銀の髪に咲く白い花 ~半年だけの公爵令嬢と私の物語~

新道 梨果子

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3. 朝一番の水

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 翌朝、私は誰よりも早く起き、庭にある井戸から厨房に水を運んだ。
 これは私の大事な日課だ。この屋敷に世話になっている以上、何がしか役に立たなければならないのは当然のことだ。
 私がこの屋敷に勤める者の中で一番若いため、自然とその役目が私に割り振られた。
 この屋敷に来るまでは毎日勉学ばかりに励んでいたからひ弱な体つきをしていたが、自分で言うのもなんだが今ではなかなか筋肉がついてきたと思う。

 井戸の脇に、小さな青い花が咲いているのを見つける。可憐なその花は、見かけよりもたくましく、石の間から生えている。
 この花が咲くということは……ああ、まだ半年ほどしか経っていないのか。

 私は井戸から水を引き上げながら、あの日のことを思い出す。
 あの日、大きな地震が王都を襲った。そのときにもこの井戸は役に立った。水が不足しているという被災地に荷馬車で懸命に運んだものだ。
 あの地震のあとの風景は、今思い出しても寒気がする。この世の終わりとはこういうものかと思うほどだった。
 隆起した土地、崩落した道、倒壊した建物、泣き叫ぶ子どもたち。

 だが奇跡的に死者は出なかった。

 しかしその爪あとは深く、王城は完全に崩れ去り、未だに仮の城に国王は棲まう。
 死者はなかったと言えど怪我人は多く出たし、怪我がなくともその精神に傷を残した者もいる。家を失くし、寝床の確保もままならない者もたくさんいた。
 それでも復興は早いほうではないかと思う。今では表面上はその傷跡を見ることは稀なほどになったくらいだ。
 王城の素早い動きのおかげであることは間違いない。
 震災直後も、そして今までも、王城は復興に力を入れている。

 この屋敷は元々造りが頑丈だったからか、大した被害はなかった。
 だが主人はその地震の後処理のためか、なかなか屋敷に帰ってこなくなった。
 あの地震のとき私たち屋敷の者は、たまたま皆、主人の計らいで旅行に出ていた。近場ではあったが王都ほどの被害はなかったから、皆が無事だった。それから慌てて王都に帰ってきて、復興の手伝いをしたのだ。

 主人は、もしかしたら神にこの地震のことを聞いていたのではないかと、皆で話したことを覚えている。
 もちろん、主人は一笑に付したが。

          ◇

「お疲れさま」

 厨房にある大きな甕に水を移していると、アネットが髪を結びながら厨房に入ってきた。
 私たちのように住み込みの者は、まずは厨房を整える。朝食の下準備はアネットの仕事だ。

「お水は今日から少し多めにしたほうがいいかもしれないわ。お嬢さまが来られたのだし」
「そうですね。お昼に足す量をもう少し増やしましょうか」
「そうね。それから、お嬢さまのところにも水差しを持っていかないと」

 などと話をしていると、入り口のところにふと人影が見え、振り向いた。
 今まさに話をしていた、彼女だった。

「ああ、良かった。大きなお屋敷だから、迷ってしまいました」

 そう言って、私たちの顔を見た彼女は胸を撫で下ろした。
 そして、続けた。

「申し訳ないのですが、お水を少しいただけませんか」

 今ちょうど水差しを持っていこうとしていたところだ、と言いたくなったが、飲み込んだ。
 もうほんの少しだけ待っていてくれたら言われる前に行けたのに、そんなに急かさなくても、と心の中でごちる。

「失礼いたしました。今、水差しをお持ち致します」

 アネットのほうは、何とも思わなかったのか、それとも思ったが押し隠したのか、とにかく笑顔を浮かべて水差しを準備しようとする。
 それを見て、彼女は慌てて手を振った。

「いいえ、そんな良いお水でなくていいんです」
「え?」
「あの……植木に水をやりたいので、雨水か廃水か何か溜めていれば、それをいただきたいのですが」

 なるほど。昨日抱えていた、あの植木鉢か。
 私が今しがた運んできた井戸水を良いお水、と言われて少しばかり心が落ち着いた。自分でも何と現金な、とは思うが。

「でも、あの植木の水でしょう? 水差しのお水を使われても構いませんよ」

 というアネットの提案に、彼女は首を振った。

「そんな、もったいない」

 確かに彼女は、貴族のお嬢さまらしくはない。しかし、水差しの水がもったいない、とまで言うとは思わなかった。

「いいえ、大事な植木なのでしょう? もったいないなんてこと、ありませんわ」

 まったく考え付かなかったことを言われて、私は思わず顔を上げてアネットを見た。彼女はやはり穏やかに微笑んでいる。
 言われたほうの彼女に視線を移すと、少し俯いて頬を染めていた。

「はい。……大事な、花です」
「でしたらどうぞ、こちらのお水をお使いになって」

 言いながら、アネットは水差しと、それから小さな器にも水を入れた。そちらの水が植木用ということだろう。

「すぐお持ちしますわ」
「いえっ、大丈夫です、自分で」

 彼女はそう固辞したが、「貴族の娘というものは、こういうことは使用人にやらせるのです」と押し切られ、二人一緒に出て行った。

          ◇

 厨房に帰ってきたアネットは、心なしか少し機嫌が良くなっているように見えた。
 朝食の下準備を始めるアネットの背中から、話しかけてみる。

「よく気付きましたね」
「何に?」

 彼女は私の問いに振り向いた。

「私は全く気付かなかった。あの植木がそんなに大事なものだなんて」

 そう言ってため息をつく。よく主人にも言われる。
 あなたはもう少し人の心というものを推し量る必要がある、と。
 しかしアネットはこう問い返してきた。

「見なかった?」
「何を、です?」
「あの植木鉢、相当に良い物よ。あの中身が大事じゃないなんて、ないでしょう」

 なるほど。彼女の感情の動きではなく、持っていたものから推測したということか。
 だとしても、私にはやはり観察力が足りない。

「でも良かった」
「え?」
「なんだかとても感じの良い方よ。生意気なことを言ったりすると穏やかではいられないかと思ったけれど、こちらが遠慮してしまうくらいだわ」

 そう言って苦笑する。
 それは、わかる。わずかながらしか彼女を見てはいないが、慎み深い、穏やかな性格の持ち主なのだということはわかる。
 ……わかる、のだが。

「なんだか娘みたい」

 そう言って笑うアネットを見ると、胸が痛む。
 彼女は流行り病で夫と娘を失くした。その後、この屋敷で働くようになった。
 しばらくの間は元気がなかったようだが、働き続けるうちに自分を取り戻したのだそうだ。

「出来の悪い息子がいるみたいだから、元気にもなるわよ」

 と私を見て笑ったことを思い出す。私は両親には捨てられたようなものだったから、なんだかその笑顔がくすぐったく思えたものだった。

「おはようございます」

 屋敷の外から通っている使用人たちが、何人か厨房に入ってきた。私はそれを合図にするかのように立ち上がる。

「あと少し、水を足しておきましょう」
「そうね、お願い」

 私が厨房から出るときには既に、彼らの話題は新しくやってきた『お嬢さま』のことで持ちきりだった。
 あの中で、彼らの質問攻めに耐えられる自信はなかった。
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