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プロローグ:「女神ルナとの邂逅」
しおりを挟む> ――俺は、幸福という言葉を信じたことがない。
部屋の明かりは消していた。
パソコンのモニターだけが青白く光り、書きかけの小説の原稿を映している。
締め切りまであと三日。
だが指は止まったまま、マウスも動かない。
俺はコーヒーの冷えた香りを吸いながら、画面に打たれた言葉を見つめる。
> 「幸福とは、不幸を語るための導入である。」
……我ながら、ひどい書き出しだ。
こんな原稿を編集に送ったら、また「読者の心が動かない」と言われるだろう。
動くかよ、心なんて。俺のが止まってるんだから。
「幸せってなんだっけな……」
独り言が、静かな部屋に落ちた。
壁際には開きっぱなしの九星盤と易書。
占い師の真似事で食いつなぐ生活も、もう三年になる。
人の未来を語るくせに、自分の明日が見えない。
皮肉だ。いや、滑稽ですらある。
だが人は信じたいらしい。
“愛”とか、“運命”とか、そういう薄っぺらい言葉を。
俺が幾度となく打ち捨てた、それらの残骸を。
愛という言葉は軽い。
死ぬという言葉も軽い。
“好き”も“嫌い”も、“さよなら”も、“ありがとう”も――
誰もかれも、使いすぎて磨耗している。
だから俺は、語彙の墓場にいる。
愛を語れば嘘になり、死を語れば喜劇になる。
そんな場所に、俺は棲んでいる。
キーボードを閉じ、目をつぶる。
深い眠りに落ちる寸前、
何かが「ぱちん」と弾けた音がした。
---
次に目を開けたとき、そこは光の海だった。
白。
ただ白い。
上下もない。
地平もない。
無限の空白の中で、俺だけが浮かんでいた。
「……夢か」
俺はぼんやりと呟いた。
が、その声に反応するように、どこからか足音が響く。
カツン、カツン、と。
何か硬い床を歩くような音。
音の主は、やがて淡い光の中から現れた。
金色の髪が流れ、瞳は月光のように青い。
白いドレスの裾がふわりと揺れ、まるで空そのものを着ているようだった。
女神、という言葉が自然に浮かんだ。
というより、それ以外に形容のしようがなかった。
「ようこそ、旅人。あなたの魂は、世界の境界を越えました」
声は穏やかで、鈴のように響く。
俺は半眼で彼女を見上げながら、鼻で笑った。
「……また、あれか。転生とか、召喚とか、そういうやつ?」
「ええ。あなたには、新たな世界での使命があります」
「使命ねぇ。神様はいつもそう言うよな。で、俺に何をさせたい?」
女神は微笑んだ。
だが、その笑みはどこか冷たい。
完璧に整いすぎていて、感情の温度を感じない。
「この世界には“運命”の乱れがあります。
あなたの知識――九星と易の理をもって、それを正してほしいのです」
「……俺に、運命を直せと?」
「そう。あなたは“占い師”でしょう?」
俺は苦笑した。
どこか喉の奥が痛む。
笑いながら、自分を殴っているような感覚だ。
「俺はただの“占い師擬き”だよ。
他人の運勢をでっちあげて、小銭を稼いでただけさ。
自分の幸せすら理解できないやつに、未来なんて読めるもんか。」
女神の瞳がわずかに揺れた。
その変化に気づいたのは、たぶん俺だけだ。
彼女は何かを言いかけたが、唇を閉じた。
そして優しく微笑む。
「あなたは、まだ自分を信じていないのですね。」
「信じる? ああ、もう信じてた時期は過ぎた。
“救われる”とか、“愛される”とか、そういう単語にはな。
俺に残ってるのは、観察と皮肉だけだ。」
「……それでも、あなたは呼ばれたのです。
あなたの“視線”が、この世界には必要だから。」
「視線、ね。
つまり俺が“見ている”だけで救われる世界ってわけか。
便利なもんだな、神様の論理は。」
「あなたの言葉には、悲しみがあります。
それでも、どこか優しさがある。
それが、あなたの“易”――世界を読む力です。」
俺は肩をすくめる。
まるで他人の話を聞いているみたいだった。
「優しさなんて、もう擦り切れたさ。
ただ、まだ死んでないってだけだ。
……で? 俺を異世界に落として、どうする気だ?
救世主? それとも観測者?」
女神は一歩近づき、指先を俺の胸に当てた。
そこに淡い光が宿る。
「あなたの“星”は、まだ動いていません。
九重ヨウマ――“凶星”の名を持つ者よ。
新たな天の下で、自らの幸福を見つけなさい。」
「……幸福、ね。そんなもん、存在するのか?」
「それを見つけるための旅です。
あなたは“失格”しても、“終わり”ではない。」
その瞬間、周囲の白が溶けるように消えていった。
光が波のように崩れ、闇が押し寄せる。
風もないのに髪が舞う。
音が遠のいていく。
女神の声が、最後に響いた。
> 「――あなたの運命は、“凶”より始まる。」
---
目を開けると、そこは草原だった。
見たこともない空が広がり、紫と金の雲が流れている。
耳を澄ますと、風に混じって鈴のような音が聞こえた。
懐を探ると、見慣れた九星盤があった。
中心に刻まれた“凶”の文字が、淡く輝いている。
俺はため息をつき、空を仰いだ。
「……神様ってのは、ほんと性格悪いな。
せめて“吉”の方角に落としてくれりゃよかったのに。」
草の上に座り込み、九星盤を回す。
針はぐるぐると回転し、やがて静止した。
指針が示すのは――“東南・小吉”。
「小吉、ね。……微妙すぎて泣ける。」
笑ってみたが、涙は出なかった。
乾いた風が頬を撫でていく。
ふと、遠くで鐘の音が鳴った。
異世界の一日が始まる音だろう。
俺は呟く。
> 「幸せって、なんだっけな……
ま、せいぜい調べてみるか。
俺の“占い”で。」
そして立ち上がった。
空の色は、どこまでも淡く、優しかった。
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