『幸福とは、名を持たぬ呼吸である』

トンカツうどん

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第1話・後半 「剣士の独白 ― 凶を抱く者として」

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 ――どうして、あの男に相談をしたのだろう。

 宿の窓辺に立ち、私は何度も同じ問いを繰り返す。
 外では夜の灯がひとつずつ消えていく。人々が幸福に眠り、夢という名の休戦に入る時間。だが、私はまだ剣を手放せずにいる。手放すと、心が落ちてしまう気がして。

 死相。あの言葉を聞いてから、私の胸は鈍い金属のように冷たくなった。旅の途中、ある僧侶が私の手相を見て言ったのだ。「近くに死がある」と。笑い飛ばすつもりだったのに、笑えなかった。自分の笑い声が、嘘をついているように響いたからだ。

 そして私はあの男――九重ヨウマを訪ねた。
 占い師を名乗るには似つかわしくない、疲れた目。
 それなのに、瞳の奥だけはやけに透き通っていて、覗きこむと、自分の影がそこに落ちていくようだった。

 あのとき、私は救いを求めたのではない。
 ただ、確認したかったのだ。
 自分がまだ「死にきっていない」という事実を。


 剣を握って生きてきた。
 生きるために殺し、殺すために鍛えた。
 子どものころから、戦場に立つことしか許されなかった。
 戦う者は、戦う理由を失った瞬間に空っぽになる。
 私はいま、その空洞を抱えて歩いている。

 戦が終わった。
 勝者も敗者も、同じように疲れ果てていた。
 私は剣を納め、街に出て、仕事を探した。
 だが、血の匂いがついた人間に、まともな仕事などない。
 結局、傭兵の依頼を受けて、再び刃を抜くことになる。

 私は恐れていた。
 死ぬことではなく、死なないことを。

 死ねない者ほど、戦場で生き残る。
 そして、生き残った者ほど、夜に怯える。
 それが、私の“死相”の正体だったのかもしれない。


 ヨウマの占いは奇妙だった。
 魔法でも祈りでもない。
 あれは、観察だった。
 彼は私の手を取らなかった。顔を覗きもしなかった。
 ただ、静かに空気の流れを読み、息の乱れを数え、
 まるで時間そのものの呼吸を聞いているようだった。

 「あなたの凶は、立ち止まっていることだ」
 ――そう言われた瞬間、胸の奥で何かが崩れた。

 立ち止まる。
 そんな単純な言葉に、これほど重さがあるとは思わなかった。
 私はずっと、前へ進んでいると思っていた。
 足を動かし、剣を振り、人を斬り、それを“進歩”と呼んでいた。
 けれど、実際には同じ場所を回っていたのだ。
 血と罪の輪の中で。

 ヨウマは笑った。
 皮肉ではない。自嘲に似た笑い。
 あの笑いを、私はどこかで見たことがある。
 戦場の帰り道、血にまみれた兵士が、自分の生存を信じられずに笑う――あのときの顔だ。

 彼もまた、生き延びた者なのだと思った。
 理由は違っても、似た種類の痛みを持っている。
 死にたがりながら、生き延びてしまった人間。
 だからこそ、あの占いには嘘がなかった。


 宿に戻る途中、私は思い出す。
 占いの最後に、彼が貼ってくれた小さな符札。
 「これはお守りではなく、分け前です」と言っていた。
 分け前? 私は首をかしげた。

 けれど、いまになってわかる。
 あれは、彼の“凶”だったのだ。
 彼が自分の不幸を少し削って、私に分けた。
 奇妙なことに、私はその行為を“優しさ”だと思った。
 神官の祈りよりも、あの皮肉な占い師の疲れた手の方が、ずっと現実的な温かさを持っていた。

 彼は言った。
 「選べば、結果がどうであれ、運命は動く」

 私は、その言葉を信じたい。
 たとえそれが錯覚でも。
 たとえ“動く”先が地獄であっても。
 動けないまま朽ちるよりは、ずっといい。


 窓を開けると、風が入ってきた。
 夜の空気は冷たい。
 だが、頬を撫でるその冷たさが、かすかに心地よい。
 私は鞘から剣を抜く。
 月明かりが刃を照らし、淡い光が走る。
 そこに映るのは、私の顔。
 疲れ切った、しかしまだ“死ねていない”女の顔。

 私は刃を見つめながら呟く。
 「……私は、まだ選んでいない。」

 剣を握る手に力が入る。
 あの男の声が、耳の奥で蘇る。

 ――“選べ。立ち止まっていることが、あなたの凶だ。”

 私は笑った。
 笑いながら、涙が出た。
 泣く理由は分からなかった。
 ただ、涙の落ちる音が、“まだ生きている”という証拠に聞こえた。
 この音を聞きながらなら、もう少しだけ進める気がした。


 夜が深まる。
 街の鐘が静かに鳴る。
 眠れぬ者たちの祈りのように、途切れながら響く。

 私は机に座り、日記帳を開く。
 かつて旅の記録をつけるために使っていたものだ。
 戦場では、仲間の名を書き、戦果を記録した。
 今夜は、ただ一人の名を書く。

 ――九重ヨウマ。

 その名を書いて、私は一行を足す。

 > 「生きる理由を占ってもらった。
 >  まだ見つからないけれど、探す気にはなった。」

 書き終えて、ペンを置く。
 手が震えていた。
 疲れではない。
 恐怖でもない。
 たぶん、希望という名の、久しぶりの熱だ。

 窓の外を見る。
 月が、少し傾いている。
 まるで、あの女神が見ているようだ。
 ルナ――そう、彼が口にした名。
 あの神の光の下で、私はまだ迷っている。
 でも、その迷いが嫌ではない。

 もし明日、またあの占い師に会えたら、
 今度はこう言ってみようと思う。

 > 「私は、まだ立ち止まっている。
 >  でも、あなたの言葉が風になって、少し背中を押した。」

 そしてその時、彼がまた皮肉な笑いを浮かべるなら――
 私はきっと、それを“救い”と呼べる気がする。


 私は窓を閉じ、蝋燭の火を吹き消した。
 闇が部屋を満たす。
 しかし、心の奥にはまだ光があった。
 それは剣の反射でも、神の加護でもない。
 たぶん、あの男が分けてくれた“凶”の残り火だ。

 人は不思議なもので、
 “凶”を貰うと、逆に少し強くなれる。
 幸福は重く、不幸は軽い。
 だから、不幸を少し抱えると、足が動く。

 私はもう一度だけ、自分の胸に問う。
 ――なぜ、この相談をしたのか?

 答えは出ない。
 けれど、答えのないまま考えることが、
 今の私には、祈りに似ていた。

 風がカーテンを揺らす。
 夜の終わりが、ゆっくりと近づいてくる。
 私はその音を聞きながら、静かに剣を枕元に置いた。
 そして小さく呟く。

 > 「凶でも、いい。
 >  この街で、もう少しだけ、生きてみよう。」

 そうして目を閉じる。
 暗闇の向こうで、あの占い師の笑い声がした気がした。
 夢か、記憶か、祈りか――もう区別はつかない。

 ただひとつ、確かなことがある。
 私の中の“死相”は、ほんの少しだけ遠のいていた。
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