1 / 1
私の主食は魔力です。~偏食令嬢とエルフ様の契約生活~
しおりを挟む
お腹が空いた。
いや、正確には違う。
胃は何も求めていないのに、体の芯が、魂が、枯渇していくような、耐え難い飢餓感。
これが、異世界に来てしまった私、橘莉里亜を苛む呪いのような体質。
元の日本では、食べることが大好きだった。
それがどうだろう。
この世界に来てから、美味しいパンも、甘い果物も、栄養満点のスープも、何一つ私のエネルギーにはならなかった。
体が受け付けるのは、ただ一つ――魔力。
最初は訳が分からず衰弱していくばかりだったけど、偶然、魔力を帯びた鉱石、いわゆる「魔石」を口にしてしまった時、初めてあの飢餓感が和らいだのだ。
以来、私はこの世界で「魔石」を主食として生きている。
でも、魔石は貴重で高価だ。
持っていたわずかな金銭はあっという間に底をつき、日に日に飢餓感は増していく。
(このままじゃ、本当に死んじゃう……)
薄れゆく意識の中、私は一つの噂を思い出した。
大陸の東の果て、人間が足を踏み入れることを許されない、エルフが守る広大な森。
そこは、世界でも有数の、魔力に満ちた場所だという。
危険かもしれない。
でも、もう他に選択肢はなかった。
最後の望みを託し、私は禁断の森へと足を踏み入れた。
森は、噂通り濃密な魔力に満ちていた。
空気が違う。
深呼吸するだけで、わずかに飢餓感が和らぐようだ。
しかし、同時に、強力な拒絶の意思……結界のようなものが、私の行く手を阻む。
(だめ、入れない……)
諦めかけた、その時。
私の体質……魔力に対する異常なまでの渇望が、ほんの少しだけ結界を歪ませたのかもしれない。
ふっと体が軽くなり、私は森の内部へと吸い込まれるように足を踏み入れていた。
やった、と喜んだのも束の間。
濃密すぎる魔力に当てられたのか、それともこれまでの衰弱が限界だったのか、急激な目眩と共に、私はその場に崩れ落ちた。
意識が遠のいていく。
(……誰か……)
最後に見たのは、月光に照らされた、信じられないほど美しい、銀色の髪を持つ誰かの姿だった。
*****
目が覚めると、私は簡素だが清潔なベッドの上に寝かされていた。
木の温もりを感じる、静かな部屋。
窓の外には、見たこともないような美しい緑が広がっている。
「……気が付いたか、人間」
凛とした、静かな声が響いた。
声のした方を見ると、部屋の隅の椅子に、意識を失う前に見た人物が腰掛けていた。
長い銀色の髪、尖った耳、そして人間離れした美しい容姿。
間違いない、エルフだ。
彼は、冷ややかな、それでいて観察するような目で私を見ている。
その瞳は、深い森の湖のような、神秘的な翠色をしていた。
「ここは……?」
「我が住まう森、その一部だ」
「あの、助けてくださったんですか?」
「助けたつもりはない。我が森に許可なく侵入した不届き者を見つけただけだ」
彼の声には、明確な拒絶の色が滲んでいる。
エルフは人間を嫌うと聞いていたけれど、本当だったようだ。
「本来なら、即刻排除するところだが……お前は少々、厄介な体質をしているらしい」
彼は立ち上がり、ゆっくりと私に近づいてきた。
その動きは、音もなく滑らかだ。
「魔力に飢えているのだろう?それも、尋常ではないレベルで」
「……!なぜ、それを……」
「この森の主である私には、森の魔力の流れが分かる。お前は、まるでブラックホールのように、周囲の魔力を吸い寄せている。危険な存在だ」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
やはり、私の体質は異常なのだ。
「ですが、悪意はありません!ただ、生きるために……!」
「言い訳は聞かぬ」
彼は私の言葉を遮ると、ひんやりとした指先で、私の額に触れた。
その瞬間。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
彼の手のひらから、温かく、そして清浄な魔力が、私の体の中に流れ込んでくる。
ずっと私を苛んでいた、あの飢餓感が、嘘のようにすうっと消えていく。
満たされる感覚。
こんなに心地よいのは、初めてだった。
「……ふむ。やはり、そうか」
彼はすぐに手を離した。
名残惜しい、と思ってしまう自分がいた。
「お前の体質は、放置すれば森の魔力バランスを崩しかねん。だが、殺すのも寝覚めが悪い」
彼は少し考えるそぶりを見せ、そして結論を出した。
