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粉々に砕け散った水晶の破片が、魔法光に照らされて鈍い輝きを放っている。
それはまるで、エリアーナたちの積み重ねた努力と、未来への希望が、無残に打ち砕かれた光景だった。
床に膝をつき、憔悴しきった顔でレオンが呟く。
「すまない、俺のせいで……」
その肩を叩き、慰めの言葉を探すヨハン。
そして、頭を抱えて天を仰ぐギデオン。
工房を満たすのは、重苦しい沈黙と、焦げ付くような魔力炉の匂い、そして言いようのない絶望の色だった。
誰もが、これを不運な事故だと信じて疑わなかった。
ただ一人、エリアーナを除いて。
エリアーナは、レオンが躓いた場所を、冷たい瞳で見つめていた。
彼の足元には、何一つとして障害物はない。足元の機材も、床のわずかな凹凸も、彼が足を滑らせるようなものは、どこにも見当たらなかった。
その光景が、かつて夜の工房で見た、レオンの瞳の奥に宿った探るような冷光と、一瞬にして結びつく。
幻ではなかった。
気のせいでもなかった。
この信じがたい現実に、エリアーナの胸には絶望が渦巻きながらも、研究者としての冷徹な観察眼が鋭く研ぎ澄まされていく。
彼が装置に手をついた瞬間、その瞳の奥に、あの夜と同じ、いや、それ以上に明確な氷のような冷たい光が、確かに宿っていたことを、エリアーナは見逃さなかったのだ。
偶然ではない。
これは、明確な意図を持った妨害工作。
エリアーナの胸の中で、小さな棘のように引っかかっていた違和感が、確信という名の、燃え盛る怒りとなって、心臓を突き刺した。
敵は、最も信頼し、最も近くにいたのだ。
「……もう、いいわ」
凛とした声が、重苦しい沈黙を破った。
皆の視線が、声の主であるエリアーナに集まる。
彼女は砕け散った試作品には目もくれず、ただ真っ直ぐにレオンを見据えていた。
その紫の瞳は、表面は凍てつくように冷静でありながら、奥底には底知れない怒りの炎が燻っていた。
「エリアーナ様……しかし……」
ヨハンが何かを言いかけるが、エリアーナは静かに首を振ってそれを制した。
「嘆いても、過去は戻らない。無駄な感情に浸る時間などないわ。まずは、現状の正確な把握が先よ。次の設計に活かせる情報は、必ずあるはずだもの」
彼女のあまりに落ち着いた声に、誰もが戸惑いの表情を浮かべる。最も心を痛めているはずの彼女が、誰よりも冷静だったからだ。
「ギデオン、ヨハン。破損状況の詳細な記録をお願いします。どの部分が、どの程度の衝撃で、どう壊れたのか。それが、次の設計に繋がるわ」
「お、おう……わかった」
ドワーフの老工芸師は、エリアーナの気迫に押されるように頷くと、すぐに手練れの職人の顔に戻り、虫眼鏡を取り出した。
エリアーナは次に、呆然と床に座り込むレオンに視線を移す。
「レオン」
「は、はいっ……!」
びくりと肩を震わせるレオンに、エリアーナは一見、労わるかのような穏やかな声色で告げた。
「あなたもショックでしょう。今日はもう下がりなさい。ゆっくり休んで」
「し、しかし、片付けを……」
「いいのよ。この試作品を完璧に守れなかったのは、私にも責任がある。……だからこそ、次に失敗は許されない」
その言葉の裏に隠された鋭い棘に、レオンは気づかない。彼の顔に浮かんだのは、安堵と、温情への感謝の色だけだった。
彼はふらつく足取りで工房を後にした。
その背中を、エリアーナは氷の刃のような視線で見送っていた。
仲間を疑うことの痛みと、裏切られた怒りが、彼女の胸の中で渦を巻いている。だが、今は感情に流される時ではなかった。
扉が閉まる音とほぼ同時に、工房の入り口から、静かだが有無を言わせぬ覇気をまとった声が響いた。
「騒がしいな。何があった」
カイウス・エトール・ヴァルヘイム。
夜の闇を溶かしたような黒髪に、全てを見通す金の瞳。彼は護衛も連れず、ただ一人でそこに立っていた。
工房の惨状と、エリアーナの張り詰めた空気を一瞥しただけで、彼は事態の深刻さを瞬時に悟ったようだった。
控えていた工房の管理者が駆け寄り、慌てて状況を説明する。技術者の不注意による、不幸な事故であったと。
だが、カイウスの視線は報告者の顔にはなく、ただじっとエリアーナの横顔に注がれていた。
「……ほう。事故、か」
カイウスは短く応じると、管理者を手で制し、ゆっくりとエリアーナの元へと歩み寄る。
「エリアーナ」
名を呼ばれ、彼女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳に宿る光を見て、カイウスは確信する。これはただの事故ではない、と。
「少し、二人で話がしたい」
彼の言葉に、エリアーナは小さく頷いた。
カイウスはギデオンに後のことを任せると、エリアーナの肩を軽く支えるようにして、工房の奥にある彼女の私室へと導いた。
重厚な扉が閉じられ、外界の喧騒が完全に遮断される。
二人きりになったその瞬間、エリアーナが必死に保っていた冷静さが、音を立てて崩れ落ちた。
「……カイウス様っ」
喉の奥にせき止められていた嗚咽が、堰を切ったように迸り、胸の奥底で渦巻いていた悔しさ、悲しみ、そして何よりも熱い怒りが、彼女の全身を震わせた。
カイウスは何も言わず、ただ静かに彼女の肩を抱き寄せた。
彼の腕の温もりに包まれ、エリアーナは嗚咽を漏らしながら、か細い声で真実を告げた。
「事故では、ありません……」
「……ああ」
「レオンが……彼が、わざと……っ」
「知っている」
カイウスの静かな肯定に、エリアーナははっと顔を上げた。涙に濡れた紫の瞳が、驚きに見開かれる。
「なぜ……!?」
「エリアーナ。君が、些細な不注意や偶発的な失敗で、これほど深く絶望に打ちひしがれる人間ではないと、私が誰よりも知っている」
彼はエリアーナの頬を伝う涙を、指で優しく拭う。その金の瞳は、絶対的な信頼の色をたたえていた。
「話してくれ、エリアーナ。君が見たもの、感じたもの、その全てを」
その言葉に背中を押されるように、エリアーナは震える唇で語り始めた。
レオンが躓いた場所には、何も障害物がなかったこと。彼が装置に手をついた瞬間の、瞳の奥に宿った冷たい光。そして、以前から感じていた、彼の些細な言動に潜む違和感の数々を。
それは、物的な証拠など何一つない、彼女の直感と観察眼だけが根拠の告発だった。
並の領主であれば、長年仕えてきた部下よりも、他国から来た令嬢の不確かな言葉を信じはしないだろう。
だが、カイウスは違った。
カイウスはエリアーナの話を最後まで黙って聞くと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。その金の瞳には、彼女への揺るぎない信頼と、そして静かなる決意が宿っていた。それは、疑いの欠片もない、絶対的な肯定だった。
その一言が、エリアーナの心をどれほど救ったことか。裏切りによって凍てつきかけていた心が、彼の信頼という温かな光に融かされていくのを感じた。
カイウスは、彼女を慰めるだけでは終わらない。彼は即座に、冷徹な領主の顔に戻る。
「レオンの身柄は、私の直属の部隊に確保させる。工房の警備体制も、根本から見直そう。衛兵の数も倍にする」
「……はい」
「だが、それだけでは足りん」
カイウスはエリアーナの肩を抱いていた腕を解くと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「敵は、君の『天命石(半導体)』の完成を恐れている。手に入らないと悟るや、破壊という最も安直な手段に出た。……グランツ王国の連中は、我々が思う以上に焦っているらしい」
その言葉は、エリアーナの絶望を、明確な敵意へと転化させる響きを持っていた。
そうだ、これは悲劇ではない。戦いなのだ。
しかし、その認識は、エリアーナに新たな苦悩をもたらした。
「私のせいで……」
絞り出すような声だった。
「私の知識が、この地に争いを……カイウス様や、工房の皆を、危険な目に遭わせている……。もし、私がここに来なければ……」
創造主としての恐怖。自らの天命が、平和ではなく災厄をもたらすのではないかという、根源的な不安だった。
彼女の脳裏に、レオンの震える肩がちらつく。彼の裏切りは許せない。だが、その根底に、やむを得ない事情があったとしたら……。
カイウスは、俯くエリアーナの顎を指で優しく持ち上げた。
無理やり顔を上げさせられたエリアーナの目に映ったのは、燃えるような金の瞳だった。
「勘違いするな、エリアーナ」
