銀の髪に咲く白い花 ~半年だけの公爵令嬢と私の物語~

新道 梨果子

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5. 苗木

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 一段落してから、私はお嬢さまの部屋を訪れた。
 薄く扉が開いている。これは入っても構いませんよ、という合図だろうか。
 しかし念のためノックをすると、中から「どうぞ」と彼女の声がした。

「失礼いたします」

 扉を開けると、彼女が窓際に置かれた椅子から立ち上がるところだった。
 私が中に入って扉を閉めると、ほんのわずかだが、彼女は身体を震わせた。

 警戒しているのか。失礼な。私は節操のない人間ではない。
 とはいえ、この屋敷に来たばかりの彼女にそれを言うのも酷だろう。
 それに確かに、男と二人きりで部屋にいるというのは、警戒すべき事態なのかもしれない。
 私はそう心の中で納得すると、ノブを回して扉を少しだけ開けた。

「私がいる間は開けておきましょう。でも、私が入ってくるまでも、扉を開けておられたようですが」
「え? ええ」
「閉められたほうがよろしいかと存じます。だらしなく感じられる方もおられますし、なんといっても女性なのですから、警戒心は持たないと」

 私がそう言うと、彼女は困ったように首を傾げて、曖昧に微笑んだ。
 ……わかっているのだろうか。素直に、はい、と言えばいいものを。

 ふと彼女は窓辺に視線を移した。
 視線の先には、あの植木鉢。
 ノックするまでは、植木鉢を眺めていたということだろう。
 植木鉢の中には、小さな苗木が植えられている。植木鉢の大きさには合っていない。

「これから大きくなるのですか」

 私の質問に、彼女は微笑と共に答える。

「そうみたい」
「ということは、何の植物なのかわからないのですか」

 緑の葉が数枚あるだけの、苗木。これだけでは判別は難しそうだ。

「ええ、私は知らないの」

 言いながら、彼女は土の上をそっと撫でた。

「でも半年後には白い花が咲くのですって」

 半年後。花が咲く。

「ではその花が咲いたら、ここを出て行かれるということですか」
「ええ、そのはずなの」

 まるで他人事のように、彼女はそう言った。
 この家を出てその先。彼女はそこを見ているのだろうか。

「……もう少し大きくなったら、何の花が咲くのか調べましょうか?」

 今のままではわからないが、大きくなれば、おおよその見当は付くだろう。
 しかし彼女は首を横に振った。

「いいえ、咲くのを楽しみに待ちます」

 なんだ。いい提案だと思ったのに。

「でも何の花かわからないと、どう育てればいいのかわからないのでは?」
「ああ、それは、陽の当たるところに置いておいて、朝一回お水をやればいいのですって。比較的簡単に花を咲かせるのだそうよ」
「……そうですか」

 少し気落ちしたのを気付かれたのか、彼女は取り繕うように言葉を連ねる。

「私も知りたいとは思うのだけど、特には教えてくださらなかったから、知らないほうがいいかと思って。でも大きくなったらジルベルトさまならわかってしまうのかしら。もしわかっても、私には内緒にしておいてね?」

 そう矢継ぎ早に言って、彼女は人差し指を立てて口元にやった。
 どうやら、気を遣われてしまったようだ。
 ため息が出そうになったが、それだけはなんとか堪えることができたのだけが幸いだった。

「ところで、私はお嬢さまに勉強を教えるということなのですが……」
「くすぐったいわ」
「は?」

 いきなり言われて、そんな素っ頓狂な声が漏れた。

「私がお嬢さまなんて、落ち着かない。だってジルベルトさまが私の先生なのでしょう?」
「でも……」
「だから、リュシイって名前で呼んでください」

 彼女はそう言って微笑んだ。
 だからといって、はいそうですか、というわけにもいかない。

「とは言っても、あなたはお嬢さまなのですから、礼を失すると私が怒られます」
「そうかしら」
「そうです」

 それでも彼女は納得できないようで、首を傾げている。
 身分の差というものは、考えている以上に重要なものだ。同じ爵位でも公爵や侯爵、伯爵、男爵など、細かく区分される。誰が目上で誰が目下なのか。手紙一つでも、作法が少しずつ違ってくる。
 細かいことで面倒だが仕方ない。このあたりを軽く考えていると、常識がないと烙印を押されてしまう。
 彼女はこの屋敷のお嬢さま、つまり公爵令嬢で、私は一介の書生なのだ。