「……契約としよう、人間。リリア、と言ったか」
「え?」
いつの間にか名前を知られていたことに驚く。
「お前がこの森に滞在することを許可する。ただし、条件がある」
「条件、ですか?」
「一つ、私の許可なく森の魔力を過剰に摂取しないこと。二つ、常に私の監視下にいること。三つ、私の指示には絶対に従うこと」
一方的な条件。
でも、私に拒否権はない。
「そして、見返りとして……私がお前に、定期的に魔力を供給してやろう」
彼は淡々と言った。
魔力供給。
それは、この飢餓感から解放されるということ。
生き延びられるということ。
「……分かりました。その契約、お受けします」
私は頷いた。
こうして、人間嫌いの美しいエルフ、フィンと名乗った彼と、魔力なしでは生きられない私、リリアとの、奇妙な契約生活が始まった。
フィンは、森の奥にある大きな樹の中に住んでいた。
部屋はいくつもあるようで、私はその一室を与えられた。
食事は……私には必要ないので、フィンが食べる姿を眺めているだけ。
彼は主に木の実や、特殊な植物などを食べているようだった。
そして、一日に数回、フィンから魔力を供給してもらう時間がある。
彼は無言で私の前に立ち、その白い手に触れるよう促す。
私が恐る恐る彼の手に触れると、あの心地よい魔力が流れ込んでくるのだ。
最初は、ただただ飢餓感が満たされることに安堵していた。
でも、次第に、その行為自体が、特別な意味を持つように感じられてきた。
彼の手に触れる瞬間、どきりとする。
流れ込んでくる魔力と共に、彼の感情……普段は隠されている、森への深い愛情や、長い時を生きてきた者の静かな寂しさのようなものが、断片的に伝わってくる気がした。
フィンも、最初は義務的に魔力を供給しているだけ、という感じだった。
でも、回数を重ねるうちに、その翠色の瞳に、戸惑いや、あるいは……優しさのような色が、ほんの少しだけ浮かぶようになった気がする。
「……リリア」
ある日、魔力供給の最中に、彼がぽつりと私の名前を呼んだ。
「はい?」
「……お前は、なぜ人間でありながら、森の動植物に好かれているのだ?」
そういえば、私が森を散歩していると、鳥が肩に止まったり、小動物が後をついてきたりすることがあった。
それを、フィンは見ていたらしい。
「分かりません……でも、みんな可愛いなって思うし、傷つけたくないなって思うだけです」
「……そうか」
フィンはそれ以上何も言わなかったけれど、彼の手に込められる魔力が、いつもより少しだけ、温かく感じられた。
*****
フィンから魔力を分けてもらう生活を続けているうちに、私の体調は驚くほど安定してきた。
常に付きまとっていた飢餓感はほとんどなくなり、顔色も良くなったと、森の泉に映る自分の顔を見て思う。
これも、フィンの高純度で清浄な魔力のおかげだろう。
同時に、私自身の存在が、この森に影響を与えていることにも気づき始めていた。
私が触れた草花は、以前よりも生き生きと輝きを増す。
私が近くを通ると、森の精霊たちが楽しそうに周りを飛び交う。
フィンの魔力と、私の特異な体質が、何か不思議な相乗効果を生み出しているのかもしれない。
「森の魔力が、以前より活性化している……お前の影響か」
フィンもその変化に気づいていた。
彼は、複雑そうな表情で私を見る。
人間を嫌っていたはずなのに、私の存在が森に良い影響を与えている。
その事実に、戸惑っているようだった。
私も、フィンに対する気持ちが、単なる「魔力供給源への感謝」だけではないことに気づいていた。
彼のぶっきらぼうな優しさ、森を見つめる真剣な眼差し、時折見せる寂しげな表情。
そのすべてが、私の心を捉えて離さない。
魔力供給の際に触れる彼の手の温かさが、日増しに愛おしくなっていく。
(エルフで、森の主で、人間嫌い……叶うはずのない恋だって分かってるけど)
それでも、この気持ちを止めることはできなかった。
そんなある日、森に異変が起きた。
今まで感じたことのない、邪悪で、貪欲な魔力の気配が、森の外から近づいてきたのだ。
「……来たか」
フィンが、鋭い表情で呟く。
彼の瞳には、強い警戒の色が浮かんでいた。
「何が来たんですか?」
「森の魔力を狙う者たちだ。おそらく、外部の魔術師だろう。私の結界が弱まっていることに気づいたか……あるいは、お前の存在が奴らを引き寄せたか」
フィンの言葉に、私は息を呑んだ。
私のせい……?
