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第二部 人の心を奪うモノと、獣となる人
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第一章 那美と呂騎
1、
東京から、南南東に一千キロ。太平洋上にある三十余りの島からなる小笠原諸島は、ほとんどが無人島である。人々が居住している島は、父島、母島、硫黄島、南鳥島、に限られ、そのうち民間人が住む島は、父島、母島だけである。硫黄島、南鳥島には自衛隊などの公務員が居住しているという。
小笠原諸島に点在する島のひとつであるN島には、組織AHOの研究施設があり、組織AHOの科学者たちや、戦闘部門の人員が常時駐在しているが、公には人跡未踏の無人島として認識されている。
ここに組織AHOの研究施設があるというデーターは、一部の人間だけが閲覧でき、ここで何が研究され、ここで何がおこなわれているか、知るものは数少ないのである。
那美と呂騎は、超絶サイキッカーであるナギとの戦いの後、組織AHO研究施設の医療休憩室で休んでいた。
休憩室の窓から垣間見るN島の風景は、大自然のやさしさにあふれている。大地の息吹が、ここからでも感じられる。
数時間前の、あの熾烈な戦闘を癒すかのように、さわやかな風が吹いていた。
《那美さま……。私がいたらぬせいで、ナギに……》
呂騎は、ナギに十種神宝のうち三つの十種神宝、奥津鏡、道反玉、死反玉を奪われたことを悔やんでいた。
《あのとき、那美さまが、品物比礼を身に着けていれば、ナギの衝撃破などかわせたものを……》
那美は、呂騎に十種神宝のうち、すべての邪を払うといわれる品物比礼を呂騎に貸し与えていた。あの激しい戦闘の中で、呂騎が大怪我を負わなかったのは、品物比礼のおかげであるといえるだろう。
「自分を責めないで……。たとえ、私が品物比礼を持っていたとしても、ナギの衝撃破はかわせなかったと思うわ」
那美は、人に化身したままの姿で逝きたいと願った琥耶姫の最後の言葉を受け取り、琥耶姫を葬った。その一瞬の
隙をつかれ、ナギの衝撃破をくらったのだった。
《那美さま……。あの時、なぜ、琥耶姫は自分を犠牲にしてまで、ナギを助けたのでしょうね?》
呂騎が言う。
醜い争いを好み、時には、人間のように相手をだます蒜壺一族。相手を心から思いやるような愛情などは、皆無。憎悪と闘争本能だけが蒜壷一族の精神を支配している。その蒜壺一族の一人、琥耶姫が、なにゆえに身を挺してまで、ナギを守ったのだろうか。
「呂騎は、琥耶姫が、なぜ、ナギを助けたと思うの?」
《私には……》
呂騎は、視線を下に落とした。
「私は……私は、琥耶姫の気持ちがわかるような気がするわ」
那美が、呂騎の頭を撫でた。
「琥耶姫はねえ。人間に憧れていたのよ」
《蒜壺の者が、人に憧れたのですか? 蒜壺の者にとって、人とは餌に過ぎないはず》
「蒜壺一族な中でも穏健派である餌非一派のあなたも、人は蒜壺の餌に過ぎないと思っているの?」
《めっそうな……。私は、人を餌だなんて、一度だって思ったことはありません。しかし……》
蒜壺一族は、人肉を食べなければ、八日後には狂って死んでしまうという。その呪いの習性のために餌非一派も、人肉を食しなければならなかった。
餌非一派である呂騎でも、それは変わることはない。が、那美のおかげで、人肉を食しなくても生きることができた。
「琥耶姫は、人間に化身できる化瑠魂を途方もない歳月をかけて作ったのよ。少しの間だけれども、人間と同じ姿になれる化瑠魂をね」
那美は、琥耶姫の最後の言葉を、心の中で反芻した。
きれいなままで死にたい……。トカゲ顔の醜い姿で死にとうない。
蒜壺一族でありながら、人間体の姿であった琥耶姫の父と母。
いつまでも若々しく、美しい父と母は、琥耶姫の憧れだった。
琥耶姫は、いつもトカゲ顔の薄い唇をかみしめて、呻吟していた。
なぜ、わらわはこんなにも醜いのじゃ。なぜ、母と父のように美しい姿じゃないのじゃ。人は……。人は美しいのう……。わらわも、あんな姿になりたい……。女で生まれたからには、きれいになりたい。
琥耶姫の、憧れは、那美と同じ容姿を持つナギに向けられてもおかしくはなかった。那美と同様に美しいその姿は、琥耶姫の心を揺さぶった。
(琥耶姫……。もし、生まれ変われることができるのなら、人として生まれてきて……女として、もう一度)
那美のまつげが揺れた。
呂騎が言う。
《神は、なぜ、蒜壺一族に人肉を食さなければ、八日後には気がくるって死んでしまうという業を与えたんでしょうね。それさなければ、蒜壺一族と人は、仲良くやっていけたかもしれないのに……》
那美は、呂騎の言葉に無言で答えた。
人と蒜壺一族の間に生まれた那美は、人の里で暮らしたこともあって、人の優しさも知っていたが、人の愚かさ、醜さも知っている。時として、蒜壺一族以上の残虐さをみせる人と、強さを競い、争いを好む蒜壺一族は、はたして仲良くやっていけるのだろうか?
「呂騎、そこに横になって」
那美が、呂騎に休むように促した。
《生玉の御業を使うのですか?》
呂騎が言う。
「ええっ、そろそろやっておかないと……」
那美は、呂騎から頭のプロテクターと胴のプロテクターを外してやった。懐から生玉の勾玉を取り出す。
呂騎も、また蒜壺一族である。生玉の力を借りなければ、人肉を食する恐怖からは逃れられない。生玉の力によって、呂騎は人肉を食しなくても、狂うことなく生きてゆけるのだ。
「慈愛の御業をいまここに」
緋色の勾玉が七色に輝きだす。呂騎は七色の光に身をゆだねた。呂騎の体毛が金色になった。心臓音が高鳴り、呂騎は苦しそうにぜいぜいとあえいだ。が、苦しそうにしたのはほんの一時だった。生玉の七色の光に優しく包み込まれた呂騎は、静かに目を閉じ、安らかな寝息をたてたのだった。
眠る呂騎の傍らで、那美は、ナギとの戦いを振り返っていた。
光双剣や、衝撃破、テレキネシスで、那美を苦しめたナギ。ナギは、那美もまた瞬間移動を駆使できると思ったようだった。が、那美には瞬間移動などという能力はない。敵の居場所突き止める奥津鏡と、吹きすさぶ風のように移動できる足玉の力を最大にして、ナギの瞬間移動先を突き止め、瞬時に移動したのであった。
(奥津鏡を、ナギに奪われたしまったいま……)
那美に不安の波が襲い掛かる。
足玉は、手元にあるが、奥津鏡は敵におちた。光速に移動はできるが、瞬時に敵の居場所を突き止めることはできない。敵の移動先を突き止める奥津鏡がなけりゃあ、足玉の力を最大限にしても、ナギには追い付けないのである。
(いや、それよりも……。父、千寿が絶対、敵に奪われてはいけないと言われていた勾玉、死反玉を、ナギに奪われてしまった)
一度、死んだものを再び蘇えさせることができるという死反玉。死反玉は、本当に一度、死んだものをこの世に、蘇えさせることができるのだろうか?
蒜壺一族の現当主、洪暫は、死反玉の使い方を、おそらく知っているだろう。
洪暫は、どのように死反玉を使うであろうか?
死んだものを死反玉を使ってこの世の戻すつもりなのだろうか?
死んで肉体が朽ち果てたものを、どうやって、この世に復活させるのか?
那美は、両手で顔を覆った。
医療休憩室の天井に設置されている、三つの円形上のLEDライトは、穏やかな光を演出していた。
穏やかな光は、傍らに置かれてある、聴診器、血圧計などの観察用器材や、人工呼吸器、自動式体外除細動器などの無機質な機器にもやわらかい温もりをあたえているかのようでもあった。
空調設備も行き届いている。排気口から排出されたプラズマイオンは、同時に排出された低濃度オゾンと結合して、空気中の浮遊ウイルスなどを効率的に除去している。森林浴を思わせる清浄な空気には、自律神経に作用し、精神の安定を保つ、テンペン類などの炭化水素化合物が混入されていた。
那美は、電動アシスト付きの医療用ベッドの上に腰かけていた。穏やかな光と、清浄な空気が、ベッドの上の那美と、那美の足元で眠っている呂騎を、優しく包み込む。
ひと時の安らかな空間がそこにあった。
度重なる戦いで疲れたのか、それとも、十種神宝のうち三つの神宝を、ナギに奪われた心労なのだろうか、那美は、まどろんだ。まどろみながら、夢を見た。夢の中での那美は十歳だった。
あの時、洪暫は、オババとともに、人里で暮らす幼い那美とナギを、極異界に連れ戻すため、喪間という熊の蒜壺を、使者として送りつけてきた。那美とナギは、オババによって禁じられていた能力を使って、喪間を、なんとか撃退することができたが、次の使者も、同じように撃退できるとは限らない。
洪暫は、屈強な力を持つ蒜壺で知られる熊の喪間を倒した那美とナギの力に、脅威を感じ、喪間以上の蒜壺を、那美とナギが、暮らすあばら家によこすだろう。
洪暫、いや蒜壺一族にとって、想像以上の力を持つ那美とナギは、恐れであり、もし、蒜壺側に取り込んでしまえば、一族に一筋の光明をもたらす希望かもしれない。
那美とナギを保護者オババも、また、蒜壺一族であったが、オババも那美、ナギ同様、蒜壺と人間の間に生まれた者であった。
それゆえ、那美たちと同じように、太陽の下でも普通に暮らせることができた。陽の光の下でも生きることができたから、人の中に混じり、生活してきた。
人と暮らし、人の情を知った。蒜壺一族ゆえに、人肉を食する宿命から逃れることはできないが、それでも人を愛する喜びを知った。
オババは、那美とナギにも、人を愛する喜び、人から愛される喜びを知ってほしかった。
喪間を葬った日から、数えて、十三日後、オババは、那美一人を連れて、オババしか知らない人里離れた洞窟に向かった。
「ねえ、なぜ、ナギは一緒じゃあないの?」
道中で、那美が、オババに聞いた。
「あやつは、自分の力を過信している」
「過信ってなあに?」
十歳の那美が、オババに質問する。
「確かな自信がないくせに、おのれが、一番強いと思うことじゃよ。強さに溺れる奴は、やがて優しさを忘れる。優しさを忘れた奴は、弱いもの見下すのじゃ」
「弱いものを、見下すの?」
「そうじゃ、まだまだ尻の青いガキのくせに、尊大にふるまうようになる。おのれが一番偉いと思い込み、人の心を平気で踏みにじる……。腹が減れば、うちに帰ってくるような未熟者のくせにな」
喪間を始末した後、残りの蒜壷のモノもたおしてヤルと、一時、あばら家から出て行ったナギだったが、空腹に耐えかねて、すぐに、あばら家に帰ってきた。黙々と飯をたいあげるナギを見て、オババと那美は、ひとまず安心した。
が、胸をなでおろしたのは、その晩だけだった。
翌日から、ナギは、異常ともいえる行動を行うようになった。
村人との交わりを避け、野や山を駆け巡り、おのれの体を苛め抜き、体を鍛え上げた。滝に打たれ座禅を組み、精神修行に明け暮れた。そして、陰で、人肉を食しているオババを軽蔑し、自分と同じような能力を持つ那美を、敵視するようになった。
この力があれば、蒜壺一族など恐れることはない。この力があれば、人の上に君臨できるではないか。
なのに、なぜ……。姉さんは、この力を誇示しないのだ。なぜ、この力を恐れる、人の感情などどうでもいいのではないのか?
