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番外編※リカルド
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遠くでラインが私の名を呼んでる。
何度も。
いつものように泣いてる。
「うっ、」
今度はどうして泣いてるんだ。
顔や頭の痛み。
記憶がない。
何が起きた。
耳鳴りで回りの音が聞こえない。
泣いてたのは気のせいなのか。
「ら、いん」
口を開くと皮膚はピリピリと裂けた痛みがする。
腫れて開きづらい瞼。
薄暗い部屋。
だけどぼんやりと見えた光景に血の気が引いた。
「逃げたら、許さないから。一生許さない」
僕のだ、僕の、と呟きが繰り返し聞こえる。
ハッ、ハッ、と犬のような息遣いに混じってゾクッとする不機嫌さを醸した声音。
規則的な衣の擦れと濡れた水の弾く音。
暗がりには男と女の見慣れた行為。
思い出した。
先程の、ルルドラとのやり取り。
ラインを下敷きにのし掛かるルルドラ。
白くて細い手足が薄暗い部屋にぼんやりと浮かぶ。
「ル、ルドラッ」
咎めるために名前を叫ぶとビリッと乾きかけていた口の皮膚が裂けた。
フラフラする頭と体。
這うようにルルドラにしがみついて引き倒した。
羽交い締めにしながら首を探す。
殺そうと思った。
殺したかった。
許せなかった。
ラインへの仕打ちは。
だけど脳裏に浮かぶのは青白く無表情な子供のルルドラ。
感情の死んだ虚ろな眼。
声をかけてもいつも何か答えようと口を開くのに、小さく開いた口は閉じずに固まって焦点の合わない目が一点を見つめる。
微笑みで隠していたがそんな子供だった。
不気味だ、と嫌悪を抱く以上に自分の姿と重なった。
ライオネルとディアナが側にいなかったら確実にあれは私だった。
年下の弟のことが気がかりでずっと苦しかった。
私と違って、ルルドラは何かを“ひとり”で耐えてると理解できたから。
気づいたらルルドラを抱き締めていた。
泣きながら。
歯を食いしばってるのに熱い目頭からぼろぼろ溢れた。
ルルドラも。
怒りで振っていた拳も大人しくなった。
背中を手を回して泣いていた。
少し頭が冷えて体の痛みを堪えながらルルドラから体を離した。
顔は涙が染みて痛い。
「……ラインを、部屋に運ぶ。何かないか?」
頼んで動かないなら自分で取りに行くつもりだった。
起きたこの出来事に吐き気と頭痛で目眩がする。
こいつも頭がまともに動かないだろうと察した。
倒れたままぐったりしているラインの側へ。
「まさか。……ラインまで殴ったのか?」
「……分かりません。……自分で、何をしたのか。でも、殴ってない。それだけは……」
「……それだけ、か。それ以外は欲望にままにか?」
ヒュッ、と小さく息を飲む声が聞こえた。
沈黙の中に後悔と恐怖の気配が濃く漂った。
堪えきれず呟いたナイフは刺さったらしい。
視界に入るのが不快でルルドラを直視できない。
冷静さを強く意識して話しかけたがどうしても非難は混じる。
憎いという感情は治まらない。
それ以上に悲しくて辛かった。
単純に憎しみに飲み込まれた方が楽かもしれない。
ルルドラのこと、ラインのこと。
冷静さを求めて落ち着こうと思うのに。
底から溢れる憎悪とズタズタになったルルドラへの情が暴れている。
倒れて動かない妻。
後悔に怯える弟。
察するそれぞれの苦しみに息がつまる。
暗い部屋で充満する血の匂いが敏感になった嗅覚に引っかかってむせそうだ。
ピクリともしないラインを仰向けに顔を向けると眠ったように目をつぶっている。
顔に目立つ傷はない。
体にも。
無防備に捲れたスカートを下げてシミーズの肩紐をもとに戻す。
急に部屋が明るくなって、眩しさに目を細めながら光の方を見た。
「ライン義姉様をこれで」
びっ、びっ、とカーテンを1枚。
レールから力任せに引っ張って壊していた。
日に照らされた顔は犯した事の大きさに青ざめてる。
分かりやすいほど。
フラフラと揺れる背筋を必死で伸ばしていた。
黙って差し出すのでラインを頭からすっぽりと包む。
余るほど大きい。
無言の中、静かな部屋にきぃ、と小さなきしむ音が鳴る。
「勝手に入るなっ!」
扉の開閉音。
この場をどうするか悩んでる時に使用人の立ち入りは腹が立った。
相談するならライオネルかディアナ。
ラインを守り忠誠の厚い私の使用人達だけだ。
「父上ッ」
ルルドラの悲鳴のような声にハッとした。
議会や仕事に忙しく、ここから離れた執務室からわざわざ父が。
誰かが呼んだとすぐに分かる。
父の後ろに立つディアナにすぐ気づいた。
それと何かタオルを頬に当てて。
その不自然さに眉をひそめた。
「……バカなことを。やはりお前などいなければ」
状況を理解した父は目を吊り上げてルルドラへと掴みかかろうとするのを止めた。
「父上、手を上げるのはやめてください。もううんざりです」
ルルドラをひっぱたきそうな気配に口を出した。
本当に見たくない。
争いにもう疲れていた。
何度も。
いつものように泣いてる。
「うっ、」
今度はどうして泣いてるんだ。
顔や頭の痛み。
記憶がない。
何が起きた。
耳鳴りで回りの音が聞こえない。
泣いてたのは気のせいなのか。
「ら、いん」
口を開くと皮膚はピリピリと裂けた痛みがする。
腫れて開きづらい瞼。
薄暗い部屋。
だけどぼんやりと見えた光景に血の気が引いた。
「逃げたら、許さないから。一生許さない」
僕のだ、僕の、と呟きが繰り返し聞こえる。
ハッ、ハッ、と犬のような息遣いに混じってゾクッとする不機嫌さを醸した声音。
規則的な衣の擦れと濡れた水の弾く音。
暗がりには男と女の見慣れた行為。
思い出した。
先程の、ルルドラとのやり取り。
ラインを下敷きにのし掛かるルルドラ。
白くて細い手足が薄暗い部屋にぼんやりと浮かぶ。
「ル、ルドラッ」
咎めるために名前を叫ぶとビリッと乾きかけていた口の皮膚が裂けた。
フラフラする頭と体。
這うようにルルドラにしがみついて引き倒した。
羽交い締めにしながら首を探す。
殺そうと思った。
殺したかった。
許せなかった。
ラインへの仕打ちは。
だけど脳裏に浮かぶのは青白く無表情な子供のルルドラ。
感情の死んだ虚ろな眼。
声をかけてもいつも何か答えようと口を開くのに、小さく開いた口は閉じずに固まって焦点の合わない目が一点を見つめる。
微笑みで隠していたがそんな子供だった。
不気味だ、と嫌悪を抱く以上に自分の姿と重なった。
ライオネルとディアナが側にいなかったら確実にあれは私だった。
年下の弟のことが気がかりでずっと苦しかった。
私と違って、ルルドラは何かを“ひとり”で耐えてると理解できたから。
気づいたらルルドラを抱き締めていた。
泣きながら。
歯を食いしばってるのに熱い目頭からぼろぼろ溢れた。
ルルドラも。
怒りで振っていた拳も大人しくなった。
背中を手を回して泣いていた。
少し頭が冷えて体の痛みを堪えながらルルドラから体を離した。
顔は涙が染みて痛い。
「……ラインを、部屋に運ぶ。何かないか?」
頼んで動かないなら自分で取りに行くつもりだった。
起きたこの出来事に吐き気と頭痛で目眩がする。
こいつも頭がまともに動かないだろうと察した。
倒れたままぐったりしているラインの側へ。
「まさか。……ラインまで殴ったのか?」
「……分かりません。……自分で、何をしたのか。でも、殴ってない。それだけは……」
「……それだけ、か。それ以外は欲望にままにか?」
ヒュッ、と小さく息を飲む声が聞こえた。
沈黙の中に後悔と恐怖の気配が濃く漂った。
堪えきれず呟いたナイフは刺さったらしい。
視界に入るのが不快でルルドラを直視できない。
冷静さを強く意識して話しかけたがどうしても非難は混じる。
憎いという感情は治まらない。
それ以上に悲しくて辛かった。
単純に憎しみに飲み込まれた方が楽かもしれない。
ルルドラのこと、ラインのこと。
冷静さを求めて落ち着こうと思うのに。
底から溢れる憎悪とズタズタになったルルドラへの情が暴れている。
倒れて動かない妻。
後悔に怯える弟。
察するそれぞれの苦しみに息がつまる。
暗い部屋で充満する血の匂いが敏感になった嗅覚に引っかかってむせそうだ。
ピクリともしないラインを仰向けに顔を向けると眠ったように目をつぶっている。
顔に目立つ傷はない。
体にも。
無防備に捲れたスカートを下げてシミーズの肩紐をもとに戻す。
急に部屋が明るくなって、眩しさに目を細めながら光の方を見た。
「ライン義姉様をこれで」
びっ、びっ、とカーテンを1枚。
レールから力任せに引っ張って壊していた。
日に照らされた顔は犯した事の大きさに青ざめてる。
分かりやすいほど。
フラフラと揺れる背筋を必死で伸ばしていた。
黙って差し出すのでラインを頭からすっぽりと包む。
余るほど大きい。
無言の中、静かな部屋にきぃ、と小さなきしむ音が鳴る。
「勝手に入るなっ!」
扉の開閉音。
この場をどうするか悩んでる時に使用人の立ち入りは腹が立った。
相談するならライオネルかディアナ。
ラインを守り忠誠の厚い私の使用人達だけだ。
「父上ッ」
ルルドラの悲鳴のような声にハッとした。
議会や仕事に忙しく、ここから離れた執務室からわざわざ父が。
誰かが呼んだとすぐに分かる。
父の後ろに立つディアナにすぐ気づいた。
それと何かタオルを頬に当てて。
その不自然さに眉をひそめた。
「……バカなことを。やはりお前などいなければ」
状況を理解した父は目を吊り上げてルルドラへと掴みかかろうとするのを止めた。
「父上、手を上げるのはやめてください。もううんざりです」
ルルドラをひっぱたきそうな気配に口を出した。
本当に見たくない。
争いにもう疲れていた。
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