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陶然としたままうっすら目を開けて見ると、シリウス様もまた目元を赤く染めていて、私と同じように興奮を覚えていることがわかる。
「……もっと君を味わっていたいけれど、これ以上は駄目だな。口付けだけで終われなくなってしまいそうだ。本当はこのまま君を家に帰さず僕の所へ連れ帰ってしまいたいけれど、これ以上君の評判に傷をつけるわけにはいかないしね」
シリウス様が名残惜しそうに、熱を持った私の頰へ何度も口付けを落とす。
その感触をくすぐったく感じながら、私はシャルル様が口にした言葉について考えていた。
この国では、婚約者同士の性交渉は絶対の禁忌ではないが、かといって推奨されているわけでもない。
結婚が確実なものであるならばともかく、もし関係を結んだ後に破談になった場合、『軽々しく婚約者に手を出して捨てた非道な男』『簡単に身体を許した挙句捨てられた傷物女』として双方共に受けるダメージは計り知れないからだ。
けれどもそれは裏を返せば、一度身体の関係を持ちさえすれば、おいそれとは婚約の解消はされなくなる、ということでもある。
確かにシャルル様から婚約解消されて間もない私がそんなことをしたと世間に知れれば、また嫌な噂を呼ぶに違いない。
――でも、結婚の約束は今よりも確かなものとなる。
私は、シャルル様から婚約を解消されたあの時のことを思い出す。
三年間ひたすら婚約者として努力し続けたにも関わらず、あっさりと何もなかったことにされて、私は矜持を傷つけられたのと同時に、婚約というものの不確実さを思い知らされた。
シリウス様を信じていない訳ではないけれども、一度捨てられた経験のある私は、自分に自信が持てず、不安で仕方ないのだ。
思いが通じ合った今、婚約者という関係がひどく曖昧なものに思えて、怖い。
このままシリウス様を繋ぎ止めておけるかどうか怯え続けるくらいなら、それならば。
「……ねえ、シリウス様。私、足が痛いです。パーティーでずっと踊り通しだったから」
突然の私の言葉に、シリウス様は目を瞬かせた後、慌てて少し身を離すと心配そうにドレスに隠れた私の足元を見た。
「そうか、僕が妙な嫉妬をしてずっと君を離さなかったせいだね。ごめんね、大丈夫?」
私を案じるシリウス様の言葉に、首を横に振る。
「足首を捻ったみたいで歩けないし、踵の痛みが酷くて我が家に着くまで我慢できそうにないのです。だから……」
緊張で、言葉が震える。私はからからに乾いた唇を軽く舌で湿らせててから、上目遣いでシリウス様を見上げた。
「だから、シリウス様のお部屋でこのまま一晩休ませてもらっては駄目ですか……?」
「――――!」
シリウス様が小さく息を呑む気配を感じ、私は羞恥にぎゅっと目を瞑った。
我ながらなんて稚拙な誘い方だろう。自分で自分が嫌になる。どうしよう、呆れられてはいないだろうか。
「……せめて今日くらいは紳士らしく振る舞おうと思ってたんだけどな……」
そんな苦笑に似た呟きが聞こえたかと思うと、シリウス様の温もりが離れていく。
慌てて目を開くと、シリウス様が馬車の前方にある連絡窓を叩いて御者に行き先の変更を告げるところだった。
フォルジュ家の屋敷――私の自宅ではなく、ラグランジュ家、つまりシリウス様の屋敷へ直接向かうように、と。
御者との遣り取りを終えて再び窓を閉じたシリウス様は、私に覆い被さるようにして耳元で囁いた。
「せっかく一生懸命我慢して大人しく家に返してあげようと思ってたのに、あんなことを言われたらもう止まれないよ。……本当に、いいの?」
「……っ」
言葉が出ず、黙ってこくこくと頷く。
むしろ私は、早く取り返しのつかないことになってしまいたかった。
シリウス様は、今まで見たこともないような艶のある笑みを浮かべて見せる。
その笑みに魅せられて思わずぼうっとする私を、シリウス様が嬉しげにぎゅっと抱き締めた。
「……もっと君を味わっていたいけれど、これ以上は駄目だな。口付けだけで終われなくなってしまいそうだ。本当はこのまま君を家に帰さず僕の所へ連れ帰ってしまいたいけれど、これ以上君の評判に傷をつけるわけにはいかないしね」
シリウス様が名残惜しそうに、熱を持った私の頰へ何度も口付けを落とす。
その感触をくすぐったく感じながら、私はシャルル様が口にした言葉について考えていた。
この国では、婚約者同士の性交渉は絶対の禁忌ではないが、かといって推奨されているわけでもない。
結婚が確実なものであるならばともかく、もし関係を結んだ後に破談になった場合、『軽々しく婚約者に手を出して捨てた非道な男』『簡単に身体を許した挙句捨てられた傷物女』として双方共に受けるダメージは計り知れないからだ。
けれどもそれは裏を返せば、一度身体の関係を持ちさえすれば、おいそれとは婚約の解消はされなくなる、ということでもある。
確かにシャルル様から婚約解消されて間もない私がそんなことをしたと世間に知れれば、また嫌な噂を呼ぶに違いない。
――でも、結婚の約束は今よりも確かなものとなる。
私は、シャルル様から婚約を解消されたあの時のことを思い出す。
三年間ひたすら婚約者として努力し続けたにも関わらず、あっさりと何もなかったことにされて、私は矜持を傷つけられたのと同時に、婚約というものの不確実さを思い知らされた。
シリウス様を信じていない訳ではないけれども、一度捨てられた経験のある私は、自分に自信が持てず、不安で仕方ないのだ。
思いが通じ合った今、婚約者という関係がひどく曖昧なものに思えて、怖い。
このままシリウス様を繋ぎ止めておけるかどうか怯え続けるくらいなら、それならば。
「……ねえ、シリウス様。私、足が痛いです。パーティーでずっと踊り通しだったから」
突然の私の言葉に、シリウス様は目を瞬かせた後、慌てて少し身を離すと心配そうにドレスに隠れた私の足元を見た。
「そうか、僕が妙な嫉妬をしてずっと君を離さなかったせいだね。ごめんね、大丈夫?」
私を案じるシリウス様の言葉に、首を横に振る。
「足首を捻ったみたいで歩けないし、踵の痛みが酷くて我が家に着くまで我慢できそうにないのです。だから……」
緊張で、言葉が震える。私はからからに乾いた唇を軽く舌で湿らせててから、上目遣いでシリウス様を見上げた。
「だから、シリウス様のお部屋でこのまま一晩休ませてもらっては駄目ですか……?」
「――――!」
シリウス様が小さく息を呑む気配を感じ、私は羞恥にぎゅっと目を瞑った。
我ながらなんて稚拙な誘い方だろう。自分で自分が嫌になる。どうしよう、呆れられてはいないだろうか。
「……せめて今日くらいは紳士らしく振る舞おうと思ってたんだけどな……」
そんな苦笑に似た呟きが聞こえたかと思うと、シリウス様の温もりが離れていく。
慌てて目を開くと、シリウス様が馬車の前方にある連絡窓を叩いて御者に行き先の変更を告げるところだった。
フォルジュ家の屋敷――私の自宅ではなく、ラグランジュ家、つまりシリウス様の屋敷へ直接向かうように、と。
御者との遣り取りを終えて再び窓を閉じたシリウス様は、私に覆い被さるようにして耳元で囁いた。
「せっかく一生懸命我慢して大人しく家に返してあげようと思ってたのに、あんなことを言われたらもう止まれないよ。……本当に、いいの?」
「……っ」
言葉が出ず、黙ってこくこくと頷く。
むしろ私は、早く取り返しのつかないことになってしまいたかった。
シリウス様は、今まで見たこともないような艶のある笑みを浮かべて見せる。
その笑みに魅せられて思わずぼうっとする私を、シリウス様が嬉しげにぎゅっと抱き締めた。
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