那美と同様、幼いナギは、人前でおのれの超能力を使った時、恐怖のまなざしを向けられた時があった。姉である那美は、相手の心情を思いやり、反省したが、ナギは違った。ナギは、たとえようもない優越感を感じた。優越感は、人に対する下げ済みになり、ナギは次第に、人とは無能で愚かなものと思うようになっていった。
私は、選ばれた者。この地上さえも支配できる神のような存在……。
「人が、神になれるわけなかろう。まして、人と蒜壺の間に生まれたバケモノが、神をきどるだなんて……」
オババが、ため息交じりに言った。
鬱蒼とした森の中を、歩き回った那美とオババは、水しぶきをあげる大きな滝の前に立っていた。
「わしらが目指す洞窟は、この滝の中にある」
オババが指さした。
「おいで、こちらから……。水には濡れたくはないだろう」
オババは、藪をかき分けて、那美を洞窟の入り口に誘った。
入り口は、大人が一人、やっと通れるくらいの大きさだった。洞窟の中は、案外広く、二、三分歩くと、広さ十平メートルほどの広間に出た。オババは、持ってきた火打石を取り出して、洞窟のふちの部分に置かれてあったロウソクに火を点けた。ロウソクを手に取り、さらに奥に、那美を誘った。
しばらく歩くと、洞窟の中にも、小さな滝があった。滝の前に、高さ一メートルほどの円形の岩盤があり、岩盤の上は平らで水平だった。上に、若草色の香り袋が置かれてある。オババは、ロウソクを窪んだ個所に置き、若草色の香り袋を、手に取った。香り袋から勾玉を取り出し、それを那美に見せる。
「わっー きれいね」
那美は、無邪気に微笑んだ。
鴇色、空色、緋色、紅緑色、青藤色、白緑、紅梅色、藍鼠色、藤色、鳥子の色、それらの十の勾玉を、岩盤の上に置いたオババは、目をかっーと開いた。
「那美、これから話すことをよく聞いておいてくれ。おまえが、蒜壺と人を結ぶ、公方の光になるかもしれぬのでな」
「希望の光⁉ 人と蒜壺が、仲良くできるの?」
幼い那美にとって、喪間のような蒜壺が人と仲良くできるんどとは、思えなかった。
「蒜壺一族が、人を餌だと思っているうちは、それはかなわぬことだろう」
オババは、目を伏せた。
「ここにある十の勾玉は、お前の父、千寿が、鬼部(もものべ)一族から奪った十種神宝というものじゃ」
千寿は、那美とナギが、まだ嬰児の時に、弟である洪暫の手で命を絶たれてしまっていた。千寿が鬼部一族から十種神宝を奪ったのは、那美とナギが生まれる前のことだったという。
「千寿が、なぜ、地獄界に行き、鬼部一族から十種神宝を奪ったと思う?」
「なぜって……」
那美は、父のことを知らない。竜の蒜壺だったとオババから聞いてはいたが、想像もつかなかった。
「蒜壺一族には、ある言い伝えがあった。十種神宝には、蒜壺一族にかけられた呪い、人肉を食さなければ、気が狂ってしまうという忌まわしい呪いを解くといういい伝えが。だから、千寿は、二度と帰ってこれないかもしれないという危険を顧みずに、地獄界に行き、鬼部一族から十種神宝を奪ったのじゃ。だがな、那美。よくお聞き。千寿には、十種神宝の秘密を解くことができなかったのじゃ。それぞれの十種神宝の力は解くことができたが、どうしても蒜壺一族にかけられた呪いを解く方法を、発見できなかった……」
千寿は、人の娘を愛し、娘との間に、那美とナギの赤子を授かった。この双子の赤子のためにも、千寿は蒜壺一族にかけられた呪いを解こうとしたのだが……。
「千寿は、わしにこれを託した。那美とナギが十五の歳になったとき、十種神宝を与えよと」
オババは、鴇色の勾玉を宙に抛った。鴇色の勾玉は、宙で、八握剣というものなった。八握剣……。後年、那美が光破剣と呼んで使う剣である。
オババは、八握剣をとった。
「この剣は、己の中の怒り、憎しみ、妬みなどを浄化させ、その浄化の気で、敵を斬る剣じゃ」
オババは、八握剣を、そう説明した。
「怒りや、憎しみを浄化させるの?」
「そうじゃ。怒りや憎しみは、災いをもたらす。たとえ、それが邪悪なもの対しての正しい怒りでもな……」
オババ、そういうと、八握剣をもとの勾玉に戻した。緋色の勾玉を手に取り、それを宙に抛る。緋色の勾玉は、宙で生玉という十種神宝になった。オババは、両手でそれを抱えた。
「この十種神宝はな、生玉と言ってな……」
オババは、生玉を力を話したのち、品物比礼、足玉、奥津鏡、辺津鏡、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、死反玉と、次々と、その力を、那美に話していった。
「おまえの父はな、これらの十種神宝の中に、蒜壺一族にかけられた呪いを解く鍵があると思って、必死に十種神宝を調べ上げたんじゃがな……」
オババは、悲しそうな顔をした。
那美とナギの父、千寿は、十種神宝の謎をすべて解き明かす前に、弟、洪暫の手によって殺させてしまった。
「ねえ、オババ。昔、蒜壺のものは、昼間でも、動くことができたんでしょう」
那美が言った。蒜壺一族にかけられた呪いは、二つあった。蒜壺一族が、この世にあらわれたときにかけられた呪いと、千寿が、蒜壺一族にかけた呪い……。
那美は、千寿が、蒜壺一族にかけた呪いのことを、オババに尋ねたのである。
「なぜ、いまは、おひさまの下ではうごくことができないの?」
「蒜壺のものは、陽の光の下では、長くは活動できない。陽の光を浴び続けていると溶けて行ってしまう。おまえと、ナギを守るために、千寿が、死反玉を使い、一族のものに、その呪いをかけたのじゃ」
「死反玉は、呪いをかける道具なの? じゃあ、呪いをかけることができるなら、呪いを解くこともできるのじゃない? 死反玉を使って、蒜壺にかけられた、もう一つの呪い、人を食べる呪いを解くことはできないの?」
