1 / 4
婚約破棄の屈辱
しおりを挟む
春の陽光が降り注ぐ王立アカデミーの庭園で、クラリス・アレスフォードは再び失敗していた。
「あ、あの…すみません!」
クラリスは慌てて膝をつき、落としてしまった紅茶の染みを必死に拭おうとした。その姿はあまりにも滑稽で、周囲の貴族たちからは忍びやかな笑い声が漏れていた。
「また、やってくれたな、クラリス」
冷たい声に顔を上げると、婚約者であるロラン・カーライル子爵の冷ややかな視線が突き刺さった。彼の完璧な容姿とは裏腹に、その目には常に軽蔑の色が浮かんでいた。
「ごめんなさい、ロラン…私、また精霊の光が見えて…」
「その言い訳はもう聞き飽きた」
クラリスは肩を落とした。伯爵家の令嬢でありながら、彼女には「精霊の光が見える」という特殊な能力があった。しかし、光に気を取られてしまうせいで、しばしば周囲の状況が把握できなくなってしまう。そのせいで物を落としたり、つまずいたり、人にぶつかったりすることが日常茶飯事だった。
「本当に、ポンコツだな」
ロランの吐き捨てるような言葉に、クラリスの心は再び傷つけられた。婚約してからすでに二年。最初はそれなりに優しかったロランも、今ではクラリスをただの「ポンコツ令嬢」としか見ていないようだった。
++++
卒業パーティの日、華やかな装いをしたクラリスは、珍しく失敗なく過ごせていることに小さな幸せを感じていた。今夜は特別な夜。ロランとの関係も改善できるかもしれないと、わずかな希望を胸に抱いていた。
「皆さん、お知らせがあります」
バルコニーの中央で突然声を上げたのは、ロランだった。彼の隣には侯爵令嬢のパトリシア・ウィンザーが立っている。彼女の唇には、うっすらと勝ち誇った微笑みが浮かんでいた。
「本日、私とパトリシア・ウィンザー令嬢の婚約を発表させていただきます」
会場に歓声が上がる。
「そして、クラリス・アレスフォード令嬢との婚約は、本日をもって解消させていただきます」
一瞬、会場が凍りついた。そして、次の瞬間には囁き声が波のように広がった。
クラリスはその場に立ち尽くしていた。全ての視線が自分に注がれていることも、耳に入る嘲笑も、ほとんど感じなかった。ただロランの隣に立つパトリシアの姿だけが、彼女の目に焼き付いていた。
「…理由を聞いてもいいですか?」
かろうじて声を絞り出したクラリスに、ロランは冷笑を浮かべた。
「理由なんて明白だろう。君は伯爵家の令嬢でありながら、あまりにもポンコツすぎる。精霊の光が見えるという証明の難しい能力を言い訳にして、常に失敗ばかり。そんな君と結婚して子どもをもうけるなんて、カーライル家の血を汚すようなものだ」
会場からどよめきが上がる。
「パトリシアは違う。彼女は完璧だ。優雅で、気品があり、何よりも有能だ。君とは比べものにならない」
パトリシアはうっすらと微笑んでロランの腕に手を添えた。その視線には勝利の色が濃く滲んでいた。
クラリスの世界は、その瞬間に崩れ去った。
++++
「クラリス、しっかりして」
友人のソフィアが心配そうにクラリスの部屋を訪ねてきた。卒業パーティから三日経っていたが、クラリスはほとんど部屋から出ていなかった。
「大丈夫よ、ソフィア…」
しかし、その声は虚ろだった。
「あんなロランなんて、忘れてしまえばいいのよ。あなたには、もっといい人がきっといるわ」
ソフィアの優しい言葉も、クラリスの心に届いているようには見えなかった。
「ねえ、聞いた?今朝、王都で大きな出来事があったみたいよ」
気分転換にと、ソフィアは話題を変えた。
「聖女ミアが、偽聖女として糾弾されたんですって。本当の聖女は別にいたとか…」
クラリスは初めて興味を示した。聖女ミアは王都で最も尊敬されていた女性の一人だった。
「どうなったの?」
「追放されたのよ。でも、面白いことに、ミアは全然落ち込まなかったみたい。むしろ『これで自由になれる』って笑っていたんですって」
クラリスの目がわずかに輝いた。
「本当に?」
「ええ。それに、もう一つ噂があるの。追放された後のミアが、旅の途中で魔物に襲われた村を救ったんですって。彼女、実は本物の聖女だったのかもしれないわ」
「…ミアは、自分の力を信じていたのね」
クラリスは窓の外を見つめた。そこには、彼女だけに見える精霊の光が、いつもより鮮やかに瞬いていた。
「ありがとう、ソフィア。ちょっと考えることがあるの」
ソフィアが部屋を去った後、クラリスは初めて真剣に自分の能力について考えた。精霊の光が見えるということは、一体どういう意味なのか。それはただの幻覚ではなく、何かを示しているのかもしれない。
「もしかして…私も…」
クラリスの心に、小さな希望の灯が灯った。
「あ、あの…すみません!」
クラリスは慌てて膝をつき、落としてしまった紅茶の染みを必死に拭おうとした。その姿はあまりにも滑稽で、周囲の貴族たちからは忍びやかな笑い声が漏れていた。
「また、やってくれたな、クラリス」
冷たい声に顔を上げると、婚約者であるロラン・カーライル子爵の冷ややかな視線が突き刺さった。彼の完璧な容姿とは裏腹に、その目には常に軽蔑の色が浮かんでいた。
「ごめんなさい、ロラン…私、また精霊の光が見えて…」
「その言い訳はもう聞き飽きた」
クラリスは肩を落とした。伯爵家の令嬢でありながら、彼女には「精霊の光が見える」という特殊な能力があった。しかし、光に気を取られてしまうせいで、しばしば周囲の状況が把握できなくなってしまう。そのせいで物を落としたり、つまずいたり、人にぶつかったりすることが日常茶飯事だった。
「本当に、ポンコツだな」
ロランの吐き捨てるような言葉に、クラリスの心は再び傷つけられた。婚約してからすでに二年。最初はそれなりに優しかったロランも、今ではクラリスをただの「ポンコツ令嬢」としか見ていないようだった。
++++
卒業パーティの日、華やかな装いをしたクラリスは、珍しく失敗なく過ごせていることに小さな幸せを感じていた。今夜は特別な夜。ロランとの関係も改善できるかもしれないと、わずかな希望を胸に抱いていた。
「皆さん、お知らせがあります」
バルコニーの中央で突然声を上げたのは、ロランだった。彼の隣には侯爵令嬢のパトリシア・ウィンザーが立っている。彼女の唇には、うっすらと勝ち誇った微笑みが浮かんでいた。
「本日、私とパトリシア・ウィンザー令嬢の婚約を発表させていただきます」
会場に歓声が上がる。
「そして、クラリス・アレスフォード令嬢との婚約は、本日をもって解消させていただきます」
一瞬、会場が凍りついた。そして、次の瞬間には囁き声が波のように広がった。
クラリスはその場に立ち尽くしていた。全ての視線が自分に注がれていることも、耳に入る嘲笑も、ほとんど感じなかった。ただロランの隣に立つパトリシアの姿だけが、彼女の目に焼き付いていた。
「…理由を聞いてもいいですか?」
かろうじて声を絞り出したクラリスに、ロランは冷笑を浮かべた。
「理由なんて明白だろう。君は伯爵家の令嬢でありながら、あまりにもポンコツすぎる。精霊の光が見えるという証明の難しい能力を言い訳にして、常に失敗ばかり。そんな君と結婚して子どもをもうけるなんて、カーライル家の血を汚すようなものだ」
会場からどよめきが上がる。
「パトリシアは違う。彼女は完璧だ。優雅で、気品があり、何よりも有能だ。君とは比べものにならない」
パトリシアはうっすらと微笑んでロランの腕に手を添えた。その視線には勝利の色が濃く滲んでいた。
クラリスの世界は、その瞬間に崩れ去った。
++++
「クラリス、しっかりして」
友人のソフィアが心配そうにクラリスの部屋を訪ねてきた。卒業パーティから三日経っていたが、クラリスはほとんど部屋から出ていなかった。
「大丈夫よ、ソフィア…」
しかし、その声は虚ろだった。
「あんなロランなんて、忘れてしまえばいいのよ。あなたには、もっといい人がきっといるわ」
ソフィアの優しい言葉も、クラリスの心に届いているようには見えなかった。
「ねえ、聞いた?今朝、王都で大きな出来事があったみたいよ」
気分転換にと、ソフィアは話題を変えた。
「聖女ミアが、偽聖女として糾弾されたんですって。本当の聖女は別にいたとか…」
クラリスは初めて興味を示した。聖女ミアは王都で最も尊敬されていた女性の一人だった。
「どうなったの?」
「追放されたのよ。でも、面白いことに、ミアは全然落ち込まなかったみたい。むしろ『これで自由になれる』って笑っていたんですって」
クラリスの目がわずかに輝いた。
「本当に?」
「ええ。それに、もう一つ噂があるの。追放された後のミアが、旅の途中で魔物に襲われた村を救ったんですって。彼女、実は本物の聖女だったのかもしれないわ」
「…ミアは、自分の力を信じていたのね」
クラリスは窓の外を見つめた。そこには、彼女だけに見える精霊の光が、いつもより鮮やかに瞬いていた。
「ありがとう、ソフィア。ちょっと考えることがあるの」
ソフィアが部屋を去った後、クラリスは初めて真剣に自分の能力について考えた。精霊の光が見えるということは、一体どういう意味なのか。それはただの幻覚ではなく、何かを示しているのかもしれない。
「もしかして…私も…」
クラリスの心に、小さな希望の灯が灯った。
1
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された王太子妃候補ですが、私がいなければこの国は三年で滅びるそうです。
カブトム誌
恋愛
王太子主催の舞踏会。
そこで私は「無能」「役立たず」と断罪され、公開の場で婚約を破棄された。
魔力は低く、派手な力もない。
王家に不要だと言われ、私はそのまま国を追放されるはずだった。
けれど彼らは、最後まで気づかなかった。
この国が長年繁栄してきた理由も、
魔獣の侵攻が抑えられていた真の理由も、
すべて私一人に支えられていたことを。
私が国を去ってから、世界は静かに歪み始める。
一方、追放された先で出会ったのは、
私の力を正しく理解し、必要としてくれる人々だった。
これは、婚約破棄された令嬢が“失われて初めて価値を知られる存在”だったと、愚かな王国が思い知るまでの物語。
※ざまぁ要素あり/後半恋愛あり
※じっくり成り上がり系・長編
廃墟送りの悪役令嬢、大陸一の都市を爆誕させる~冷酷伯爵の溺愛も限界突破しています~
遠野エン
恋愛
王太子から理不尽な婚約破棄を突きつけられた伯爵令嬢ルティア。聖女であるライバルの策略で「悪女」の烙印を押され、すべてを奪われた彼女が追放された先は荒れ果てた「廃墟の街」。人生のどん底――かと思いきや、ルティアは不敵に微笑んだ。
「問題が山積み? つまり、改善の余地(チャンス)しかありませんわ!」
彼女には前世で凄腕【経営コンサルタント】だった知識が眠っていた。
瓦礫を資材に変えてインフラ整備、ゴロツキたちを警備隊として雇用、嫌われ者のキノコや雑草(?)を名物料理「キノコスープ」や「うどん」に変えて大ヒット!
彼女の手腕によって、死んだ街は瞬く間に大陸随一の活気あふれる自由交易都市へと変貌を遂げる!
その姿に、当初彼女を蔑んでいた冷酷伯爵シオンの心も次第に溶かされていき…。
一方、ルティアを追放した王国は経済が破綻し、崩壊寸前。焦った元婚約者の王太子がやってくるが、幸せな市民と最愛の伯爵に守られた彼女にもう死角なんてない――――。
知恵と才覚で運命を切り拓く、痛快逆転サクセス&シンデレラストーリー、ここに開幕!
傷物の大聖女は盲目の皇子に見染められ祖国を捨てる~失ったことで滅びに瀕する祖国。今更求められても遅すぎです~
たらふくごん
恋愛
聖女の力に目覚めたフィアリーナ。
彼女には人に言えない過去があった。
淑女としてのデビューを祝うデビュタントの日、そこはまさに断罪の場へと様相を変えてしまう。
実父がいきなり暴露するフィアリーナの過去。
彼女いきなり不幸のどん底へと落とされる。
やがて絶望し命を自ら断つ彼女。
しかし運命の出会いにより彼女は命を取り留めた。
そして出会う盲目の皇子アレリッド。
心を通わせ二人は恋に落ちていく。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
聖女の力に目覚めた私の、八年越しのただいま
藤 ゆみ子
恋愛
ある日、聖女の力に目覚めたローズは、勇者パーティーの一員として魔王討伐に行くことが決まる。
婚約者のエリオットからお守りにとペンダントを貰い、待っているからと言われるが、出発の前日に婚約を破棄するという書簡が届く。
エリオットへの想いに蓋をして魔王討伐へ行くが、ペンダントには秘密があった。
黒の聖女、白の聖女に復讐したい
夜桜
恋愛
婚約破棄だ。
その言葉を口にした瞬間、婚約者は死ぬ。
黒の聖女・エイトは伯爵と婚約していた。
だが、伯爵は白の聖女として有名なエイトの妹と関係をもっていた。
だから、言ってはならない“あの言葉”を口にした瞬間、伯爵は罰を受けるのだった。
※イラストは登場人物の『アインス』です
聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~
白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。
王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。
彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。
#表紙絵は、もふ様に描いていただきました。
#エブリスタにて連載しました。
奥様は聖女♡
喜楽直人
ファンタジー
聖女を裏切った国は崩壊した。そうして国は魔獣が跋扈する魔境と化したのだ。
ある地方都市を襲ったスタンピードから人々を救ったのは一人の冒険者だった。彼女は夫婦者の冒険者であるが、戦うのはいつも彼女だけ。周囲は揶揄い夫を嘲るが、それを追い払うのは妻の役目だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる