ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -

浅海

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第三章 エチュード

第二節 兵舎の夜

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「皇国軍は三つの大師団から構成されてるんだ」
 そう言って、フォルテュナは香草で焼いた鶏肉を一切れ、口に放り込んだ。
 兵士ともなれば身体が資本というわけで、兵舎の食事はそれこそ、田舎の基準からすると御馳走のようだった。聞いてんのか、と訝るフォルテュナにこくこくと頷きながら、リュヌは黙々と鶏肉を頬張る。
「まずは東の海峡を挟んでスプリングと睨みあってた第三師団。この第三師団を破って、スプリングはイヴェールへ上陸してきた。それから、ミュスカデル西の警備に当たってる第二師団。西方には今んとこ敵対国家がないから、大陸西側の守りは東側に比べるとはっきり言って手薄だ。それで十分ってことじゃなく、スプリングの動向がキナ臭すぎて、兵力を東部と中央に固めざるを得なかったってのが実態だろうけど――」
 聞いてるんだよな、と、念を押すようにフォルテュナは繰り返した。キャンプで支給されたものより幾らか柔らかいパンを千切りながら、リュヌはもう一度頷いた。
「最後に、皇王陛下と皇都の守りを任されてるのが俺達、第一師団。その第一師団の……つまりイヴェール皇国軍のトップに当たるのが、『聖剣の守護者』、セレスタン=ブリュイエール様だ。名前くらいは知ってるよな?」
「ああ、会ったことある」
 パンを口に入れたまま――もしこの場にソレイユがいたらしこたま怒られる所だ――事もなげに返すと、フォルテュナがごふりと噎せた。
「なんで!?」
「僕達でも、直接お会いすることはほとんどないのに……」
 フォルテュナほどではないものの、ベルナールも驚いたように目を円くしていた。ミレーヌさんに用があったみたいで、と、前夜のキャンプでの出来事を思い出しながらリュヌは言った。しかし自分が八つ当たりで彼に掴み掛かったということは、気まずくて言い出せなかった。一連の話を聞く限り、セレスタンは騎士として、また軍の司令官として、国民や兵士達から絶大な信頼と尊敬を集めている。あれこれ世話を焼いてくれる二人の心証を、敢えて害したくはなかった。
 まあいいや、と仕切り直して、フォルテュナは続けた。
「で、その第一師団に所属する兵士達は、大きく分けて三つの部隊に分かれてる。一つが、俺のいる槍兵隊。二つ目が、ベルが所属してる弓兵隊。三つ目が、剣兵をまとめた白兵隊。アリス様っていうのはその、白兵隊の隊長だよ」
 イヴェール皇国軍第一師団の上層部は、概ね次の人員で構成されている。
 軍団長セレスタンの下に、白兵隊長アリスティド=ミュッセ、槍兵隊長エドワール=クーランジュ、そして弓兵頭領ラシェル=デュパルクが各部隊を束ねる長として置かれ、更にその横に並んで、軍師エルネスト=シャセリオーがセレスタンと三将軍の補佐に当たっている。
 いずれもミュスカデルの人間なら一度は名前を聞いたことがあるだろう有名人ばかりなのだが、残念ながら外界に疎いエーレル生まれのリュヌにとっては全く未知の存在である。更に言えば、人の名前を覚えるのはあまり得意でない。
「難しいことはよく分かんないんだけど」
 スープ皿のポタージュを空にして、リュヌは言った。
「グンシって何?」
 ある意味、無邪気な問いに答えたのは、ベルナールだった。
「言い換えれば、参謀かな。セレス様達が戦場に出る前に、どこにどんな風に部隊を配置して、どんな行動を取るのか……目的達成のための筋道を立てて策を与えるのが、軍師の仕事だよ」
「今年からはその下に士官学校の卒業生次席が副官として入って、二人体制になったって話だ。俺はまだ会ったことないけど、意外と感じのいい人だって噂だな」
 軍議は主に彼ら上層部によって行われ、部下である兵士達はその命令に従って動くのだと、フォルテュナが補足した。何がどう『意外と』なのかは、上層部の人となりを知らないリュヌには解らなかったが、それよりも寧ろ、士官学校という言葉の方が引っ掛かった――ルネは確か、この街の士官学校に通っていたのではなかったか。
 彼女の消息は、他の大多数の村人達と同様に不明だ。やはり、あの夜に死んだのだろうか?
 そう考えると、再び気が重くなった。
「……リュヌ? 大丈夫?」
 テーブル越しに、ベルナールの瞳が覗き込む。なんでもないと誤魔化して、後は食事に徹することにした。知る術もないことに頭を悩ませていても、心を疲弊させるだけで何の解決にもならないのだから。
 その後は他愛ない話をしながら、食事を終えた。そうして腹が満たされれば次に襲って来るものは決まっている。
「こんなとこで寝るなよ。着替えを貰ってきてやるから、先に風呂に行って来い」
 万事を察したフォルテュナに促され、食堂を出たその足で浴室に向かった。湯をもらって髪を洗い、身体を清拭しただけの忙しない入浴だったが、煤や埃を落とせたので気分は大分ましになった。上がる頃にはフォルテュナが夜着を届けてくれたので、ゆったりとした麻のシャツに袖を通した。
 廊下に出れば熱と蒸気の篭った空気は急速に冷え、隙間風がヒヤリと踝を撫でる。
 鍛冶場の前を抜けて外に出ると、中庭らしい空間を挟んで前方の左右に、大きな建物が二つ並んでいた。左が男子寮、右が女子寮で、兵士は勿論、軍の関係者は皆、この宿舎で寝起きしている。
「とりあえず、俺達の部屋でいいよな? ベッドが一つ余ってるから」
 尋ねるフォルテュナに、うんと頷いた。流石に見知らぬ兵士達の中に紛れるのはいい心地がしないが、二人がいてくれるなら心強い。
 案内されるまま建物二階の一室へ向かうと、寝支度を済ませたベルナールがベッドの端に座っていた。
「お帰り」
 向けられる淡い笑みに、なぜだかとても安堵した。初めて入る部屋なのに、数日ぶりに家に戻ったような気分がした。慣れない世界を歩き回る中で、それだけ心が張り詰めていたということなのかもしれない。
 片付けておいたからと示されたベッドには、白い枕と三つ折りにした毛布がきちんと用意されていた。
 濡れた髪はまだ少し湿っているが、疲労と眠気は限界に達していた。早く寝た方がいいという二人の言葉に甘えて、そのままベッドに潜り込む。
 寝転がって天井を見上げると、部屋を満たす月明かりが殊のほか青く、澄んで見えた。
(もう、引き返せないんだな)
 帰るべき場所は最早なく、引き返す道は自ら閉ざした。
 後は何が起きようと、ただ前に進むだけだ。
 目を閉じれば瞼の裏に、幼馴染の姿が浮かんだ。しかしそれは一瞬のことで、少年の意識は吸い込まれるように、眠りの淵へと落ちて行った。
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