「千寿は……。千寿は、死反玉を使っていろいろ試してみた……。けれど、死反玉には、人肉を食さなければ、気が狂うという蒜壺一族にかけられた呪いを解く力はなかった」
オババは言う。
「那美、くれぐれも言っておくが、死反玉を使うときには、気をつけてつかってくれ。いいや、できれば、使うな。ひとつ間違えれば、大変なことになる」
オババは、空色の勾玉を掌に乗せた。那美は、宝石のような輝きを放つ、それをしばらく見つめた。
「十種神宝のすべての謎が解ける時、神が蒜壺一族にかけたすべての呪いは消滅するのじゃ。お前の父、千寿は、解くことはできなかったが、おまえなら解くことができるかもしれん。人と蒜壺の間に生まれたおまえなら……」
「オババ……」
オババの話は続く。
「おまえと、ナギが十五の歳になるまで、おまえたちの父、千寿に、那美とナギに、この十種神宝を授けてはいけないと戒められてきたのじゃがなあ……洪暫は、おまえらの力に気づいてしもうた。もう一刻の猶予ならぬ」
オババは、那美の瞳を見つめた。那美は、オババを見つめ返す。
那美の瞳は漆黒だった。漆黒の闇の中にキラキラと、宝石のような光が宿る那美の瞳は、たとえよもない美しさだった。
「ほんに、おまえはいい目をしているのう。一点の曇りもない純粋な輝きを持つ目じゃ」
オババは、台座に置いてある十種神宝に手を置いた。
「おまえたちは、力自慢の熊の蒜壺を、その手で、葬り去った。喪間を倒したことで、洪暫は、おまえたちが途方もない力を持っていると知ってしもうた。じゃがな、まだ洪暫は、十種神宝のことは知らぬ……。いずれ、気づくと思うが、十種神宝の秘密を知ったところで、あやつに、神が蒜壺一族にかけた呪いを解くことなどできぬ」
「なぜ、叔父上には呪いをとくことができないの?」
那美が聞いた。
「おまえの父、千寿が、命がけで解こうとして解けなかった呪いが、私利私欲の塊のような男、洪暫に、なんで解けようか?」
洪暫は、蒜壺一族の頭目の座を奪うために、兄である千寿を、その手で殺した男である。おのれの欲のために肉親でさえ、その手にかけた。そんな男が、なにゆえ、神が蒜壺一族にかけた呪いを解くことができようか。
「那美、十種神宝の秘密がすべて解けるまで、十種神宝を使い、蒜壺一族から自分の身を守るのじゃ」
「えっ? これは、身を守る道具なの?」
「本当のところは、分からぬ……。十種神宝が、何のために生み出されたのか、誰がこのようなものを作ったのか? 本当のことは、わしにも分からぬ。じゃがな、いまは、この十種神宝が、おまえたちを守ってくれるだろう」
幼い那美にとって、目の前に置かれた十種神宝が、どのような価値を持つものか、知る術はない。ただ、この十種神宝には、途方もない秘密が隠されていることだけは理解できた。
「これがどんなものかよくわからないけれど……。あたい、これを使って、自分と……みんなのことを守るわ」
「みんなとは?」
「村の人たち」
「そうか、そうするがよい。蒜壺のものは、おまえとナギをさらうために、再び、村にやってくるだろう。その度に村の人々が犠牲になるかもしれぬのでのう。村の人たちを犠牲にしてはならぬ。村の人たちを、その十種神宝を使って守るのじゃ」
「うん。あたい……。村の人たちを守るし、父上が解けなかった十種神宝の秘密を、必ず解いて見せるわ」
「そうか……」
オババは、安堵のため息をついた。
この十年……。十年の間、オババと那美、ナギの周辺には、いつも蒜壺一族の影があった。蒜壺の者は、那美たちの監視を続け、那美たちをさらう機会をうかがっていた。
オババは、蒜壺一族の現当主である洪暫に、十種神宝の秘密を、気づかれるかもしれぬという恐怖を抱えながら、那美とナギの双子の兄弟を、ここまで無事に育ててきたのであった。
那美の、まどろみは、医療休息室に流れたアナウンスの声によって、遮られた。
アナウンスは、那美と呂騎を呼ぶものだった。
「那美さん、呂騎くん。充分、身体を休ませることができただろう。そちらに迎えの者をよこすので、その者についてこちらに来てくれたまえ」
その声は、五十嵐参謀のものだった。
五十嵐参謀は、蒜壺一族と戦い続けてきた那美に多大な関心を寄せていた。五十嵐参謀が、組織AHOの本部がある警察庁の地下五階から、この小笠原諸島の中にあるN島に、わざわざ赴いたのも、蒜壺一族とともに、那美が現れるかもしれないと思ったからであった。
《那美さま……。会議とやらに参加するのですか?》
那美の足元で、呂騎が那美に尋ねた。
「ええっ」
那美が、短く答える。
《人と、一定の距離をおいていた那美さまが、なぜ、いまさら、人との交わりを持つのか、私にはわかりません……。また、あの時のような悲劇が……》
かつて、那美と呂騎は、人と協力して、蒜壺一族と戦ったことがあった。那美と人間たちは協力し合い、蒜壺一族と戦ったが、人間たちは、蒜壺一族に殲滅され、那美と呂騎には深い悲しみだけが残ったのであった。
「呂騎、そんなことを言っている場合じゃあないのよ。事態は切羽詰まっているといってもいいわ」
十種神宝の内、三つの神宝を奪われた今、過去の悲劇を嘆いて、立ち止まっていてはいけない。過去の悲劇を乗り越え、未来に向かう勇気が必要なのだ。
《人を……、今一度、人を信じてみようというのですか?》
と、呂騎が言う。
前回、人と協力して戦った時、人間たちの中に裏切り者がいた。裏切り者のせいで、人間たちが殲滅したと言ってもよかった。
「呂騎、あんたはどうなの? 人を信じないの?」
《私は……》
古の昔、犬神さまとして人に崇められたことのある餌非一派の一人として呂騎は、人間を愛していた。平気で人を裏切る人間もいれば、おのれを犠牲にして他者を救う人間もいる。そして、呂騎は後者の人間の暖かさを信じていた。
「あなたは、人を信じているでしょう。信じているからこそ、私と一緒に、戦い続けているんでしょう」
那美は、呂騎の瞳を覗き見た。
《……私は人を信じています。人が持つ優しさを信じています》
「だったら、迷うことはないわ」
那美が力強く言う。
「たとえ、どんな未来が待っていようとも、私たちは進むしかないの」
《はい》
呂騎は、立ち上がった。
「那美さん、呂騎さん、向かいに参りました。準備はよろしいでしょうか?」
来意を告げる声がインターホーンから聞こえた。
那美は、部屋のロックを外した。
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東京から、南南東に一千キロ。太平洋上にある三十余りの島からなる小笠原諸島は、ほとんどが無人島である。人々が居住している島は、父島、母島、硫黄島、南鳥島、に限られ、そのうち民間人が住む島は、父島、母島だけである。硫黄島、南鳥島には自衛隊などの公務員が居住しているという。
小笠原諸島に点在する島のひとつであるN島には、組織AHOの研究施設があり、組織AHOの科学者たちや、戦闘部門の人員が常時駐在しているが、公には人跡未踏の無人島として認識されている。
ここに組織AHOの研究施設があるというデーターは、一部の人間だけが閲覧でき、ここで何が研究され、ここで何がおこなわれているか、知るものは数少ないのである。
那美と呂騎は、超絶サイキッカーであるナギとの戦いの後、組織AHO研究施設の医療休憩室で休んでいた。
休憩室の窓から垣間見るN島の風景は、大自然のやさしさにあふれている。大地の息吹が、ここからでも感じられる。
数時間前の、あの熾烈な戦闘を癒すかのように、さわやかな風が吹いていた。
《那美さま……。私がいたらぬせいで、ナギに……》
呂騎は、ナギに十種神宝のうち三つの十種神宝、奥津鏡、道反玉、死反玉を奪われたことを悔やんでいた。
《あのとき、那美さまが、品物比礼を身に着けていれば、ナギの衝撃破などかわせたものを……》
那美は、呂騎に十種神宝のうち、すべての邪を払うといわれる品物比礼を呂騎に貸し与えていた。あの激しい戦闘の中で、呂騎が大怪我を負わなかったのは、品物比礼のおかげであるといえるだろう。
「自分を責めないで……。たとえ、私が品物比礼を持っていたとしても、ナギの衝撃破はかわせなかったと思うわ」
那美は、人に化身したままの姿で逝きたいと願った琥耶姫の最後の言葉を受け取り、琥耶姫を葬った。その一瞬の
隙をつかれ、ナギの衝撃破をくらったのだった。
《那美さま……。あの時、なぜ、琥耶姫は自分を犠牲にしてまで、ナギを助けたのでしょうね?》
呂騎が言う。
醜い争いを好み、時には、人間のように相手をだます蒜壺一族。相手を心から思いやるような愛情などは、皆無。憎悪と闘争本能だけが蒜壷一族の精神を支配している。その蒜壺一族の一人、琥耶姫が、なにゆえに身を挺してまで、ナギを守ったのだろうか。
「呂騎は、琥耶姫が、なぜ、ナギを助けたと思うの?」
《私には……》
呂騎は、視線を下に落とした。
「私は……私は、琥耶姫の気持ちがわかるような気がするわ」
那美が、呂騎の頭を撫でた。
「琥耶姫はねえ。人間に憧れていたのよ」
《蒜壺の者が、人に憧れたのですか? 蒜壺の者にとって、人とは餌に過ぎないはず》
「蒜壺一族な中でも穏健派である餌非一派のあなたも、人は蒜壺の餌に過ぎないと思っているの?」
《めっそうな……。私は、人を餌だなんて、一度だって思ったことはありません。しかし……》
蒜壺一族は、人肉を食べなければ、八日後には狂って死んでしまうという。その呪いの習性のために餌非一派も、人肉を食しなければならなかった。
餌非一派である呂騎でも、それは変わることはない。が、那美のおかげで、人肉を食しなくても生きることができた。
「琥耶姫は、人間に化身できる化瑠魂を途方もない歳月をかけて作ったのよ。少しの間だけれども、人間と同じ姿になれる化瑠魂をね」
那美は、琥耶姫の最後の言葉を、心の中で反芻した。
きれいなままで死にたい……。トカゲ顔の醜い姿で死にとうない。
蒜壺一族でありながら、人間体の姿であった琥耶姫の父と母。
いつまでも若々しく、美しい父と母は、琥耶姫の憧れだった。
琥耶姫は、いつもトカゲ顔の薄い唇をかみしめて、呻吟していた。
なぜ、わらわはこんなにも醜いのじゃ。なぜ、母と父のように美しい姿じゃないのじゃ。人は……。人は美しいのう……。わらわも、あんな姿になりたい……。女で生まれたからには、きれいになりたい。
琥耶姫の、憧れは、那美と同じ容姿を持つナギに向けられてもおかしくはなかった。那美と同様に美しいその姿は、琥耶姫の心を揺さぶった。
(琥耶姫……。もし、生まれ変われることができるのなら、人として生まれてきて……女として、もう一度)
那美のまつげが揺れた。
呂騎が言う。
《神は、なぜ、蒜壺一族に人肉を食さなければ、八日後には気がくるって死んでしまうという業を与えたんでしょうね。それさなければ、蒜壺一族と人は、仲良くやっていけたかもしれないのに……》
那美は、呂騎の言葉に無言で答えた。
人と蒜壺一族の間に生まれた那美は、人の里で暮らしたこともあって、人の優しさも知っていたが、人の愚かさ、醜さも知っている。時として、蒜壺一族以上の残虐さをみせる人と、強さを競い、争いを好む蒜壺一族は、はたして仲良くやっていけるのだろうか?
