役立たずと追放された空想令嬢ですが、その知識は未来の科学技術でした。私を拾ってくれた冷徹公爵様に溺愛され、世界を変える発明で大逆転します!

aozora

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 張り詰めた空気を切り裂くようなカイウスの命令が、龍の顎の渓谷に響き渡った。

 先ほどまでエリアーナを包み込んでいた甘さは微塵もなく、その声には絶対的な支配者としての冷厳さだけが満ちている。

 ヴァルヘイムの騎士たちは、その声に機械のような正確さで反応した。

 負傷者の手当て。確保した月光鋼の荷造り。そして撤退経路の確保。

 全てが淀みなく、恐るべき練度で進められていく。

 エリアーナは、そんな彼らの動きを、どこか遠い世界のことのように眺めていた。

 カイウスの腕の感触。胸に響いた心音。耳元で囁かれた力強い言葉。

 それら全てが、まだ全身の感覚に焼き付いている。

 自分の知識が、人を閉じ込め、あるいは殺傷しかねない破壊の力として行使された。

 全身を締め付ける鉛のような罪悪感が、彼の腕の温もりの中でわずかに溶けていくのを感じた。

「エリアーナ嬢」

 カイウスの声が、今度はわずかに温度を取り戻し、彼女の耳に届いた。

 いつの間にか、彼は撤退準備の指揮を副官に任せ、エリアーナの前に立っていた。

「馬車の用意ができた。道中は揺れるだろうが、少しでも休むといい」

「……はい」

 喉の奥に押し込められた感情が堰を切るのを恐れるかのように、エリアーナは力なく頷くのがやっとだった。

 彼の金の瞳は、すでに次の戦場を見据えている。それはグランツ王国との、避けられぬ全面対決という戦場だった。

 馬車に乗り込むと、小さな影がするりとエリアーナの膝の上に乗ってきた。ライテイだった。

 銀色の毛並みを持つ聖獣は、くぅん、と心配そうな鳴き声をあげた。

 微かに帯電した体を、エリアーナの手にすり寄せる。

 ライテイの微かに帯電した温かな体が、エリアーナの震える手にそっとすり寄る。その温もりが、彼女の心の奥底で波打つ不安を、凪のように鎮めてくれた。

「ありがとう、ライテイ……。あなたがいなければ、今頃……」

 指先でその柔らかな毛を撫でながら、エリアーナは目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのは、自分が描いた概念図と、それが引き起こした崩落の光景だった。

