役立たずと追放された空想令嬢ですが、その知識は未来の科学技術でした。私を拾ってくれた冷徹公爵様に溺愛され、世界を変える発明で大逆転します!

aozora

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 朝日が湖面を黄金に染め、旅立ちの一行を眩く包んでいた。

 カイウスの号令一下、総勢三十余名からなる探索隊が、『龍の顎』を目指して静かに出発する。

 それは、世界を書き換える旅の序章であり、エリアーナの新たな物語の幕開けだった。

 ◇ ◇ ◇

 彼らが出発するのを見届けた後、工房近くの森の木陰から、一つの影がすっと離れた。

 密偵ゼルクだ。

 彼は懐から小さな通信用の魔道具を取り出すと、短い報告を念話で本国へと送った。

『――目標、龍ノ顎ヘ。公爵カイウス同行。これ以上の好機はなし』

 エリアーナたちがまだ知らない、グランツ王国の黒い牙は、すでに動き出していた。

 ◇ ◇ ◇

 街道を駆ける馬の蹄の音が、リズミカルに響いていた。

 湖畔の工房を出発してから、早くも三日が過ぎようとしている。

 辺境の長閑な風景は次第に姿を消し、一行は険しい山岳地帯へと足を踏み入れていた。

 エリアーナは、乗馬用のドレスに身を包み、カイウスと馬を並べて進んでいた。

 貴族令嬢として乗馬の心得はあったものの、これほど長時間の騎乗は初めてだった。

 節々が軋む身体で、エリアーナは隣を征くカイウスの背を密かに見上げる。その頼もしい姿が、何よりも確かな精神の支えだった。

「大丈夫か、エリアーナ。顔色が優れないようだが」

 カイウスが、心配そうな眼差しを向けてくる。

 彼の金の瞳は、普段の冷徹さが嘘のように、今はただ純粋な気遣いの色を宿していた。

「いえ、平気です。少し……考え事をしていただけですから」

 エリアーナは慌てて微笑んでみせた。

 彼女の頭の中は、これから手に入れるであろう『月光鋼』のことでいっぱいだった。

 あの幻の金属さえあれば、精製炉を汚染するホウ素の問題は解決し、純度イレブンナイン――99.999999999%の精製土水晶が完成する。

 それは、天命石(半導体)の製造における、最大の技術的障壁の突破を意味していた。

 しかし、同時に不安も渦巻いている。

 自分の知識が、自分の天命が、カイウスや彼の部下たちを危険な『龍の顎』へと導いてしまった。

 もし、誰かが傷つくようなことになれば、自分の責任だ。

 その重い責任感が、エリアーナの心にずしりと鉛を落とした。

「君のせいではない」

 カイウスが、その思考を察したように静かに言った。

「これは私が決めたことだ。ヴァルヘイムの未来のため、そして何より……君の描く未来を、私が見たいと願ったからだ」

「カイウス様……」

 その真っ直ぐな言葉に、エリアーナは胸が熱くなるのを感じた。

 カイウスはいつもそうだった。

 エリアーナが言葉にならない罪悪感や不安に苛まれるたび、彼は淀みない肯定の言葉で、彼女の心の澱を掬い上げてくれる。

「ありがとうございます。……必ず、月光鋼を見つけ出します」

 カイウスの揺るぎない眼差しを受け、エリアーナの紫の瞳に、新たな決意の炎が灯った。

 カイウスは満足そうに小さく頷くと、前方に視線を戻した。

 彼の率いる精鋭部隊は、一糸乱れぬ動きで周囲を警戒し、隊列を組んで進んでいく。

 その練度の高さは、素人であるエリアーナの目にも明らかだった。

 エリアーナはふと、自分の外套の襟元で丸くなっている温かな存在に気づいた。

 聖獣ライテイが、すうすうと安らかな寝息を立てている。

 この小さな命もまた、自分を信じてついてきてくれたのだ。

 (私が、しっかりしなければ)

 エリアーナは手綱を握る手に、そっと力を込めた。

 ◇ ◇ ◇

 グランツ王国、王都グランツヘイム。

 王城の一室で、王太子アルフォンスは届けられた密書に目を通し、不快そうに眉をひそめていた。

「……カイウス自ら、『龍の顎』へ? 馬鹿な男め。あの女の戯言に、本気で付き合っているというのか」

 報告者は、影のように控える密偵ゼルクだった。

 彼はヴァルヘイムから念話で第一報を送った後、後続の部隊に追跡を任せ、いち早く王都へと帰還していたのだ。

 この数週間の間に、ゼルクからは度々、エリアーナが持ち込んだとされる「新しい技術」に関する報告が上がっていた。

 当初は聞き流していたアルフォンスだが、ヴァルヘイム公カイウスが自ら動くとなれば話は別だった。

「戯言、と断じるのは早計かと、殿下」

 ゼルクが冷静に口を挟むと、アルフォンスは一瞬、顔を硬くした。

 自らが愚かにも手放した『空想』が、隣国の聡明と名高い公爵に『価値』と見出されている。その事実が、アルフォンスの肥大したプライドを鋭利な刃物で抉るようだった。

「殿下。この数日の観察で、探索隊の目的は明らかになり、その異常なまでの重要性も確信いたしました。ヴァルヘイム公が、無意味な道楽に国費と時間を費やす御仁でないことはご存じでしょう。エリアーナ様がもたらした知識に、それだけの価値を見出したと考えるべきです」

「価値だと? あの女の空想に何の価値がある! 『流れる雷』だの『光で話す石』だの……。あんなものは、子供の見る夢物語に過ぎん!」

 アルフォンスは苛立たしげに机を叩いた。彼にとってエリアーナは、たかが辺境貴族の娘であり、自身の言葉を疑うなどありえないことだった。それをカイウスが肯定し、自らの判断の誤りを突きつけるかのような現実に、彼の苛立ちは募るばかりだ。

「しかし、カイウスは動きました。それも、グランツとの係争地である『龍の顎』に、です。これは、我が国にとって好機ではございませんか」

 ゼルクはアルフォンスの自尊心と猜疑心を巧みに刺激する。

「好機、だと?」

「はい。公爵が手薄な本国を離れ、我が国の影響が及ぶ係争地に自ら足を踏み入れたのです。彼の身柄を拘束するもよし、狙う『至宝』を横から奪うもよし。ヴァルヘイムが新たな技術で優位に立つ芽を摘み、同時にグランツの威光を示す、またとない機会かと存じます」

 ゼルクの言葉に、アルフォンスの口元が歪んだ。

 そうだ。

 カイウスは愚かにも、虎の縄張りに自ら踏み込んできたのだ。

 ならば、その喉笛を噛み砕くまで。

「……面白い。余興としては悪くないだろう」

 アルフォンスは尊大に頷いた。

「王室騎士団の中から、選りすぐりの者を選抜し、直ちに『龍の顎』へ派遣せよ。指揮官は……そうだな、剛勇で知られるマルクス辺境伯が良いだろう。奴は元々、『龍の顎』方面で警戒態勢に入っていたはずだ」

「はっ。かしこまりました」

「目的は二つ。カイウスが探す鉱物――それが何であれ、ヴァルヘイムの利となるものならば――を確保すること。そして、可能であればカイウス・エトール・ヴァルヘイムを捕らえよ。我がグランツ王国に逆らう者がどうなるか、大陸中に見せしめてやるのだ」

 アルフォンスの碧眼が、冷酷な光を帯びる。

 彼は、エリアーナがもたらした知識の本当の価値など、欠片も理解していなかった。

 彼にとってこれは、気に食わない隣国の公爵を貶めるための、ただの政争の駒に過ぎなかったのだ。

 その浅はかな判断が、自らの王国の未来にどれほど巨大な損失をもたらすことになるのか、知る由もなかった。

 ◇ ◇ ◇

 出発から五日目の夕刻。

 エリアーナたちの目の前に、ついに目的の地がその威容を現した。

「あれが、『龍の顎』……」

 エリアーナは息を呑んだ。

 天を突くように鋭く切り立った二つの巨大な峰が、まるで巨大な龍が天に向かって口を開けているかのように見えることから、その名は付けられたという。

 山肌はごつごつとした黒い岩で覆われ、植物もほとんど生えていない。

 麓には不気味な瘴気のような紫色の靄が立ち込め、生命の気配を拒絶しているかのようだ。

 あまりに過酷で、統治する価値すら見出しにくい不毛の地。なぜこの場所が係争地なのか、その理由はエリアーナにも痛いほど理解できた。

「ここから先は、魔物の領域だ。全員、警戒を怠るな」

 カイウスの低い声が響き、部下たちが緊張した面持ちで頷く。

 その夜は、山脈の麓で野営をすることになった。

 兵士たちが手際よく天幕を張り、見張りを立てていく。

 エリアーナは、自分にできることといえば、せいぜい火の番くらいかと、パチパチと音を立てる焚き火をぼんやりと見つめていた。

「寒くないか」

 いつの間にか隣に座っていたカイウスが、自分のマントをそっと彼女の肩にかけてくれた。

「ありがとうございます。……カイウス様は、怖くないのですか?」

 エリアーナは、マントの温もりに包まれながら尋ねた。

 その問いに、カイウスはわずかに表情を曇らせる。

「怖い、か。公爵という立場は、恐怖を感じることを許されないのでな」

 彼は自嘲するように笑った。

 だが、その横顔はどこか寂しげに見えた。

「ですが、あなたは……」

「だが、私が背負う重圧は、君のそれとは比較にならぬ。君が背負うのは、この世界の誰も知らぬ、唯一無二の『天命』だ」

 カイウスは焚き火の炎を見つめながら言った。

 彼にもまた、公爵として背負うべき重圧はあった。

 だが、エリアーナが背負うものとは比べ物にならないほど、その性質は異なっていた。

「君が背負う『天命』は、この世界の誰も理解できない、孤独な道だろう。その知識がもたらす未来が、本当に人々を幸福にするのか。あるいは、新たな争いの火種となるのか……。その責任の全てを、君はたった一人で背負おうとしている」