「呂騎、そこに横になって」
那美が、呂騎に休むように促した。
《生玉の御業を使うのですか?》
呂騎が言う。
「ええっ、そろそろやっておかないと……」
那美は、呂騎から頭のプロテクターと胴のプロテクターを外してやった。懐から生玉の勾玉を取り出す。
呂騎も、また蒜壺一族である。生玉の力を借りなければ、人肉を食する恐怖からは逃れられない。生玉の力によって、呂騎は人肉を食しなくても、狂うことなく生きてゆけるのだ。
「慈愛の御業をいまここに」
緋色の勾玉が七色に輝きだす。呂騎は七色の光に身をゆだねた。呂騎の体毛が金色になった。心臓音が高鳴り、呂騎は苦しそうにぜいぜいとあえいだ。が、苦しそうにしたのはほんの一時だった。生玉の七色の光に優しく包み込まれた呂騎は、静かに目を閉じ、安らかな寝息をたてたのだった。
眠る呂騎の傍らで、那美は、ナギとの戦いを振り返っていた。
光双剣や、衝撃破、テレキネシスで、那美を苦しめたナギ。ナギは、那美もまた瞬間移動を駆使できると思ったようだった。が、那美には瞬間移動などという能力はない。敵の居場所突き止める奥津鏡と、吹きすさぶ風のように移動できる足玉の力を最大にして、ナギの瞬間移動先を突き止め、瞬時に移動したのであった。
(奥津鏡を、ナギに奪われたしまったいま……)
那美に不安の波が襲い掛かる。
足玉は、手元にあるが、奥津鏡は敵におちた。光速に移動はできるが、瞬時に敵の居場所を突き止めることはできない。敵の移動先を突き止める奥津鏡がなけりゃあ、足玉の力を最大限にしても、ナギには追い付けないのである。
(いや、それよりも……。父、千寿が絶対、敵に奪われてはいけないと言われていた勾玉、死反玉を、ナギに奪われてしまった)
一度、死んだものを再び蘇えさせることができるという死反玉。死反玉は、本当に一度、死んだものをこの世に、蘇えさせることができるのだろうか?
蒜壺一族の現当主、洪暫は、死反玉の使い方を、おそらく知っているだろう。
洪暫は、どのように死反玉を使うであろうか?
死んだものを死反玉を使ってこの世の戻すつもりなのだろうか?
死んで肉体が朽ち果てたものを、どうやって、この世に復活させるのか?
那美は、両手で顔を覆った。
医療休憩室の天井に設置されている、三つの円形上のLEDライトは、穏やかな光を演出していた。
穏やかな光は、傍らに置かれてある、聴診器、血圧計などの観察用器材や、人工呼吸器、自動式体外除細動器などの無機質な機器にもやわらかい温もりをあたえているかのようでもあった。
空調設備も行き届いている。排気口から排出されたプラズマイオンは、同時に排出された低濃度オゾンと結合して、空気中の浮遊ウイルスなどを効率的に除去している。森林浴を思わせる清浄な空気には、自律神経に作用し、精神の安定を保つ、テンペン類などの炭化水素化合物が混入されていた。
那美は、電動アシスト付きの医療用ベッドの上に腰かけていた。穏やかな光と、清浄な空気が、ベッドの上の那美と、那美の足元で眠っている呂騎を、優しく包み込む。
ひと時の安らかな空間がそこにあった。
度重なる戦いで疲れたのか、それとも、十種神宝のうち三つの神宝を、ナギに奪われた心労なのだろうか、那美は、まどろんだ。まどろみながら、夢を見た。夢の中での那美は十歳だった。
あの時、洪暫は、オババとともに、人里で暮らす幼い那美とナギを、極異界に連れ戻すため、喪間という熊の蒜壺を、使者として送りつけてきた。那美とナギは、オババによって禁じられていた能力を使って、喪間を、なんとか撃退することができたが、次の使者も、同じように撃退できるとは限らない。
洪暫は、屈強な力を持つ蒜壺で知られる熊の喪間を倒した那美とナギの力に、脅威を感じ、喪間以上の蒜壺を、那美とナギが、暮らすあばら家によこすだろう。
洪暫、いや蒜壺一族にとって、想像以上の力を持つ那美とナギは、恐れであり、もし、蒜壺側に取り込んでしまえば、一族に一筋の光明をもたらす希望かもしれない。
那美とナギを保護者オババも、また、蒜壺一族であったが、オババも那美、ナギ同様、蒜壺と人間の間に生まれた者であった。
それゆえ、那美たちと同じように、太陽の下でも普通に暮らせることができた。陽の光の下でも生きることができたから、人の中に混じり、生活してきた。
人と暮らし、人の情を知った。蒜壺一族ゆえに、人肉を食する宿命から逃れることはできないが、それでも人を愛する喜びを知った。
オババは、那美とナギにも、人を愛する喜び、人から愛される喜びを知ってほしかった。
喪間を葬った日から、数えて、十三日後、オババは、那美一人を連れて、オババしか知らない人里離れた洞窟に向かった。
「ねえ、なぜ、ナギは一緒じゃあないの?」
道中で、那美が、オババに聞いた。
「あやつは、自分の力を過信している」
「過信ってなあに?」
十歳の那美が、オババに質問する。
「確かな自信がないくせに、おのれが、一番強いと思うことじゃよ。強さに溺れる奴は、やがて優しさを忘れる。優しさを忘れた奴は、弱いもの見下すのじゃ」
「弱いものを、見下すの?」
「そうじゃ、まだまだ尻の青いガキのくせに、尊大にふるまうようになる。おのれが一番偉いと思い込み、人の心を平気で踏みにじる……。腹が減れば、うちに帰ってくるような未熟者のくせにな」
喪間を始末した後、残りの蒜壷のモノもたおしてヤルと、一時、あばら家から出て行ったナギだったが、空腹に耐えかねて、すぐに、あばら家に帰ってきた。黙々と飯をたいあげるナギを見て、オババと那美は、ひとまず安心した。
が、胸をなでおろしたのは、その晩だけだった。
翌日から、ナギは、異常ともいえる行動を行うようになった。
村人との交わりを避け、野や山を駆け巡り、おのれの体を苛め抜き、体を鍛え上げた。滝に打たれ座禅を組み、精神修行に明け暮れた。そして、陰で、人肉を食しているオババを軽蔑し、自分と同じような能力を持つ那美を、敵視するようになった。
この力があれば、蒜壺一族など恐れることはない。この力があれば、人の上に君臨できるではないか。
なのに、なぜ……。姉さんは、この力を誇示しないのだ。なぜ、この力を恐れる、人の感情などどうでもいいのではないのか?
