ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -

浅海

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第二章 剣を求めて

第五節 始まり

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「何よ、人がせっかく苦労して、衛兵さんを引っ張って来たのに……」
 事の顛末を説明すると、コレットはそう言って唇を尖らせた。無事だったのだからいいだろうと宥めると、それはそうだけどと続く。
「でも、助けてくれてありがと! あたしはコレット。エーレルの村から来たの」
「俺はフォルテュナ。こっちはベル。皇国軍第一師団に所属してる」
 宜しく、と笑って、フォルテュナは手を差し出した。おずおずと手を重ねれば、固く握り返される。
「お前は?」
「……僕は、リュヌ」
 フォルテュナ達によれば、先ほど絡まれていた少女は名をリディーといい、兵士ではないが給仕などの後方支援に従事する皇国軍の一員なのだという。先に宿舎へ帰させたと聞いて、ようやく少し気持ちが落ち着いた。
(それにしても、兵士か……)
 遠ざかる路地の入口をちらりと振り返って、リュヌは妙に納得した。冴えない風体ではあったが、曲がりなりにも訓練を受けた一兵士とあれば、あのチンピラ達の身のこなしも理解できる。そして自分は、兵士と呼ぶのもおこがましいような彼らにさえ、全く歯が立たなかった――気概だけでは何も守れないのだということを、思い知らされた気分だ。
「じゃあ俺達はこれで。……大変だろうけど、頑張れよ」
 左右に民家を並べていた道は、いつの間にか噴水のある広場に融けていた。労うフォルテュナにコレットが礼を述べていたが、なぜか今一つ頭に入ってこず、リュヌは漠然と聞き流す。
 力がなければ、守れない。
 数日を経てやっと落ち着きつつあった無力感が、またじわじわと鎌首をもたげていた。英雄の誉れ高いあの人セレスタンのようにとまでは行かなくても、せめてこの手に、大切な物一つだけでも守る力があったなら――。
「ねえ、フォルテュナ」
 歩き去ろうとしていた影が二つ、歩みを止めた。どうかしたのかと問われるより早く、唇は勝手に動いていた。
「僕でも入れるかな? ……皇国軍に」
「えっ……!?」
 戸惑う声が重なった。それは恐らく、その場の誰もが予想だにしなかった発言だった。さっと表情を翳らせて、コレットが掴み掛かってくる。
「ちょっと、何言ってんのよ! あたし達、ただの農民よ? あんたが皇国軍なんて」
「やってみなきゃ解らないよ」
 無理に決まっている。頭ごなしな言葉を聞きたくなくて、遮るように続けた。
 フォルテュナは、あの兵士崩れ達を『志願兵』だと言った。つまり皇国軍は今、一般に広く門戸を開いているということだ。
 すると予想に違わず、フォルテュナは戸惑いつつも応じた。
「そりゃ今の皇国軍は人手不足だし、応募すればよっぽど問題がない限り、訓練生になれるだろうけど……」
 言い淀んだ言葉の裏には、様々な想いがあるのだろう。リュヌがエーレルの村でぬくぬくと日々を過ごしている間にも、皇国軍の一員として研鑽を重ねてきたフォルテュナ達には、より多くのものが見えているに違いない。
 どうしたものかと明るい茶色の髪を掻いて、フォルテュナは言った。
「だけど、入るのは簡単でもその後の訓練はきついぜ? エーレルをやられて悔しいのは解るけど、勢いだけで入隊しても――」
「妹を殺されたんだ!」
 道行く人々がはたと足を止め、声の主を振り返った。しかしばつの悪い注目は、全く意識の中に入ってこなかった。三人が一様に声を失うのを見て、興奮し過ぎたと気付いたもののもう遅い。
「僕の目の前で殺されたんだ。……僕が守ってやらなきゃいけなかったのに」
 妹一人、守ることができなかった。気を抜けば溢れてしまいそうな涙を堪えると、喉がじんと痛くなる。皮膚を破らんばかりに握り込んだ拳は、血の気が失せて白く見えた。
「だから僕も、強くなりたい」
 そしてそのチャンスが、皇国軍にあるならば。
 返す言葉が見つからないのだろう、コレットは苦しげに口を噤んだ。のんびり屋で、文句を言いながらも大体のことにははいはいと頷くリュヌだが、こうなったら頑固であることは幼馴染である彼女自身が一番よく分かっている。
「……君は」
 じっと成り行きを見守っていたベルが、静かに口を開いた。
「君は何のために強くなりたいの? それは、復讐のため?」
 海のようなブルーの瞳に、少年の顔が映り込む。ややあって、リュヌは緩く首を振った。
「僕はただ、守りたいだけ」
 あの日ソレイユを手に掛けた男の、獣のような瞳が脳裏に過る。あの男を憎まないわけではない――憎まずにいられるはずもない。けれど強さを求めるのは、復讐のためではない。
「…………」
 フォルテュナとベルが顔を見合わせた。二人の間でだけ通じる、音のない言葉があるかのようだった。やがて小さく息をついて、分かった、とフォルテュナが応じた。
「俺の上司に口を利いてやるよ。……ついてきな」
「……!」
 ありがとうと、発した声が震えた。喜びでなく、悲しみでもなく、ただ何か大きな流れが動き出したという漠然とした実感があった。王城の門へと向かうフォルテュナ達の後について、リュヌは引き寄せられるように歩き出す。
「待って!」
 白い手が、腕を掴んだ。振り返るとそこには、今にも泣き出しそうなコレットの顔があった。
「皇国軍に入るってどういうことか、あんた本当に解ってんの? 戦場に行くのよ? ……あんたにまで何かあったら、あたし」
 一人ぼっちになっちゃうじゃない。
 コレットはぐっと言葉を飲み込んだ。しかしきっと、彼女はそう言おうとしたのだ。長い付き合いだからこそ、大方の予想はついてしまう。
 ごめん、と黒い睫毛を伏せて、リュヌは言った。
「それでも何も出来ずに殺されるより、マシだよ」
 腕を掴む手を、そっと外した。それ以上の抵抗はなく、エプロンドレスの腕がだらりと落ちる。
「また連絡するから」
 変な人に絡まれないように、キャンプに戻っていた方がいいよ――最後にそう釘を刺して、リュヌは王城の門を潜った。
 壮麗にして堅牢。蒼穹に突き出したミュスカデル城は、白鳥の翼のように見えた。

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