山の子ども

小貝川リン子

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2 高校編

5 晩秋‐②

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 さて、こうも矢継ぎ早に淫夢を見て夢精しているとなると、さすがに自分の頭か体がおかしいんじゃないかと疑い出す。寝る前にAVを見なくても、三日に一回抜いていても――っていうか夢精してるので抜く必要もないのだが――そんなものは関係なしにいやらしい夢を見る。
 
 そのうち瑞季の目も見られなくなって、自然と距離を置き始めた。だってそうだろう? 瑞季の顔を見る度に罪悪感でいっぱいになり、やり切れない気持ちになる。それでいて夢のことを思い出し、腹の底が疼く。何なら、いっそのこと飛び掛かって襲ってしまおうかなんて危険な衝動に駆られたりもする。
 
 テストが近いから学校以外ではしばらく会わない、平日も一人で帰るからと伝えると、瑞季は寂しそうにしていたが了承してくれた。本当のことを言うと、俺だって寂しい。瑞季と二人で駅まで歩くのは癒しの時間だったし、一緒に勉強するのも案外メリハリが効いて捗るのだ。だけどしょうがない。俺の心身の健康のためだ。
 
 それで何か変わったかというと、淫夢を見る頻度は減ったと思う。でもなんだか、欲求不満というか、イライラムラムラして仕方なくなった。最後の行事も終わって、クラス全体が受験に向けて頑張ろうという雰囲気になっていて息が詰まったのもあるが、それより何より、瑞季と思うように喋れないのが辛かった。
 
 自分からは話しかけに行けない。だって顔を見ると意識しちゃうから。声を聞くだけで緊張するし、心臓がうるさくておしゃべりどころじゃなくなるから。だからあっちから来てほしいわけだけど、瑞季は元々学校では無口で、俺にも必要最小限のことしか話さないので、必然的に距離は離れていく。
 
 だからといって独りで悶々していたってどうしようもなく、苛立ちも寂しさも性欲も全て試験勉強にぶつけて発散し、中間試験を乗り切った。
 
 試験は午前中で終わり、教室で友人と菓子を食べ、少し無駄話をしてから別れた。急いで帰って昼飯にしようと思って自転車を取りに行くと、駐輪場で瑞季が待っていた。
 
「その、試験終わったから……」
 
 うつむいて、もじもじしている。しきりに髪を弄る。久しぶりだから緊張しているのだろうか。
 
「今日は、一緒に帰れる?」
 
 わざとなのか何なのか、上目遣いで俺を見る。胸がキュンと痛くなる。どきどきして目が見れない。
 
「で、でも、今日はまだ……」
「何か予定があるのか?」
「いや、ないけど、その……再来週また模試あるし、早く帰って勉強しないと……」
 
 瑞季はあからさまに肩を落とす。
 
「ほ、ほら俺、前の模試でC判定だったし、もっとがんばらねぇと……」
「……C判定なら安全圏だって、前に言ってたじゃないか」
「でもほら、もう受験も近いし、もうちょい成績上げなきゃまずいっつーか……」
 
 あたふたしながら口から出まかせを言う。出まかせってわけでもないのだが、今さら模試のために勉強なんかしないし、そもそも前回の模試はB判定だったのでそんなに焦ることもない。
 
「だから、ね、もう俺、お前とはあんまり――」
「嫌いになったのか?」
 
 瑞季にしては珍しく、俺の言葉を遮って物を言った。口調が鋭い。
 
「……え?」
 
 ずいぶん間を空けて、俺は気の抜けた返事をした。瑞季は酷く傷付いたような、泣きそうな顔をしている。
 
「おれのこと、嫌になったんだろ? だから目を合わせようともしないんだ」
「ち、違う、そういう意味じゃ」
「嫌なら嫌って言ってくれ。そしたらこんな風に待ったりしないし、ちゃんと一人で帰るから」
 
 まさか。まさかまさか、嫌いになんてなれるはずがない。むしろ……むしろ好きだ。そうだよ、好きなんだよ。今こそ認めよう。俺は瑞季が好きなんだ。そうすれば今までのことも全て説明がつく。好きだから一緒にいたいし、でも好きだから一緒にいるとどきどきするし、好きだからこそエロい目で見てしまうんだ。
 
 小さな体を一層小さく丸めている瑞季を抱きしめたいのを我慢して、肩にそっと手を置いた。瑞季はゆっくり顔を上げる。その黒い目を正面からまともに見るのは久しぶりだった。やっぱり、本来の銀色の目の方が綺麗だと思う。
 
「嫌いになんてなるわけないよ」
「……本当?」
「うん。誤解させてごめん。お前のことはずっと大事に思ってるよ。お前を傷付けたり、泣かせたりしたいわけじゃないんだ」
「べ、別に泣いてなんか……!」
 
 瑞季は頬を赤くしてまぶたを擦る。肩ではなく頭をそっと撫でてみても、嫌がる素振りは全くない。俺にされるがままだ。
 
「途中まで一緒に帰ろうぜ。鞄、かごに入れていいから」
 
 遠回りしたいと瑞季が言うので、駅とは反対方向だけど多摩川の方まで歩いた。土手の遊歩道をのんびり散歩する。道沿いの樹木が真っ赤に紅葉していて、瑞季は葉っぱに手を伸ばした。手に取るだけで千切りはしない。綺麗だねと俺が言うと、瑞季はこちらを振り向いてにこりと笑う。
 
「ああ、こんなに色付いてる。もうすっかり秋だ」
 
 俺が言った綺麗の対象は瑞季のことだったのに、悲しいくらい伝わっていない。でも構わない。まだ伝わらなくていい。ただそばにいられればいい。
 
「お前の地元でも、こんな風に紅葉してるのかな。田舎は自然が多いから、そりゃあ綺麗だろうな」
「毎年見物だぞ。山全体が赤や黄色に染まって、夕日が差すと本当に燃えているみたいに見えるんだ」
「そんなにか? 俺も見てみたいなぁ、今度連れてってくれよ」
「いいけど、でもお前昔は……」
 
 何か言いかけて、瑞季は口を噤んだ。
 
「どうした?」
「……何でもない。おれの地元は遠いから、今度また深山神社まで来いよ。あそこの紅葉もなかなか見物だぞ。銀杏並木があるんだ」
「それって、お前の部屋に行ってもいいってこと?」
 
 俺が言うと、瑞季は小首を傾げて流し目で微笑む。
 
「うん。来てよ」
 
 そういうわけで、俺達は結局元通り。放課後は駅まで一緒に帰り、土曜は瑞季のアパートで勉強する。バスなんて面倒だから自転車を飛ばして行く。やはり誰かと勉強するとメリハリが効いて捗る。休憩時間にコンビニへエナジードリンクを買いに行くのも楽しい。
 
 瑞季と過ごせるというだけで俺は十分満足だった。それまで抱いていた邪念は姿を消し、一時は毎晩のように見ていた淫夢もとんと見なくなった。
 
 
 以降は受験モード一色で、冬休みまでは毎週のように模試を受けたし、センター試験以降は個別試験も始まって忙しかったが、俺は不思議と踏ん張れた。瑞季のことを思うと元気が湧いてくる。へばっている場合じゃないと内なる声がする。この長い冬を乗り越えて最高の春を迎えるのだと、ただそれだけを考えていた。
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