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一章 ユリア公爵令嬢
三十 会場の安寧
しおりを挟むスバルが会場に戻ると、うすい紅色の膜のようなものに包まれて全員が集まっていた。
器用にそのようなことを成したのは綺羅星公爵家の双子のようだ。
そしてスバルを見つけると二人は大きく手を振った。ユリアも安堵したようにスバルを見て肩を下ろした。
「地鳴りは一度きりでしたね……おそらく二度目はないかと思いますが、そう思いたいだけで、まだ可能性があるかもしれません。外にいらっしゃるのは危険ですから、戻ってくださってよかった」
「そうか。なぜ、二度目はないと思ったのか説明できるか」
「はい。黒曜宮ロクタ様が教えてくださいました。このように縦に揺れるようなものは人為的な地鳴りがほとんどで、自然発生するものはないという見立てです。私は経験をしたことがないですが、その説に同意します。あれからすこしも地面が揺れておりませんもの。どちらかといえば地面ではなく、会場内の空気が揺れたようにも感じられましたし」
「君の体感ということだね」
「はい。他人の魔法の中にいるときのような酔いを感じました。それから、そちらにおられるアラン様が不審者を裏庭でとらえたことを教えてくださいました。彼は会場内から暗闇を見るほどの視力があるそうですね。さすが、王子殿下の従者も務めていらっしゃるだけあります」
「そうだね。アランのことを君に伝えておかなくてすまなかった。王立学園に入学するにあたり彼の人事が決定したんだ。身体能力に加護を持つ優秀な人だから、君もなにかあれば今夜のように言付けを頼むといい」
アランが礼をする。
「はい。ありがとうございます。今夜は緊急でしたので彼を使ってしまうことになり、申し訳ございません」
二人は流れるように話すので、婚約者という話は本当らしいとまだ若い子息子女たちは色めきだって耳を澄ませていた。
そういう空気なのであればここで重要なことを話しておいた方がトクだ。大掛かりに告知をするよりも少ない労力で事態を伝えられる、とみた二人はまた口を開いた。
「次世代の重要人物が集まるから会場が狙われるかもしれないと警戒をしていた。せっかくならば王立学園の警備隊の力を見せてもらおうと思ってね。被害が出る前に抑えてくれたのだから、今夜のところは合格とみていいと判断したが……ユリア公爵令嬢はどうだろうか」
「同意いたしますわ。神々がくださる加護はさまざまなものがございます。これまでの私たちが知らなかったことが、後日突然現れることもあるでしょう。そのときに予想不足を責めるのではなく、実害が出ないようにと対処することが求められるはずですわ。今夜でしたら、私どもが会場内を守ることを、スバル様が警備隊を用意してくださったことを。もし警備隊で足りませんでしたら、兄たちが対処する手筈になっておりましたけれど」
「王族の穴があれば貴族が埋めてくれることを頼もしく思うよ。そう、安寧が目的なのだからね」
「ええ」
地方から来た純朴なものたちはこのやりとりを、なんと人道的で格好いいものだろうかと受け止めていた。
中央近くで過ごしていた子息子女たちには、この二人が王族と貴族の代表としてそれぞれ言葉を交わしていて、こちらが上であるとかぶせていく話術にヒヤヒヤとさせられていた。
さいごに、スバルとユリアは微笑みあった。
するとはりつめていた空気はやわらかくなり、全員がようやく安堵の息を吐く。
「話し合いは終わったようだ。結界を解いてしまうぞ」
兄たちは両外側から結界をコツリと楽器の弓で叩いた。地鳴りが起こる前までは演奏をリードしていたのだ。バイオリンにそっくりな楽器はそのままバイオリンと名付けられていて、神々がくださった天啓の一つであるため名称を変えることはできない。弓のところがコツコツと鳴る。
「ああ、お待ちください、お兄様」
妹がそういえば兄が止まるので、家族仲は一見問題ないらしい、と周りは判断した。
とある噂によれば、綺羅星公爵家の兄妹はその後継の座をめぐり激しく争っているというものもあった。それよりは三人の間に流れる空気はおだやかなようであった。
それもまた中央の装いに過ぎないのかもしれないけど、と一部の地方者は自分の常識を見失ないそうになり震えてもいた。
「一度お祓いをしておきませんか? もしも生徒たちに地鳴りの後遺症が残ってもいけません。魔法によって行われたことであれば、祓うことによってその名残は空に還るといわれているでしょう?
お兄様から直々に頼んでみてはいかがでしょうか。ここにいらっしゃる龍仙寺レイヤ様はご経験があったでしょう」
「気配、消していたのにな」
薄荷色の髪をかいて、目立つ風貌の男子生徒がのうのうと言う。
龍仙寺という名称によりざわめきが起こった。それは国の加護者が亡くなったときに加護を空に還すという役割をもつ家系であり、貴族ならば誰でも世話になったことがあるからだ。
「じゃあ奉納の舞いはアランがしてくれよ」
「いいだろう。私の従者を差し出そう」
レイヤが空気中の魔力を震わせる独特の呪文を唱えて、その音を体感的に拾うことができるアランは借りたバイオリンの弓を刀のように振るい剣舞を披露する。
ただ二つのなめらかな動きが調和するとその何倍もの振動が生まれて包まれているようであった。
ある生徒は身震いをした。
これまで感じたこともないような視線がどこからともなく注がれているような感じであったからだ。
(キラキラとしてみえる)
ユリアはメガネの向こうで瞳を細くした。
(彼らが、攻略対象キャラであり、乙女ゲーム【ロイヤル生徒会】によると生徒会員になるのも納得だわ。一年生なのにそれほどの地位を与えられるにふさわしい能力の高さがあるのを見せつけられる。
そして今のうちに会っておいてよかった。王立学園で私がどのような立ち位置になるのかわからないし、もし嫌われ者になってしまうのなら、悪い印象で会うよりもせめて今の方がいいもの。……多分)
ユリアの方に攻略対象たちの視線が矢印のようにチラチラと向くものの、それは好意的というよりは、面白がっていたり変なものを見る目だったりと、油断のならない意味を含んでいそうだった。
彼らに予定外のはたらきをさせてしまったのが気に食わないのかもしれない。それについては、ユリアの発言が発端である。ユリアにはこの地鳴りが黒いカードのイベントとして見えていたから口を出さずにはいられなかった。
「お兄様。後程報酬の約束を……」
「え? 慈善事業でやった方がそこはかっこいいぜ。後輩たち」
兄のものの言い方にユリアはヒヤリとしたものの、男子だけで視線を交わしたのち、プライドであるのか、レイヤとアランは快く頷いたようにみえた。
(彼らがどのような考え方を持っているのかわからなくて、爆弾を抱えているような気分になるわ。怒らせてはいけないし、けれど下手に出ればいいってものでもないし、普段の貴族の子息としての動き方ではなくて、同級生の前でどんなふうにふるまいたいと夢見ているのか、そのプライドを傷つけてはいけないのよね? 今はお兄様がいてくださったけど、一人で王立学園にいることになったらどうしよう)
ユリアのメガネがきらりと鈍い色を映した。
(猫ちゃんに相談できたならよかったのに)
(『──さようならユリア』)
ユリアは目を大きくした。
スバルはその異変に気づいた。
祈り捧げて舞い終わり、春のすずしさを取り戻した夜の中、倒れてゆくユリアの背中をスバルは支えた。
「君は損な役回りだな」
(──そんなことないですから。役回りは難しくてもやりがいってものが今はありますから。どういうお気持ちで損とおっしゃったのかわかりませんが、私にだけ聴こえるように言ってくださったから余計に本心のようですが、損ってどうにも、誰かにいいように動かされているようじゃありませんか。
長く時間をかけて、言いなりの人形をやめましょうってことをやってきたんです。
外観からすればぼんやりと遊んでいただけのようにも見えましょう。けれど心で必死に戦っていたんですよ。グンと成長するように私は変わったと思いますよ。
このようにあなたに対して言葉があふれてくるようになったことこそ、その証です。自分の言いたいことがようやくわかるようになったんです。
そんなこと幼少期でもう卒業しておくことだって? そのような機会がなかったからこじらせた一六歳をやっていたんです。やっていられませんよ、なんなんですかこの国、今たくさんの情報が私の中に花開いてきていて、そんな情報をいっぺんに頭に詰め込まれたから処理落ちしてしまったんです。
損なことがショックだったわけじゃないですから。
ああ、私、しばらく眠ってしまいそうですわ。ごめんなさい。支えて下さってありがとうございます。
たくさんのものごとの整理を寝ている間にするのです。そうしたらきっと戻ってきますからね……。
……問題はあの猫ちゃんなんです。ひどいんです。私のことを一方的に大事にして、それから急にいなくなってしまったんですから! そのことも考えます。いっぱい、いっぱい、この私の気持ちを表す言葉を見つけて、どうしたいのかどうしたらいいのか、想像して……愚痴を届けられるくるいになるんですから──)
応援ありがとうございます!
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