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藤の花の咲く頃に
観覧車 -2-
しおりを挟む「観覧車に乗るのは、子供のとき以来です」
ゴンドラのドアが閉まるなり、咲は口を開いた。花音と二人っきりの空間がこそばゆくて、黙っていられなかったのだ。
「咲ちゃんの子供のときって、十年くらい前?」
向かい合わせに座った花音が尋ねる。
「いえいえ。もう十五年くらい前ですよ」
「そうなの?」と花音は意外そうな顔をする。
「あ、でも、そうか。……若く見えるから、つい学生かな、なんて勘違いしちゃうけど。よく考えたら、僕と大して変わらない歳だもんね」
そういえば、花音さんの年齢って知らないような。なんとなく三〇歳前後かなって勝手に思っていたけど。
「僕は、次の誕生日で三〇になるんだ」
咲の心を読んだように、花音が答えを返す。
ということは、咲より四つ年上ということになる。そのわりには、落ち着いて、博識で、大抵のことには動じないから、すごく大人な印象だ。
自分が三〇歳になったとき、花音のような人間になっているかは自信がない。
「お誕生日はいつなんですか?」
なんとなく落ち込みつつ、花音に尋ねる。
「うーんとね……八月」
「八月ですか?」
咲はクスリと笑った。
「なに?」と花音が不思議そうに咲を見る。
「いいえ。花音さん、いつも涼やかだから、夏っていうイメージはありませんでした」
「そう?」と花音は首を捻る。
「でも、夏はお花がたくさん咲いているから、やっぱり僕は夏じゃない?」
顎に手を当て、キザなポーズを決めて花音が曰う。
咲はクスクスと笑い、チラリと外に目を向けた。
「わっ、高い……」
ゴンドラは思ったよりも高度を上げていて、その高さにキュッと胃の辺りが締め付けられた。
観覧車のすぐ横に接していたジェットコースターのレールは、今やはるか眼下に見えている。園内を一望していた景色はやがてその範囲を広め、遊園地周辺へと広がる。
隣接する道路を走る車はおもちゃのように小さくなっていき、見上げるように見ていたビル群も、今は真正面に見えた。
子供の頃に乗った観覧車は、頂上の高さが、今いる高さよりも低かったように思う。そのくらいの高さなら、景色を楽しむこともできたけど、これは……。
咲はゴンドラの進行方向を見つめた。
ゴンドラは時計の九時、つまり半分くらいの高さに差しかかろうとしていた。
これで半分の高さなんて……。
咲は小さく身体を震わせた。
「咲ちゃん?」
急に黙り込んだ咲を心配し、花音が声をかける。
「……もしかして、高いのもダメだった?」
「あ、いいえ。高いのは平気なんですけど……」
ゆっくりと高度を上げるにつれ、不安定に揺れるゴンドラに不安を覚えたのだ。
ゴンドラはユラユラとその筐体をゆるやかに揺らし、頂点を目指す。風は高さを増すごとに強まっていき、その揺れに拍車をかけていた。
「……落ちたりしませんよね」
咲は冗談めかして花音に尋ねた。少し顔が引きつっているのが、自分でも分かった。
花音は目を細め、ハァとため息をつく。それからおもむろにベンチから立ち上がった。勢いで、ゴンドラが大きく揺れる。
「か、花音さんっ。立ち上がったら危ないですよっ」
咲は悲鳴混じりに花音を制止し、ゴンドラの枠にしがみついた。
しかし、花音は「大丈夫だよ」と涼しい顔で返し、ゴンドラの中を移動して歩く。一歩踏み出すたびに、ゴンドラは大きく傾いだ。
──大丈夫じゃないですってば。
揺らぐゴンドラに、咲は心の中でボヤく。
やがて、ドンっと花音が大きな音を立て、咲の隣りに腰を下ろした。その勢いでゴンドラがまた大きく揺らいだ。
「ひゃっ」
耐えきれず悲鳴を漏らす。
「もうっ……花音さん……ひどいです」
隣に座った花音を恨みがましく見つめ、咲は非難の言葉を投げつけた。
「ごめん、ごめん」
花音は謝辞を述べるが、悪びれた様子はない。
全く反省が見えない態度に、咲はムッと眉根を寄せた。
「そんな顔しないでよ」と花音が茶化す。
「……知りませんっ」
咲は口を尖らせ、プイッとそっぽを向いた。
が、その視線の先に、再び高度を上げた外の景色が飛び込んでくる。
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