役立たずと追放された空想令嬢ですが、その知識は未来の科学技術でした。私を拾ってくれた冷徹公爵様に溺愛され、世界を変える発明で大逆転します!

aozora

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 「エリアーナ様の崇高なご計画に、このレオン、心より貢献させていただきます! どうか、些事なりと仰せつけくださいませ!」

 彼は人懐っこい笑顔で、そう言った。

 その熱心さには、エリアーナもいつも感心させられる。

「ええ、もちろん。ありがとう、助かるわ」

 エリアーナが感謝を述べると、レオンは嬉しそうに深く頷いた。

 そして、彼女の隣で資料をめくり始めた。

 本当に、優秀で真面目な青年だ。

 彼のような、エリアーナの持つ「天命の知識」を本能的に理解し、この世界の魔法体系と融合させようとする深い洞察力を持つ若い力が、これからのヴァルヘイムを、そしてこの計画を支えていくのだろう。

 そう思った、その時だった。

 資料に落とされたランプの光が、一瞬、彼の瞳を横切る。

 エリアーナを尊敬の眼差しで見つめているはずのその瞳の奥に、ほんの一瞬、探るような、あるいは値踏みするような、不意に冷たい光が宿ったのを、エリアーナは見逃さなかった。

 それはすぐにいつもの熱心な青年の表情に戻る。

 だが、エリアーナの胸には、拭い去れない小さな違和感が残った。

 気のせいだろうか。

 しかし、その冷徹な光は、まるで心の奥を氷の刃が撫でたかのような、明確な不快感だった。

 エリアーナは首を傾げた。

 胸の奥に生まれた小さな棘のような違和感は、夜の静寂の中に、静かに溶けてはくれなかった。

 * * *

 レオンが退出した後も、エリアーナは一人、工房の静寂の中で先ほどの出来事を反芻していた。

 月光鋼の炉が生み出した『イレブンナイン』の精製土水晶。

 その完成がもたらした熱狂と興奮が、まだ工房の壁に染みついているようだった。

 仲間たちの歓声、ギデオンの満足げな唸り声、そしてカイウスの、あの静かで、しかし何よりも雄弁な金の瞳。

 すべてが順調に進んでいる。

 天命が示す道筋を、一歩一歩、確かに辿っているはずだった。

 それなのに、あのレオンの瞳の奥に見た一瞬の冷光は、その輝かしい未来図に落ちた、小さなインクの染みのように心をざわつかせる。

 (考えすぎ、よね……。彼は誰よりも熱心に協力してくれているわ)

 エリアーナは自らを納得させるように、小さく息を吐いた。

 レオンはカイウスが集めた若手技術者の中でも、群を抜いて優秀だった。

 特に、複雑な理論を理解し、エリアーナの「天命の知識」をこの世界の魔法技術に応用する力は目を見張るものがある。

 そんな彼が、この計画に害をなすとは考えにくい。

 おそらくは、連日の作業による疲労が見せた幻。

 そう結論付けようとしたが、心の棘は抜けきらない。

 まるで、美しい絨毯の下に隠された、一つの小石を踏んでしまったような、消えない異物感だった。

 彼女は窓の外に広がる、月明かりに照らされた湖を見つめた。

 これから始まる工程は、今までとは比較にならないほどの精密さと、未知の技術を要求される。

 今は、余計な疑念に心を曇らせている場合ではなかった。

 エリアーナは頬を両手でぱちんと叩き、意識を切り替えた。

 天命石の心臓を創り出す、次なる段階へ。

 翌朝、工房には再び活気が満ちていた。

 中央の作業台には、鏡のように磨き上げられた直径十五センチほどの精製土水晶の円盤――『水晶円盤(ウェハー)』が、厳重な結界魔法の中で鎮座している。

 エリアーナは、ギデオン、ヨハン、そしてレオンを含む主要な技術者たちを前に、これから挑む技術の概要を説明し始めた。

「皆さん、聞いてください。これから私たちは、この完璧なまでに清浄な水晶円盤の上に、神の御業にも等しい微細な回路を『描いて』いきます」

 彼女の言葉に、集まった者たちの間に緊張が走る。

 ギデオンが、その太い腕を組んで唸った。

「描く、だと? お嬢様。いくらワシの腕が大陸一とはいえ、こんなツルツルの板の上に、針の先で米粒に絵を描くより細かいモンを刻むなんざ、不可能だぜ」

 そのもっともな意見に、他の技術者たちも頷く。

 エリアーナは微笑んで首を振った。

「ええ、不可能です、人の手では! だからこそ、私たちは『光』の筆を使うのです! この清浄な水晶の板の上に、光の筆で、神々さえも驚くような微細な回路を描き出すのですから!」

「光……?」

 誰もが言葉の意味を測りかねて、顔を見合わせる。

 エリアーナは一枚の羊皮紙を広げた。

 そこには、彼女の頭脳に浮かぶ天命の知識を基に描かれた、複雑な装置の設計図があった。

「これを、私は『光描画技術(リソグラフィ)』と呼んでいます。手順はこうです。まず、この水晶円盤の表面に、光に反応して性質を変える特殊な樹脂――『感光性魔導樹脂』を均一に塗布します」

 彼女は、試作したばかりの粘性のある液体が入った小瓶を掲げてみせる。

「次に、こちらです」

 エリアーナが示したのは、黒曜石を薄く磨き上げた板だった。

 その表面には、信じられないほど微細で複雑な模様が、光を透過する部分と遮る部分で描かれている。

「これは『光の設計図』とでも言うべきもの。私たちが水晶円盤に描きたい回路の原画です。私たちはこの『光の設計図』を通して、強力な魔法光を水晶円盤に照射します」

 ごくり、と誰かが息を呑む音がした。

「すると、どうなるか……。『光の設計図』の、光を通す部分の真下にある魔導樹脂だけが、光の力で硬化、あるいは逆に溶解するのです。いわば、光で影絵を焼き付けるようなものですね」

 そこまで説明すると、ヨハンが目を見開いて声を上げた。

「ま、まさか……! その後、特殊な薬品で光が当たらなかった部分(あるいは当たった部分)の樹脂だけを洗い流せば、水晶円盤の上には回路の形をした樹脂の膜だけが残る……ということですか!?」

「その通りよ、ヨハン!」

 エリアーナは彼の理解の速さに嬉しそうに頷いた。

「そして最後に、その樹脂の膜を保護材として、強力な『魔酸』で水晶円盤の表面を腐食させます。樹脂で覆われていない部分だけが彫り込まれ、最後に樹脂を取り除けば……」

「水晶そのものに、髪の毛よりも細い溝が、寸分の狂いもなく刻まれる……!」

 ギデオンが、興奮に声を震わせた。

 その目は、もはや疑いではなく、未踏の領域に挑む職人の輝きに満ちていた。

「神々の鍛冶仕事だ……。いや、それ以上かもしれねぇ……!」

 荒唐無稽としか思えない理論。

 しかし、それを語るエリアーナの紫の瞳には、絶対的な確信が宿っていた。

 この世界の誰も知らない、だが厳然として存在する物理法則への、深い理解が。

 工房は、畏敬と興奮が入り混じった熱気に包まれた。

「さあ、皆さん。神様の真似事を始めましょう!」

 エリアーナの宣言を合図に、工房は新たな段階へと突入した。

 光描画技術の実現には、いくつもの困難な課題があった。

 光を一点に収束させるための、歪みのない完璧な魔水晶レンズの研磨。

 光に均一に反応し、かつ微細な線を維持できる感光性魔導樹脂の最適な配合。

 そして、ナノメートル単位の精度で回路を焼き付けるための、寸分の狂いも許されない露光装置の組み立て。

 その全てにおいて、レオンは驚くべき才能を発揮した。

「エリアーナ様、レンズの研磨ですが、ドワーフの秘伝の研磨剤に、ほんの少しだけ聖獣ライテイの体毛を燃やした灰を混ぜてみてはどうでしょう。ライテイの魔力には、光の屈折を整える性質があるやもしれません」

 彼の提案は、エリアーナの持つ未来の知識と、この世界の魔法的知見を完璧に融合させるものだった。

「この樹脂の配合、粘性が高すぎます。乾燥させた月光花の蜜を数滴加えれば、流動性が増し、より薄く均一な膜が作れるはずです」

 彼の助言は常に的確で、しばしばエリアーナ自身も思いつかなかったような、魔法と科学の新たな視点を含んでいた。

 彼の助言によって、いくつもの技術的障壁が打ち破られていく。

 いつしか、工房の誰もが若き天才の出現を喜び、彼に全幅の信頼を寄せるようになっていた。

 エリアーナもまた、彼の働きぶりに感心し、あの夜の違和感は、やはり自分の気の迷いだったのだと、心の棘を抜き去ろうとしていた。

 だが、エリアーナが気づいていない場所で、その棘は静かに毒を育んでいた。

 夜、皆が引き取った後の工房。

 レオンは一人、そこに残っていた。

 今日の作業でエリアーナが書き留めたばかりの、魔導樹脂の最終配合比率が記された羊皮紙。

 彼はそれを素早く広げると、驚異的な記憶力で内容を脳裏に焼き付けていく。

 彼の瞳には、昼間の人懐っこい熱意は欠片もなかった。

 そこにあるのは、任務を遂行する工作員だけが持つ、氷のように冷たい無機質な光。

 (……感光性樹脂の配合はこれで完了。次は、露光装置の魔法制御式か)

 彼は懐から小さな通信用の魔石を取り出した。

 グランツ王国の諜報部だけが使う、特殊なものだ。

 微弱な魔力を流し込むと、彼は唇をほとんど動かさずに、短い報告を念話で送る。

『樹脂、配合完了。光の設計図、第一層分を記憶。試作品完成は近い。指示を請う』

 すぐに、冷徹な声が頭の中に響いた。

 アルフォンス王太子の腹心、諜報部長の声だ。

『ご苦労。王太子殿下からの新たなご命令である。試作品の完成を、可能な限り遅延させよ。その間に、我らが奪取部隊を編成する。完成品を奪うのが最上だが、それが叶わぬ場合は……破壊もやむなし、とのことだ』

『……承知』

 通信を切り、レオンは魔石を懐に戻した。

 彼の表情は変わらない。

 だが、彼の胸の奥では、守るべき者の顔が浮かんでいた。

 その命を繋ぐためには、王太子の命に従うしかなかった。

 (エリアーナ様は、正しいことをしているのかもしれない。だが、俺には守るべきものがある)

 彼は自らにそう言い聞かせ、闇の中へと静かに姿を消した。

 数日後の夜。

 エリアーナは、完成したばかりの露光装置の前で、腕を組んで佇んでいた。

 複雑に組み上げられた魔水晶レンズと、魔法動力を制御するルーンが刻まれた銀の筐体。

 それはまるで、未来から来た芸術品のようだった。

 明日には、いよいよ最初の露光実験が行われる。

 成功すれば、天命石の完成は目前だ。

 高揚感と共に、巨大なプレッシャーが彼女の肩にのしかかる。

「眠れないのか」

 不意に、背後から静かな声がした。

 振り返るまでもなく、それが誰のものか分かっていた。

「カイウス様……」

 カイウスはいつものように音もなく現れると、彼女の隣に並び立ち、精緻な装置を眺めた。

「美しいな。まるで、星の光を紡ぐ織機のようだ」

「ええ……。この知識が本当に、私自身のものであるのか、未だ問い続けているのです。もし、この天命が果たされなかったら、私は何者にもなれないのではないかと……そう思うと、震えるほど怖いのです、カイウス様」

 弱音を吐くつもりはなかった。

 だが、彼の前では、つい心の壁が低くなってしまう。

 カイウスは、装置からエリアーナへと視線を移した。

 その金の瞳には、労りと、それ以上の深い感情が揺らめいていた。

「君はいつも、一人で多くのものを背負いすぎる」

 そう言うと、彼はためらうことなく手を伸ばし、エリアーナの頬に触れた。

 彼の指先は、武人らしく硬いが、その触れ方は羽のように優しかった。

「君の知識が世界を救う力になると、私は言った。だが、それは君一人の肩に世界の命運を乗せるという意味ではない。君は決して一人ではない。このヴァルヘイムの全てが、そしてこの私が、君の盾となり、剣となる。君の道を阻むものは、何者たりとも許しはしない」