 頭に浮かぶは、崩れ落ちる岩石と、閉じ込められた兵士たちの姿。

 天命だと信じた知識が、かくも暴力と近しい場所にあるという事実に、エリアーナは心の奥底から震え上がった。

 与えられた天命は、平和をもたらすためのものだと信じていた。

 だが、その最初の顕現は、暴力と欺瞞に満ちた争いの引き金となってしまったのだ。

 馬車の規則的な揺れが、エリアーナを浅い眠りへと誘っていく。

 夢と現の狭間で、彼女はカイウスの言葉を何度も、何度も反芻していた。

『君は何も悪くない。君の知識は、使い方次第で世界を救う力になる』

 その言葉だけが、暗闇に差し込む唯一の光として、エリアーナの心に灯っていた。

 ◇

 ヴァルヘイム公国の領都に一行が帰還したのは、三日後のことだった。

 公爵の凱旋は、領民たちの熱狂的な歓迎を受けた。

 カイウスがグランツの騎士団を退け、新たな鉱物資源を持ち帰ったという報は、すでに早馬によって領内全土に伝わっていたからだ。

「公爵閣下、万歳!」

「ヴァルヘイムの栄光、ここにあり!」

 城門へと続く大通りは、旗を振る人々で埋め尽くされている。

 カイウスは騎乗したまま、その歓呼に片手を上げて応えた。

 工房で見せる静謐な知性と情熱とは裏腹に、そこには絶対的な力と揺るぎない意志を纏った、ヴァルヘイムの玉座そのものがあった。

 エリアーナは馬車の窓からそっとその光景を窺い、身を縮こませた。

 自分がこの騒ぎの中心にいるという事実が、重く肩にのしかかる。

 城に到着するや否や、カイウスは休む間もなく執務室へと向かった。

 文官や将軍たちを次々と呼びつけては、矢継ぎ早に指示を飛ばし始める。

「国境の全部隊に第一級警戒態勢を発令する。グランツ側のいかなる挑発にも乗るな。だが、一歩でも国境線を越えれば、躊躇なく殲滅せよ!」

「商業ギルドの代表を招集しろ。グランツとの交易を段階的に縮小する。代わりの交易路を確保するため、東方諸国との交渉を加速させる!」

「周辺諸国へは、事の真相を伝える特使を派遣。『グランツ王国による不当な軍事侵攻と、ヴァルヘイム公国の正当防衛』。これが我々の公式見解だ。異論は認めん!」

 彼の低く響く声は、まるで古の呪文のように、巨大な帝国の骨組みを再構築していく。

 その一言一句が、鋼の意志で鍛え上げられたヴァルヘイムの兵士たちを、精密な兵器へと変貌させていくようだった。

 その圧倒的な采配ぶりを前に、エリアーナはただ息を呑むばかりだった。

 その裏で、グランツ王国はヴァルヘイムの非道を訴える声明を大陸中に発信していた。

「野蛮なるヴァルヘイム公は、平和的交渉のために派遣した我が国の騎士団を、龍の顎にて卑劣な罠にかけ、多数の死傷者を出させた! これはグランツ王国に対する明確な敵対行為であり、断じて許されるものではない!」