「じゃあわかった」

 彼女はぽんと手を叩いた。まるでいいことを思いついた、という子どものようだ。

「二人だけのときは、名前にしましょう。内緒で」
「え……」

 私の言葉は何の意味もなかったらしい。

「そうしましょう。だって私がいくらジャンティさまの養女といっても、この間まで何の地位も持たない人間だったのだし、お嬢さまという呼び方に私はふさわしくないわ。やっぱり落ち着かないもの」
「でも……」
「決まり!」

 彼女はそう言って、もう一度手を叩いた。
 二人きりのときだけ、というのなら、それも構わないだろうと説得は諦めた。
 ところが、とんでもないことを言い出した。

「じゃあ、呼んでみて。練習」
「えっ」
「はいっ」

 そう言われて、渋々口に出す。

「……リュシイ」

 口にすると新鮮で、なんだかくすぐったかった。

「うん、やっぱりそれがいいわ。落ち着くもの」

 彼女は満足げにうなずいた。

「じゃあ私のことも、ジルベルトと呼んでもらっていいですから」

 正直言うと、彼女に『さま』という敬称を付けられることが落ち着かなくはあった。
 今の彼女と私の身分を考えればそれは必要なかったし、今までそんな敬称を付けられたこともなかったからだ。

「先生、というのもなしなの?」
「ありません」
「なんだ」

 彼女は少し口を尖らせた。
 しかしこんなことで大事な時間をつぶすわけにもいかない。
 私は少しだけ声を張って言った。

「では、何から教えればいいでしょう」

 それは彼女に対して言ったのではなかったかもしれない。訊いたところで、彼女から明快に答えが聞けるとも思えなかった。
 しかし、彼女はあっさりと答えてきた。

「何でも」
「何でも?」
「私、何も知らないんです。恥ずかしいことですけど」

 そう言って、申し訳なさそうに俯いた。

「そうですか。わかりました」

 とは言ったものの、あまりに漠然としすぎて何から教えればいいのか分からない。
 貴族のお嬢さまにふさわしい知識。なんだろう。

「……じゃあ、このエイゼンという国の、初代国王の名はご存知ですか」

 ただ単に、最初に思いついたことを言ってみた。これは日常会話の中でも時々出てくる。当然知っていなければならないことだろう。
 けれども彼女は、小さく首を傾げた。

「……ご存じない?」
「……ごめんなさい」

 これは重症だ。
 貴族の娘に限らず、そこそこの教育を受けている者ならば、初代国王から現王陛下まですべての名前を言えて当然なのだ。途中が曖昧でも、初代国王だけは誰も間違わない。

「ディエゴ、というのが初代国王の御名です」
「そうなんですか」

 彼女は、初めて聞いた、という風な表情でうなずいた。

「では、現王陛下は?」
「……レディオス」

 彼女は、自信がないのか、本当に小さな声でその名を舌に乗せた。
 よかった。これは知っていた。私は心の中で胸を撫で下ろす。

「正解。では差し当たり、この辺りから覚えていきましょうか。ああ、あと大雑把な歴史もやっていかないと。周辺諸国の国名はご存知ですか」
「えと……クラッセ……なら」
「わかりました」

 こうして少しずつでもわかることとわからないことが判明していくだろう。その都度、わからないことを叩き込んでいけばいい。
 半年という期限付きということを考えると気が遠くなりそうだが、主人は可能と判断したから私に任せたのだろう。
 主人が言うなら大丈夫だ。

「では、きちんと覚え書きをとっていきましょう。忘れたらまたそれを見ればいいし、書くことで覚えるのが早くなります。はい」

 私は、ここに来る前に用意していた紙とペンとインクを彼女の前に差し出した。
 彼女はそれを、恐る恐るといった態で受け取った。
 けれど、机につくこともなく、彼女はただ受け取ったものを眺めている。

「どうかしましたか?」
「あの……」

 彼女は思い切ったように、顔を上げて言った。

「私、文字はあまり……」

 そこからか!
 今度は、ため息を隠すことが出来なかった。
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