役立たずと追放された空想令嬢ですが、その知識は未来の科学技術でした。私を拾ってくれた冷徹公爵様に溺愛され、世界を変える発明で大逆転します!

aozora

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 粉々に砕け散った水晶の破片が、魔法光に照らされて鈍い輝きを放っている。

 それはまるで、エリアーナたちの積み重ねた努力と、未来への希望が、無残に打ち砕かれた光景だった。

 床に膝をつき、憔悴しきった顔でレオンが呟く。

「すまない、俺のせいで……」

 その肩を叩き、慰めの言葉を探すヨハン。

 そして、頭を抱えて天を仰ぐギデオン。

 工房を満たすのは、重苦しい沈黙と、焦げ付くような魔力炉の匂い、そして言いようのない絶望の色だった。

 誰もが、これを不運な事故だと信じて疑わなかった。

 ただ一人、エリアーナを除いて。

 エリアーナは、レオンが躓いた場所を、冷たい瞳で見つめていた。

 彼の足元には、何一つとして障害物はない。足元の機材も、床のわずかな凹凸も、彼が足を滑らせるようなものは、どこにも見当たらなかった。

 その光景が、かつて夜の工房で見た、レオンの瞳の奥に宿った探るような冷光と、一瞬にして結びつく。

 幻ではなかった。

 気のせいでもなかった。

 この信じがたい現実に、エリアーナの胸には絶望が渦巻きながらも、研究者としての冷徹な観察眼が鋭く研ぎ澄まされていく。

 彼が装置に手をついた瞬間、その瞳の奥に、あの夜と同じ、いや、それ以上に明確な氷のような冷たい光が、確かに宿っていたことを、エリアーナは見逃さなかったのだ。

 偶然ではない。

 これは、明確な意図を持った妨害工作。

 エリアーナの胸の中で、小さな棘のように引っかかっていた違和感が、確信という名の、燃え盛る怒りとなって、心臓を突き刺した。

 敵は、最も信頼し、最も近くにいたのだ。

「……もう、いいわ」

 凛とした声が、重苦しい沈黙を破った。

 皆の視線が、声の主であるエリアーナに集まる。

 彼女は砕け散った試作品には目もくれず、ただ真っ直ぐにレオンを見据えていた。

 その紫の瞳は、表面は凍てつくように冷静でありながら、奥底には底知れない怒りの炎が燻っていた。

「エリアーナ様……しかし……」

 ヨハンが何かを言いかけるが、エリアーナは静かに首を振ってそれを制した。

「嘆いても、過去は戻らない。無駄な感情に浸る時間などないわ。まずは、現状の正確な把握が先よ。次の設計に活かせる情報は、必ずあるはずだもの」

 彼女のあまりに落ち着いた声に、誰もが戸惑いの表情を浮かべる。最も心を痛めているはずの彼女が、誰よりも冷静だったからだ。

「ギデオン、ヨハン。破損状況の詳細な記録をお願いします。どの部分が、どの程度の衝撃で、どう壊れたのか。それが、次の設計に繋がるわ」

「お、おう……わかった」

 ドワーフの老工芸師は、エリアーナの気迫に押されるように頷くと、すぐに手練れの職人の顔に戻り、虫眼鏡を取り出した。

 エリアーナは次に、呆然と床に座り込むレオンに視線を移す。

「レオン」

「は、はいっ……!」

 びくりと肩を震わせるレオンに、エリアーナは一見、労わるかのような穏やかな声色で告げた。

「あなたもショックでしょう。今日はもう下がりなさい。ゆっくり休んで」

「し、しかし、片付けを……」

「いいのよ。この試作品を完璧に守れなかったのは、私にも責任がある。……だからこそ、次に失敗は許されない」

 その言葉の裏に隠された鋭い棘に、レオンは気づかない。彼の顔に浮かんだのは、安堵と、温情への感謝の色だけだった。

 彼はふらつく足取りで工房を後にした。

 その背中を、エリアーナは氷の刃のような視線で見送っていた。

 仲間を疑うことの痛みと、裏切られた怒りが、彼女の胸の中で渦を巻いている。だが、今は感情に流される時ではなかった。

 扉が閉まる音とほぼ同時に、工房の入り口から、静かだが有無を言わせぬ覇気をまとった声が響いた。

「騒がしいな。何があった」

 カイウス・エトール・ヴァルヘイム。

 夜の闇を溶かしたような黒髪に、全てを見通す金の瞳。彼は護衛も連れず、ただ一人でそこに立っていた。

 工房の惨状と、エリアーナの張り詰めた空気を一瞥しただけで、彼は事態の深刻さを瞬時に悟ったようだった。

 控えていた工房の管理者が駆け寄り、慌てて状況を説明する。技術者の不注意による、不幸な事故であったと。

 だが、カイウスの視線は報告者の顔にはなく、ただじっとエリアーナの横顔に注がれていた。

「……ほう。事故、か」

 カイウスは短く応じると、管理者を手で制し、ゆっくりとエリアーナの元へと歩み寄る。

「エリアーナ」

 名を呼ばれ、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳に宿る光を見て、カイウスは確信する。これはただの事故ではない、と。

「少し、二人で話がしたい」

 彼の言葉に、エリアーナは小さく頷いた。

 カイウスはギデオンに後のことを任せると、エリアーナの肩を軽く支えるようにして、工房の奥にある彼女の私室へと導いた。

 重厚な扉が閉じられ、外界の喧騒が完全に遮断される。

 二人きりになったその瞬間、エリアーナが必死に保っていた冷静さが、音を立てて崩れ落ちた。

「……カイウス様っ」

 喉の奥にせき止められていた嗚咽が、堰を切ったように迸り、胸の奥底で渦巻いていた悔しさ、悲しみ、そして何よりも熱い怒りが、彼女の全身を震わせた。

 カイウスは何も言わず、ただ静かに彼女の肩を抱き寄せた。

 彼の腕の温もりに包まれ、エリアーナは嗚咽を漏らしながら、か細い声で真実を告げた。

「事故では、ありません……」

「……ああ」

「レオンが……彼が、わざと……っ」

「知っている」

 カイウスの静かな肯定に、エリアーナははっと顔を上げた。涙に濡れた紫の瞳が、驚きに見開かれる。

「なぜ……!?」

「エリアーナ。君が、些細な不注意や偶発的な失敗で、これほど深く絶望に打ちひしがれる人間ではないと、私が誰よりも知っている」

 彼はエリアーナの頬を伝う涙を、指で優しく拭う。その金の瞳は、絶対的な信頼の色をたたえていた。

「話してくれ、エリアーナ。君が見たもの、感じたもの、その全てを」

 その言葉に背中を押されるように、エリアーナは震える唇で語り始めた。

 レオンが躓いた場所には、何も障害物がなかったこと。彼が装置に手をついた瞬間の、瞳の奥に宿った冷たい光。そして、以前から感じていた、彼の些細な言動に潜む違和感の数々を。

 それは、物的な証拠など何一つない、彼女の直感と観察眼だけが根拠の告発だった。

 並の領主であれば、長年仕えてきた部下よりも、他国から来た令嬢の不確かな言葉を信じはしないだろう。

 だが、カイウスは違った。

 カイウスはエリアーナの話を最後まで黙って聞くと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。その金の瞳には、彼女への揺るぎない信頼と、そして静かなる決意が宿っていた。それは、疑いの欠片もない、絶対的な肯定だった。

 その一言が、エリアーナの心をどれほど救ったことか。裏切りによって凍てつきかけていた心が、彼の信頼という温かな光に融かされていくのを感じた。

 カイウスは、彼女を慰めるだけでは終わらない。彼は即座に、冷徹な領主の顔に戻る。

「レオンの身柄は、私の直属の部隊に確保させる。工房の警備体制も、根本から見直そう。衛兵の数も倍にする」

「……はい」

「だが、それだけでは足りん」

 カイウスはエリアーナの肩を抱いていた腕を解くと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「敵は、君の『天命石(半導体)』の完成を恐れている。手に入らないと悟るや、破壊という最も安直な手段に出た。……グランツ王国の連中は、我々が思う以上に焦っているらしい」

 その言葉は、エリアーナの絶望を、明確な敵意へと転化させる響きを持っていた。

 そうだ、これは悲劇ではない。戦いなのだ。

 しかし、その認識は、エリアーナに新たな苦悩をもたらした。

「私のせいで……」

 絞り出すような声だった。

「私の知識が、この地に争いを……カイウス様や、工房の皆を、危険な目に遭わせている……。もし、私がここに来なければ……」

 創造主としての恐怖。自らの天命が、平和ではなく災厄をもたらすのではないかという、根源的な不安だった。

 彼女の脳裏に、レオンの震える肩がちらつく。彼の裏切りは許せない。だが、その根底に、やむを得ない事情があったとしたら……。

 カイウスは、俯くエリアーナの顎を指で優しく持ち上げた。

 無理やり顔を上げさせられたエリアーナの目に映ったのは、燃えるような金の瞳だった。

「勘違いするな、エリアーナ」

 彼の声は、有無を言わせぬほど力強い。

「君は何も悪くない。君の知識は、使い方次第で世界を救う力になる。それを破壊や独占のために使おうとする愚か者がいるだけだ。罪があるのは、常に悪用する側だ。発明そのものではない」

 カイウスは、彼女の震える両肩を、力強く掴んだ。

「レオンもまた、敵の駒に過ぎない。彼の家族が人質に取られ、選択の余地なく動かされていたことは、私の情報網によってすでに判明している。愚か者たちが、弱き者を利用したにすぎないのだ」

 エリアーナはハッと息を呑んだ。

 レオンに対する怒りが、新たな感情へと姿を変える。哀れみ、そして、自分の発明が間接的にそうした悲劇を引き起こしたことへの、重い責任感。

 カイウスはそんな彼女の心情を読み取ったかのように、言葉を続けた。

「君がもたらしたのは、争いの種ではない。新しい時代の種だ。それをどう育て、どんな花を咲かせるかは、我々次第だ。そして私は、君と共にその花を咲かせたい」

「カイウス様……」

「君が何に悩もうと、君という人間の価値は些かも揺らがない。私が保証する。だから、君は君の信じる道を征け」

 それは、プロポーズの言葉よりも甘く、どんな愛の囁きよりも力強い、魂の告白だった。

 エリアーナの胸の奥で、何かが確かな形を結ぶ。

 恐怖も、絶望も、まだ完全に消えたわけではない。だが、それらを乗り越えるための光が、目の前にいるこの男の瞳の中に、確かに灯っていた。

「……はい」

 エリアーナは、涙を拭うと、決然とした表情でカイウスを見つめ返した。

「ええ……! もう一度、創ります、カイウス様!」

 その声には、もう迷いはなかった。

「今度は、もっと完璧な『遠見の水晶板』を。今回の失敗で明らかになった外部からの物理的・魔術的干渉への脆弱性を克服するため、自己修復機能を持つ魔力回路や、不正なアクセスを遮断する防御結界を組み込みます。彼らが考えつくあらゆる妨害を凌駕する、絶対的な防御を!」

 彼女の瞳に、再び創造主としての強い光が宿るのを、カイウスは満足げに見つめていた。

 絶望の淵から這い上がった、エリアーナの確かな決意。

「誰にも、二度と壊させはしない。……私の天命を、誰にも邪魔はさせません!」

 その日の夜。

 カイウスの執務室の灯りは、深夜になっても消えることはなかった。

 彼の前に跪くのは、影のように気配を消した、諜報部隊『夜鴉(よがらす)』の長だった。

「レオン・シュルツの身柄は確保。尋問により、グランツ王国情報部の工作員であることを自白いたしました。彼の家族が人質に取られていたとのことです」

「そうか。家族の身の安全は、こちらで保証してやれ。彼には、償う機会を与える」

「はっ」

 カイウスは冷徹に指示を出すと、机に広げられた大陸地図に目を落とした。

 彼の指が、ヴァルヘイム公国とグランツ王国の国境線をなぞる。

「して、グランツの王子様の動向は?」

「はっ。我が方の諜報網が、グランツ王国の不穏な動きを捉えております」

 夜鴉の長は、懐から取り出した密書をカイウスに差し出した。

「王太子アルフォンスが、親衛隊を率いて王都を出立。表向きは国境付近の視察ですが、その規模は一個旅団に匹敵します。目的地は、我が公国との国境に最も近い、グライフスヴァルト砦かと」

 カイウスは密書に目を通すと、その端正な唇に、氷のような笑みを浮かべた。

「面白い。……愚か者が、自ら罠にかかりに来るとはな。これほど分かりやすい獲物も珍しい」

 アルフォンス・ルキウス・グランツ。

 エリアーナから全てを奪い、彼女を「空想令嬢」と嘲笑って追放した、愚かな元婚約者。

 その男が、今やエリアーナの知識を恐れ、軍を動かしてまで彼女を奪い返しに来ようとしている。

 なんという皮肉か。

 カイウスは椅子から立ち上がると、窓の外に広がる領地の夜景を見下ろした。

 その金の瞳の奥で、冷たく、そして獰猛な光が燃え盛る。地図上でグランツ王国の国境をなぞっていた指が、ぎゅっと握り締められた。

「エリアーナに手出しはさせん。一筋たりとも、だ」

 その呟きは、夜の闇を切り裂く、新たなる嵐の到来を告げる宣戦布告の狼煙にも等しかった。

 内部の裏切りを乗り越えたエリアーナとカイウスを次に待ち受けるのは、国家という巨大な敵意。

 物語は、工房という小さな世界から、大陸全土を巻き込む大きな奔流へと、その舞台を移そうとしていた。
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