「結界を破り、侵入してくるぞ。リリア、私のそばを離れるな」
フィンは私を手招きし、住まいである大樹のさらに奥へと導いた。
そこは、森全体の魔力が集まる、中心部のような場所だった。
ひときわ大きく、神秘的な輝きを放つクリスタルが、静かに脈打っている。
これが、フィンが言っていた「森の核」だろうか。
「ここで待っていろ。私が奴らを追い払う」
フィンはそう言うと、背中に背負っていた美しい弓を手に取り、外へと向かおうとした。
「待ってください!私も行きます!」
「危険だ。お前は足手まといになる」
「でも……!」
言い争っている間にも、邪悪な気配はどんどん近づいてくる。
そして、ついに、数人の黒ローブを着た魔術師たちが、結界を破って森の中心部に侵入してきた。
「見つけたぞ!エルフの森の核!」
「そして、噂の魔力喰らいの娘もいるな!」
魔術師たちは、下卑た笑みを浮かべて私たちを見る。
「フィン様、ここは我々にお任せを!」
どこからともなく、武装したエルフの戦士たちが数人現れ、フィンの前に立つ。
彼らは、フィンの忠実な部下なのだろう。
「……やむを得ん。リリア、絶対にここを動くな」
フィンは私に強く言い聞かせると、部下のエルフたちと共に、魔術師たちに立ち向かっていった。
激しい魔法の応酬が始まる。
光と闇が交錯し、森の空気が震える。
(私にできることは……?)
フィンは足手まといだと言った。
でも、何もせずにただ見ているだけなんてできない。
私は、強く目を閉じ、意識を集中させた。
フィンから分けてもらった、私の体に満ちている魔力。
そして、この森に満ちている、清浄な力。
それらに、呼びかける。
(お願い……フィンを助けて……!)
私の祈りに応えるように、森の精霊たちがキラキラと輝きながら集まってきた。
そして、私の体の魔力が、フィンが持つ弓へと流れ込んでいくような感覚がした。
「!?」
戦いの最中、フィンが驚いたようにこちらを振り返る。
彼の弓が、今まで以上の輝きを放ち始めた。
「この力は……リリアか!」
フィンは何かを理解したように頷くと、再び魔術師たちに向き直り、弓を引き絞った。
放たれた矢は、浄化の光を纏い、魔術師たちの邪悪な魔力を打ち破っていく。
「ぐあああっ!」
「馬鹿な、我々の魔力が……!?」
形勢は一気に逆転した。
魔術師たちは、為すすべもなく打ちのめされ、撤退していった。
*****
戦いが終わり、森に静けさが戻った。
フィンは、傷ついた部下のエルフたちを労い、森の核が無事であることを確認すると、私の元へと歩み寄ってきた。
その表情は、驚きと、安堵と、そして……何か温かい感情が入り混じった、複雑なものだった。
「……リリア。なぜ、あのようなことができた?」
「分かりません……ただ、フィンさんを助けたいって、強く願ったら……」
「そうか……」
フィンは私の頭に、そっと手を置いた。
その手は、とても優しかった。
「君は、ただ魔力を喰らうだけの存在ではなかったのだな。君のその純粋な想いが、森の力と、私の力を繋ぎ、奇跡を起こしたのかもしれん」
彼は、どこか遠くを見るような目で呟いた。
「礼を言う、リリア。君のおかげで、森も、私も救われた」
「そんな……私は、フィンさんに助けられてばかりです」
「いや……むしろ、私の方が、君に救われていたのかもしれない」
フィンは、初めて見せるような、穏やかな微笑みを浮かべた。
「私は、人間を信じることができなかった。だが、君は……違う。君の存在が、私の長い孤独を癒してくれた」
彼は、私の手を取り、その翠色の瞳で、まっすぐに私を見つめた。
「リリア。契約は終わりにしよう」
「え……?」
契約の終わり。
それは、私がここを出ていくということ?
胸が、きゅっと締め付けられる。
「これからは、契約ではなく……私の、ただ一人の大切な存在として、この森で、私の隣で生きてはくれないだろうか?」
それは、予想もしなかった言葉。
人間嫌いだったはずのエルフからの、愛の告白。
「フィン、さん……」
涙が溢れて止まらなかった。
嬉しくて、幸せで。
「……はい!喜んで!」
私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、力強く頷いた。
フィンは優しく私の涙を拭うと、そっと唇を重ねた。
流れ込んできたのは、いつもの魔力とは違う、甘くて温かい、愛の力だった。
私の「魔力を食べる」体質は、結局治らなかった。
でも、もう飢餓感に苦しむことはない。
愛する人が、毎日、その愛情と共に、私に必要な「栄養」を与えてくれるから。
人間嫌いのエルフ様と、偏食令嬢の契約から始まった関係は、種族も常識も超えた、真実の愛へと変わった。
この美しい森で、私は彼と共に、新しい人生を歩んでいく。
いや、正確には違う。
胃は何も求めていないのに、体の芯が、魂が、枯渇していくような、耐え難い飢餓感。
これが、異世界に来てしまった私、橘莉里亜を苛む呪いのような体質。
元の日本では、食べることが大好きだった。
それがどうだろう。
この世界に来てから、美味しいパンも、甘い果物も、栄養満点のスープも、何一つ私のエネルギーにはならなかった。
体が受け付けるのは、ただ一つ――魔力。
最初は訳が分からず衰弱していくばかりだったけど、偶然、魔力を帯びた鉱石、いわゆる「魔石」を口にしてしまった時、初めてあの飢餓感が和らいだのだ。
以来、私はこの世界で「魔石」を主食として生きている。
でも、魔石は貴重で高価だ。
持っていたわずかな金銭はあっという間に底をつき、日に日に飢餓感は増していく。
(このままじゃ、本当に死んじゃう……)
薄れゆく意識の中、私は一つの噂を思い出した。
大陸の東の果て、人間が足を踏み入れることを許されない、エルフが守る広大な森。
そこは、世界でも有数の、魔力に満ちた場所だという。
危険かもしれない。
でも、もう他に選択肢はなかった。
最後の望みを託し、私は禁断の森へと足を踏み入れた。
森は、噂通り濃密な魔力に満ちていた。
空気が違う。
深呼吸するだけで、わずかに飢餓感が和らぐようだ。
しかし、同時に、強力な拒絶の意思……結界のようなものが、私の行く手を阻む。
(だめ、入れない……)
諦めかけた、その時。
私の体質……魔力に対する異常なまでの渇望が、ほんの少しだけ結界を歪ませたのかもしれない。
ふっと体が軽くなり、私は森の内部へと吸い込まれるように足を踏み入れていた。
やった、と喜んだのも束の間。
濃密すぎる魔力に当てられたのか、それともこれまでの衰弱が限界だったのか、急激な目眩と共に、私はその場に崩れ落ちた。
意識が遠のいていく。
(……誰か……)
最後に見たのは、月光に照らされた、信じられないほど美しい、銀色の髪を持つ誰かの姿だった。
*****
目が覚めると、私は簡素だが清潔なベッドの上に寝かされていた。
木の温もりを感じる、静かな部屋。
窓の外には、見たこともないような美しい緑が広がっている。
「……気が付いたか、人間」
凛とした、静かな声が響いた。
声のした方を見ると、部屋の隅の椅子に、意識を失う前に見た人物が腰掛けていた。
長い銀色の髪、尖った耳、そして人間離れした美しい容姿。
間違いない、エルフだ。
彼は、冷ややかな、それでいて観察するような目で私を見ている。
その瞳は、深い森の湖のような、神秘的な翠色をしていた。
「ここは……?」
「我が住まう森、その一部だ」
「あの、助けてくださったんですか?」
「助けたつもりはない。我が森に許可なく侵入した不届き者を見つけただけだ」
