私の主食は魔力です

白桃

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私の主食は魔力です。~偏食令嬢とエルフ様の契約生活~

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 お腹が空いた。
 いや、正確には違う。
 胃は何も求めていないのに、体の芯が、魂が、枯渇していくような、耐え難い飢餓感。
 これが、異世界に来てしまった私、橘莉里亜を苛む呪いのような体質。

 元の日本では、食べることが大好きだった。
 それがどうだろう。
 この世界に来てから、美味しいパンも、甘い果物も、栄養満点のスープも、何一つ私のエネルギーにはならなかった。
 体が受け付けるのは、ただ一つ――魔力。

 最初は訳が分からず衰弱していくばかりだったけど、偶然、魔力を帯びた鉱石、いわゆる「魔石」を口にしてしまった時、初めてあの飢餓感が和らいだのだ。
 以来、私はこの世界で「魔石」を主食として生きている。
 でも、魔石は貴重で高価だ。
 持っていたわずかな金銭はあっという間に底をつき、日に日に飢餓感は増していく。

(このままじゃ、本当に死んじゃう……)

 薄れゆく意識の中、私は一つの噂を思い出した。
 大陸の東の果て、人間が足を踏み入れることを許されない、エルフが守る広大な森。
 そこは、世界でも有数の、魔力に満ちた場所だという。
 危険かもしれない。
 でも、もう他に選択肢はなかった。
 最後の望みを託し、私は禁断の森へと足を踏み入れた。

 森は、噂通り濃密な魔力に満ちていた。
 空気が違う。
 深呼吸するだけで、わずかに飢餓感が和らぐようだ。
 しかし、同時に、強力な拒絶の意思……結界のようなものが、私の行く手を阻む。

(だめ、入れない……)

 諦めかけた、その時。
 私の体質……魔力に対する異常なまでの渇望が、ほんの少しだけ結界を歪ませたのかもしれない。
 ふっと体が軽くなり、私は森の内部へと吸い込まれるように足を踏み入れていた。

 やった、と喜んだのも束の間。
 濃密すぎる魔力に当てられたのか、それともこれまでの衰弱が限界だったのか、急激な目眩と共に、私はその場に崩れ落ちた。
 意識が遠のいていく。

(……誰か……)

 最後に見たのは、月光に照らされた、信じられないほど美しい、銀色の髪を持つ誰かの姿だった。

*****

 目が覚めると、私は簡素だが清潔なベッドの上に寝かされていた。
 木の温もりを感じる、静かな部屋。
 窓の外には、見たこともないような美しい緑が広がっている。

「……気が付いたか、人間」

 凛とした、静かな声が響いた。
 声のした方を見ると、部屋の隅の椅子に、意識を失う前に見た人物が腰掛けていた。
 長い銀色の髪、尖った耳、そして人間離れした美しい容姿。
 間違いない、エルフだ。

 彼は、冷ややかな、それでいて観察するような目で私を見ている。
 その瞳は、深い森の湖のような、神秘的な翠色をしていた。

「ここは……?」
「我が住まう森、その一部だ」
「あの、助けてくださったんですか?」

「助けたつもりはない。我が森に許可なく侵入した不届き者を見つけただけだ」

 彼の声には、明確な拒絶の色が滲んでいる。
 エルフは人間を嫌うと聞いていたけれど、本当だったようだ。

「本来なら、即刻排除するところだが……お前は少々、厄介な体質をしているらしい」

 彼は立ち上がり、ゆっくりと私に近づいてきた。
 その動きは、音もなく滑らかだ。

「魔力に飢えているのだろう?それも、尋常ではないレベルで」
「……!なぜ、それを……」

「この森の主である私には、森の魔力の流れが分かる。お前は、まるでブラックホールのように、周囲の魔力を吸い寄せている。危険な存在だ」

 彼の言葉に、私は息を呑んだ。
 やはり、私の体質は異常なのだ。

「ですが、悪意はありません!ただ、生きるために……!」
「言い訳は聞かぬ」

 彼は私の言葉を遮ると、ひんやりとした指先で、私の額に触れた。
 その瞬間。
 ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
 彼の手のひらから、温かく、そして清浄な魔力が、私の体の中に流れ込んでくる。
 ずっと私を苛んでいた、あの飢餓感が、嘘のようにすうっと消えていく。
 満たされる感覚。
 こんなに心地よいのは、初めてだった。

「……ふむ。やはり、そうか」

 彼はすぐに手を離した。
 名残惜しい、と思ってしまう自分がいた。

「お前の体質は、放置すれば森の魔力バランスを崩しかねん。だが、殺すのも寝覚めが悪い」

 彼は少し考えるそぶりを見せ、そして結論を出した。

「……契約としよう、人間。リリア、と言ったか」
「え?」

 いつの間にか名前を知られていたことに驚く。

「お前がこの森に滞在することを許可する。ただし、条件がある」
「条件、ですか?」

「一つ、私の許可なく森の魔力を過剰に摂取しないこと。二つ、常に私の監視下にいること。三つ、私の指示には絶対に従うこと」

 一方的な条件。
 でも、私に拒否権はない。

「そして、見返りとして……私がお前に、定期的に魔力を供給してやろう」

 彼は淡々と言った。
 魔力供給。
 それは、この飢餓感から解放されるということ。
 生き延びられるということ。

「……分かりました。その契約、お受けします」

 私は頷いた。
 こうして、人間嫌いの美しいエルフ、フィンと名乗った彼と、魔力なしでは生きられない私、リリアとの、奇妙な契約生活が始まった。

 フィンは、森の奥にある大きな樹の中に住んでいた。
 部屋はいくつもあるようで、私はその一室を与えられた。
 食事は……私には必要ないので、フィンが食べる姿を眺めているだけ。
 彼は主に木の実や、特殊な植物などを食べているようだった。

 そして、一日に数回、フィンから魔力を供給してもらう時間がある。
 彼は無言で私の前に立ち、その白い手に触れるよう促す。
 私が恐る恐る彼の手に触れると、あの心地よい魔力が流れ込んでくるのだ。

 最初は、ただただ飢餓感が満たされることに安堵していた。
 でも、次第に、その行為自体が、特別な意味を持つように感じられてきた。
 彼の手に触れる瞬間、どきりとする。
 流れ込んでくる魔力と共に、彼の感情……普段は隠されている、森への深い愛情や、長い時を生きてきた者の静かな寂しさのようなものが、断片的に伝わってくる気がした。

 フィンも、最初は義務的に魔力を供給しているだけ、という感じだった。
 でも、回数を重ねるうちに、その翠色の瞳に、戸惑いや、あるいは……優しさのような色が、ほんの少しだけ浮かぶようになった気がする。

「……リリア」

 ある日、魔力供給の最中に、彼がぽつりと私の名前を呼んだ。

「はい?」
「……お前は、なぜ人間でありながら、森の動植物に好かれているのだ?」

 そういえば、私が森を散歩していると、鳥が肩に止まったり、小動物が後をついてきたりすることがあった。
 それを、フィンは見ていたらしい。

「分かりません……でも、みんな可愛いなって思うし、傷つけたくないなって思うだけです」
「……そうか」

 フィンはそれ以上何も言わなかったけれど、彼の手に込められる魔力が、いつもより少しだけ、温かく感じられた。

*****

 フィンから魔力を分けてもらう生活を続けているうちに、私の体調は驚くほど安定してきた。
 常に付きまとっていた飢餓感はほとんどなくなり、顔色も良くなったと、森の泉に映る自分の顔を見て思う。
 これも、フィンの高純度で清浄な魔力のおかげだろう。

 同時に、私自身の存在が、この森に影響を与えていることにも気づき始めていた。
 私が触れた草花は、以前よりも生き生きと輝きを増す。
 私が近くを通ると、森の精霊たちが楽しそうに周りを飛び交う。
 フィンの魔力と、私の特異な体質が、何か不思議な相乗効果を生み出しているのかもしれない。

「森の魔力が、以前より活性化している……お前の影響か」

 フィンもその変化に気づいていた。
 彼は、複雑そうな表情で私を見る。
 人間を嫌っていたはずなのに、私の存在が森に良い影響を与えている。
 その事実に、戸惑っているようだった。

 私も、フィンに対する気持ちが、単なる「魔力供給源への感謝」だけではないことに気づいていた。
 彼のぶっきらぼうな優しさ、森を見つめる真剣な眼差し、時折見せる寂しげな表情。
 そのすべてが、私の心を捉えて離さない。
 魔力供給の際に触れる彼の手の温かさが、日増しに愛おしくなっていく。

(エルフで、森の主で、人間嫌い……叶うはずのない恋だって分かってるけど)

 それでも、この気持ちを止めることはできなかった。

 そんなある日、森に異変が起きた。
 今まで感じたことのない、邪悪で、貪欲な魔力の気配が、森の外から近づいてきたのだ。

「……来たか」

 フィンが、鋭い表情で呟く。
 彼の瞳には、強い警戒の色が浮かんでいた。

「何が来たんですか?」
「森の魔力を狙う者たちだ。おそらく、外部の魔術師だろう。私の結界が弱まっていることに気づいたか……あるいは、お前の存在が奴らを引き寄せたか」

 フィンの言葉に、私は息を呑んだ。
 私のせい……?

「結界を破り、侵入してくるぞ。リリア、私のそばを離れるな」

 フィンは私を手招きし、住まいである大樹のさらに奥へと導いた。
 そこは、森全体の魔力が集まる、中心部のような場所だった。
 ひときわ大きく、神秘的な輝きを放つクリスタルが、静かに脈打っている。
 これが、フィンが言っていた「森の核」だろうか。

「ここで待っていろ。私が奴らを追い払う」

 フィンはそう言うと、背中に背負っていた美しい弓を手に取り、外へと向かおうとした。

「待ってください!私も行きます!」
「危険だ。お前は足手まといになる」
「でも……!」

 言い争っている間にも、邪悪な気配はどんどん近づいてくる。
 そして、ついに、数人の黒ローブを着た魔術師たちが、結界を破って森の中心部に侵入してきた。

「見つけたぞ!エルフの森の核!」
「そして、噂の魔力喰らいの娘もいるな!」

 魔術師たちは、下卑た笑みを浮かべて私たちを見る。

「フィン様、ここは我々にお任せを!」

 どこからともなく、武装したエルフの戦士たちが数人現れ、フィンの前に立つ。
 彼らは、フィンの忠実な部下なのだろう。

「……やむを得ん。リリア、絶対にここを動くな」

 フィンは私に強く言い聞かせると、部下のエルフたちと共に、魔術師たちに立ち向かっていった。
 激しい魔法の応酬が始まる。
 光と闇が交錯し、森の空気が震える。

(私にできることは……?)

 フィンは足手まといだと言った。
 でも、何もせずにただ見ているだけなんてできない。
 私は、強く目を閉じ、意識を集中させた。
 フィンから分けてもらった、私の体に満ちている魔力。
 そして、この森に満ちている、清浄な力。
 それらに、呼びかける。

(お願い……フィンを助けて……!)

 私の祈りに応えるように、森の精霊たちがキラキラと輝きながら集まってきた。
 そして、私の体の魔力が、フィンが持つ弓へと流れ込んでいくような感覚がした。

「!?」

 戦いの最中、フィンが驚いたようにこちらを振り返る。
 彼の弓が、今まで以上の輝きを放ち始めた。

「この力は……リリアか!」

 フィンは何かを理解したように頷くと、再び魔術師たちに向き直り、弓を引き絞った。
 放たれた矢は、浄化の光を纏い、魔術師たちの邪悪な魔力を打ち破っていく。

「ぐあああっ!」
「馬鹿な、我々の魔力が……!?」

 形勢は一気に逆転した。
 魔術師たちは、為すすべもなく打ちのめされ、撤退していった。

*****

 戦いが終わり、森に静けさが戻った。
 フィンは、傷ついた部下のエルフたちを労い、森の核が無事であることを確認すると、私の元へと歩み寄ってきた。
 その表情は、驚きと、安堵と、そして……何か温かい感情が入り混じった、複雑なものだった。

「……リリア。なぜ、あのようなことができた?」
「分かりません……ただ、フィンさんを助けたいって、強く願ったら……」

「そうか……」

 フィンは私の頭に、そっと手を置いた。
 その手は、とても優しかった。

「君は、ただ魔力を喰らうだけの存在ではなかったのだな。君のその純粋な想いが、森の力と、私の力を繋ぎ、奇跡を起こしたのかもしれん」

 彼は、どこか遠くを見るような目で呟いた。

「礼を言う、リリア。君のおかげで、森も、私も救われた」
「そんな……私は、フィンさんに助けられてばかりです」

「いや……むしろ、私の方が、君に救われていたのかもしれない」

 フィンは、初めて見せるような、穏やかな微笑みを浮かべた。

「私は、人間を信じることができなかった。だが、君は……違う。君の存在が、私の長い孤独を癒してくれた」

 彼は、私の手を取り、その翠色の瞳で、まっすぐに私を見つめた。

「リリア。契約は終わりにしよう」
「え……?」

 契約の終わり。
 それは、私がここを出ていくということ?
 胸が、きゅっと締め付けられる。

「これからは、契約ではなく……私の、ただ一人の大切な存在として、この森で、私の隣で生きてはくれないだろうか?」

 それは、予想もしなかった言葉。
 人間嫌いだったはずのエルフからの、愛の告白。

「フィン、さん……」

 涙が溢れて止まらなかった。
 嬉しくて、幸せで。

「……はい!喜んで!」

 私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、力強く頷いた。
 フィンは優しく私の涙を拭うと、そっと唇を重ねた。
 流れ込んできたのは、いつもの魔力とは違う、甘くて温かい、愛の力だった。

 私の「魔力を食べる」体質は、結局治らなかった。
 でも、もう飢餓感に苦しむことはない。
 愛する人が、毎日、その愛情と共に、私に必要な「栄養」を与えてくれるから。

 人間嫌いのエルフ様と、偏食令嬢の契約から始まった関係は、種族も常識も超えた、真実の愛へと変わった。
 この美しい森で、私は彼と共に、新しい人生を歩んでいく。
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