那美と同様、幼いナギは、人前でおのれの超能力を使った時、恐怖のまなざしを向けられた時があった。姉である那美は、相手の心情を思いやり、反省したが、ナギは違った。ナギは、たとえようもない優越感を感じた。優越感は、人に対する下げ済みになり、ナギは次第に、人とは無能で愚かなものと思うようになっていった。
私は、選ばれた者。この地上さえも支配できる神のような存在……。
「人が、神になれるわけなかろう。まして、人と蒜壺の間に生まれたバケモノが、神をきどるだなんて……」
オババが、ため息交じりに言った。
鬱蒼とした森の中を、歩き回った那美とオババは、水しぶきをあげる大きな滝の前に立っていた。
「わしらが目指す洞窟は、この滝の中にある」
オババが指さした。
「おいで、こちらから……。水には濡れたくはないだろう」
オババは、藪をかき分けて、那美を洞窟の入り口に誘った。
入り口は、大人が一人、やっと通れるくらいの大きさだった。洞窟の中は、案外広く、二、三分歩くと、広さ十平メートルほどの広間に出た。オババは、持ってきた火打石を取り出して、洞窟のふちの部分に置かれてあったロウソクに火を点けた。ロウソクを手に取り、さらに奥に、那美を誘った。
しばらく歩くと、洞窟の中にも、小さな滝があった。滝の前に、高さ一メートルほどの円形の岩盤があり、岩盤の上は平らで水平だった。上に、若草色の香り袋が置かれてある。オババは、ロウソクを窪んだ個所に置き、若草色の香り袋を、手に取った。香り袋から勾玉を取り出し、それを那美に見せる。
「わっー きれいね」
那美は、無邪気に微笑んだ。
鴇色、空色、緋色、紅緑色、青藤色、白緑、紅梅色、藍鼠色、藤色、鳥子の色、それらの十の勾玉を、岩盤の上に置いたオババは、目をかっーと開いた。
「那美、これから話すことをよく聞いておいてくれ。おまえが、蒜壺と人を結ぶ、公方の光になるかもしれぬのでな」
「希望の光⁉ 人と蒜壺が、仲良くできるの?」
幼い那美にとって、喪間のような蒜壺が人と仲良くできるんどとは、思えなかった。
「蒜壺一族が、人を餌だと思っているうちは、それはかなわぬことだろう」
オババは、目を伏せた。
「ここにある十の勾玉は、お前の父、千寿が、鬼部(もものべ)一族から奪った十種神宝というものじゃ」
千寿は、那美とナギが、まだ嬰児の時に、弟である洪暫の手で命を絶たれてしまっていた。千寿が鬼部一族から十種神宝を奪ったのは、那美とナギが生まれる前のことだったという。
「千寿が、なぜ、地獄界に行き、鬼部一族から十種神宝を奪ったと思う?」
「なぜって……」
那美は、父のことを知らない。竜の蒜壺だったとオババから聞いてはいたが、想像もつかなかった。
「蒜壺一族には、ある言い伝えがあった。十種神宝には、蒜壺一族にかけられた呪い、人肉を食さなければ、気が狂ってしまうという忌まわしい呪いを解くといういい伝えが。だから、千寿は、二度と帰ってこれないかもしれないという危険を顧みずに、地獄界に行き、鬼部一族から十種神宝を奪ったのじゃ。だがな、那美。よくお聞き。千寿には、十種神宝の秘密を解くことができなかったのじゃ。それぞれの十種神宝の力は解くことができたが、どうしても蒜壺一族にかけられた呪いを解く方法を、発見できなかった……」
千寿は、人の娘を愛し、娘との間に、那美とナギの赤子を授かった。この双子の赤子のためにも、千寿は蒜壺一族にかけられた呪いを解こうとしたのだが……。
「千寿は、わしにこれを託した。那美とナギが十五の歳になったとき、十種神宝を与えよと」
オババは、鴇色の勾玉を宙に抛った。鴇色の勾玉は、宙で、八握剣というものなった。八握剣……。後年、那美が光破剣と呼んで使う剣である。
オババは、八握剣をとった。
「この剣は、己の中の怒り、憎しみ、妬みなどを浄化させ、その浄化の気で、敵を斬る剣じゃ」
オババは、八握剣を、そう説明した。
「怒りや、憎しみを浄化させるの?」
「そうじゃ。怒りや憎しみは、災いをもたらす。たとえ、それが邪悪なもの対しての正しい怒りでもな……」
オババ、そういうと、八握剣をもとの勾玉に戻した。緋色の勾玉を手に取り、それを宙に抛る。緋色の勾玉は、宙で生玉という十種神宝になった。オババは、両手でそれを抱えた。
「この十種神宝はな、生玉と言ってな……」
オババは、生玉を力を話したのち、品物比礼、足玉、奥津鏡、辺津鏡、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、死反玉と、次々と、その力を、那美に話していった。
「おまえの父はな、これらの十種神宝の中に、蒜壺一族にかけられた呪いを解く鍵があると思って、必死に十種神宝を調べ上げたんじゃがな……」
オババは、悲しそうな顔をした。
那美とナギの父、千寿は、十種神宝の謎をすべて解き明かす前に、弟、洪暫の手によって殺させてしまった。
「ねえ、オババ。昔、蒜壺のものは、昼間でも、動くことができたんでしょう」
那美が言った。蒜壺一族にかけられた呪いは、二つあった。蒜壺一族が、この世にあらわれたときにかけられた呪いと、千寿が、蒜壺一族にかけた呪い……。
那美は、千寿が、蒜壺一族にかけた呪いのことを、オババに尋ねたのである。
「なぜ、いまは、おひさまの下ではうごくことができないの?」
「蒜壺のものは、陽の光の下では、長くは活動できない。陽の光を浴び続けていると溶けて行ってしまう。おまえと、ナギを守るために、千寿が、死反玉を使い、一族のものに、その呪いをかけたのじゃ」
「死反玉は、呪いをかける道具なの? じゃあ、呪いをかけることができるなら、呪いを解くこともできるのじゃない? 死反玉を使って、蒜壺にかけられた、もう一つの呪い、人を食べる呪いを解くことはできないの?」
「千寿は……。千寿は、死反玉を使っていろいろ試してみた……。けれど、死反玉には、人肉を食さなければ、気が狂うという蒜壺一族にかけられた呪いを解く力はなかった」
オババは言う。
「那美、くれぐれも言っておくが、死反玉を使うときには、気をつけてつかってくれ。いいや、できれば、使うな。ひとつ間違えれば、大変なことになる」
オババは、空色の勾玉を掌に乗せた。那美は、宝石のような輝きを放つ、それをしばらく見つめた。
「十種神宝のすべての謎が解ける時、神が蒜壺一族にかけたすべての呪いは消滅するのじゃ。お前の父、千寿は、解くことはできなかったが、おまえなら解くことができるかもしれん。人と蒜壺の間に生まれたおまえなら……」
「オババ……」
オババの話は続く。
「おまえと、ナギが十五の歳になるまで、おまえたちの父、千寿に、那美とナギに、この十種神宝を授けてはいけないと戒められてきたのじゃがなあ……洪暫は、おまえらの力に気づいてしもうた。もう一刻の猶予ならぬ」
オババは、那美の瞳を見つめた。那美は、オババを見つめ返す。
那美の瞳は漆黒だった。漆黒の闇の中にキラキラと、宝石のような光が宿る那美の瞳は、たとえよもない美しさだった。
「ほんに、おまえはいい目をしているのう。一点の曇りもない純粋な輝きを持つ目じゃ」
オババは、台座に置いてある十種神宝に手を置いた。
「おまえたちは、力自慢の熊の蒜壺を、その手で、葬り去った。喪間を倒したことで、洪暫は、おまえたちが途方もない力を持っていると知ってしもうた。じゃがな、まだ洪暫は、十種神宝のことは知らぬ……。いずれ、気づくと思うが、十種神宝の秘密を知ったところで、あやつに、神が蒜壺一族にかけた呪いを解くことなどできぬ」
「なぜ、叔父上には呪いをとくことができないの?」
那美が聞いた。
「おまえの父、千寿が、命がけで解こうとして解けなかった呪いが、私利私欲の塊のような男、洪暫に、なんで解けようか?」
洪暫は、蒜壺一族の頭目の座を奪うために、兄である千寿を、その手で殺した男である。おのれの欲のために肉親でさえ、その手にかけた。そんな男が、なにゆえ、神が蒜壺一族にかけた呪いを解くことができようか。
「那美、十種神宝の秘密がすべて解けるまで、十種神宝を使い、蒜壺一族から自分の身を守るのじゃ」
「えっ? これは、身を守る道具なの?」
「本当のところは、分からぬ……。十種神宝が、何のために生み出されたのか、誰がこのようなものを作ったのか? 本当のことは、わしにも分からぬ。じゃがな、いまは、この十種神宝が、おまえたちを守ってくれるだろう」
幼い那美にとって、目の前に置かれた十種神宝が、どのような価値を持つものか、知る術はない。ただ、この十種神宝には、途方もない秘密が隠されていることだけは理解できた。
「これがどんなものかよくわからないけれど……。あたい、これを使って、自分と……みんなのことを守るわ」
「みんなとは?」
「村の人たち」
「そうか、そうするがよい。蒜壺のものは、おまえとナギをさらうために、再び、村にやってくるだろう。その度に村の人々が犠牲になるかもしれぬのでのう。村の人たちを犠牲にしてはならぬ。村の人たちを、その十種神宝を使って守るのじゃ」
「うん。あたい……。村の人たちを守るし、父上が解けなかった十種神宝の秘密を、必ず解いて見せるわ」
「そうか……」
オババは、安堵のため息をついた。
この十年……。十年の間、オババと那美、ナギの周辺には、いつも蒜壺一族の影があった。蒜壺の者は、那美たちの監視を続け、那美たちをさらう機会をうかがっていた。
オババは、蒜壺一族の現当主である洪暫に、十種神宝の秘密を、気づかれるかもしれぬという恐怖を抱えながら、那美とナギの双子の兄弟を、ここまで無事に育ててきたのであった。
那美の、まどろみは、医療休息室に流れたアナウンスの声によって、遮られた。
アナウンスは、那美と呂騎を呼ぶものだった。
「那美さん、呂騎くん。充分、身体を休ませることができただろう。そちらに迎えの者をよこすので、その者についてこちらに来てくれたまえ」
その声は、五十嵐参謀のものだった。
五十嵐参謀は、蒜壺一族と戦い続けてきた那美に多大な関心を寄せていた。五十嵐参謀が、組織AHOの本部がある警察庁の地下五階から、この小笠原諸島の中にあるN島に、わざわざ赴いたのも、蒜壺一族とともに、那美が現れるかもしれないと思ったからであった。
《那美さま……。会議とやらに参加するのですか?》
那美の足元で、呂騎が那美に尋ねた。
「ええっ」
那美が、短く答える。
《人と、一定の距離をおいていた那美さまが、なぜ、いまさら、人との交わりを持つのか、私にはわかりません……。また、あの時のような悲劇が……》
かつて、那美と呂騎は、人と協力して、蒜壺一族と戦ったことがあった。那美と人間たちは協力し合い、蒜壺一族と戦ったが、人間たちは、蒜壺一族に殲滅され、那美と呂騎には深い悲しみだけが残ったのであった。
「呂騎、そんなことを言っている場合じゃあないのよ。事態は切羽詰まっているといってもいいわ」
十種神宝の内、三つの神宝を奪われた今、過去の悲劇を嘆いて、立ち止まっていてはいけない。過去の悲劇を乗り越え、未来に向かう勇気が必要なのだ。
《人を……、今一度、人を信じてみようというのですか?》
と、呂騎が言う。
前回、人と協力して戦った時、人間たちの中に裏切り者がいた。裏切り者のせいで、人間たちが殲滅したと言ってもよかった。
「呂騎、あんたはどうなの? 人を信じないの?」
《私は……》
古の昔、犬神さまとして人に崇められたことのある餌非一派の一人として呂騎は、人間を愛していた。平気で人を裏切る人間もいれば、おのれを犠牲にして他者を救う人間もいる。そして、呂騎は後者の人間の暖かさを信じていた。
「あなたは、人を信じているでしょう。信じているからこそ、私と一緒に、戦い続けているんでしょう」
那美は、呂騎の瞳を覗き見た。
《……私は人を信じています。人が持つ優しさを信じています》
「だったら、迷うことはないわ」
那美が力強く言う。
「たとえ、どんな未来が待っていようとも、私たちは進むしかないの」
《はい》
呂騎は、立ち上がった。
「那美さん、呂騎さん、向かいに参りました。準備はよろしいでしょうか?」
来意を告げる声がインターホーンから聞こえた。
那美は、部屋のロックを外した。
0
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