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第一章 豊穣祭

第二節 烈火

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 赤茶色を基調とした石造りの街並は、長閑な地方都市の風情を醸していた。と言っても、ひなびた農村暮らしの兄妹にとっては、これでも十分都会の内に入る。街の入り口の石段を駆け上がればそこには、行き交う人々の明々とした日常があった。
「ここはいつ来ても賑やかだね!」
「そうだね。……でも」
 少し賑やか過ぎるような――そう思い視線を巡らせて、リュヌははたと足を止めた。街の中心に位置する噴水広場に、人集りができている。耳を澄ませば風に乗って、絹のような歌声が聴こえてきた。
「誰か、歌ってる?」
 歩み進めるに連れて、明確な形を成して行く音。柔らかな声音を始めは女のものかと思ったが、聞き入れば深く響くそれは、どうやら男の声らしい。合間合間に零れる竪琴は手鞠のように弾みながら、滑らかな歌に彩を添える。

 嗚呼、ノルテの白き月
 冬の夜を照らしながら
 貴方は微笑う、貴方の民に
 その瞳で、その剣で
 美しきは白の月、その名は――。

 詩の続きは、風の鳴き声に掻き消された。一音、弾んだ音を最後に歌声が止み、歓声と拍手が取って代わる。背の低いソレイユのために人混みを避けて段差に上がると、広場の中心に竪琴を抱えた優男の姿が見えた。
「詩人さんかな? すごい、綺麗な声だったね!」
 珍しく興奮した様子で、ソレイユは言った。普段の生活といえば家事と兄の面倒とに終始している彼女が、子供らしい興味を示すのは喜ばしいことだと思う。そうだねと笑って、リュヌは妹の手を引いた。程なくして再び流れ出した歌声を背に、下る道の先にはいくつかの商店が軒を連ねている。
「私もあんな風に歌えるようになりたいなぁ」
 繋いだ手を振りながら、ソレイユが言った。綺麗な声をしているから――兄の欲目は抜きにしても――ちゃんと勉強をすればそれなりにものになるかもしれない。しかし現実的には難しいだろうと、少年は空を仰いだ。
 日常はそう簡単には変わらない。昨日までがそうであったように、今日も、明日もその先も、二人はあの村で生きていくのだから。

 ◇

 目的の薬屋は簡単に見つかった。エーレルに比べれば都会というだけで、広い目で見れば田舎町だ。薬を扱っている店など何軒もない。指定の薬を受け取ると、兄妹は早々に帰路に着いた。
「もうお祭始まっちゃってるかもしれないね」
 懸命に足を運びながら、ソレイユが言った。夜の森には危険も多い。日の沈みきる前に森を抜けるには、少々急がなければならなかった。
「ご飯、私達の分まで残ってるかなぁ」
「さすがに大丈夫なんじゃない?」
 心配し過ぎだよと笑って、リュヌは妹の隣に並んだ。
 途中で準備を抜け出したから、ひょっとしたらコレットは怒っているかもしれない。祭にはルネも顔を出すのだろうか? 考え始めれば取り留めもなく、馴染みのある顔が脳裏に浮かんでは消えていく。
 森の出口に差し掛かった所で、ソレイユが声を上げた。
「ああっ、やっぱり! もうお祭始まっちゃってるよ……」
 森を出れば、エーレルまでの距離はもういくらもない。麦畑の向こうには、明々と燃える祭の灯に照らされて、集落が黒い影となり浮かび上がっている。
 しかし、何かが奇妙だった。
「……なんだか、明る過ぎない?」
 額に手をかざして、リュヌは眉をひそめた。たかだか村の豊穣祭だ。いくら篝火を焚いたからと言って、遠目にそこまで明るく見えるものでもない。
 ならば、あの灯りはなんなのか。どちらからとなく顔を見合わせて、兄妹は声を詰まらせた。そうでなければいいと思った考えに、相手もまた到達していることを悟ったからだ。
「村が……」
 燃えている。
 紅い焔が家屋を包み、舞い上がる黒い煤と煙が宵の星天を焦がして行く。しかし呆然と立ち尽くしたのも束の間、弾かれたようにソレイユは言った。
「大変……! お兄ちゃん、急ごう!」
 異論があるはずもなかった。はびこる草に足を取られそうになりながら、兄妹は駆ける。只管に駆ける。しかし必死になって辿り着いた村の入り口で二人を待ち受けていたものは、想像を遥かに超えて無残な光景だった。
「うそ……!?」
 そう発するだけで、やっとだった。まるで喉が焼けついたように、声が出なかった。立ち尽くす二人の視界を赤に染めるのは、焔の紅だけではない。そこら中に飛び散り、溢れだした血液の赤だ。倒れている死体の顔はどれも知ったものばかりで、吐き気と涙が反射的に込み上げてくる。
 何が起きた?
 問えど適切な答えが見つからない。火の不始末で起きた火事なら、このような惨状にはならないだろう。血を流して倒れた人々は、何者かによって斬殺されたのだ。
 では――誰が?
「そうだ……コレットお姉ちゃんは!?」
「! ダメだ、ソレイユ!」
 村人を手に掛けた何者かが、まだ中にいるかもしれない。しかし姉同然に慕う少女を案ずる妹の耳に、リュヌの叫びは届いていないらしかった。爆ぜる火花の舞い散る中で、小さな背中が遠ざかっていく。
 ダメだって言ってるのに――届かないと悟った瞬間、釘を打たれたように地面に張り付いていた足が動いた。漂う臭気は木造家屋の焦げる臭いに血腥さが入り混じり、不快なことこの上ない。しかしそれすらも、気にしている余裕はなかった。連れ戻さなければ、その一心で燃える家屋の間を抜けて行くと、やがて道の先が開けた。
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