【完結】恋し堕落はループ論

シキゴウ全

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6話:余談前編・落下する恋

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 ひと目ぼれの引力はすさまじい。
 まるで第三者の介入があるかのように、抗えない力で惹かれてしまう。
 そうなるとアイデンティティの軸は自分から対象へとあっさり傾き、真っ逆さま。

 一つ気になることがある。

 落ちているなら、恋の底はどこだろう?

----------6 余談・前編


 両親が言うには、僕は幼い頃から本への興味が強い子供だった。絵本を見ながら寝落ちる事、毎夜。
『手がかからなかったというか、千草ちぐさは本当に本が好きね』
 小学校を卒業した春。文庫の終わりにある解説を読みながら、適当に頷いた。
 もし本編の途中だったら、会話に返していたか分からない。夢中になって、聞こえないんだ。
 学校ではずっと変人扱いで、友人はいない。
 気にするよりも次の本を読んだ。
 僕にとって、人生をかけても終わらない世界は本の中にあった。
 興味ある物を否定しない教育方針のまま、自由に育てられた結果として、危機感を持ったらしい。そうかもね。

 中学二年生の冬。
 家族の中で僕と一番接してきた2つ上の兄が、こたつで本を読んでいる僕に蜜柑を食べさせる。
 食べさせるってなんだと気づくまで、言われるまま口を開けて咀嚼していた。
 気づくタイミングを見計らっていたのか、こたつの天板には高校パンフレットが数冊。
 本から顔を上げた僕が最初に見たのは、こたつの真向いで寛いでいる姉と妹。
 この春に自立して家を出ていた五つ上の姉は帰省し、まだ九歳の妹にせっせと蜜柑をむいては食べさせている。
 双方ニッコニコだ。真向いの姉妹を見てから、兄を見る。
「僕もう中学生なんだけど」
 ほとんど無かったと言われる、僕の反抗期がこれ。
「じゃあ中学生にとって大事な話をしよう」
 母さんの田舎の蜜柑美味いよなと、僕に食べさせる予定だった残りは兄が食べた。食べたくないわけじゃない。
「千草。進路どうする?」
 パンフレット先の高校は、全てが寮付き。
 仕方なく僕は本を閉じる。
「つまり」
「家族以外の人間とも接して欲しい」
「必要あるの?」
「養う甲斐性はあるが、箱入りにしたい訳じゃないらしいぞ、父さん母さんは。俺もそう思う。働かざる者」 
「食うべからずだろ」
 パンフレットを飛び越えて、天板の中央にある蜜柑に手を伸ばす。
「家の手伝いはしているよ」
「偉いな。助かってるって。でも家族は家族だし、従業員は他人ではあるけどお前は雇用契約を結んでいる相手の、子供だ」
 ただの他人じゃない、と言われれば正論。
 僕らの家は代々切り盛りしている茶畑農家。収穫をする人や、商品の販売をする人。あと誰だっけ、近所の人たち? とりあえずあの人たちは、僕を見ておじぎをする。僕も、返す。
「そうだね」
「そうだろ。良好な関係なのは、努力があってなんだ。この場合、より負担が大きいのは従業員の方だな」
 それは、よく分からなかった。
 我が家の跡取りの自覚と商才があって、学業の傍らバイトしている兄の言う事だ。きっと正しい。
「どんな職業であっても、全く他人と関わらない事はないと思う。学生でいる内に経験しておけ」
 兄の言葉を受け流し、筋を残したまま蜜柑を口に入れる。
 そういえば兄の手づからの方は綺麗に筋が取れていた。相変わらず、人に対してマメな事をする。
 僕は食感とか気にせず食べていく。筋に栄養もあるし、甘くて美味しい。
「な、美味いよな」
「うん」
 兄はパンフレット片手にプレゼンテーションを始めていく。高校一年生とは思えない饒舌さだ。

 僕は、最初からどこでも良かった。

 本を読む以外に時間を割きたくないあまり、結果として成績は悪くない。
 幸いな事に僕の家族は、中でもこの兄は、僕の不利なようにはしない。
「じゃあ兄さんが決めて」
「言うと思った。千草なら、余程じゃなければ落ちないだろうしな」
 差し出された、一冊の案内パンフレット。
 そこは県内でも、家からは端と端程度には距離がある私立高だった。
 ちなみに兄は公立校。
「分かった。そこにする」
「滑り止めはこっち。これ、学校に持っていけよ。偏差値的に先生も反対しないだろ」
 僕より詳しいねとは言わず、最後の一個を口に放り込む。甘い。
「千草の頭なら、範囲の全部覚えれば合格できるっ」
「大雑把すぎ」
「ちい兄ちゃんすごーい」
 黙ってみかんを食べていた姉と妹の、唯一の返しがこれだった。
 雑だけど、学校のテストとはそういう物だし。
 僕は兄の言う通りの方法で合格し、既定路線から逸脱せず、現在の高校に入学した。


 
 規定から外れたのは、寮の同室となった、鮫川碧さめがわみどりとの対面だった。
 早すぎる。青天の霹靂を噛みしめた。
 兄が知ったら、どう思うだろう。
 喜びそうだったので、想像の中の兄を消した。
 とはいえ、初日にひと目ぼれした訳ではない。


 
 高校一年の春を終え、ゴールデンウイークの後。
 家の労働の為に、祝日は帰省をしていた。
 同室者への手土産にと、お茶と蜜柑を渡されている。自由な校風のおかげで、寮の持ち込みも厳しくはない。さすが兄の選んだ、僕向けの高校。
 本を片手に読みながらきしむ廊下を歩き、まだ慣れない二人部屋の扉を開ける。
 部屋に同室者はいなかった。
 シンとした部屋は、予想外に暖かい。日中の気温が部屋を満たし、春の名残に出迎えられる。
 同室者は、背後から訪れた。
「そっちが先だったか。九十くじゅう君おかえり」
「⁈」
 気配にびっくりした僕は、慌てて振り返る。

 え、近いっ なんで真後ろにいるの⁈

「……ただいま、鮫川さめがわ君」
 僕を見下ろす同室者は、帰省していない。短期バイトをしていたらしいが、この時の僕は把握していなかった。
 驚きのあまり、マジマジと相手の顔を見てしまう。恐らく、初めてまともに他人を見た。
 そうして僕は、僕の単純さに打ちのめされる。
「うわ」

 鮫川君て、格好いいんだね。

 言いかけた賛辞を咄嗟に飲み込んだ。比喩だというのに、兄と食べたあの蜜柑より、今飲み込んだ感情の方が甘い。
 不遜な声と顔をそらした僕の行動に首を傾げて睨んでくる。
「なに、『うわ』って」
「ううん、ごめん。なんでも無い」
 なんでも無くはない。

 だって、次に見た君は、キラキラしていた。

「うわあ」
 二度目は感嘆だ。僕は、ひと目ぼれの引力を侮っていた。

 君を見上げ、あっという間に真っ逆さま。
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