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一章 ユリア公爵令嬢

四 兄たちの訪問

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「兄君様たちがお見舞いにいらっしゃいました」

 さらに一〇日後。寝込みがちになったユリアの専属執事となったダンが、告げた。

 言うやいなや、待ち構えていたように扉をあけて双子の兄が飛び込んでくる。

 彼らは公爵令嬢以上にハデに整えられている。極彩色を散らした衣服をまとい求愛時期の鳥みたいだが、容姿の華やかさのおかげでよくマッチして”歩く宣伝塔”のような二人だ。ユリアとの違いは他にもあって、彼らは自分のスタイルをお互いに相談して決めている。けして言いなりでそうなったのではないということ。

 だから家を継ぐのがユリアであることが気まずかった。けれど今はどう接するべきかわからず、固まる。

「ぷは!」

 双子は同時にそっくりに笑った。

「おかしいね」

 二人はユリアを指差した。嫌な視線ではないので、その意味をユリアは落ち着いて考えることができた。

 これまでは、会うなり足先に口付けて忠誠を誓わなければならなかった兄たちが、頭を下げることもなくユリアを見おろすことができていて、ユリアはといえば、足が弱くなりベッドから立ち上がることもできない。それを指したのだろう。

 ユリアはベッドの上で正座をして、花がしおれるみたいに頭を下げた。

「お久しぶりです。私が休んでいた間、お兄様たちが家業をこなして下さったと聞きました。しばらくの間お世話をおかけいたします……」定型文以外にも付け足せるものは、と思い、「こちらが手伝うという言葉を使うのは気分が悪いかもしれませんが、別荘で私ができることがあれば、おっしゃって下さい」と言った。

 兄たちが視線を下げた気配があった。おそらくユリアを指していた指先ももう下げられている。

「まともっぽい」

 兄たちは目を丸くした。
 ノールとセーラという。
 銀の髪の中にひとふさずつ紅の髪があった。

 彼らはお互いに視線で相談することができる。もう一人の自分はいつも味方だ。

 頷き合うと、うずくまるようになっているユリアの両橋に座った。ベッドマットが重みで沈む。ユリアの頬をひっぱったり、髪の毛先をくるくると指先でもてあそんだりし始めた。いつまで怒らないのか試しているかのよう。ユリアはされるがまま。下の立場になったとすれば、”そういうこと”なのだから。

 はー、と部屋に兄のため息が響いた。ユリアもそうしたい気分だったけど、堪えた。

「正直、反応はどうだろうと思ってた。僕らが当主ごっこを始めちゃってどんな気持ちだった?」

「正直、お前に刺されるかと思ってた。ユリアよりも僕らの方が優秀だって、自覚したでしょ?」

「ひどく書類を溜め込んでたな。僕らでなければ期限までに終わらせられなかった」

「あまり書類が得意じゃないだろ。ユリアが起きてても終わらせられなかったはずだぜ」

「そこんとこ、どう思ってんの」

 まくしたててくる。でも、どこか遠慮がちな声だ。

 綺羅星公爵家の双子の兄は、これまで舞台芸能業のプロデューサーを担当していた。その仕事をしっかりとこなしていたからこそ、貴族としての務めを危うくしていたユリアに文句を言いたいようだ。

 劇のセリフみたいな喋り方の中に、多様な意味が込められていた。

 やるべき貴族の縁結びの遅いこと。下手なこと。不器用なこと。てきとうにあしらっておけばいい手紙には丁寧に返事をして、仕事の優先順位をわきまえられていない。そのせいで声の大きい者ばかりのさばり、穏やかなものほど綺羅星側にいなかった。縁切りをする胆力はないらしいな、とやがて直接的に責めてくる。

「お前、スペックが追いついていないと気づかないほど愚鈍じゃなさそうだ。それに素直さもあるくせに、幼い頃みたいに、僕らを呼びつけなかったのはどうしてだよ」

 声を揃えてまったく同じ言葉を告げるのは、すさまじい一芸である。言うほどに感情が言葉に込められていき、ユリアや使用人らそれを聞いているものが、つられて感情を動かされるのだ。ユリアは今、なぜそんなこともしなかったのだろう! と嘆くような気持ちになっている。舞台に立ち輝いてきた双子のなせる技だ。

「お前が嫌味ったらしければ見捨てようと思っていたのにさ、どうにも悪いやつに見えなくて困る」

 と付け足した時の気持ちは、同情やあわれみに近いものだと感じられた。

 兄二人が睨みつけていたユリアの顔は、痩せてあごが細くなり、かわいそうな気持ちを誘う姿だった。

「これだ」

 唐突に、双子は指をパチンと鳴らす。

「僕らに仕事を押し付けて申し訳ないと思っているよな。手を挙げろ」

「私も頑張らなくちゃとか思っているはずだよな。手を挙げろ」

 まるで西部劇のガンマンのような発言だと思いつつ、ユリアは両手を挙げてみせた。
 すると、メイクアップが始まる。
 才能豊かな双子の兄はメイクアップアーティストでもある。いつもの濃い綺羅星メイクではなく、チークを薄くほどこした。魔法を練り込まれたメイク道具は、まるで人の肌そのもののようになじむ。肌が青白く見えないように色を足したら、バランスを整えて完成だ。メイクの邪魔とばかりに奪い取っていたメガネをかけてあげて、にじみかけていた涙を拭いてやり、兄たちはにやりとした。

「メガネをかけてなお儚い薄幸の美少女令嬢風、だ! さすがお兄様と褒めたたえられるべきだろうね」

 鏡を見せられたユリアは驚いた。
 やぼったい平民じみた姿から、みごとに綺麗さを兼ねた貴族令嬢にされていた。まるで魔法そのものだ。

 メガネをかけていたとしてもこれならば印象が緩和される。メガネがダメなのは、悪印象だから、なのだ。

 この一〇日間、別荘から一歩も出ずに塞ぎ込んでいたのは未来がまるで見えなかったから。今ならば、少しだけ、別の道を探せるのかもしれないと考えることができる。

 一〇日間、双子たちも妹に心を馳せることにより、気持ちを整理できたのかもしれなかった。

「僕らとユリアは一心同体、綺羅星公爵家であるわけだ。分かるね?」

「僕らは紅と銀の髪を持つ、現当主様の実子であるわけだ。分かりな?」

「ふさわしくなければ。ふさわしくなれないなら、まだ、別荘に閉じ込めておいてやるぞ」

 肉食獣が威嚇するようなポーズをとった。それは精一杯の彼らのいじわるのようだ。これまで鬱憤がなかったわけがない。ユリアよりも優秀なのに冷遇されていて、ユリアを引き立たせるためにと派手な彼らはそもそも舞踏会に呼ばれなかった。いくら現当主の父からの手紙に従ったとはいえ、ユリアに対しても面白くなかったはずだ。綺羅星公爵家のものたちは気性が荒い。心が燃える星なのだと称されることもあるほどだ。舞台で力一杯歌う姿を見た貴族は身震いするという。そのように発散しないと、綺羅星公爵家の血で生きるものは己を保てない。

(別荘にいてもいいということね)と、ユリアはまっすぐに分かった。

 ポーズを決めたまま静止している兄たちは、反応が欲しくてもどかしそうだ。
 いつもならば二人がポーズを決めた瞬間に観客は拍手喝采するが、ユリアは消えてしまいそうに儚く微笑むので、気が気じゃなく、ユリアが返事を迷っている時間を待たずに、妹の肩に手を置いてから、さよならのように手を振った。

「じゃ、また!」

「はい、お兄様」

 ユリアがぺこりと頭を下げる。

「いい気分!」

 兄二人はすんなりと帰っていった。兄妹の力関係がきまった。
 廊下に集まりはらはらと見守っていた使用人たちは、胸を撫で下ろし(血が流れると思っていました)とのちに語った。実際それを恐れて、いざとなれば止めに入らなければなるまいと護身術をふるう心構えをしている者もいた。

 別荘には、少人数でも貴族を守れるようにととくに優秀な人員が配置されている。貴族が休養に訪れるため、その隙を狙う輩というのが存在するのだ。

 しかし彼らといえど、もし上流貴族が魔法で喧嘩を始めてしまえば、容易くは止められなかっただろう。

(ユリアお嬢様が弱みをみせることで兄君様を安心させ、下落を受け入れてくれたのがよかった)

 と、知らぬうちにユリアは別荘内での評判を上げた。
 そこらのわがままお嬢様ではないらしい、もっと知ってみたいという心が使用人たちの間には生まれた。


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