暁闇の騎士

琉斗六

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 その日に起きた出来事と、思いがけず芽生めばえた感情の正体。
 それらを整理する気力もなく、クリスはただシャワーに打たれていた。
 水を出しているはずなのに、まるで湯にのぼせているかのように感じられる。

 そこに、だれかが入ってくる気配がした。

 わざと時間をずらしたはずだった。
 他の者に会わずに済むはずだった。

 黙って立ち去るか、気づかないふりをするか。
 そう思う暇もないうちに、背後から聞き慣れた声が届いた。

「やあ、クリス。グリント様への報告書、もう仕上げて提出してくれたんだって?」

 声に反応し、ゆっくりと目を開ける。
 隣に立っていたのは、ミスティだった。
 黒い髪と、赤い瞳。

 否──ミスティの瞳は、ラディアントに預けられたばかりの頃は、むしろ茶色味の強いアンバーだった。
 再生を繰り返すうち、気付いた時には真紅しんくの瞳になっていた。

 18歳にしては、どこかあどけなさの残る丸い頬。
 日々の鍛錬に晒された身体にはしなやかな強さが宿りつつも、首筋や手足の細さにはまだ、少年の影が色濃く残っている。
 けれど──燃えるような赤い瞳と、張りついたような無表情のせいで、時折その顔は、人生のすべてを諦めた老成の仮面に変わる。

「このところ、全部きみ任せになっていて、すまないな」
「……大したことじゃない。そもそも、きみは "それどころ" じゃなかっただろう」
「ははっ、全くだ」

 穏やかな笑い声。
 けれど、その目には光がない。
 声も表情も整っているのに、そこに "熱" はなかった。

 クリスは、気づけばミスティの胸元に目を向けていた。
 数刻前に魔物に切り裂かれた、そのあたりに。
 視線に気づいたのか、ミスティが小さく首を傾けた。

「いや……、傷はもう、大丈夫か? 俺は、きみに手当をしなかったと言って、議員に大目玉を食らった」
「そりゃあとばっちりだったなぁ。こっちは、もうなんの問題もない」

 そう言って、ミスティは胸元を少し開く。
 白く滑らかな肌。そこには、傷の痕跡ひとつも残っていない。

 何かに突き動かされるように、クリスの手がその胸元に伸びていた。
 指先が触れた瞬間、ミスティの身体がびくりと小さく震えた。

「ああ……すまない……」

 クリスは慌てて手を引いた。
 ミスティの肌に無断で触れたことに気づき、クリスは言い訳を探そうとした。
 だが、ミスティは不思議そうに目を瞬かせるだけだった。

「いや、別に構わない」

 そう言いながら、ミスティはわずかに体の向きを変える。
 照明が、その肌をなぞるように落ちていく。
 それは無防備に見せているのか、それとも本当に無頓着なのか、クリスには判別できなかった。

 気づけば、クリスはミスティを抱き寄せていた。
 唇が触れ、頬が近づく。
 赤い瞳が、驚いたように大きく見開かれる。

 その赤い瞳には、いつもの無表情ではない、ごくかすかな揺らぎが浮かんでいた。
 それが驚きか、戸惑いかは分からなかったが──クリスには、それが一筋の希望の兆しに見えた。

 クリスの肩に置かれた、ミスティの手。
 最初は拒絶の反射のようだったが、強く押し返してくることはなかった。
 むしろ、指先にはどこかすがるような力が込められていた。

 そのわずかなぬくもりが、クリスの理性を溶かす引き金だったのかもしれない。

 クリスは、ミスティの体を壁に押しつけた。
 唇を離すことなく、息を奪うほどに深く求めた。

 ミスティの眉がわずかに寄る。
 抵抗はなかった。

 けれど、彼からの応えもなかった。

 唇を離すと、肩で息を乱しながら、ミスティはゆっくりと目を開けた。
 その顔に浮かんだ戸惑いは、まるで、自らの古い記憶に触れたかのような痛みを映していた。

 だが、触れた肌は確かに熱を持ち、反応していた。
 クリスの理性は、その熱にあっさりと溶かされていった。

 クリスが欲しかったのは、そこに残る "なにか" だった。
 彼がまだ、完全には壊れていないという、確かな証。
 クリスは、夢中でミスティを求めた。

 壁に預けられたミスティの身体。
 逃げようとはしない。

 しかし、身を寄せてくることもない。

 それでも、指先に触れた肌は熱く、かすかに震えていた。

 クリスはミスティの脚を持ち上げ、その腰を引き寄せた。
 濡れた床で足元が滑らぬよう、壁に手をつきながら体重を預ける。
 水音の中で、短い吐息が上がった。

「……そんな、急に……」

 かすれた声。
 非難の色は、なかった。

 クリスは無言のまま、ミスティの太ももを支え、中へと押し入った。
 息が、交差する。
 ミスティの喉が上下し、眉が寄った。

 最初はただ、壁を押すような動きをするだけだった。
 だが、その奥にある熱に触れたとき、ミスティが小さく喘いだ。

 痛みか、快感か?
 それはクリスにはわからなかった。
 ただ、確かに反応があった。

 ミスティの背中は壁にもたれかかり、両手は支えるように伸びていた。
 シャワーが肩を打ち、無数の水滴が肌を滑り落ちていく。

 ミスティの肩が微かに震えていた。
 俯いた横顔。紅潮した頬。

「ちょっと……強引すぎるだろう……?」

 ミスティの瞼が上がる。
 濡れた赤い瞳に、揺れる光が差していた。
 その揺らめきが、クリスには、感情に見えたのだ。

 クリスの中にあるのは、欲望ではなかった。
 むしろ、恐怖に近い何かだった。

 それは、失われていくものに必死でしがみつこうとするような感覚だった。

 夢中で求める。
 言葉は交わされることなく、二人の吐息だけが重なっていく。

 壁に添えられた手が、わずかに震える。
 ミスティは何も言わず、ただクリスの行為を受け入れていた。
 脚を絡ませるでもなく、声も漏らすことなく、ただ浅い呼吸を繰り返していた。

 何かを、やり過ごすかのように。
 それでも、クリスは動きを深めた。

 ミスティの体が、びくりと震える。
 呼吸が引っかかり、背が反る。

 クリスは、それをミスティからの応答だと確信し、腕の中のミスティの体をきつく抱きしめた。
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