 カイウスの言葉は、エリアーナの心の奥底を見通しているかのようだった。

 創造主としての恐怖も、その責任の重さに押し潰されそうになっていることも、全て。

「私は……怖いのです。私の知識が、カイウス様や、ヴァルヘイムの人々を不幸にしてしまったらと……そう思うと、夜も眠れなくなることがあります」

 堰を切ったように、エリアーナは本音を吐露した。

 カイウスは何も言わず、ただ静かに彼女の言葉を聞いていた。

「……だが、君は進むことをやめなかった」

 沈黙の後、カイウスが言った。

「君は、その恐怖に屈することなく、自らの天命と向き合うことを選んだ。その覚悟と勇気を、私は誰よりも尊敬している」

 彼はエリアーナの方に向き直ると、その紫の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「エリアーナ。君の知識は、使い方次第で世界を救う力になる。私はそう信じている。だから、一人で抱え込むな。その重荷の半分は、私が持とう。君が道を誤りそうになった時は、私が必ず君を引き戻す。……約束だ」

 その金の瞳に宿る、絶対的な信頼と覚悟。

 温かい雫が、エリアーナの頬を伝って零れ落ちた。それは絶望でも恐怖でもない。自身の全てを理解し、受け入れてくれる人がいる。その、これまで感じたことのないほど深く、温かい安堵と喜びの涙だった。

「……はい」

 彼女は、ただ頷くことしかできなかった。

 この人のためなら、どんな困難にも立ち向かえる。

 エリアーナは、心の底からそう思った。

 ◇ ◇ ◇

 翌朝、一行はついに『龍の顎』の内部へと侵入を開始した。

 一歩足を踏み入れると、空気ががらりと変わる。

 肌を刺すような冷気と、魔力が渦巻く濃密な気配。

 時折、岩陰から異形の魔物が襲いかかってくるが、カイウスの部下たちが連携して瞬く間に仕留めていく。

「キュイ!」

 その時、エリアーナの外套の中からライテイがぴょんと飛び出し、鼻をひくひくと動かし始めた。

「ライテイ? どうしたの?」

 ライテイはエリアーナの問いかけに応えるように一声鳴くと、ある方向に向かって駆け出した。

「待って!」

 エリアーナが後を追うと、カイウスと部下たちもそれに続く。

 ライテイに導かれるまま、一行は険しい岩道を登り、やがて古びた洞窟の入り口にたどり着いた。

 洞窟の奥からは、まるで呼吸するかのように、淡い光が明滅している。

「……この光は」

 カイウスが警戒しながらも、その光に既視感を覚える。

 それは、工房でエリアーナが見せてくれた『月光鋼』の資料にあった輝きと酷似していた。

「間違いありません……。この奥です!」

 エリアーナが確信に満ちた声で言う。

 カイウスの合図で、部下たちが松明に火を灯し、慎重に洞窟の奥へと進んでいく。

 洞窟は、まるで巨大な水晶宮のようだった。壁の至る所が淡く発光し、幻想的な光が一行を包む。誰もが息を呑んだ。

 そして、最も開けた空間に出た瞬間、一行は目の前の光景に言葉を失った。

 洞窟の最奥。

 天井から差し込む月光に照らされた壁一面が、夜空の星々を閉じ込めたかのように、青白い無数の光を放っていたのだ。

「月光鋼……!」

 エリアーナが歓喜の声を上げた。

 それは、ただの鉱石ではなかった。

 まるで生きているかのように脈動し、神秘的な光を放つ、まさしく幻の金属。

 これさえあれば、計画は大きく前進する。

 誰もが、その神秘的な輝きに見惚れていた。世界を変える至宝との対面。歓喜に打ち震える一瞬の隙だった。

 その時、異変は起きた。

 ――カツン、と。

 洞窟の入り口から、複数の硬質な足音が響いてきた。

 ハッとしてカイウスたちが振り返る。

 そこには、松明の明かりに照らされ、グランツ王国の紋章を刻んだ重厚な鎧に身を包んだ騎士たちが、ずらりと並んで立ちはだかっていた。

 その先頭に立つ、熊のような体躯の男が、兜の面頬を上げ、不敵な笑みを浮かべた。

「これはこれは、ヴァルヘイムの公爵閣下。まさかこのような辺境で、何を探しておられるのですかな?」

 男の胸には、マルクス辺境伯家の紋章が輝いている。

「ほう。その美しく輝く石が、ヴァルヘイムの新しい技術の要となる『至宝』とやらですか。なるほど、噂通りの輝きだ。だが、残念ながら、それは我がグランツ王国が管理させていただくことになろう」

 洞窟の入り口は、完全に塞がれていた。

 逃げ場のない袋小路。

 エリアーナの顔から、さっと血の気が引いていく。

 月光鋼の神秘的な輝きは、グランツ王国の黒い牙によって、無慈悲に、そして唐突に、絶望の影に塗りつぶされた。
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