってもいないのに、いつも付き合ってくれるから、困っているんです」
なんだか『付き合ってる』の連発で話がややこしいな、と思いながら、咲は悠太に弁明する。
そうなんですか、と悠太はニコリと笑い、よかった、とホッと胸を撫で下ろした。
「よかった?」
咲は首を傾げ、悠太の意図を推し測ろうと彼を見つめる。ええ、と悠太は頷いた。
「もし、咲さんと花音さんが付き合っているのなら、少し頼みにくいことがあったので」
悠太はポリポリと頬を掻いた。
「頼みにくい?」
「はい。──実は、僕、ずーっと行ってみたいところがあったんです。けど、一人だとちょっと行きにくいところでして。……咲さんに付き合ってもらおうかなって思っていたところなんです」とはにかんだ。
「なんだよ、それ。咲と行けるところなのかよ」
凛太郎が揶揄する。
いつもなら言われるがままの悠太は、しかし今回ばかりは「当然です」とキッパリと凛太郎に言い返した。
それで凛太郎は、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「だったら、俺が付き合ってやるよ」
その腹いせなのか、珍しく凛太郎が手を挙げる。
「いえ、凛太郎さんはちょっと……」
「はぁ?」
またまた冷たくあしらわれ、凛太郎は不機嫌そうに悠太を睨んだ。
「だって、僕、遊園地に行きたいんです」
「……遊園地?」
思いがけない行き先に、皆んなが揃って声を上げた。それに悠太はコクリと頷く。
「僕、今まで一度も遊園地に行ったことがなくて……。ずーっと行きたかったけど、一人で行ってもつまんないだろうし、花音さんや凛太郎さんが一緒だと気を遣ってしまうだろうし」
肩を竦める。
「──でも、咲さんとだったら、一緒に楽しめるんじゃないかなって」
そう言って、咲へと視線を移した。
「遊園地……」と咲は口の中で呟く。
咲が最後に遊園地に行ったのは、かれこれ十五年近く前だろうか。両親と一緒に訪れたのが最後だ。
「いいですね、遊園地っ」
咲は大きく頷く。
「本当ですか? 咲さん」
悠太が嬉しそうに聞き返した。
「はい。私も久しぶりに行ってみたいです」
咲の答えに、「やったー」と悠太は無邪気にはしゃいでみせる。
「それなら、明日はどうですか?」と悠太は口にし、「あ」と花音を振り返った。
「いいですか、花音さん?」
「どうして僕に……」
花音は眉を上げる。
「念のためです。もし、花音さんが明日、咲さんと何か予定していたなら、また今度にします」
悠太は一応の気遣いをみせ、花音に提案した。
「……別に構わないよ。僕も明日は仕事が入っていたから」
「そうですか」
悠太は大きく頷く。
「だったら、咲さん。明日、遊園地に行きましょう?」
悠太はニコニコと咲に笑いかける。そうね、と返し、咲は近くの遊園地を思い浮かべる。
「この辺りだと、なかやまランドが近いけど、そこで大丈夫?」
「なかやまランド……」
途端に悠太の目がキラキラと輝き出した。
「そこっ。そこにしましょうっ。僕、本物のナカたんに一度会ってみたかったんです」
そう言って、咲の手を掴む。ちなみに『ナカたん』は、なかやまランドのうさぎに似たマスコットキャラクターだ。
「僕、明日お弁当用意しますよっ。楽しみですね、咲さんっ」
悠太は無邪気に笑うのだった。
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