40 / 41
第八章 君のいる八月
第八章 君のいる八月⑨
しおりを挟む
夜中。はっと目を覚ました。外はまだ真っ暗だ。歩の姿が見当たらない。
寝る前にはしっかり抱きしめていたはずなのに、いつの間にか俺の腕の中から消えていた。布団が空だ。歩のいた場所を探ると、まだ温かかった。
「……歩」
俺は虚空に呼びかけた。行灯の明かりに支配された室内は、頼りないほど薄暗い。居ても立っても居られずに飛び起きると、音もなく襖が開いた。
「歩……」
「あ? んなとこでなに突っ立ってんだ」
「……」
「起こしちまったか? 悪かっ――」
俺は歩の腕を掴み、布団へ強引に引っ張り込んだ。歩は不満げに鼻を鳴らす。
「おい、急に何すんだ。痛てェだろ」
「お前が悪い」
「あぁ?」
「俺が寝てる間にいなくなるお前が悪い」
「……」
我ながら女々しいことを言っている。自覚はある。だが、こういった衝動を抑えるのは簡単ではない。
「……ったく、てめェは……」
歩の手が伸びてきて、俺の髪をぐしゃりと掴んだ。ただでさえ癖毛で大変だというのに、ぐしゃぐしゃと掻き毟るように撫で回した。
「ちょっ、なに!? もっと優しく! 千切れちゃうから!」
「してんだろ。ったく、てめェもとことん大馬鹿野郎だ」
「なんで急に罵倒されてんの?!」
「おれのことをとやかく言えねぇくらいには、てめェも随分とくだらねぇことを考えてやがると思っただけだ」
「……」
俺の頭を撫でる歩の手は、乱暴でありながらどこか優しい。それだけで、胸を覆う霧が晴れていく。
「……分かってんだぜ、ホントは」
「ああ」
「分かってんだ。頭ではよーく分かってる。けど、さ……なんか、やっぱり……」
布団の中で、俺は歩を強く抱きしめた。
「バカ、痛てェよ」
「悪りぃ」
「……別にいい。これで安心するってんなら」
「……キスしてくれたら、もっといいかも」
「はぁ? ったく、調子乗りやがって」
口の端に甘いものが触れた。そっと触って、恥ずかしそうに離れていく。
「ほらよ。もう寝ろ」
「できれば舌も入れてくんない?」
「バカ言うな。キスだけで終わらねぇだろ」
「じゃあ、このまま寝ていい?」
「……好きにしろ」
暑苦しいだの何だのと一通り文句を言ってはいたが、歩は大人しく俺の腕の中に納まってくれた。一番大切な温もりを抱いて、俺は目を瞑る。朝までぐっすり眠れそうだ。
*
「おい、起きろ」
ばこん、と頭を叩かれ目が覚めた。窓の向こうはまだ暗い。
「なに……? つか今何時……」
「起きろ。出かけるぞ」
夜明け前の静けさに、波の音が沁み入る。空の色は、夜と朝の中間だ。真夜中の紺青色、真昼の青藍色。そのどちらでもない。どこまでも青く澄んでいる。深く鮮やかな、明るい青だ。夜明け前の空がこんな色をしていたなんて、俺は知ろうともしなかった。
やがて、東の空が真っ赤に燃える。紫の雲がたなびいている。水平線が黄金に輝いて、眩い朝日が顔を出した。
生まれたての清浄な光が、世界の輪郭を明るく照らす。新しい朝の日差しは柔らかく、その温もりを肌で感じる。空気は凛と澄んでいて、まだ夜の匂いを纏っている。
海が赤々と燃えている。朝日を浴びて、波が金色に照り映える。空は鮮やかなグラデーションを描き、淡い薔薇色に染まっていく。
砂浜に打ち上げられた流木に腰掛けて、歩は俺の手をそっと握った。バカみたいに早起きしたのは、この朝焼けを見るためだったのだ。
「なぁ、歩?」
「……何だよ」
「好きだよ」
穏やかな波の音に心が洗われる。海鳥が飛び立ち、蝉が鳴き始める。けれど、人影は俺達の他にない。この朝の美しさを、俺達は二人きりで独占している。
まるで芸術作品でも前にしたみたいに海を眺める歩の視界を遮って、俺は歩にキスをした。軽く触れるだけの、ささやかなキスだ。歩の頬も薔薇色に染まる。
「っ……何すんだ」
「あれ、違った?」
「……っ」
俺がとぼけると、歩はますます頬を紅潮させる。歩の顔が赤いのか、単純に朝日に照らされたせいなのか。歩はぷいとそっぽを向いた。
「ちが……くねぇ……」
「……もっかいしていい?」
「あ? おい――」
思いがけない素直な反応に、ロマンチックな気分が盛り上がってしまった。俺は歩の肩を抱き、今度は大人のキスをした。
寝る前にはしっかり抱きしめていたはずなのに、いつの間にか俺の腕の中から消えていた。布団が空だ。歩のいた場所を探ると、まだ温かかった。
「……歩」
俺は虚空に呼びかけた。行灯の明かりに支配された室内は、頼りないほど薄暗い。居ても立っても居られずに飛び起きると、音もなく襖が開いた。
「歩……」
「あ? んなとこでなに突っ立ってんだ」
「……」
「起こしちまったか? 悪かっ――」
俺は歩の腕を掴み、布団へ強引に引っ張り込んだ。歩は不満げに鼻を鳴らす。
「おい、急に何すんだ。痛てェだろ」
「お前が悪い」
「あぁ?」
「俺が寝てる間にいなくなるお前が悪い」
「……」
我ながら女々しいことを言っている。自覚はある。だが、こういった衝動を抑えるのは簡単ではない。
「……ったく、てめェは……」
歩の手が伸びてきて、俺の髪をぐしゃりと掴んだ。ただでさえ癖毛で大変だというのに、ぐしゃぐしゃと掻き毟るように撫で回した。
「ちょっ、なに!? もっと優しく! 千切れちゃうから!」
「してんだろ。ったく、てめェもとことん大馬鹿野郎だ」
「なんで急に罵倒されてんの?!」
「おれのことをとやかく言えねぇくらいには、てめェも随分とくだらねぇことを考えてやがると思っただけだ」
「……」
俺の頭を撫でる歩の手は、乱暴でありながらどこか優しい。それだけで、胸を覆う霧が晴れていく。
「……分かってんだぜ、ホントは」
「ああ」
「分かってんだ。頭ではよーく分かってる。けど、さ……なんか、やっぱり……」
布団の中で、俺は歩を強く抱きしめた。
「バカ、痛てェよ」
「悪りぃ」
「……別にいい。これで安心するってんなら」
「……キスしてくれたら、もっといいかも」
「はぁ? ったく、調子乗りやがって」
口の端に甘いものが触れた。そっと触って、恥ずかしそうに離れていく。
「ほらよ。もう寝ろ」
「できれば舌も入れてくんない?」
「バカ言うな。キスだけで終わらねぇだろ」
「じゃあ、このまま寝ていい?」
「……好きにしろ」
暑苦しいだの何だのと一通り文句を言ってはいたが、歩は大人しく俺の腕の中に納まってくれた。一番大切な温もりを抱いて、俺は目を瞑る。朝までぐっすり眠れそうだ。
*
「おい、起きろ」
ばこん、と頭を叩かれ目が覚めた。窓の向こうはまだ暗い。
「なに……? つか今何時……」
「起きろ。出かけるぞ」
夜明け前の静けさに、波の音が沁み入る。空の色は、夜と朝の中間だ。真夜中の紺青色、真昼の青藍色。そのどちらでもない。どこまでも青く澄んでいる。深く鮮やかな、明るい青だ。夜明け前の空がこんな色をしていたなんて、俺は知ろうともしなかった。
やがて、東の空が真っ赤に燃える。紫の雲がたなびいている。水平線が黄金に輝いて、眩い朝日が顔を出した。
生まれたての清浄な光が、世界の輪郭を明るく照らす。新しい朝の日差しは柔らかく、その温もりを肌で感じる。空気は凛と澄んでいて、まだ夜の匂いを纏っている。
海が赤々と燃えている。朝日を浴びて、波が金色に照り映える。空は鮮やかなグラデーションを描き、淡い薔薇色に染まっていく。
砂浜に打ち上げられた流木に腰掛けて、歩は俺の手をそっと握った。バカみたいに早起きしたのは、この朝焼けを見るためだったのだ。
「なぁ、歩?」
「……何だよ」
「好きだよ」
穏やかな波の音に心が洗われる。海鳥が飛び立ち、蝉が鳴き始める。けれど、人影は俺達の他にない。この朝の美しさを、俺達は二人きりで独占している。
まるで芸術作品でも前にしたみたいに海を眺める歩の視界を遮って、俺は歩にキスをした。軽く触れるだけの、ささやかなキスだ。歩の頬も薔薇色に染まる。
「っ……何すんだ」
「あれ、違った?」
「……っ」
俺がとぼけると、歩はますます頬を紅潮させる。歩の顔が赤いのか、単純に朝日に照らされたせいなのか。歩はぷいとそっぽを向いた。
「ちが……くねぇ……」
「……もっかいしていい?」
「あ? おい――」
思いがけない素直な反応に、ロマンチックな気分が盛り上がってしまった。俺は歩の肩を抱き、今度は大人のキスをした。
15
あなたにおすすめの小説
【完結】後悔は再会の果てへ
関鷹親
BL
日々仕事で疲労困憊の松沢月人は、通勤中に倒れてしまう。
その時に助けてくれたのは、自らが縁を切ったはずの青柳晃成だった。
数年ぶりの再会に戸惑いながらも、変わらず接してくれる晃成に強く惹かれてしまう。
小さい頃から育ててきた独占欲は、縁を切ったくらいではなくなりはしない。
そうして再び始まった交流の中で、二人は一つの答えに辿り着く。
末っ子気質の甘ん坊大型犬×しっかり者の男前
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
だって、君は210日のポラリス
大庭和香
BL
モテ属性過多男 × モブ要素しかない俺
モテ属性過多の理央は、地味で凡庸な俺を平然と「恋人」と呼ぶ。大学の履修登録も丸かぶりで、いつも一緒。
一方、平凡な小市民の俺は、旅行先で両親が事故死したという連絡を受け、
突然人生の岐路に立たされた。
――立春から210日、夏休みの終わる頃。
それでも理央は、変わらず俺のそばにいてくれて――
📌別サイトで読み切りの形で投稿した作品を、連載形式に切り替えて投稿しています。
エピローグまで公開いたしました。14,000字程度になりました。読み切りの形のときより短くなりました……1000文字ぐらい書き足したのになぁ。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
S級エスパーは今日も不機嫌
ノルジャン
BL
低級ガイドの成瀬暖は、S級エスパーの篠原蓮司に嫌われている。少しでも篠原の役に立ちたいと、ガイディングしようとするが拒否される日々。ある日、所属しているギルドから解雇させられそうになり、焦った成瀬はなんとか自分の級を上げようとする。
【完結】俺はずっと、おまえのお嫁さんになりたかったんだ。
ペガサスサクラ
BL
※あらすじ、後半の内容にやや二章のネタバレを含みます。
幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。
逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。
見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。
何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。
しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。
お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。
主人公楓目線の、片思いBL。
プラトニックラブ。
いいね、感想大変励みになっています!読んでくださって本当にありがとうございます。
2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。
最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。
(この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。)
番外編は、2人の高校時代のお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる