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第5話:「東南の水脈 ― 湿り気と風と、忘れられた龍」
しおりを挟む水の音ってのは、なぜか不安を煽る。
滴る。響く。揺れる。
理屈じゃない、感覚の奥底に“閉じ込められた何か”を思い出させる。
……まさか、その“何か”が本当に出てくるとは思わなかったけどな。
「地下水路の封鎖作業?」
「うん、正確には“気流干渉区域の調整”って言ってた。」
「なるほど、“日本語で頼む”って言葉が必要な案件だ。」
昼下がり。
市役所の地下整備通路、湿度95%、温度26度。
俺とミナはヘルメット姿で足を進めていた。
足元にはケーブル、水道管、そして――青白く光る“気の流れ”。
まるで地下に**川ではなく“気脈”**が走っているようだった。
「カズヤ、風が通らないよ。」
「そりゃ地下だ。風通しゼロ。お前、どうやって呼吸してんだ?」
「んー、感覚で?」
「その回答で納得できるやつ、この世にいないからな?」
ミナは相変わらず、物理と理屈を超越した存在だ。
だが、そんな彼女の眉間にうっすらと皺が寄る。
「変だよ。ここ、風が“反射”してる。」
「反射?」
「うん。普通、風は流れるもの。でもここは、ぶつかって“戻ってる”。」
……なるほど。
風が押し返されるってことは、何かが気の流れを“押してる”ってことだ。
――つまり、淀み。
その時だった。
パシャッという水音。
照明の届かない先から、何かがこちらを見ていた。
青白い光、ゆらゆらと揺れる“目”。
「おい、あれ……水か?」
「……違う。気配が“生きてる”。」
次の瞬間、ドッと冷風が吹いた。
視界が一気に白く曇り、水の粒が肌を刺す。
冷気と湿気、風と水が混ざり合い――
> 「――“龍気反応”、確認。現象階層、第弐。」
電子音のような声。
俺の背後から響いたそれは、まるで現場監督が指示を出すみたいに冷静だった。
振り返ると――そこにいた。
制服の袖をまくり上げ、銀色の携帯端末を掲げる少女。
長い黒髪が湿気を弾き、レンズ越しの瞳が青く光っている。
「雨宮リツ、水道局・地脈監査課所属。
あなたが“九星気学師”の岸波カズヤさんで間違いありませんね?」
「……はい出た。初対面から圧が強いやつ。」
「確認は大事です。誤配属が起きると気脈がズレるので。」
「どんな職場だよそれ……」
ミナが俺の背後から顔を出す。
「ねぇねぇ、その人、ちょっと冷たくない?」
「水属性だからじゃない?」
「属性で片付けないでください。」リツがため息をつく。
彼女は端末を操作し、周囲の空気をスキャンするようにかざした。
「“龍気”がここで滞留しています。放置すれば地上の湿度が暴走し、
風の流れが死にます。――あなたたちが“風水課”でしょ?」
「正確には“環境流動課”だけど、まぁ、風水師って言ったほうが通じる。」
「なら話は早い。“龍の淀み”を、協力して浄化しましょう。」
――協力。
つまり、俺がまた地獄を見るパターンだ。
羅盤を開く。
方位は東南、時刻は巳の刻。九星では“三碧木星”、
奇門遁甲では“生門”と“杜門”が重なる時間帯――水と風の衝突点。
「行くぞ、ミナ。リツ、お前は後方で気圧の変化を読め。」
「了解。」
「了解ー……って、あの、水が動いてる!」
通路の奥で、水面がうねる。
形を持たない液体が、壁を這い、天井を逆流し、
やがてひとつの形を成す。
――龍だ。
だが“龍”というより、“溺れた都市の怨念”みたいな存在。
水流が絡まり、鉄錆の匂いを伴って唸る。
「龍気、実体化しました。放出圧、臨界寸前!」リツが叫ぶ。
「おいおい、初任務でBOSS戦かよ……!」
羅盤の針が狂う。磁場が歪む。
ミナの風が竜巻を起こし、俺の視界が一瞬で白に染まる。
> 「九曜相転――風水陣式《流転輪(りゅうてんりん)》!」
風と水が絡み合い、衝撃波が通路を貫く。
龍が咆哮し、水飛沫が弾け飛ぶ。
リツの端末が光り、符式コードが展開された。
> 「奇門遁甲・水理式《鎮龍環》、起動!」
青い符が空間に広がり、水が光に変わる。
だが、龍は笑った。
――低く、冷たい声で。
『風と水が交わる時、人は呼吸を忘れる。
我はこの街の“流れ”そのもの。止められるものか。』
「カズヤ!」ミナが叫ぶ。
「風が押し負けてる!」
「……だろうな。こいつ、風を飲み込んでる。」
龍の周囲には負圧――風を吸い取る“無風領域”が発生していた。
奇門の理では、“水は風を制す”。
つまり、風水師にとって最悪の相手だ。
「リツ、風の力を逆利用できるか?」
「不可能ではありませんが、術式の重ね掛けになります!」
「ならやる。俺たちには“相転”がある。」
羅盤が赤く輝く。
ミナがその背後で風を集める。
彼女の瞳が、風の軌跡と同じ色に光った。
> 「九曜相転――第弐式、風水共鳴《双流ノ陣》!」
リツの符が応じる。水の環が回転し、風の陣と重なる。
渦が逆流を起こし、龍の身体が引き裂かれていく。
蒸気が爆発し、轟音が響いた。
――視界が白い。
音が消えた。
ただ、水の匂いだけが残る。
しばらくして、リツの声がした。
「……沈静化、完了。龍気、消滅。」
「おい、死んでないよな俺。」
「はい、ギリギリ生きてます。凶方位に落ちただけで。」
「落ち着いたトーンで言うな!」
ミナが膝をつき、息を整える。
風が戻った。優しく、湿った風。
まるで、長い間泣いていた誰かが、ようやく息をしたみたいだった。
「……ねぇ、カズヤ。」ミナがぽつりと言う。
「龍って、“風と水の記憶”なんだね。」
「かもな。淀みを残すのは人間だけじゃない。」
リツが手帳を閉じる。
「あなたたち、思ってたより使えますね。」
「褒め言葉として受け取っていいのか?」
「ええ。“再配属”検討対象に入れておきます。」
「だから怖ぇんだよその言い方!」
三人で地下通路を歩く。
風が通り抜け、どこか懐かしい音を響かせていた。
それはたぶん、街の“呼吸”そのもの。
そして俺の中の羅盤も、静かに針を南東へと指していた。
――風と水の調和。
それが、この街の“命の形”なのかもしれない。
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