「カイウス様……」

「それに……」

 カイウスは言葉を切り、真剣な眼差しで彼女を見つめた。

「君の直感を、私は誰よりも信じている。何か、懸念でもあるのか? 以前、少し話していた若手技術者のことか?」

 彼の言葉に、エリアーナははっとした。

 レオンのことだ。

 まさか、あの時の、ほんの些細な自分の呟きを、カイウス様が覚えていらっしゃったとは。

 彼の記憶力と、自分に向けられた細やかな配慮に、胸の奥が温かくなる。

 最近の彼の目覚ましい活躍に、あの違和感はすっかり意識の底に沈んでいたというのに。

「レオンのことですか? いえ、彼は本当に優秀で……私の考えすぎだったようです。最近は、彼の助けがなければ、ここまで早く進まなかったでしょう」

「そうか。そのレオンを、君は明日の補佐に指名したと聞いたが」

 カイウスは短く応じたが、その金の瞳の奥の鋭い光は、決して消えていなかった。

 言葉の端々から伝わるのは、エリアーナを何よりも守り抜くという、揺るぎない覚悟。

「だが、万が一ということもある。明日の実験は、私が直接警護を指揮しよう。君には、何の憂いもなく、創造に集中してほしい」

 彼の言葉は、有無を言わせぬ力強さに満ちていた。

 それは過保護かもしれない。

 だが、エリアーナにとっては、何よりも心強い護りだった。

「ありがとうございます、カイウス様」

 エリアーナが微笑むと、カイウスは満足げに頷き、彼女の頬に触れていた手を、そっと離した。

 しかし、その名残の熱が、エリアーナの心を温かく満たしていく。

 この人がいれば、きっと大丈夫。

 どんな困難も乗り越えられる。

 彼女は、明日への決意を新たに固めた。

 そして、運命の実験の日がやってきた。

 工房には、これまで以上の厳戒態勢が敷かれている。

 カイウス自らが選抜した近衛騎士たちが、工房の周囲を固めていた。

 内部は、エリアーナ、ギデオン、ヨハン、そして補佐として指名されたレオンの四人だけ。

 空気が、ガラスのように張り詰めている。

「感光性魔導樹脂、塗布完了。膜厚、均一です」

 ヨハンの報告に、エリアーナは頷いた。

「水晶円盤を、露光ステージに設置します」

 ギデオンが、熟練の技で寸分の狂いもなくウェハーをセットする。

「『光の設計図』、第一層をセット。位置合わせ、完了」

 エリアーナ自身の声が、静かな工房に響く。

 全ての準備が整った。

 あとは、制御盤のルーンに魔力を注ぎ込み、強力な魔法光を照射するだけだ。

「……始めます」

 エリアーナが、制御盤に手を伸ばす。

 誰もが固唾をのんで、その瞬間を見守っていた。

 その時だった。

 エリアーナのすぐ後ろに控えていたレオンが、一瞬、露光装置の支柱に不自然なほど視線を向けた。

 直後、彼は「あっ!」と短い悲鳴を上げ、何かに足を取られたかのように、大きく体勢を崩したのだ。

 ガタン、と鈍い音が響く。

 そして、彼の伸ばされた手が、不運にも露光装置の支柱の一つに激突した。

 精密の極みである装置が、ごくわずかに、しかし致命的に揺れる。

「しまった!」

 エリアーナが叫ぶのと、彼女の手が制御盤のルーンに触れてしまうのが、ほぼ同時だった。

 閃光。

 集束された魔法光が、一瞬だけ水晶円盤を貫いた。

 だが、その光の軌跡は、揺らいだレンズのせいで無残に歪んでいた。

 光が消えた後、工房に支配的な沈黙が落ちる。

 誰もが、ステージ上の水晶円盤に目を奪われていた。

 鏡のように滑らかだったはずのその表面には、醜く焼け焦げたような、歪んだ線が刻み込まれていた。

 最初の試作品。

 イレブンナインの純度を誇る、奇跡の結晶。

 それが、修復不可能な失敗作と化した瞬間だった。

「あ、ああ……っ! わ、わたくしなど、死んでお詫びを……っ! エリアーナ様、この、この大罪を……っ!」

 レオンが、顔面蒼白になって床に膝をついた。

 その声は、絶望と自己嫌悪に震えているように聞こえた。

「なんてことを……。足元の機材に気づきませんでした……っ!」

 ギデオンもヨハンも、あまりのショックに言葉を失い、ただ失敗作と謝罪するレオンを呆然と見ている。

 誰もが、これを不運な事故だと信じて疑わなかった。

 ただ一人、エリアーナを除いて。

 エリアーナは、レオンが躓いた場所を、冷たい瞳で見つめていた。

 そこには、何もない。

 足元の機材も、床のわずかな凹凸も、彼が足を取られるようなものは、何一つとして存在しなかった。

 その光景が、かつて夜の工房で見た、レオンの瞳の奥に宿った探るような冷光と、一瞬にして結びつく。

 幻ではなかった。

 気のせいでもなかった。

 この信じがたい現実に、エリアーナの胸には絶望と、しかし研究者としての冷徹な観察眼が混じり合った。

 彼が装置に手をついた瞬間、その瞳の奥に、あの夜と同じ、いや、それ以上に明確な氷のような冷たい光が、確かに宿っていたことを、エリアーナは見逃さなかったのだ。

 偶然ではない。

 これは、意図された妨害工作。

 エリアーナの胸の中で、小さな棘のように引っかかっていた違和感が、確信という名の、燃え盛る怒りと共に、心臓を突き刺した。

 敵は、最も信頼し、最も近くにいたのだ。
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