 アルフォンス王太子の名で出された声明は、マルクス辺境伯率いる騎士団が洞窟内に閉じ込められ、その多くが崩落に巻き込まれて命を落としたことを声高に非難していた。

 もちろん、彼らが先に仕掛けたという事実には一切触れられていない。

 王宮の謁見の間では、アルフォンスが苛立ちを隠せずにいた。

「ヴァルヘイムの奴らめ……! まさか、あのような破壊力を隠し持っていたとは!」

 握りしめた拳が、小刻みに震えた。

「月光鋼は必ず手に入れる。そして、あの女も……! あの力を我がグランツのものにすれば、全ては帳消しになる!」

 憤怒に燃えるその瞳には、すでに次の策略が宿っていた。

 情報は、発信者の意図によって容易く捻じ曲げられる。真実など、声の大きい者の都合の良い物語に過ぎないのだ。

 エリアーナは、遠く離れたグランツ王国の動きをカイウスの部下からの報告で聞きながら、改めて自らが創り出そうとしているものの意味を噛み締めていた。

 遠くの相手と、顔を見て、直接言葉を交わせる道具。

 誰もが、瞬時に、同じ情報を共有できる世界。

 もし『遠見の水晶板』がすでにあるのなら、このような一方的なプロパガンダは通用しないのかもしれない。

「……やらなければ」

 エリアーナは唇を噛みしめ、自らが還るべき場所へと足を向けた。

 湖畔の工房。そこが、彼女の戦場だ。

 工房は、エリアーナの帰還と、もたらされた月光鋼によって、かつてないほどの熱気に包まれていた。

「おお……おおっ! これが、あの伝説の月光鋼か!」

 ギデオンは、荷馬車から慎重に下ろされた鈍色の金属塊を前に、子供のように目を輝かせていた。

 彼は手袋をはめた指でそっとその表面を撫で、感嘆のため息を漏らす。

「この冷たいほどの滑らかさ……。不純物が、魔力さえも弾いている。噂は、本当じゃったわい!」

 工房の若い技術者たちも、遠巻きにその幻の金属を眺め、興奮にざわめいている。

「エリアーナ様、ご無事で何よりでした!」

 目を輝かせて駆け寄る技術者の中に、ひときわ熱心な眼差しを向ける青年がいた。

「エリアーナ様の発想は、僕たちの常識を根底から覆します! この手で、世界の未来を創り上げている実感が湧いてくるようです!」

 新しく工房に加わったばかりのレオンと名乗る青年だ。

 彼は人当たりが良く、仕事も熱心で、すぐに他の技術者たちとも打ち解けていた。

 彼らの純粋な歓迎の言葉に、エリアーナの心も少しずつ解きほぐされていく。

「ええ。皆さん、心配をかけました。ですが、もう障壁はありません。これより、月光鋼を用いた新型精製炉の建造を開始します!」

 エリアーナが宣言すると、工房に「おおっ!」という歓声が上がった。

 そこからの日々は、寝食を忘れ、ただ一つの目標に向かって突き進む、まさしく戦場と化した。

 睡眠を削り、食事もそこそこに、皆の顔には疲労と油煙で汚れながらも、瞳の奥には燃え盛るような情熱が宿っていた。

 白い吐息が空気に溶ける冬の始まりから、芽吹き始めた若葉が風にそよぐ春の盛りまで、工房は昼夜を問わず熱気に包まれ続けた。

 カイウスも多忙を極める中で、幾度か工房に顔を出した。

 エリアーナに短い言葉をかけることが、時折あった。

 それからおよそ二月。工房は、寝る間も惜しむ不眠不休の戦場と化した。

 エリアーナが描いた天命の知識に基づく設計図は、月光鋼という未知の素材を前に、幾度も改訂を余儀なくされた。

 月光鋼は、そのあまりの純度と魔力親和性の低さゆえに、既存の魔力伝導理論では制御が困難だったのだ。

 炉心に集めた魔力が安定せず、僅かな出力変動で暴走しかねない。

「お嬢様、この構造じゃと魔力伝導率にムラが出る! ここの接合部は、ワシに伝わる秘伝の『無縫溶接』で繋ぐべきじゃ!」

「ギデオン、その通りです!

 ですが、その方法では月光鋼の歪みが生じる可能性があります。エネルギー供給用の魔法回路は、私が考案した複層螺旋式に変更します。これなら、より均一な熱量を炉心に集中させられるはず……!」

 二人の間を、膨大な量の設計図と計算式が飛び交う。

 試作段階の炉は、小さな爆発を繰り返し、資材はみるみるうちに消費されていった。

 時に激しく意見をぶつけ合い、時に互いの知識と技術に心からの称賛を送り合う。

 その光景は、まるで年の離れた師弟であり、最高の相棒のようだった。

 音響魔術師のヨハンは、月光鋼を加工する際の超音波振動による微細な亀裂を防ぐため、常に完璧な防音結界を張り続けた。

 若い技術者たちは、寝る間も惜しんで部品の研磨や組み立てに精を出す。

 誰もが、一つの目標に向かって突き進んでいた。

 グランツ王国との間に立ち込める戦争の暗雲など、この工房の熱気の前では些細なことのように思えるほどだった。

 それでも、エリアーナの心からは不安が消えたわけではなかった。

 夜、一人で自室のベッドに入ると、崩落の轟音や、カイウスの冷徹な声が蘇ってくる。

 私のせいで、多くの人が死んだのかもしれない。

 私のせいで、カイウス様は危険な道を選ばざるを得なくなった。

 そんな罪悪感が、冷たい霧のように、エリアーナの心を覆い続けた。

 そんなある夜のことだった。

 エリアーナが、完成間近の精製炉の設計図の最終確認を一人で行っていると、静かに工房の扉が開いた。

「……カイウス様」

 そこに立っていたのは、昼間の激務の疲れを微塵も感じさせない、黒衣の公爵だった。

 彼は手に銀のトレイを持っており、そこからは湯気の立つカップの良い香りが漂ってくる。

「まだ起きていたのか、エリアーナ。まったく、君は働きすぎだ。少し、休憩に付き合え」

 彼は有無を言わさずエリアーナの隣の椅子に腰を下ろし、カップの一つを彼女の前に置いた。

 ヴァルヘイム特産の、安眠効果のあるハーブティーだった。

「申し訳ありません。お疲れのところを……」

「君の方が疲れているだろう。顔色が悪い」

 カイウスはこともなげに言うと、自分のカップに口をつけた。

 その金の瞳が、じっとエリアーナを見つめる。

 そこには、彼女の苦悩を全て受け止めるような深さと、微かな温もりが宿っていた。

 エリアーナは、思わず俯いてしまった。

「カイウス様……。やはり、私のせいで……。私が月光鋼などと言わなければ、貴方を危険な戦争に巻き込むことはなかったのでは……」

 絞り出すような声に、罪悪感が滲む。

 しかし、カイウスは静かに首を横に振った。

「勘違いするな、エリアーナ」

 彼の声は、低く、穏やかだった。

「この戦いは、君のせいではない。グランツ王国、いや、アルフォンス王太子の傲慢さが招いた必然だ。彼らは遅かれ早かれ、ヴァルヘイムの技術と独立を脅かしてきただろう。君の知識は、そのきっかけを早めたに過ぎん」

 彼はカップを置くと、エリアーナの方へと向き直った。

「むしろ、感謝している。君のおかげで、我々は戦うべき時に、戦うべき理由を得た。そして、未来を勝ち取るための切り札もな」

 カイウスの視線が、部屋の隅に置かれた精製土水晶の原石に向けられる。

「君の発明は、いずれ剣や槍よりも雄弁に、国家間の力関係を語るだろう。それは暴力による支配ではない。情報という、新たな力による秩序だ。私は、その未来に賭けている」

 彼は続ける。

「だから、君は君の戦いをしろ。この工房という戦場で、君にしか成し得ない偉業を成し遂げろ。政治や軍事は、私の仕事だ。君の手を、血で汚させるつもりはない」

 その言葉は、エリアーナの心を縛り付けていた罪悪感の鎖を、いとも容易く断ち切ってくれた。

 そうだ。私には、私のやるべきことがある。

 この知識は、破壊のためではない。繋ぐために、世界をより良い場所にするために与えられた天命なのだ。

 涙が、頬を伝う。それは絶望や恐怖の涙ではなく、救われた安堵と、決意の涙だった。

「……はいっ! 私、信じます! この天命を、必ず成し遂げてみせます!」

 エリアーナが顔を上げると、カイウスは満足そうに小さく頷いた。

「それでいい」

 彼の指先が触れた瞬間、エリアーナは凍てついていた心の底から、温かな火が灯るような感覚に包まれた。

 普段の冷徹な彼からは想像もつかない、その不器用で優しい触れ方が、エリアーナの胸に確かな安堵と、彼への信頼を深く刻み込んだ。

 この人のために、この人が信じてくれる未来のために、私は進まなければならない。

 ◇

 そして、運命の日が訪れる。

 月光鋼の新型精製炉が、ついに完成したのだ。

 工房の中心に鎮座するそれは、黒曜鋼の炉とは比較にならないほど洗練され、美しいフォルムをしていた。

 月光鋼の鈍い輝きが、魔法灯の光を吸い込むように静かに佇んでいた。

「……よし、準備は万端じゃ」

 ギデオンが、緊張した面持ちで頷く。

 エリアーナは深呼吸を一つすると、炉の制御盤の前に立った。

「精製土水晶、投入。魔力循環システム、起動。第一次加熱、開始します!」

 彼女の凛とした声が、静まり返った工房に響く。

 ゴオオオッ、という地鳴りのような低い音と共に、炉が稼働を始める。

 炉心に刻まれた魔法陣が青白い光を放ち、月光鋼の内部を膨大な魔力が駆け巡る。

 誰もが固唾を飲んで、炉に取り付けられた魔法計測器を見守っていた。

 それは、精製される水晶の純度をリアルタイムで表示する、エリアーナが考案した特殊な装置だ。

 計測器の針が、ゆっくりと右へ振れていく。

 99.999%……。

 99.9999%……。

 99.99999%……。

 これまでの黒曜鋼の炉では、決して超えられなかった壁を、いとも容易く突破していく。

 そして。

 99.999999%……。

 99.9999999%……。

 99.99999999%……!

 そして、針はついに目標としていた領域へと到達した。

 99.999999999%。

 イレブンナイン。神の領域とまで言われた、完全無欠の純度。

「……嘘だろ、本当に……」

 誰かが、信じられないというような、震える声で呟いた。

 それを合図にしたかのように、工房は爆発的な歓声に包まれた。

「うおおおおおっ! 成功だぁっ!」

「やったぞ! 俺たちはやったんだ!」

 技術者たちは抱き合い、涙を流して喜びを分かち合う。

「……やったのう、お嬢様」

 ギデオンが、皺くちゃの顔をさらにくしゃくしゃにして、エリアーナに手を差し出した。

「ええ、やりましたね、ギデオン!」

 エリアーナは、その分厚く、節くれだった手を力強く握り返した。

 これで、道は拓かれた。

 この神聖なまでの純度を持つ精製土水晶の薄片――ウェハーに、微細な回路を刻み込むことで、世界で最初の『天命石』が誕生する。

 それは、世界に情報革命という名の産声をもたらす、確かな一歩だったのだ。

 歓声が響き渡る工房の中で、エリアーナは満ち足りた笑顔を浮かべた。

 彼女の戦いは、ここから、いよいよ始まるのだ。
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