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12.魔法が解けるとき
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久しぶりに入った美月センパイの家は、記憶にあるままと変わらない。部屋の中もそのままだった。一人暮らし用の家具は別に揃えたらしい。
タオルを肩にかけたままベッドを背にして座る。着ている服から美月センパイの香りがする。美月センパイに抱きしめられているみたいで落ち着かない。「風邪ひくから」とお風呂場に押し込められたのが十分ほど前。濡れた制服は干されている。
ローテーブルには麦茶の入ったグラスがふたつ並び、懐かしさが胸を揺らす。
「ちゃんと乾かしてないでしょう」
隣に座る美月センパイの手が髪に触れる。ドライヤーを借りたものの、美月センパイの服を着ている嬉しさと緊張でうまく体が動かなかった。
「ドライヤー取ってくるよ」
立ち上がりかけた美月センパイの手を咄嗟に掴む。
「みのり?」
「あの、髪は『あとで』お願いします」
本当はとてもこわい。こわいから小さな約束を結ぶ。
「……仕方ないなあ」
美月センパイが優しく笑って、肩にかけていたタオルに両手を伸ばす。そのまま少し乱暴に髪を拭かれる。
「ちょ、美月センパイ。ぐしゃぐしゃになっちゃう」
「うん」
「うん、て」
「『あとで』直してあげるから」
落とされた声が微かに震えている。そして、気づく。美月センパイならきっと魔法で乾かせてしまうのに、それをしないことに。魔法が弱くなってしまったから、ではきっとない。だって美月センパイは私と同じように「あとで」と言ったのだから。美月センパイは私が何を言うのかわかっている。美月センパイ自身の答えもきっともうある。そうでなければ、バニラのリップクリームをわざわざ入れたりしない……はず。
「美月センパイ」
手首をそっと掴む。ゆっくりと下ろせば、タオルが揺れ、視線が繋がる。
膝を立てて座る美月センパイの顔の前、リップクリームを差し出す。さっきまで制服のスカートに入れていたもの。花の絵の掠れ具合でどちらが新しいものかよくわかる。
「私は美月センパイが好きです」
顔を上げれば、タオルが床に落ちる。構うことなく美月センパイを見つめる。
「魔法なんかなくても、美月センパイを好きになってました」
美月センパイの瞳が私を映す。黒く美しい水面はどこまでも深い。
「この気持ちが魔法だけでできていないって、私が証明します」
信じてほしい。魔法じゃなくて私を。
「選んでください」
差し出した二本のリップクリームが小さく震える。バニラの甘い香りが蓋の隙間から零れる。
「魔法が解けてしまって、万が一、私が美月センパイへの気持ちを忘れてしまっても、もう一度必ず好きになります」
「……解けなかったら?」
それは「好きな人ではなかったら?」という意味になる。
私に「美月センパイを好きになる魔法」をかけたはずなのに。
美月センパイが私に魔法をかけたのが、魔女の力を失うためなら。すぐにでも実行できたはずで。魔法が解けて、私の中から美月センパイが消えてしまっても何も問題はないはずで。本当に魔法を解くためだけにかけたのなら、今きっとこうしていない。
――キスだけはしないでね。
美月センパイがキスを拒み続ける理由。解きたくない魔法の意味。
美月センパイはずっと私に答えをくれていた。
私はもうわかっている。それでも美月センパイが少しでも安心してくれるなら何度だって同じことを言う。
「美月センパイが好きになってくれるまで頑張ります」
どんな結果でも、変わらない。だから――。
「魔法よりも私を選んでください」
美月センパイの細い指がリップクリームの上で揺れる。蝶々がとまる花を選ぶみたいに。
「どちらを選んでもバニラですけど」
小さく笑って付け足せば
「……知ってる」
と美月センパイの口元で空気が緩んだ。甘い香りが浮かぶ。桜でもバニラでもない、美月センパイ自身の香り。コツ、と額が触れ合う。視界が美月センパイでいっぱいになる。
「みのり」
呼吸とともに感じる音。
落とされた名前が胸の奥へと落ちていく。
「……好きよ」
触れ合った肌が離れていくと同時に、手の中からも消えていく。残されたのは、掠れた花のイラスト。私がずっと使っていたものだ。
ピンク色の蓋が外され、バニラの甘い香りが膨らむ。まだ新しい中身を先だけ出して、美月センパイが「みのり」と名前を呼ぶ。
バニラの香りが濃くなる。
いつも使っているのに。使っているからこそ、自分ではない誰かに塗ってもらうのは不思議でくすぐったい。
押し当てられた先から小さな震えが伝わってくる。
「美月センパイ」
そっと名前を呼ぶ。この距離だから伝わる大きさで。
「大好きです」
リップクリームごと美月センパイの手を握る。
「絶対に、忘れたりしませんから」
この気持ちも。美月センパイも。魔法が解けても、きっと。
「うん……、ありがとう」
瞼を閉じる寸前、美月センパイはたぶん泣いていた。
ふわりと花が揺れる。甘い香りが蝶々に奪われる。
次に瞼を開いたとき、私たちは何を思うだろう。
――すべてはバニラの香りの先に。
***
魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
それは一度きり 心に決めた人だけに
魔女ではない私を見せる瞬間
触れ合わせた先から
魔法は祝福に変わる
魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
祝福は呪い 魔女を捉えて離さない
魔女のままの私を失くす瞬間
触れ合わせた先から
呪いを祝福に変えて
魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
それは一度きり 心に決めた人だけに
***
「私の大事なうたをあげる」
「だからあなたの――心を、私にちょうだい」
タオルを肩にかけたままベッドを背にして座る。着ている服から美月センパイの香りがする。美月センパイに抱きしめられているみたいで落ち着かない。「風邪ひくから」とお風呂場に押し込められたのが十分ほど前。濡れた制服は干されている。
ローテーブルには麦茶の入ったグラスがふたつ並び、懐かしさが胸を揺らす。
「ちゃんと乾かしてないでしょう」
隣に座る美月センパイの手が髪に触れる。ドライヤーを借りたものの、美月センパイの服を着ている嬉しさと緊張でうまく体が動かなかった。
「ドライヤー取ってくるよ」
立ち上がりかけた美月センパイの手を咄嗟に掴む。
「みのり?」
「あの、髪は『あとで』お願いします」
本当はとてもこわい。こわいから小さな約束を結ぶ。
「……仕方ないなあ」
美月センパイが優しく笑って、肩にかけていたタオルに両手を伸ばす。そのまま少し乱暴に髪を拭かれる。
「ちょ、美月センパイ。ぐしゃぐしゃになっちゃう」
「うん」
「うん、て」
「『あとで』直してあげるから」
落とされた声が微かに震えている。そして、気づく。美月センパイならきっと魔法で乾かせてしまうのに、それをしないことに。魔法が弱くなってしまったから、ではきっとない。だって美月センパイは私と同じように「あとで」と言ったのだから。美月センパイは私が何を言うのかわかっている。美月センパイ自身の答えもきっともうある。そうでなければ、バニラのリップクリームをわざわざ入れたりしない……はず。
「美月センパイ」
手首をそっと掴む。ゆっくりと下ろせば、タオルが揺れ、視線が繋がる。
膝を立てて座る美月センパイの顔の前、リップクリームを差し出す。さっきまで制服のスカートに入れていたもの。花の絵の掠れ具合でどちらが新しいものかよくわかる。
「私は美月センパイが好きです」
顔を上げれば、タオルが床に落ちる。構うことなく美月センパイを見つめる。
「魔法なんかなくても、美月センパイを好きになってました」
美月センパイの瞳が私を映す。黒く美しい水面はどこまでも深い。
「この気持ちが魔法だけでできていないって、私が証明します」
信じてほしい。魔法じゃなくて私を。
「選んでください」
差し出した二本のリップクリームが小さく震える。バニラの甘い香りが蓋の隙間から零れる。
「魔法が解けてしまって、万が一、私が美月センパイへの気持ちを忘れてしまっても、もう一度必ず好きになります」
「……解けなかったら?」
それは「好きな人ではなかったら?」という意味になる。
私に「美月センパイを好きになる魔法」をかけたはずなのに。
美月センパイが私に魔法をかけたのが、魔女の力を失うためなら。すぐにでも実行できたはずで。魔法が解けて、私の中から美月センパイが消えてしまっても何も問題はないはずで。本当に魔法を解くためだけにかけたのなら、今きっとこうしていない。
――キスだけはしないでね。
美月センパイがキスを拒み続ける理由。解きたくない魔法の意味。
美月センパイはずっと私に答えをくれていた。
私はもうわかっている。それでも美月センパイが少しでも安心してくれるなら何度だって同じことを言う。
「美月センパイが好きになってくれるまで頑張ります」
どんな結果でも、変わらない。だから――。
「魔法よりも私を選んでください」
美月センパイの細い指がリップクリームの上で揺れる。蝶々がとまる花を選ぶみたいに。
「どちらを選んでもバニラですけど」
小さく笑って付け足せば
「……知ってる」
と美月センパイの口元で空気が緩んだ。甘い香りが浮かぶ。桜でもバニラでもない、美月センパイ自身の香り。コツ、と額が触れ合う。視界が美月センパイでいっぱいになる。
「みのり」
呼吸とともに感じる音。
落とされた名前が胸の奥へと落ちていく。
「……好きよ」
触れ合った肌が離れていくと同時に、手の中からも消えていく。残されたのは、掠れた花のイラスト。私がずっと使っていたものだ。
ピンク色の蓋が外され、バニラの甘い香りが膨らむ。まだ新しい中身を先だけ出して、美月センパイが「みのり」と名前を呼ぶ。
バニラの香りが濃くなる。
いつも使っているのに。使っているからこそ、自分ではない誰かに塗ってもらうのは不思議でくすぐったい。
押し当てられた先から小さな震えが伝わってくる。
「美月センパイ」
そっと名前を呼ぶ。この距離だから伝わる大きさで。
「大好きです」
リップクリームごと美月センパイの手を握る。
「絶対に、忘れたりしませんから」
この気持ちも。美月センパイも。魔法が解けても、きっと。
「うん……、ありがとう」
瞼を閉じる寸前、美月センパイはたぶん泣いていた。
ふわりと花が揺れる。甘い香りが蝶々に奪われる。
次に瞼を開いたとき、私たちは何を思うだろう。
――すべてはバニラの香りの先に。
***
魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
それは一度きり 心に決めた人だけに
魔女ではない私を見せる瞬間
触れ合わせた先から
魔法は祝福に変わる
魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
祝福は呪い 魔女を捉えて離さない
魔女のままの私を失くす瞬間
触れ合わせた先から
呪いを祝福に変えて
魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
それは一度きり 心に決めた人だけに
***
「私の大事なうたをあげる」
「だからあなたの――心を、私にちょうだい」
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わー(;ω;)良かった!!ついにここまで!お疲れ様でした〜(*´ェ`*)いつもクールな先輩が最後は可愛かったです〜💕
ありがとうございます〜( ;∀;)
なんとか完結できました🙏
最後までふたりを見守ってくださり感謝です✨✨
美月先輩好きです…(*´ェ`*)ついに卒業…( ; ; )
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はじめさん!!
ありがとうございます(*´∇`*)
ふたりがどうなるのか見届けていただけると嬉しいです!!