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オヘラハウスへ
104話:何も知らない王子
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「うわぁ、すごい」
思わず美園の口をついて出た言葉がそれだった。
外のシンプルさとはうってかわり、建物内は色彩と華やかさが際立つヨーロッパ王朝のような内装であった。
贅の限りをつくした華美な空間を眺めていけば、床は大理石、複雑な彫刻が彫られた柱、中央の巨大噴水の龍からは常に透き通った水が流れ続けている。
天井は首を痛めてしまうほど高い位置にあり、協会によくあるような天使たちの絵が遠くの方まで延々と広がっていた。
一瞬、過去の時代に迷い込んでしまったのかと錯覚するほど現実離れした場所、それが世良田一家がオペラハウスに抱いた第一印象だった。
「本当にすごい」
トワもあんぐりと口を上げて周囲を見回している。
「ここに入るの初めてか?」
と勇治が聞けば、
「はい。外から見たことはありますが、まだ建設中ということで入るのは今日が初めてです」
「王子なのに中に入れないなんて」
と、栄子が困惑すると、マツムラがその理由を説明する。
「建設中ではどんな事故が起こるとも限りません。王子にもしも怪我があれば公務に影響が出ますゆえ」
確かに、と頷きあった一家はマツムラの後に続いて奥の方へと足を進めた。
「僕は子どもじゃない。王子だ」
ぼそりと呟いたトワの言葉を、一番後からついて来ていたつかさだけが耳にする。
「でも、お飾りの王子だろ?」
つかさの辛辣な言葉に眦をきゅっとあげたトワは「僕は将来国王になるんだ」と語気を強めて返す。
つかさはそんなトワを前にして、ため息をつく。
「じゃあ聞くけど、将来の国王様はこのオペラハウスの建設費用の概算を知ってるのか?」
「それは……」
「一説によるとユグドリアの国家予算の10年分って話が出てるけど、そもそもそのお金の財源ってどっから出てる? 裕福な国ってのは知ってるけど、ずいぶんと無駄遣いじゃねぇか?」
それを聞いて、トワは明らかに動揺しはじめた。
「それはちゃんとマツムラが予算管理をしてるから」
「お前はそういうの把握してないの? 将来の国王なのに」
「僕は年が若いし、まだいろいろと勉強中だから」
「都合の悪い時だけ子供の特権利用するんだな。アメリカやロシアがこのオペラハウスに注意を向けてるのは知ってるか? ただの観光施設に随分警戒してるらしいぜ。一体奴らは何がそんなに気になるんだろうな」
自分よりほんの数歳年上なだけのこの青年と比べて、自身の知識のこの浅さ。トワは次第に表情を曇らせていった。
つかさは急に頼りなくなってしまった少年王子を前に、言い聞かせるように語りかけた。
「いいか。いくら子供だからって、王子を名乗る以上、全て人任せ、マツムラ任せにしちゃいけない。疑問に思う事はきっちりと答えを求めろ。疑問を疑問のままで終わらせちゃいけない」
「でも僕は……」
「あのな、人を信頼することは大事だし、誰かに頼る事も悪い事じゃない。だけど、真実を見抜く力を身につけることも大事だ。誰が自分にとって本当に大事な人間なのか、自分自身で考えるんだ」
その言葉を聞いて、トワの瞳が揺らぐ。
「誠くんと同じこと言うんだね」
「え?」
「誠くん、帰るときに言ってたんだ。僕のことは信じなくていいから、マツムラとオペラハウスに気をつけろ、って」
そう言って、頭をおさえる。
「でも僕……どうしていいか分からないよ。どうしてみんなマツムラを疑うの。1日会っただけで彼を悪くいうなんて、どうかしてるよ」
「――そうだな、どうかしてる。でも誠はお前の<友達>だろ。そいつはお前を守るために大変な目にあってる。そこまでしてくれる奴の言葉を大事にしろ。これはお前のためだけに言ってるんじゃない。誠のため、国民のため、そしてお前の両親が愛したユグドリアのためだ」
「ユグドリアの…ため」
両親の面影が、兄の暖かい手が、トワの記憶に蘇る。
全てが満ち足りて幸せだったあの頃を懐古していたトワが、ふと視線を感じて顔を上げれば、そこには先に行ったはずのマツムラが立っていた。
マツムラは離れた場所から無表情でこちらを見ている。
なんだろう、あの顔つき。
まるで――を、―に突き落――時のように、ひどく冷――――。
「お2人とも、どうされましたかな」
マツムラの抑揚のない声が、さっきトワの中で浮かび上がりかけていたとてつもなく恐ろしい何かを、再び心の深いところへ沈めていった。
――なんだ、この記憶は。僕は今何を。
一瞬顔を歪め、何かに耐えるような表情を見せたトワは、青ざめた顔のまま歩きだす。
その後ろからつかさも考え深げについて行った。
マツムラはトワが側まで来ると、そっと小さな背中に手を置いて、優しく先へと歩かせる。まるで幼い子の手を引く父親のように。
けれど、そうしながらも背後のつかさに一瞬だけ見せた横顔には、ひどく不快な笑みが浮かんでいた。
『怪しいと思ったものにはとことん喰らいつけ』
仁の言葉を思い出し、つかさは確信に近い思いを抱きながら標的の後ろ姿を見据えた。
思わず美園の口をついて出た言葉がそれだった。
外のシンプルさとはうってかわり、建物内は色彩と華やかさが際立つヨーロッパ王朝のような内装であった。
贅の限りをつくした華美な空間を眺めていけば、床は大理石、複雑な彫刻が彫られた柱、中央の巨大噴水の龍からは常に透き通った水が流れ続けている。
天井は首を痛めてしまうほど高い位置にあり、協会によくあるような天使たちの絵が遠くの方まで延々と広がっていた。
一瞬、過去の時代に迷い込んでしまったのかと錯覚するほど現実離れした場所、それが世良田一家がオペラハウスに抱いた第一印象だった。
「本当にすごい」
トワもあんぐりと口を上げて周囲を見回している。
「ここに入るの初めてか?」
と勇治が聞けば、
「はい。外から見たことはありますが、まだ建設中ということで入るのは今日が初めてです」
「王子なのに中に入れないなんて」
と、栄子が困惑すると、マツムラがその理由を説明する。
「建設中ではどんな事故が起こるとも限りません。王子にもしも怪我があれば公務に影響が出ますゆえ」
確かに、と頷きあった一家はマツムラの後に続いて奥の方へと足を進めた。
「僕は子どもじゃない。王子だ」
ぼそりと呟いたトワの言葉を、一番後からついて来ていたつかさだけが耳にする。
「でも、お飾りの王子だろ?」
つかさの辛辣な言葉に眦をきゅっとあげたトワは「僕は将来国王になるんだ」と語気を強めて返す。
つかさはそんなトワを前にして、ため息をつく。
「じゃあ聞くけど、将来の国王様はこのオペラハウスの建設費用の概算を知ってるのか?」
「それは……」
「一説によるとユグドリアの国家予算の10年分って話が出てるけど、そもそもそのお金の財源ってどっから出てる? 裕福な国ってのは知ってるけど、ずいぶんと無駄遣いじゃねぇか?」
それを聞いて、トワは明らかに動揺しはじめた。
「それはちゃんとマツムラが予算管理をしてるから」
「お前はそういうの把握してないの? 将来の国王なのに」
「僕は年が若いし、まだいろいろと勉強中だから」
「都合の悪い時だけ子供の特権利用するんだな。アメリカやロシアがこのオペラハウスに注意を向けてるのは知ってるか? ただの観光施設に随分警戒してるらしいぜ。一体奴らは何がそんなに気になるんだろうな」
自分よりほんの数歳年上なだけのこの青年と比べて、自身の知識のこの浅さ。トワは次第に表情を曇らせていった。
つかさは急に頼りなくなってしまった少年王子を前に、言い聞かせるように語りかけた。
「いいか。いくら子供だからって、王子を名乗る以上、全て人任せ、マツムラ任せにしちゃいけない。疑問に思う事はきっちりと答えを求めろ。疑問を疑問のままで終わらせちゃいけない」
「でも僕は……」
「あのな、人を信頼することは大事だし、誰かに頼る事も悪い事じゃない。だけど、真実を見抜く力を身につけることも大事だ。誰が自分にとって本当に大事な人間なのか、自分自身で考えるんだ」
その言葉を聞いて、トワの瞳が揺らぐ。
「誠くんと同じこと言うんだね」
「え?」
「誠くん、帰るときに言ってたんだ。僕のことは信じなくていいから、マツムラとオペラハウスに気をつけろ、って」
そう言って、頭をおさえる。
「でも僕……どうしていいか分からないよ。どうしてみんなマツムラを疑うの。1日会っただけで彼を悪くいうなんて、どうかしてるよ」
「――そうだな、どうかしてる。でも誠はお前の<友達>だろ。そいつはお前を守るために大変な目にあってる。そこまでしてくれる奴の言葉を大事にしろ。これはお前のためだけに言ってるんじゃない。誠のため、国民のため、そしてお前の両親が愛したユグドリアのためだ」
「ユグドリアの…ため」
両親の面影が、兄の暖かい手が、トワの記憶に蘇る。
全てが満ち足りて幸せだったあの頃を懐古していたトワが、ふと視線を感じて顔を上げれば、そこには先に行ったはずのマツムラが立っていた。
マツムラは離れた場所から無表情でこちらを見ている。
なんだろう、あの顔つき。
まるで――を、―に突き落――時のように、ひどく冷――――。
「お2人とも、どうされましたかな」
マツムラの抑揚のない声が、さっきトワの中で浮かび上がりかけていたとてつもなく恐ろしい何かを、再び心の深いところへ沈めていった。
――なんだ、この記憶は。僕は今何を。
一瞬顔を歪め、何かに耐えるような表情を見せたトワは、青ざめた顔のまま歩きだす。
その後ろからつかさも考え深げについて行った。
マツムラはトワが側まで来ると、そっと小さな背中に手を置いて、優しく先へと歩かせる。まるで幼い子の手を引く父親のように。
けれど、そうしながらも背後のつかさに一瞬だけ見せた横顔には、ひどく不快な笑みが浮かんでいた。
『怪しいと思ったものにはとことん喰らいつけ』
仁の言葉を思い出し、つかさは確信に近い思いを抱きながら標的の後ろ姿を見据えた。
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