彼の声は、有無を言わせぬほど力強い。
「君は何も悪くない。君の知識は、使い方次第で世界を救う力になる。それを破壊や独占のために使おうとする愚か者がいるだけだ。罪があるのは、常に悪用する側だ。発明そのものではない」
カイウスは、彼女の震える両肩を、力強く掴んだ。
「レオンもまた、敵の駒に過ぎない。彼の家族が人質に取られ、選択の余地なく動かされていたことは、私の情報網によってすでに判明している。愚か者たちが、弱き者を利用したにすぎないのだ」
エリアーナはハッと息を呑んだ。
レオンに対する怒りが、新たな感情へと姿を変える。哀れみ、そして、自分の発明が間接的にそうした悲劇を引き起こしたことへの、重い責任感。
カイウスはそんな彼女の心情を読み取ったかのように、言葉を続けた。
「君がもたらしたのは、争いの種ではない。新しい時代の種だ。それをどう育て、どんな花を咲かせるかは、我々次第だ。そして私は、君と共にその花を咲かせたい」
「カイウス様……」
「君が何に悩もうと、君という人間の価値は些かも揺らがない。私が保証する。だから、君は君の信じる道を征け」
それは、プロポーズの言葉よりも甘く、どんな愛の囁きよりも力強い、魂の告白だった。
エリアーナの胸の奥で、何かが確かな形を結ぶ。
恐怖も、絶望も、まだ完全に消えたわけではない。だが、それらを乗り越えるための光が、目の前にいるこの男の瞳の中に、確かに灯っていた。
「……はい」
エリアーナは、涙を拭うと、決然とした表情でカイウスを見つめ返した。
「ええ……! もう一度、創ります、カイウス様!」
その声には、もう迷いはなかった。
「今度は、もっと完璧な『遠見の水晶板』を。今回の失敗で明らかになった外部からの物理的・魔術的干渉への脆弱性を克服するため、自己修復機能を持つ魔力回路や、不正なアクセスを遮断する防御結界を組み込みます。彼らが考えつくあらゆる妨害を凌駕する、絶対的な防御を!」
彼女の瞳に、再び創造主としての強い光が宿るのを、カイウスは満足げに見つめていた。
絶望の淵から這い上がった、エリアーナの確かな決意。
「誰にも、二度と壊させはしない。……私の天命を、誰にも邪魔はさせません!」
その日の夜。
カイウスの執務室の灯りは、深夜になっても消えることはなかった。
彼の前に跪くのは、影のように気配を消した、諜報部隊『夜鴉(よがらす)』の長だった。
「レオン・シュルツの身柄は確保。尋問により、グランツ王国情報部の工作員であることを自白いたしました。彼の家族が人質に取られていたとのことです」
「そうか。家族の身の安全は、こちらで保証してやれ。彼には、償う機会を与える」
「はっ」
カイウスは冷徹に指示を出すと、机に広げられた大陸地図に目を落とした。
彼の指が、ヴァルヘイム公国とグランツ王国の国境線をなぞる。
「して、グランツの王子様の動向は?」
「はっ。我が方の諜報網が、グランツ王国の不穏な動きを捉えております」
夜鴉の長は、懐から取り出した密書をカイウスに差し出した。
「王太子アルフォンスが、親衛隊を率いて王都を出立。表向きは国境付近の視察ですが、その規模は一個旅団に匹敵します。目的地は、我が公国との国境に最も近い、グライフスヴァルト砦かと」
カイウスは密書に目を通すと、その端正な唇に、氷のような笑みを浮かべた。
「面白い。……愚か者が、自ら罠にかかりに来るとはな。これほど分かりやすい獲物も珍しい」
アルフォンス・ルキウス・グランツ。
エリアーナから全てを奪い、彼女を「空想令嬢」と嘲笑って追放した、愚かな元婚約者。
その男が、今やエリアーナの知識を恐れ、軍を動かしてまで彼女を奪い返しに来ようとしている。
なんという皮肉か。
カイウスは椅子から立ち上がると、窓の外に広がる領地の夜景を見下ろした。
その金の瞳の奥で、冷たく、そして獰猛な光が燃え盛る。地図上でグランツ王国の国境をなぞっていた指が、ぎゅっと握り締められた。
「エリアーナに手出しはさせん。一筋たりとも、だ」
その呟きは、夜の闇を切り裂く、新たなる嵐の到来を告げる宣戦布告の狼煙にも等しかった。
内部の裏切りを乗り越えたエリアーナとカイウスを次に待ち受けるのは、国家という巨大な敵意。
物語は、工房という小さな世界から、大陸全土を巻き込む大きな奔流へと、その舞台を移そうとしていた。
それはまるで、エリアーナたちの積み重ねた努力と、未来への希望が、無残に打ち砕かれた光景だった。
床に膝をつき、憔悴しきった顔でレオンが呟く。
「すまない、俺のせいで……」
その肩を叩き、慰めの言葉を探すヨハン。
そして、頭を抱えて天を仰ぐギデオン。
工房を満たすのは、重苦しい沈黙と、焦げ付くような魔力炉の匂い、そして言いようのない絶望の色だった。
誰もが、これを不運な事故だと信じて疑わなかった。
ただ一人、エリアーナを除いて。
エリアーナは、レオンが躓いた場所を、冷たい瞳で見つめていた。
彼の足元には、何一つとして障害物はない。足元の機材も、床のわずかな凹凸も、彼が足を滑らせるようなものは、どこにも見当たらなかった。
その光景が、かつて夜の工房で見た、レオンの瞳の奥に宿った探るような冷光と、一瞬にして結びつく。
幻ではなかった。
気のせいでもなかった。
この信じがたい現実に、エリアーナの胸には絶望が渦巻きながらも、研究者としての冷徹な観察眼が鋭く研ぎ澄まされていく。
彼が装置に手をついた瞬間、その瞳の奥に、あの夜と同じ、いや、それ以上に明確な氷のような冷たい光が、確かに宿っていたことを、エリアーナは見逃さなかったのだ。
偶然ではない。
これは、明確な意図を持った妨害工作。
エリアーナの胸の中で、小さな棘のように引っかかっていた違和感が、確信という名の、燃え盛る怒りとなって、心臓を突き刺した。
敵は、最も信頼し、最も近くにいたのだ。
「……もう、いいわ」
凛とした声が、重苦しい沈黙を破った。
皆の視線が、声の主であるエリアーナに集まる。
彼女は砕け散った試作品には目もくれず、ただ真っ直ぐにレオンを見据えていた。
その紫の瞳は、表面は凍てつくように冷静でありながら、奥底には底知れない怒りの炎が燻っていた。
「エリアーナ様……しかし……」
ヨハンが何かを言いかけるが、エリアーナは静かに首を振ってそれを制した。
「嘆いても、過去は戻らない。無駄な感情に浸る時間などないわ。まずは、現状の正確な把握が先よ。次の設計に活かせる情報は、必ずあるはずだもの」
彼女のあまりに落ち着いた声に、誰もが戸惑いの表情を浮かべる。最も心を痛めているはずの彼女が、誰よりも冷静だったからだ。
「ギデオン、ヨハン。破損状況の詳細な記録をお願いします。どの部分が、どの程度の衝撃で、どう壊れたのか。それが、次の設計に繋がるわ」
「お、おう……わかった」
ドワーフの老工芸師は、エリアーナの気迫に押されるように頷くと、すぐに手練れの職人の顔に戻り、虫眼鏡を取り出した。
エリアーナは次に、呆然と床に座り込むレオンに視線を移す。
「レオン」
「は、はいっ……!」
びくりと肩を震わせるレオンに、エリアーナは一見、労わるかのような穏やかな声色で告げた。
「あなたもショックでしょう。今日はもう下がりなさい。ゆっくり休んで」
「し、しかし、片付けを……」
「いいのよ。この試作品を完璧に守れなかったのは、私にも責任がある。……だからこそ、次に失敗は許されない」
その言葉の裏に隠された鋭い棘に、レオンは気づかない。彼の顔に浮かんだのは、安堵と、温情への感謝の色だけだった。
彼はふらつく足取りで工房を後にした。
その背中を、エリアーナは氷の刃のような視線で見送っていた。
仲間を疑うことの痛みと、裏切られた怒りが、彼女の胸の中で渦を巻いている。だが、今は感情に流される時ではなかった。
扉が閉まる音とほぼ同時に、工房の入り口から、静かだが有無を言わせぬ覇気をまとった声が響いた。
「騒がしいな。何があった」
カイウス・エトール・ヴァルヘイム。
夜の闇を溶かしたような黒髪に、全てを見通す金の瞳。彼は護衛も連れず、ただ一人でそこに立っていた。
工房の惨状と、エリアーナの張り詰めた空気を一瞥しただけで、彼は事態の深刻さを瞬時に悟ったようだった。
控えていた工房の管理者が駆け寄り、慌てて状況を説明する。技術者の不注意による、不幸な事故であったと。
だが、カイウスの視線は報告者の顔にはなく、ただじっとエリアーナの横顔に注がれていた。
「……ほう。事故、か」
カイウスは短く応じると、管理者を手で制し、ゆっくりとエリアーナの元へと歩み寄る。
「エリアーナ」
名を呼ばれ、彼女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳に宿る光を見て、カイウスは確信する。これはただの事故ではない、と。
「少し、二人で話がしたい」
彼の言葉に、エリアーナは小さく頷いた。
カイウスはギデオンに後のことを任せると、エリアーナの肩を軽く支えるようにして、工房の奥にある彼女の私室へと導いた。
重厚な扉が閉じられ、外界の喧騒が完全に遮断される。
二人きりになったその瞬間、エリアーナが必死に保っていた冷静さが、音を立てて崩れ落ちた。
「……カイウス様っ」
喉の奥にせき止められていた嗚咽が、堰を切ったように迸り、胸の奥底で渦巻いていた悔しさ、悲しみ、そして何よりも熱い怒りが、彼女の全身を震わせた。
カイウスは何も言わず、ただ静かに彼女の肩を抱き寄せた。
彼の腕の温もりに包まれ、エリアーナは嗚咽を漏らしながら、か細い声で真実を告げた。
「事故では、ありません……」
「……ああ」
「レオンが……彼が、わざと……っ」
「知っている」
カイウスの静かな肯定に、エリアーナははっと顔を上げた。涙に濡れた紫の瞳が、驚きに見開かれる。
「なぜ……!?」
「エリアーナ。君が、些細な不注意や偶発的な失敗で、これほど深く絶望に打ちひしがれる人間ではないと、私が誰よりも知っている」
彼はエリアーナの頬を伝う涙を、指で優しく拭う。その金の瞳は、絶対的な信頼の色をたたえていた。
「話してくれ、エリアーナ。君が見たもの、感じたもの、その全てを」
その言葉に背中を押されるように、エリアーナは震える唇で語り始めた。
レオンが躓いた場所には、何も障害物がなかったこと。彼が装置に手をついた瞬間の、瞳の奥に宿った冷たい光。そして、以前から感じていた、彼の些細な言動に潜む違和感の数々を。
それは、物的な証拠など何一つない、彼女の直感と観察眼だけが根拠の告発だった。
並の領主であれば、長年仕えてきた部下よりも、他国から来た令嬢の不確かな言葉を信じはしないだろう。
だが、カイウスは違った。
カイウスはエリアーナの話を最後まで黙って聞くと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。その金の瞳には、彼女への揺るぎない信頼と、そして静かなる決意が宿っていた。それは、疑いの欠片もない、絶対的な肯定だった。
その一言が、エリアーナの心をどれほど救ったことか。裏切りによって凍てつきかけていた心が、彼の信頼という温かな光に融かされていくのを感じた。
カイウスは、彼女を慰めるだけでは終わらない。彼は即座に、冷徹な領主の顔に戻る。
「レオンの身柄は、私の直属の部隊に確保させる。工房の警備体制も、根本から見直そう。衛兵の数も倍にする」
「……はい」
「だが、それだけでは足りん」
カイウスはエリアーナの肩を抱いていた腕を解くと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「敵は、君の『天命石(半導体)』の完成を恐れている。手に入らないと悟るや、破壊という最も安直な手段に出た。……グランツ王国の連中は、我々が思う以上に焦っているらしい」
その言葉は、エリアーナの絶望を、明確な敵意へと転化させる響きを持っていた。
そうだ、これは悲劇ではない。戦いなのだ。
しかし、その認識は、エリアーナに新たな苦悩をもたらした。
「私のせいで……」
絞り出すような声だった。
「私の知識が、この地に争いを……カイウス様や、工房の皆を、危険な目に遭わせている……。もし、私がここに来なければ……」
創造主としての恐怖。自らの天命が、平和ではなく災厄をもたらすのではないかという、根源的な不安だった。
彼女の脳裏に、レオンの震える肩がちらつく。彼の裏切りは許せない。だが、その根底に、やむを得ない事情があったとしたら……。
カイウスは、俯くエリアーナの顎を指で優しく持ち上げた。
無理やり顔を上げさせられたエリアーナの目に映ったのは、燃えるような金の瞳だった。
「勘違いするな、エリアーナ」
彼の声は、有無を言わせぬほど力強い。
「君は何も悪くない。君の知識は、使い方次第で世界を救う力になる。それを破壊や独占のために使おうとする愚か者がいるだけだ。罪があるのは、常に悪用する側だ。発明そのものではない」
カイウスは、彼女の震える両肩を、力強く掴んだ。
「レオンもまた、敵の駒に過ぎない。彼の家族が人質に取られ、選択の余地なく動かされていたことは、私の情報網によってすでに判明している。愚か者たちが、弱き者を利用したにすぎないのだ」
エリアーナはハッと息を呑んだ。
レオンに対する怒りが、新たな感情へと姿を変える。哀れみ、そして、自分の発明が間接的にそうした悲劇を引き起こしたことへの、重い責任感。
カイウスはそんな彼女の心情を読み取ったかのように、言葉を続けた。
「君がもたらしたのは、争いの種ではない。新しい時代の種だ。それをどう育て、どんな花を咲かせるかは、我々次第だ。そして私は、君と共にその花を咲かせたい」
「カイウス様……」
「君が何に悩もうと、君という人間の価値は些かも揺らがない。私が保証する。だから、君は君の信じる道を征け」
それは、プロポーズの言葉よりも甘く、どんな愛の囁きよりも力強い、魂の告白だった。
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恐怖も、絶望も、まだ完全に消えたわけではない。だが、それらを乗り越えるための光が、目の前にいるこの男の瞳の中に、確かに灯っていた。
「……はい」
エリアーナは、涙を拭うと、決然とした表情でカイウスを見つめ返した。
「ええ……! もう一度、創ります、カイウス様!」
その声には、もう迷いはなかった。
「今度は、もっと完璧な『遠見の水晶板』を。今回の失敗で明らかになった外部からの物理的・魔術的干渉への脆弱性を克服するため、自己修復機能を持つ魔力回路や、不正なアクセスを遮断する防御結界を組み込みます。彼らが考えつくあらゆる妨害を凌駕する、絶対的な防御を!」
彼女の瞳に、再び創造主としての強い光が宿るのを、カイウスは満足げに見つめていた。
絶望の淵から這い上がった、エリアーナの確かな決意。
「誰にも、二度と壊させはしない。……私の天命を、誰にも邪魔はさせません!」
その日の夜。
カイウスの執務室の灯りは、深夜になっても消えることはなかった。
彼の前に跪くのは、影のように気配を消した、諜報部隊『夜鴉(よがらす)』の長だった。
「レオン・シュルツの身柄は確保。尋問により、グランツ王国情報部の工作員であることを自白いたしました。彼の家族が人質に取られていたとのことです」
「そうか。家族の身の安全は、こちらで保証してやれ。彼には、償う機会を与える」
「はっ」
カイウスは冷徹に指示を出すと、机に広げられた大陸地図に目を落とした。
彼の指が、ヴァルヘイム公国とグランツ王国の国境線をなぞる。
「して、グランツの王子様の動向は?」
「はっ。我が方の諜報網が、グランツ王国の不穏な動きを捉えております」
夜鴉の長は、懐から取り出した密書をカイウスに差し出した。
「王太子アルフォンスが、親衛隊を率いて王都を出立。表向きは国境付近の視察ですが、その規模は一個旅団に匹敵します。目的地は、我が公国との国境に最も近い、グライフスヴァルト砦かと」
カイウスは密書に目を通すと、その端正な唇に、氷のような笑みを浮かべた。
「面白い。……愚か者が、自ら罠にかかりに来るとはな。これほど分かりやすい獲物も珍しい」
アルフォンス・ルキウス・グランツ。
エリアーナから全てを奪い、彼女を「空想令嬢」と嘲笑って追放した、愚かな元婚約者。
その男が、今やエリアーナの知識を恐れ、軍を動かしてまで彼女を奪い返しに来ようとしている。
なんという皮肉か。
カイウスは椅子から立ち上がると、窓の外に広がる領地の夜景を見下ろした。
その金の瞳の奥で、冷たく、そして獰猛な光が燃え盛る。地図上でグランツ王国の国境をなぞっていた指が、ぎゅっと握り締められた。
「エリアーナに手出しはさせん。一筋たりとも、だ」
その呟きは、夜の闇を切り裂く、新たなる嵐の到来を告げる宣戦布告の狼煙にも等しかった。
内部の裏切りを乗り越えたエリアーナとカイウスを次に待ち受けるのは、国家という巨大な敵意。
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