4 / 4
第1話・後半 「剣士の独白 ― 凶を抱く者として」
しおりを挟む――どうして、あの男に相談をしたのだろう。
宿の窓辺に立ち、私は何度も同じ問いを繰り返す。
外では夜の灯がひとつずつ消えていく。人々が幸福に眠り、夢という名の休戦に入る時間。だが、私はまだ剣を手放せずにいる。手放すと、心が落ちてしまう気がして。
死相。あの言葉を聞いてから、私の胸は鈍い金属のように冷たくなった。旅の途中、ある僧侶が私の手相を見て言ったのだ。「近くに死がある」と。笑い飛ばすつもりだったのに、笑えなかった。自分の笑い声が、嘘をついているように響いたからだ。
そして私はあの男――九重ヨウマを訪ねた。
占い師を名乗るには似つかわしくない、疲れた目。
それなのに、瞳の奥だけはやけに透き通っていて、覗きこむと、自分の影がそこに落ちていくようだった。
あのとき、私は救いを求めたのではない。
ただ、確認したかったのだ。
自分がまだ「死にきっていない」という事実を。
剣を握って生きてきた。
生きるために殺し、殺すために鍛えた。
子どものころから、戦場に立つことしか許されなかった。
戦う者は、戦う理由を失った瞬間に空っぽになる。
私はいま、その空洞を抱えて歩いている。
戦が終わった。
勝者も敗者も、同じように疲れ果てていた。
私は剣を納め、街に出て、仕事を探した。
だが、血の匂いがついた人間に、まともな仕事などない。
結局、傭兵の依頼を受けて、再び刃を抜くことになる。
私は恐れていた。
死ぬことではなく、死なないことを。
死ねない者ほど、戦場で生き残る。
そして、生き残った者ほど、夜に怯える。
それが、私の“死相”の正体だったのかもしれない。
ヨウマの占いは奇妙だった。
魔法でも祈りでもない。
あれは、観察だった。
彼は私の手を取らなかった。顔を覗きもしなかった。
ただ、静かに空気の流れを読み、息の乱れを数え、
まるで時間そのものの呼吸を聞いているようだった。
「あなたの凶は、立ち止まっていることだ」
――そう言われた瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
立ち止まる。
そんな単純な言葉に、これほど重さがあるとは思わなかった。
私はずっと、前へ進んでいると思っていた。
足を動かし、剣を振り、人を斬り、それを“進歩”と呼んでいた。
けれど、実際には同じ場所を回っていたのだ。
血と罪の輪の中で。
ヨウマは笑った。
皮肉ではない。自嘲に似た笑い。
あの笑いを、私はどこかで見たことがある。
戦場の帰り道、血にまみれた兵士が、自分の生存を信じられずに笑う――あのときの顔だ。
彼もまた、生き延びた者なのだと思った。
理由は違っても、似た種類の痛みを持っている。
死にたがりながら、生き延びてしまった人間。
だからこそ、あの占いには嘘がなかった。
宿に戻る途中、私は思い出す。
占いの最後に、彼が貼ってくれた小さな符札。
「これはお守りではなく、分け前です」と言っていた。
分け前? 私は首をかしげた。
けれど、いまになってわかる。
あれは、彼の“凶”だったのだ。
彼が自分の不幸を少し削って、私に分けた。
奇妙なことに、私はその行為を“優しさ”だと思った。
神官の祈りよりも、あの皮肉な占い師の疲れた手の方が、ずっと現実的な温かさを持っていた。
彼は言った。
「選べば、結果がどうであれ、運命は動く」
私は、その言葉を信じたい。
たとえそれが錯覚でも。
たとえ“動く”先が地獄であっても。
動けないまま朽ちるよりは、ずっといい。
窓を開けると、風が入ってきた。
夜の空気は冷たい。
だが、頬を撫でるその冷たさが、かすかに心地よい。
私は鞘から剣を抜く。
月明かりが刃を照らし、淡い光が走る。
そこに映るのは、私の顔。
疲れ切った、しかしまだ“死ねていない”女の顔。
私は刃を見つめながら呟く。
「……私は、まだ選んでいない。」
剣を握る手に力が入る。
あの男の声が、耳の奥で蘇る。
――“選べ。立ち止まっていることが、あなたの凶だ。”
私は笑った。
笑いながら、涙が出た。
泣く理由は分からなかった。
ただ、涙の落ちる音が、“まだ生きている”という証拠に聞こえた。
この音を聞きながらなら、もう少しだけ進める気がした。
夜が深まる。
街の鐘が静かに鳴る。
眠れぬ者たちの祈りのように、途切れながら響く。
私は机に座り、日記帳を開く。
かつて旅の記録をつけるために使っていたものだ。
戦場では、仲間の名を書き、戦果を記録した。
今夜は、ただ一人の名を書く。
――九重ヨウマ。
その名を書いて、私は一行を足す。
> 「生きる理由を占ってもらった。
> まだ見つからないけれど、探す気にはなった。」
書き終えて、ペンを置く。
手が震えていた。
疲れではない。
恐怖でもない。
たぶん、希望という名の、久しぶりの熱だ。
窓の外を見る。
月が、少し傾いている。
まるで、あの女神が見ているようだ。
ルナ――そう、彼が口にした名。
あの神の光の下で、私はまだ迷っている。
でも、その迷いが嫌ではない。
もし明日、またあの占い師に会えたら、
今度はこう言ってみようと思う。
> 「私は、まだ立ち止まっている。
> でも、あなたの言葉が風になって、少し背中を押した。」
そしてその時、彼がまた皮肉な笑いを浮かべるなら――
私はきっと、それを“救い”と呼べる気がする。
私は窓を閉じ、蝋燭の火を吹き消した。
闇が部屋を満たす。
しかし、心の奥にはまだ光があった。
それは剣の反射でも、神の加護でもない。
たぶん、あの男が分けてくれた“凶”の残り火だ。
人は不思議なもので、
“凶”を貰うと、逆に少し強くなれる。
幸福は重く、不幸は軽い。
だから、不幸を少し抱えると、足が動く。
私はもう一度だけ、自分の胸に問う。
――なぜ、この相談をしたのか?
答えは出ない。
けれど、答えのないまま考えることが、
今の私には、祈りに似ていた。
風がカーテンを揺らす。
夜の終わりが、ゆっくりと近づいてくる。
私はその音を聞きながら、静かに剣を枕元に置いた。
そして小さく呟く。
> 「凶でも、いい。
> この街で、もう少しだけ、生きてみよう。」
そうして目を閉じる。
暗闇の向こうで、あの占い師の笑い声がした気がした。
夢か、記憶か、祈りか――もう区別はつかない。
ただひとつ、確かなことがある。
私の中の“死相”は、ほんの少しだけ遠のいていた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった
海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····?
友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる