八月三十一日

hamapito

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閉じ込められた夏

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 カシャ、カシャ。
 シャッター音で目が覚める。体温の染みた枕は白く、見慣れてしまった景色が視界を埋める。圭一けいいちさんはいつも俺より早く目覚めるくせに、起き上がることなくスマートフォンを俺に向ける。
「……また撮ってる」
 向けられたレンズにムッと眉を寄せた。手をかざすことはしない。そんなことをしても無駄だということは、この一ヶ月で学んでいる。代わりに壁側へと体を向ける。二人分の体重を支えるベッドが、軋んだ音をシャッター音に重ねた。
「そんなに撮ってどうすんの」
「んー、眺める?」
「本物がここにいるのに?」
「だってもう夏休みも終わりだし。いまこの瞬間のユキを閉じ込めておくのは写真しかないし」
 落とされた声は柔らかく、ふっと薄い影が心にかかる。夏休みの間だけ、という約束を忘れてはいないけれど、言葉にされると沈めていた寂しさが浮上してしまう。
「学校、行くんだろ?」
「……行きたくない」
 うん、とおとなしく頷くべきなのに。出てきたのは、ぎゅっと固めて押し込めていた本音だった。スポーツ推薦で入った高校は、夢や希望よりも現実を俺に突きつけた。頑張れば、いつか、と言い聞かせることも限界で。まだ五ヶ月。もう五ヶ月。夏休みの予定が出されたとき、張り詰めていたものが切れてしまった。
 いじめられているわけでも、友人がいないわけでもない。ただ、いつも水面で息をしているような、浅い呼吸ばかりを繰り返しているような息苦しさを感じていた。自分がいるべき場所はここじゃなかった、と。
「ユキ」
 丁寧に呼ばれた名前。自分よりも大きな体に後ろから包まれる。圭一さんの匂いが濃くなり、体温が流れ込む。同時に、ツンと鼻の奥が痛くなった。どうしてだろう。圭一さんといるとすぐに心の糸が緩んでしまう。
「学校行きたくないの?」
 小さく、触れているからこそわかる程度の頷きを返す。
「そっか。じゃあ、ずっとここにいる?」
 首の後ろ、触れた息の熱さと聞こえた言葉に、声にならない震えが肌を撫でた。ずっとここに。圭一さんのそばに。そんなことできないのはわかっている。圭一さんには仕事があるし(詳しくは知らないが、週に三日は外に出ていく)、俺だって学校が始まる。夏休み初日に圭一さんと出会ってからずっとここにいるけれど。それはあくまで「夏休みだから」できたことだというのはわかっている。わかっている、からこそ。
「……うん。ずっといる。ずっと夏休みのままでいい」
 腕の中で向きを変え、圭一さんを正面から抱き返す。できないとわかっているから。言葉だけ。いまだけ。圭一さんに閉じ込めてほしかった。スマートフォンに集められた写真のように。変わることのないものがほしかった。

 カシャ、カシャ。
 シャッター音で目が覚める。見慣れた景色に「あれ?」と違和感が掠めた。昨日、俺は自分の部屋に帰ったのではなかったか。明日から始まる新学期に備えて。どうしてまだ、圭一さんの部屋にいるのだろう。圭一さんは変わらず、俺の写真を撮っている。
「圭一、さん?」
「ん? 起きた?」
「俺、昨日も泊まったんだっけ?」
 記憶を辿ろうとするが、うまく頭が回らない。思い出されるのはこの一ヶ月繰り返した日々ばかり。変わることのない、閉じ込められた時間だけ。
「そうだよ。というか、もうずっとそうじゃん」
 寝ぼけてる? と圭一さんが小さく笑う。ほら、とスマートフォンをひっくり返し、見せられた画面には数字が並ぶ。八月三十一日。そっか、まだ八月だったのか。俺が寝ぼけてるのか。
「ずっと夏休みがいいんだろ?」
「うん。ずっと夏休みでいい」
 胸に顔を埋めれば、そっと抱きしめられる。この匂いと体温に閉じ込められると、何も考えられなくなる。まあ、いいや。夏休みが終われば強制的にこの世界から出されてしまうのだから。
 夢の入り口はまだとても近く、ゆっくりと意識が落ちていく。
「……やっぱり写真より本物がいいな」
 圭一さんの声が聞こえた気がしたけれど、俺はもう瞼を上げられなかった。

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