彼の声には、明確な拒絶の色が滲んでいる。
エルフは人間を嫌うと聞いていたけれど、本当だったようだ。
「本来なら、即刻排除するところだが……お前は少々、厄介な体質をしているらしい」
彼は立ち上がり、ゆっくりと私に近づいてきた。
その動きは、音もなく滑らかだ。
「魔力に飢えているのだろう?それも、尋常ではないレベルで」
「……!なぜ、それを……」
「この森の主である私には、森の魔力の流れが分かる。お前は、まるでブラックホールのように、周囲の魔力を吸い寄せている。危険な存在だ」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
やはり、私の体質は異常なのだ。
「ですが、悪意はありません!ただ、生きるために……!」
「言い訳は聞かぬ」
彼は私の言葉を遮ると、ひんやりとした指先で、私の額に触れた。
その瞬間。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
彼の手のひらから、温かく、そして清浄な魔力が、私の体の中に流れ込んでくる。
ずっと私を苛んでいた、あの飢餓感が、嘘のようにすうっと消えていく。
満たされる感覚。
こんなに心地よいのは、初めてだった。
「……ふむ。やはり、そうか」
彼はすぐに手を離した。
名残惜しい、と思ってしまう自分がいた。
「お前の体質は、放置すれば森の魔力バランスを崩しかねん。だが、殺すのも寝覚めが悪い」
彼は少し考えるそぶりを見せ、そして結論を出した。
「……契約としよう、人間。リリア、と言ったか」
「え?」
いつの間にか名前を知られていたことに驚く。
「お前がこの森に滞在することを許可する。ただし、条件がある」
「条件、ですか?」
「一つ、私の許可なく森の魔力を過剰に摂取しないこと。二つ、常に私の監視下にいること。三つ、私の指示には絶対に従うこと」
一方的な条件。
でも、私に拒否権はない。
「そして、見返りとして……私がお前に、定期的に魔力を供給してやろう」
彼は淡々と言った。
魔力供給。
それは、この飢餓感から解放されるということ。
生き延びられるということ。
「……分かりました。その契約、お受けします」
私は頷いた。
こうして、人間嫌いの美しいエルフ、フィンと名乗った彼と、魔力なしでは生きられない私、リリアとの、奇妙な契約生活が始まった。
フィンは、森の奥にある大きな樹の中に住んでいた。
部屋はいくつもあるようで、私はその一室を与えられた。
食事は……私には必要ないので、フィンが食べる姿を眺めているだけ。
彼は主に木の実や、特殊な植物などを食べているようだった。
そして、一日に数回、フィンから魔力を供給してもらう時間がある。
彼は無言で私の前に立ち、その白い手に触れるよう促す。
私が恐る恐る彼の手に触れると、あの心地よい魔力が流れ込んでくるのだ。
最初は、ただただ飢餓感が満たされることに安堵していた。
でも、次第に、その行為自体が、特別な意味を持つように感じられてきた。
彼の手に触れる瞬間、どきりとする。
流れ込んでくる魔力と共に、彼の感情……普段は隠されている、森への深い愛情や、長い時を生きてきた者の静かな寂しさのようなものが、断片的に伝わってくる気がした。
フィンも、最初は義務的に魔力を供給しているだけ、という感じだった。
でも、回数を重ねるうちに、その翠色の瞳に、戸惑いや、あるいは……優しさのような色が、ほんの少しだけ浮かぶようになった気がする。
「……リリア」
ある日、魔力供給の最中に、彼がぽつりと私の名前を呼んだ。
「はい?」
「……お前は、なぜ人間でありながら、森の動植物に好かれているのだ?」
そういえば、私が森を散歩していると、鳥が肩に止まったり、小動物が後をついてきたりすることがあった。
それを、フィンは見ていたらしい。
「分かりません……でも、みんな可愛いなって思うし、傷つけたくないなって思うだけです」
「……そうか」
フィンはそれ以上何も言わなかったけれど、彼の手に込められる魔力が、いつもより少しだけ、温かく感じられた。
*****
フィンから魔力を分けてもらう生活を続けているうちに、私の体調は驚くほど安定してきた。
常に付きまとっていた飢餓感はほとんどなくなり、顔色も良くなったと、森の泉に映る自分の顔を見て思う。
これも、フィンの高純度で清浄な魔力のおかげだろう。
同時に、私自身の存在が、この森に影響を与えていることにも気づき始めていた。
私が触れた草花は、以前よりも生き生きと輝きを増す。
私が近くを通ると、森の精霊たちが楽しそうに周りを飛び交う。
フィンの魔力と、私の特異な体質が、何か不思議な相乗効果を生み出しているのかもしれない。
「森の魔力が、以前より活性化している……お前の影響か」
フィンもその変化に気づいていた。
彼は、複雑そうな表情で私を見る。
人間を嫌っていたはずなのに、私の存在が森に良い影響を与えている。
その事実に、戸惑っているようだった。
私も、フィンに対する気持ちが、単なる「魔力供給源への感謝」だけではないことに気づいていた。
彼のぶっきらぼうな優しさ、森を見つめる真剣な眼差し、時折見せる寂しげな表情。
そのすべてが、私の心を捉えて離さない。
魔力供給の際に触れる彼の手の温かさが、日増しに愛おしくなっていく。
(エルフで、森の主で、人間嫌い……叶うはずのない恋だって分かってるけど)
それでも、この気持ちを止めることはできなかった。
そんなある日、森に異変が起きた。
今まで感じたことのない、邪悪で、貪欲な魔力の気配が、森の外から近づいてきたのだ。
「……来たか」
フィンが、鋭い表情で呟く。
彼の瞳には、強い警戒の色が浮かんでいた。
「何が来たんですか?」
「森の魔力を狙う者たちだ。おそらく、外部の魔術師だろう。私の結界が弱まっていることに気づいたか……あるいは、お前の存在が奴らを引き寄せたか」
フィンの言葉に、私は息を呑んだ。
私のせい……?
「結界を破り、侵入してくるぞ。リリア、私のそばを離れるな」
フィンは私を手招きし、住まいである大樹のさらに奥へと導いた。
そこは、森全体の魔力が集まる、中心部のような場所だった。
ひときわ大きく、神秘的な輝きを放つクリスタルが、静かに脈打っている。
これが、フィンが言っていた「森の核」だろうか。
「ここで待っていろ。私が奴らを追い払う」
フィンはそう言うと、背中に背負っていた美しい弓を手に取り、外へと向かおうとした。
「待ってください!私も行きます!」
「危険だ。お前は足手まといになる」
「でも……!」
言い争っている間にも、邪悪な気配はどんどん近づいてくる。
そして、ついに、数人の黒ローブを着た魔術師たちが、結界を破って森の中心部に侵入してきた。
「見つけたぞ!エルフの森の核!」
「そして、噂の魔力喰らいの娘もいるな!」
魔術師たちは、下卑た笑みを浮かべて私たちを見る。
「フィン様、ここは我々にお任せを!」
どこからともなく、武装したエルフの戦士たちが数人現れ、フィンの前に立つ。
彼らは、フィンの忠実な部下なのだろう。
「……やむを得ん。リリア、絶対にここを動くな」
フィンは私に強く言い聞かせると、部下のエルフたちと共に、魔術師たちに立ち向かっていった。
激しい魔法の応酬が始まる。
光と闇が交錯し、森の空気が震える。
(私にできることは……?)
フィンは足手まといだと言った。
でも、何もせずにただ見ているだけなんてできない。
私は、強く目を閉じ、意識を集中させた。
フィンから分けてもらった、私の体に満ちている魔力。
そして、この森に満ちている、清浄な力。
それらに、呼びかける。
(お願い……フィンを助けて……!)
私の祈りに応えるように、森の精霊たちがキラキラと輝きながら集まってきた。
そして、私の体の魔力が、フィンが持つ弓へと流れ込んでいくような感覚がした。
「!?」
戦いの最中、フィンが驚いたようにこちらを振り返る。
彼の弓が、今まで以上の輝きを放ち始めた。
「この力は……リリアか!」
フィンは何かを理解したように頷くと、再び魔術師たちに向き直り、弓を引き絞った。
放たれた矢は、浄化の光を纏い、魔術師たちの邪悪な魔力を打ち破っていく。
「ぐあああっ!」
「馬鹿な、我々の魔力が……!?」
形勢は一気に逆転した。
魔術師たちは、為すすべもなく打ちのめされ、撤退していった。
*****
戦いが終わり、森に静けさが戻った。
フィンは、傷ついた部下のエルフたちを労い、森の核が無事であることを確認すると、私の元へと歩み寄ってきた。
その表情は、驚きと、安堵と、そして……何か温かい感情が入り混じった、複雑なものだった。
「……リリア。なぜ、あのようなことができた?」
「分かりません……ただ、フィンさんを助けたいって、強く願ったら……」
「そうか……」
フィンは私の頭に、そっと手を置いた。
その手は、とても優しかった。
「君は、ただ魔力を喰らうだけの存在ではなかったのだな。君のその純粋な想いが、森の力と、私の力を繋ぎ、奇跡を起こしたのかもしれん」
彼は、どこか遠くを見るような目で呟いた。
「礼を言う、リリア。君のおかげで、森も、私も救われた」
「そんな……私は、フィンさんに助けられてばかりです」
「いや……むしろ、私の方が、君に救われていたのかもしれない」
フィンは、初めて見せるような、穏やかな微笑みを浮かべた。
「私は、人間を信じることができなかった。だが、君は……違う。君の存在が、私の長い孤独を癒してくれた」
彼は、私の手を取り、その翠色の瞳で、まっすぐに私を見つめた。
「リリア。契約は終わりにしよう」
「え……?」
契約の終わり。
それは、私がここを出ていくということ?
胸が、きゅっと締め付けられる。
「これからは、契約ではなく……私の、ただ一人の大切な存在として、この森で、私の隣で生きてはくれないだろうか?」
それは、予想もしなかった言葉。
人間嫌いだったはずのエルフからの、愛の告白。
「フィン、さん……」
涙が溢れて止まらなかった。
嬉しくて、幸せで。
「……はい!喜んで!」
私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、力強く頷いた。
フィンは優しく私の涙を拭うと、そっと唇を重ねた。
流れ込んできたのは、いつもの魔力とは違う、甘くて温かい、愛の力だった。
私の「魔力を食べる」体質は、結局治らなかった。
でも、もう飢餓感に苦しむことはない。
愛する人が、毎日、その愛情と共に、私に必要な「栄養」を与えてくれるから。
人間嫌いのエルフ様と、偏食令嬢の契約から始まった関係は、種族も常識も超えた、真実の愛へと変わった。
この美しい森で、私は彼と共に、新しい人生を歩んでいく。
34
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が
和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」
エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。
けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。
「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」
「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」
──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】お花畑ヒロインの義母でした〜連座はご勘弁!可愛い息子を連れて逃亡します〜+おまけSS
himahima
恋愛
夫が少女を連れ帰ってきた日、ここは前世で読んだweb小説の世界で、私はざまぁされるお花畑ヒロインの義母に転生したと気付く。
えっ?!遅くない!!せめてくそ旦那と結婚する10年前に思い出したかった…。
ざまぁされて取り潰される男爵家の泥舟に一緒に乗る気はありませんわ!
アルファポリス恋愛ランキング入りしました!
読んでくれた皆様ありがとうございます。
*他サイトでも公開中
なろう日間総合ランキング2位に入りました!
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
ヒロイン不在だから悪役令嬢からお飾りの王妃になるのを決めたのに、誓いの場で登場とか聞いてないのですが!?
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
ヒロインがいない。
もう一度言おう。ヒロインがいない!!
乙女ゲーム《夢見と夜明け前の乙女》のヒロインのキャロル・ガードナーがいないのだ。その結果、王太子ブルーノ・フロレンス・フォード・ゴルウィンとの婚約は継続され、今日私は彼の婚約者から妻になるはずが……。まさかの式の最中に突撃。
※ざまぁ展開あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる