炎の騎士と水の巫女

白桃

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冷たい瞳と水の囁き

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 エリシア王国の東に広がる森の奥深く、水の神殿は静かに佇んでいた。石造りの柱に蔦が絡み、清らかな泉が太陽の光を反射してキラキラと輝く。そこに暮らす巫女ミリアは、今日も白いローブを纏い、素足で泉の縁に座っていた。長い黒髪が風に揺れ、青い瞳が水面を見つめる。彼女の手が軽く水をかき混ぜると、さざ波が広がり、小さな光の粒が舞い上がった。

「雨が欲しいって、村の人たちが言ってた。そろそろ降らせてあげようかな」

 ミリアは呟きながら微笑んだ。彼女は生まれつき水を操る力を持ち、神殿で育てられてきた。村々に恵みの雨を降らせ、傷ついた者を癒すのが役目だ。争いごとは苦手で、森の静けさと水の穏やかさが彼女の心を満たしていた。

 その平穏な時間が、突然の馬蹄の音に破られた。ミリアが顔を上げると、神殿の入り口に黒い馬が現れ、その背から鎧を着た男が降り立つ。赤銅色の髪が風に揺れ、鋭い瞳が彼女を射抜く。鎧には炎の紋章が刻まれ、手に持つ剣の鞘からはかすかに熱が漂っていた。ミリアは立ち上がり、ローブの裾を握り締めた。

「お前が水の巫女か」

 男の声は低く、命令するような響きがあった。ミリアは少し身を引いて頷く。

「はい、ミリアです。あなたは……?」
「ダリウスだ。エリシア王国騎士団長。炎の騎士と呼ばれている」

 彼は一歩踏み出し、ミリアを見下ろした。その瞳には苛立ちと焦りが混じっているように見えた。ミリアは胸がざわつき、彼の熱気を肌に感じた。

「何か用ですか? 神殿にはあまり人が来ないから……」
「用がなければ来るか。カルディア軍が国境を越えた。村々が襲われ、王都まであと数日だ。お前の水の力が必要だ」

 ダリウスの言葉に、ミリアの顔が曇る。カルディアとの争いは耳にしていたが、遠い話だと思っていた。彼女は首を振って答えた。

「水は癒すためのもの。戦うなんて、私にはできません」
「できないだと?」

 ダリウスが一歩近づき、声に怒気が滲む。ミリアは後ずさりしたが、彼の視線に捕らわれて動けなかった。

「敵が村を焼き、子供を殺してるんだぞ。お前が力を貸さなきゃ、もっと死ぬ。甘い考えは命を奪うだけだ」
「でも……人を傷つけるなんて、私には……」

 ミリアの声が震えた。彼女の手が無意識に泉に触れ、水面が小さく揺れる。ダリウスは剣の柄に手をかけ、冷笑した。

「傷つけるのが嫌なら、足止めでもいい。俺が焼き払う。お前は水で敵を混乱させろ。それくらいできるだろう」

 ミリアは目を伏せた。確かに、村人を守りたい気持ちはある。でも、戦場に立つなんて想像もつかない。彼女が口を開こうとした時、ダリウスが背を向けた。

「考える時間はない。今夜、騎士団と共に出る。準備しろ」
「待ってください!」

 ミリアが叫ぶと、ダリウスが振り返る。彼女は勇気を振り絞って言った。

「水は争いの道具じゃない。癒して、育てるものなんです。それを戦に使うなんて、神様に背くことになる」

 その言葉に、ダリウスの瞳が一瞬燃えるように光った。彼は剣を抜き、刃を地面に突き立てた。すると剣先から小さな炎が迸り、近くの草が焦げる。ミリアが息を呑むと、彼は低い声で言った。

「神だと? 俺は神なんかに頼らない。家族が焼け死んだ時、神は助けてくれなかった。俺にはこの炎しかない。お前が何を信じようと知ったことじゃないが、国のためならその力を出せ」

 ミリアは言葉を失った。ダリウスの声には怒りだけでなく、深い痛みが隠れている気がした。彼女は彼の瞳を見た。鋭いけれど、どこか寂しげだ。彼が剣を鞘に戻し、馬に近づくのを見ながら、ミリアの心は揺れた。

「私は……どうすればいいんだろう」

 泉に映る自分の顔が、困惑に歪んでいた。ダリウスが馬に跨り、最後に一瞥をくれる。

「今夜だ。来なければ、村は焼ける。それでもいいなら、神とやらに祈ってろ」

 馬が走り去り、ミリアは一人残された。風が彼女の髪を乱し、泉の水が静かに波打つ。彼女は膝を抱え、目を閉じた。ダリウスの言葉が頭を巡る。村を守りたい。でも、戦いたくない。その間で心が引き裂かれそうだった。

 やがて、ミリアは立ち上がった。ローブの裾を握り、泉に手を浸す。水が彼女の指先で光り、小さな渦を巻いた。

「癒すだけじゃダメなら……せめて、守るために使ってみようか」

 彼女の声は小さく、決意と不安が混じっていた。

 太陽が西に傾き、神殿に長い影が落ちる。ミリアは部屋に戻り、旅の支度を始めた。ダリウスの瞳が、なぜか頭から離れなかった。
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