役立たずと追放された空想令嬢ですが、その知識は未来の科学技術でした。私を拾ってくれた冷徹公爵様に溺愛され、世界を変える発明で大逆転します!

aozora

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 カイウスが去った後の工房には、これから解き放たれる莫大なエネルギーを内包したかのような、張り詰めた静けさが満ちていた。

 扉の向こうでは、大陸のパワーバランスを揺るがすであろう外交戦、あるいは武力衝突の火蓋が切られようとしている。

 元婚約者アルフォンスが率いるグランツ王国の軍勢が、このヴァルヘイム公国の喉元に牙を突き立てているのだ。

 並の令嬢であれば、恐怖に泣き崩れてもおかしくはないだろう。

 しかし、エリアーナは静かに自分の両手を見つめていた。

 指先は微かに震えている。

 だがそれは恐怖からではなかった。全身の血潮が沸き立つような高揚感と、世界を背負う重圧とが、彼女の内に渦巻いていた。

 (カイウス様は、外の嵐を引き受けてくださった)

 ならば、自分は中の嵐を乗り越えるだけだ。

 この聖なる工房で、私は必ず、世界を変える奇跡を産み落とすのだ。

「おい、お嬢様。腹は括ったか? こっから先は、引き返せねぇぞ」

 背後から、低く嗄れた声が響いた。ドワーフの工芸師、ギデオンだ。

 その顔には、いつもの頑固さに加え、極度の緊張が滲んでいる。

「ええ、ギデオン。この時を、どれほど待ち焦がれたか。……必ず、成功させましょう」

 エリアーナが頷くと、工房に集まった若い技術者たちが一斉に持ち場についた。

 彼らの目にもまた、不安と期待が渦巻いている。

 この数ヶ月、エリアーナという規格外の天才の下で、彼らは寝る間も惜しんで未知の技術に挑み続けてきたのだ。

 工房の中央に据えられた作業台の上には、二つの黒曜石のような板が鎮座している。

 大きさは大型の本ほど、厚みは指一本分もない。

 磨き上げられた表面は、周囲の魔法灯の光を吸い込むように鈍く輝いている。

 これが、『遠見の水晶板』のプロトタイプ。

 これまでの苦難と、スパイによる破壊すら乗り越え、チーム全員の不眠不休の努力によって再構築された、希望の結晶だった。

「流電回路、接続完了!」

「魔力安定器、正常値!」

「天命石(てんめいせき)の温度、規定範囲内!」

 技術者たちの報告が、緊張感に満ちた工房に響き渡る。

 エリアーナは、プロトタイプの一つの側面に設けられた極小の差込口に、細い水晶の針を慎重に差し込んだ。

 その針の先は、工房の隅に設置された巨大な魔石――『流電』を蓄えるためのバッテリーと接続されている。

「……最終工程に入ります。動力の供給を開始。起動儀式(イニシャライズ・シーケンス)を起動してください」

 エリアーナの凛とした声が、最後の号令となった。

 ゴウ、と低い唸りが工房に満ちる。

 魔石から送られた膨大な『流電』が、水晶板内部の『天命石』――神の設計図を刻み込まれた半導体チップへと流れ込んでいく。

 その瞬間だった。

 ヴン、という不快な振動と共に、水晶板の表面が赤黒く明滅を始めた。

「ちっ、またか! 流電が暴走しやがる! このままじゃ、せっかくの天命石が台無しだ!」

 ギデオンの怒声が飛ぶ。

 計器を睨んでいた技術者の一人が、悲鳴のような声を上げた。

「だめです! 安定器の魔力閾値が限界です! 魔導基板(ウェハー)が……っ! 持たねぇ!」

 これまでの実験で、何度も繰り返された失敗だった。

 超高純度の精製土水晶(せきえい)に刻まれた回路は、あまりにも繊細すぎたのだ。

 ほんの僅かな流電の揺らぎが、その全てを破壊してしまう。

 エリアーナは唇を噛みしめた。

 脳裏に浮かぶ天命の知識は、この方法で正しいと告げている。

 だが、現実の物質と魔法では、まだ乗り越えられない壁があるというのか。

 (カイウス様……)

 彼が託してくれた信頼に、応えられないのか。

 一瞬、胸をよぎった諦めを、エリアーナは奥歯で噛み砕いた、その時。

 エリアーナの足元で丸くなっていた小さな影が、素早く動いた。

「キュー!」

 聖獣ライテイ(雷貂)。

 電気を帯びる性質を持つ、不思議なイタチ。

 ライテイは誰にも止められない速さで作業台に飛び乗ると、赤黒く明滅する水晶板に、ためらうことなくその前足をちょこんと置いた。

「あっ、こら! ライテイ!」

 エリアーナの制止の声も間に合わない。

 パチパチパチッ!

 ライテイの全身から、淡い青紫色の火花が散った。

 聖獣の小さな身体が、過剰な流電の逃げ道、あるいは調律器の役割を果たしているかのようだった。

「な……っ、馬鹿な!? この畜生め、流電を調律(チューニング)しやがったのか……!?」

 技術者の一人が、驚愕に目を見開いた。

「聖獣なんざじゃねぇ、とんでもねぇ化け物だ!」

 ギデオンの呟きが、静まり返った工房に響いた。

 そして、奇跡が起こった。

 今まで荒れ狂う奔流のようだった流電の供給を示す計器の針が、まるで魔法のようにピタリと安定したのだ。

 赤黒い明滅が収まり、水晶板の表面に、静かで清らかな、夜明けの空のような青白い光が灯った。

「……流電、安定。起動儀式(イニシャライズ・シーケンス)、正常に進行中」

 呆然と呟く技術者の声が、夢の中の出来事のように遠く聞こえる。

 工房の誰もが、息をすることも忘れ、その光景に見入っていた。

 やがて、青白い光が収束し、板の上にいくつかの不可思議な紋様――エリアーナの知識にある『アイコン』が整然と並んで表示された。

「……成功、だ」

 誰かが、か細い声で言った。

 それを合図にしたかのように、工房は爆発的な歓声に包まれた。

「やった! やったぞぉぉっ!」

「動いた……本当に、お嬢様の言う通りに動いたんだ!」

 抱き合って喜ぶ者、感極まって涙を流す者。

 ギデオンは腕を組み、そっぽを向きながらも、その肩は確かに震えていた。

 エリアーナは、そっとライテイを抱き上げた。

 小さな聖獣は「キュー」と満足げに鳴き、彼女の腕の中に顔を埋める。

「ありがとう、ライテイ。あなたがいなければ……」

 感謝を告げ、エリアーナは再び水晶板に視線を戻した。

 まだだ。

 まだ、終わっていない。

 これがただの『光る板』ではないことを証明しなければ。

「皆さん、静かに! これから、第二段階の実験に移ります」

 エリアーナの声に、歓声がぴたりと止む。

「カイウス様の執務室に設置した、もう一台の水晶板と接続します。史上初の、『遠見』の実験です」

 ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音がした。

 エリアーナは深く息を吸い込むと、水晶板の表面に浮かぶ紋様の一つに、震える指で触れた。

 画面が切り替わり、何かの模様がくるくると回り始める。

 接続を試みているサインだ。

 一秒が、一時間にも感じられる。

 このヴァルヘイムの領都から、カイウスのいる公爵城の執務室までは、直線距離で数十キロ。

 馬を飛ばしても半日はかかる距離だ。

 その距離を越えて、本当に繋がるというのか。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、不意に画面の模様が消え、砂嵐のようなノイズが走った。

 失敗か――。

 技術者たちの顔に、再び絶望の色が浮かぶ。

 だが、そのノイズの向こうに、エリアーナは確かに見つけた。

 見慣れた、黒い髪と、鋭い金の瞳を。

 画面に映し出されたカイウスは、信じられないといった表情で、じっとエリアーナを見つめていた。

『……エリアーナか?』

 水晶板から、スピーカーを通して、わずかにノイズ混じりだが、はっきりと聞き取れる声が響いた。

 紛れもない、カイウスの声だ。

 その瞬間、工房の時が止まった。

 板の中に、人がいる。

 遠く離れた場所にいるはずの公爵が、手のひらの上にいる。

 そして、こちらに向かって話しかけている。

 常識が、世界の理が、音を立てて崩れ去っていくような、圧倒的な感覚。

「カイウス様……! 聞こえていらっしゃるのですか……? この声が……、私の声が、遠く離れた貴方に……!」

 エリアーナの声は、涙で震えていた。

『ああ、クリアに聞こえる。そして、見えているぞ。……泣いているのか、エリアーナ。君のその美しい瞳から、喜びの雫が零れているのが』

 水晶板の中のカイウスが、ほんの僅かに、口の端を緩めた。

 それは、彼が心を許した相手にしか見せない、稀有な笑みだった。

「成功、です……! カイウス様、私たち……やりました……!」

 涙が、次から次へと溢れ落ちる。

 それは絶望の涙ではない。

 安堵と、歓喜と、そして何よりも、信じ続けてくれた唯一の男性への感謝の涙だった。

 その言葉を合図に、今度こそ、工房は本当の歓喜に沸いた。

 誰も彼もが、互いの肩を叩き、成功を喜び合っている。

 歴史が動いた瞬間の、剥き出しの興奮が、工房の隅々にまで満ちていた。

『よくやった、エリアーナ』

 カイウスの声が、再び響く。

『君は、私の想像を常に超えてくる。……いや、君は、この世界の常識そのものを超えた』

「カイウス様……! 貴方が、貴方だけが、私の『空想』を信じてくださったからこそ、私たちはここまで来られました!」

 エリアーナは涙を拭い、水晶板に映るカイウスの顔をまっすぐに見つめた。

「貴方がいなければ、この板は……、この奇跡は、永遠に幻のままでした……!」

 彼は執務室の椅子に深く腰掛け、その金の瞳で、まるで奇跡を見るかのように、板の中のエリアーナを見つめ返している。

 その瞳には、領主としての冷徹さではなく、一人の男としての純粋な感動と、彼女への深い愛情が溢れていた。

『……礼を言う。君と、君の仲間たちに』

 カイウスは静かに告げると、ふ、と表情を引き締めた。

 冷徹な公爵の顔に戻る。

『これで、全ての駒が揃った』

「え……?」

『グランツの王太子が、国境で子供の癇癪のような示威行動をしているそうだな』

 その言葉には、侮蔑の色さえ滲んでいた。

「は、はい……。ですが、カイウス様、ご無理は……」

『無理、だと? まさか、君も私が、あの愚王子の恫喝に屈するとでも思ったか?』

 カイウスは、心底おかしそうに鼻で笑った。

『……君の創り出したものが、どれほどの価値を持つか、あの男は理解できない』

 その言葉のスケールの大きさに、エリアーナは息を呑んだ。

『古い、あまりにも古い。あの男は、未だ剣と魔法の時代から目を覚ましていない愚か者だ』

『だが、その愚かさが、我々に世界を変える猶予を与えた。……君という、この世界を塗り替える存在を、みすみす手放したのだからな』

 カイウスは立ち上がり、執務室の窓から外を眺めているようだった。

 水晶板の角度が変わり、彼の背中が映る。

 その背中は、絶対的な王者の風格に満ちていた。

『二週間後、このヴァルヘイムに大陸中の王侯貴族、そして有力な商人たちを招聘する。そこで、君の発明を大々的にお披露目する』

「お披露目、ですか……!」

『そうだ。彼らの目の前で、この『遠見の水晶板』がもたらす未来を見せつけるのだ』

『グランツ王国が振りかざす武力など、赤子の玩具に過ぎないと、世界中に知らしめてやる』

 それは、宣戦布告だった。

 だが、剣や魔法による旧時代の戦争ではない。

 情報という、全く新しい力による、世界の革新を告げる狼煙。

 エリアーナは、ごくりと唾を飲み込んだ。

 自分が産み落としたこの小さな板が、これから大陸の歴史を根底から塗り替えようとしている。

「……承知いたしました」

 エリアーナは、決意を込めて応えた。

「最高の舞台を、ご用意いたします」

『ああ、頼んだぞ。その舞台で、君を私の隣に迎える準備も、今から進めておこう』

 カイウスの声は、穏やかな響きを帯びた。

『私の……未来の公妃殿下』

 不意に投げかけられた言葉に、エリアーナの心臓が大きく跳ねた。

 顔に、カッと熱が集まる。

 水晶板の向こうで、カイウスが悪戯っぽく笑った気配がした。

『では、また後で。準備で忙しくなるぞ』

 その言葉を最後に、通信はぷつりと切れた。

 後に残されたのは、静かな光を放ち続ける黒い板と、顔を真っ赤にしたエリアーナ。

 そして、彼女の言葉を聞いて驚きに目を丸くする工房の仲間たちだった。

 ドワーフのギデオンは、腕を組み、ふと口の端を吊り上げた。

「へっ、やるじゃねえか、公爵様よ」

 若い技術者たちは顔を見合わせ、堰を切ったように祝福の笑みを浮かべた。

 東の空は、まだ暗い。

 だが、夜明けはもう近い。

 エリアーナ・フォン・クレスメントという名の星が、この世界の空で、最も強く輝き始めるまで、あと僅か。

 そして、その輝きが、かつての太陽を深い闇へと突き落とすことになるのを、当の男だけはまだ知る由もなかった。
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