林檎買ってきて*同棲編*

hamapito

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お月見団子は来週に

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 急な話ではなかった。自分の中では。だから、「えっ」と戸惑った顔を見せられ、自分の方が「えっ」と驚いてしまった。
 リビングのテレビからは耳慣れた声が聞こえる。土曜日の朝にやっている旅番組だ。ダイニングテーブルで向かい合ったまま、長野という地名が耳に入る。驚いているのに体の機能は冷静に働いているらしい。
「あー、えっと、急だった?」
 そんなことないだろ、と思いながらもどうにか口を開く。「嫌」とか「考えたこともない」とか、相手に言われたら傷つくだろう言葉に予防線を張るために。
 正面から空になったお皿へ、そしてカップへと視線を移す。珈琲はまだ半分以上残っていた。
「あ、いや、そうじゃなくて」
 いつも通り淹れたはずなのに、味がぼやける。苦味しかわからない。
 不安定に揺れていた視線を捕まえれば、ぐっと何かを飲み込む仕草を見せ、ゆっくりと息を吐き出した。
「なんていうか、びっくりして」
 びっくり、というのは予想外、考えたことがない、そう言う意味だろうか。きゅっと縮まった胸にもう一度珈琲を流し込んでから「そんな驚くことだった?」と苦さとともに笑いを混ぜる。
「……うん」
 小さな頷きが返ってきて、さっきよりも確かな痛みが生まれる。付き合って一年半、お互いに部屋の合鍵を持ち合い、週末に泊まるのも当たり前になった。家族以外に弱っているところを見られても大丈夫だと思えた相手は初めてで。俺としては自然な流れだと思ったのだが。相手は違ったらしい。どうしようかな。「そっか。早かったか」と笑って終わりにするか、「嫌か?」と押してみるか。
 床には柔らかな光が伸びている。昨夜の雨はどこにもない。寝過ぎてしまうこともある土曜日にこうして起きているのだ。予定はまだ何もないが、だからこそ今日を無駄にはしたくない。
「そっか」
「――こちらが地元でも人気の」
 この話題は終わり、と思ったらテレビからの声と重なった。視線を向ければ、観光客で賑わう店内が映り、テーブルの上に皿が置かれる。林檎のケーキだった。もう収穫時期なのか。
「林檎ってもっと寒い時期のイメージだった」
 聞こえた言葉にふっと力が緩む。
「俺も」
 画面へと向いていた顔が自然と向き合い、お互いに同じことを思い出しているのだろうとわかる。
 ――林檎買ってきて。
 そんなメッセージが送られてきたのは、去年のこと。今よりもう少し季節は進んでいたが、ほぼ一年前だ。今ではもう「会いたい」と素直に伝えられる。でも、俺はもう「会いたい」と言わなくても会える距離にいたい。
「あのさ」
「あのさ」
 声だけでなく言葉まで重なる。「なに?」続きを促せば、困ったような、何かを期待するような表情を向けられる。
「どうして今言ったのか聞いてもいい?」
「どうしてって」
 前々から考えていたことだ。どうして今なのかと聞かれても……そう口にしかけて、昨夜の出来事を思い出した。
「あー、目玉焼きがうまかったから?」
「それって、昨日の?」
「そう」

 仕事が終わって、メッセージを確認すれば、ちょうど駅で一緒になりそうなタイミングだった。エレベーターを待ちながら急いで返信する。
 ――駅で待ってて。
 合鍵は渡してあるのだから、先に入ってもらって構わない。むしろいつもはそうする。だけど、ちょうどよく時間が重なるなら、一緒に帰りたいと思った。駅から部屋までは十分の距離しかないのに。
 エレベーターを降り、画面を確認する。
 ――了解。
 たった二文字で、体が軽くなる。一週間分の疲れを忘れ、駅までの道を急いだ。

 もうすぐ最寄り駅に着く、というタイミングで窓ガラスに水滴がつく。雨が降り始めたらしい。雨の予報なんてあったっけ? 折り畳み傘はカバンに入れっぱなしなのでそこは心配いらないが。
「店に入るのは無理かな」
 金曜日の夜、加えて雨が降り始めたとなれば店にとどまる客は多いだろう。軽く飲んで帰ってもいいか、と思ったが大人しく部屋に帰る方がよさそうだ。食材なんかあったっけ。あ、野菜が死にかけていたような……。
「お疲れ」
「お疲れさま」
 改札で落ち合って、閉店間際のスーパーへ。手の込んだものを作る気にはなれないが、野菜は使わねば。
「焼きそばでいい?」
 切って炒めるくらいなら頑張れる気がする。
「惣菜買ってもいいけど」
「いや、野菜がもうやばかった気がするから」
「そのやばい野菜を食わせるのかよ」
「ギリいけるはず」
「いけなかったら責任取れよ」
 はいはい、と適当に答えて焼きそばの麺をカゴに入れる。責任取るって看病するってことかな。病院連れてくってことか? いや、でもこの場合、俺も一緒の状態になるのでは?
「ビール入れていい?」
「あ、うん」
 カゴに増えた重みには、しっかり俺の好きなビールも入っている。自然とにやけそうになって「いや、会計するの俺か」と思い直す。
「あ、これも」
 レジ近くのワゴンには割引シールの貼られた和菓子たちが並ぶ。小さなポップには『中秋の名月 九月二十九日』と書かれていた。
「来週、お月見か」
 思わず声に出せば、「お月見とかするタイプだっけ?」と目も合わせずお団子のパックを入れられる。
「ほら、なんとかムーン、みたいな。ああいうのは見るよ」
「あ、これもいい?」
 ちゃんと答えたのにスルーされ、手元を覗き込めばおはぎだった。
「甘いもの入れすぎじゃない?」
「ビール苦いし、ちょうどいいんだよ」
 ビールに和菓子。最初は驚いたけど、今ではもう慣れてしまった。窮屈になってきたカゴの中、和菓子の隣にはポテトチップスの袋がある。ふたりでいるのに違うものを食べていても、時々お互いにつまみ食いしても気にならない。自分のものと相手のものの境界線が曖昧になることは心地よかった。
「外、雨だからな。入れすぎるなよ」
 ワゴンの前から動く気配のない背中に言えば、「これは来週かな」と小さな呟きが耳に入る。来週、ね。自然と漏れたであろう言葉に笑いそうになって、レジへと足を進める。来週ならやっぱりお月見団子か? なんて思いながら。

 家に帰り、交代でシャワーを浴びて食卓につく。
「あれ?」
 テーブルには予定通り焼きそばが置かれている。食材を切ったところで交代したので、仕上げは任せてしまった。
「なんで俺だけ目玉焼きのってんの?」
「こういう『お月見』の方がお前らしいから」
 確かに、月見と聞いて浮かぶのはお団子よりもファストフード店のメニューかもしれない。
「お疲れさま」を交わして、ビールを飲む。ほかほか温まった体に流れ込む冷たさが心地いい。
「いただきます」
(冷凍を戻しただけの)枝豆をスルーして、焼きそばへと意識を向ける。つるりと輝く丸い黄身が、とろりと中身を零す。実際の月がこんな簡単に形を変えたら大変だけど。
 ビールのつまみは和菓子。お月見の月は目玉焼き。お団子じゃなくて焼きそば。ふたりの間でだけ変えられるものは楽しいかもしれない。
 ――林檎買ってきて。
 という言葉がふたりの間でだけは別の意味を持ったように。
「うまっ」
「そんなに? ただの目玉焼きなのに?」
「そう、ただの目玉焼きなのにうまいからすごい」
「俺べつに特別なことしてないけど……もう酔った?」
「まだ一口しか飲んでないだろ」
「俺がシャワー浴びてる間に飲んだとか?」
「飲んでないから」
 不思議そうな表情を見せながらも「まあ、うまいならいいけど」と笑う。ふっと息が吐き出されるタイミングで緩んだ表情に、自然と思っていた。
 ――これが毎日続けばいいのに、と。

「――だから、言おうって思ったけど。でもほんとは前からずっと考えてたことで……おい」
 恥ずかしさを押し込め真面目に答えていたのに。正面に座る相手は顔を背け、肩を震わせている。
「なに笑ってんだよ」
「だって、まさか」
「そりゃ、俺だって目玉焼きでって思うけど、でも」
「違くて……」
 声まで震わせたかと思えば、ついには耐え切れなくなったのか、大きな口を開けて笑い出した。
「ふ、ふは、ははは、まさか、こんなときまで、一緒かよ」
「一緒? って何が?」
 じわりと浮かんだ涙を拭い、大きく息を吐き出すと、まっすぐ視線が繋がる。
「俺も思ったんだよ。目玉焼きひとつでこんな幸せそうな顔するのかって。――毎日見ていたいなって」
「じゃあ」
「目玉焼きくらいなら毎日作ってやるよ」
「いや、毎日はいい」
「なんだよ。そっちが言い出したのに」
「違くて。俺が作る日も入れろってこと」
 一瞬止まった空気が、同時に吐き出された息で動き出す。
 くすぐったさが収まってから口にした珈琲は冷めているのに美味しく感じた。
「今日の予定決まったな」
「あ、じゃあ隣の和菓子屋も寄りたい」
「まだ食うのかよ」

 ――なあ、そろそろ一緒に住まない?
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