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第一部:アレックス
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陽の暮れかけた住宅街。
ハリーは妻の待つ自宅の扉を開けた。
「リサ、帰ったよ」
「お帰りなさい」
ハリーはコートをリサに手渡すと、リビングのソファにゆったりとくつろぐ。
「ねえハリー」
「なに?」
紅茶のセットをテーブルの上に置くと、リサはハリーの向かい側に腰を降ろした。
「仕事の方、順調なの?」
「え…っ?」
ハリーは、少し驚いた顔をしてしまった。
なぜなら、リサがそんな質問をしてきたのは、それこそ結婚をして初めての事だったからである。
アレックスの妹であるリサは、幼い頃に両親を亡くしてからずっと兄妹二人で暮らしてきた。
故に、ハリーが思う以上に刑事という職を理解してくれている。
だから、家族であっても秘密厳守が大原則である事など、百も承知の筈なのだ。
「どうしたの、急に?」
「あ…ごめんなさい。…別にお仕事の内容を聞こうと思ったんじゃないの。ただ…」
リサの顔にチラチラと浮かぶ不安の影に、ハリーはふと友人の外科医に貰ったアドバイスを思い出す。
警察病院に勤務する外科医のジョナサン曰く「妊娠中の婦女子の精神は、安定など決してしないけれど、それでも投げ遣りにならず気を使ってやるのが夫の勤め」なのだそうだ。
そして彼は「夫に出来る事など、せいぜいその程度なのだから気合いを入れて専念するように」とも言った。
そんな教訓じみた事しか言ってくれない友人に不服を述べると、「その他の事は、専門医と女に任しておくのが一番良い」と一笑に付されてしまった。
リサも、そして勿論ハリーにとっても初産である今度の事で、少しでも詳しい人間に適切なアドバイスをもらえたらと相談をしたのにと、あの時は少しばかり腹立たしく思ったが、こうなってみると確かにその通りで頭の下がる思いのハリーだった。
「リサ、大丈夫。そりゃあいつものように〝絶対の約束〟は出来ないけれど、でも出産の時は出来るだけキミの側にいられるようにするし…」
「え…」
リサは顔を上げ、それから慌てたように首を左右に振った。
「違うのっ。違うのよ、ハリー。確かに、出産の時にあなたがついていてくれた方が、私も安心できると思うけど、でもそれに気を取られてあなたがケガをしたりする方が、私は嫌だから」
「リサ?」
「だから、それについてはもう気持ちの整理はついているの。もしもあなたがいなくても、私ちゃんと一人で産むわ」
「じゃあ、どうして?」
ハリーの問いに、リサは少し迷うように俯いて、それから真っ直ぐハリーを見た。
「兄さんは…、子供が好きかしら?」
「なんだい、いきなり…、もしかして心配なの?」
「だって…、確かに兄さんは立派な人だと思うわ。正義感も人一倍強いし…。でもその所為で兄さんを嫌っている人もいっぱいいるわ。兄さんの仕事も増えていくわ。子供に構ってるヒマなんか無いって言われそうで…」
「リサ、それ本気で思ってるの?」
「え…?」
ハリーは立ち上がると、リサの隣に座り直した。
「キミと先輩…アレックス義兄さんのご両親は、買い物に出たマーケットで運悪く強盗と鉢合わせして、射殺されてしまったんだろう?」
「そうよ。…それで、兄さんはあんなにも犯罪を憎んでいるんだわ」
「うん、そう。自分達みたいな不幸な人を減らす為にね。だからとても仕事熱心で、一見すごく冷たく感じるけど、本当は誰より優しい人だ。その先輩が、たった一人の妹の子供を無碍にするワケ無いじゃないか」
「…でも」
「大丈夫だよ、リサ。そうだ、すっかり忘れていたけど、アレを見ればリサだってきっと安心する」
「………?」
ハリーはゴソゴソと上着のポケットを探り、クチャクチャになった一通の封筒を取り出した。
「なぁに、これ?」
受け取ったそれの封をそっと開くと、中には手帳のページをちぎったようなメモ紙が一枚入っていた。
取り出されたその紙に書かれた走り書きのような文字を見つめ、リサは目を丸くする。
「コレ…兄さんが?」
「そう。先輩、ちゃんと名前を考えてくれたんだ。…なんて、書いてある?」
「女の子だったらエリザベス。男の子だったらロイ。それから『私は病院に行かれないと思うが、無事を祈ってる』ですって。なんか、別人みたい」
まるで子供のように喜ぶリサを見て、ハリーも顔をほころばせた。
「安心した?」
「ええ。疑った事が恥ずかしいくらい」
俯くリサを、ハリーはそっと抱き寄せた。
ハリーは妻の待つ自宅の扉を開けた。
「リサ、帰ったよ」
「お帰りなさい」
ハリーはコートをリサに手渡すと、リビングのソファにゆったりとくつろぐ。
「ねえハリー」
「なに?」
紅茶のセットをテーブルの上に置くと、リサはハリーの向かい側に腰を降ろした。
「仕事の方、順調なの?」
「え…っ?」
ハリーは、少し驚いた顔をしてしまった。
なぜなら、リサがそんな質問をしてきたのは、それこそ結婚をして初めての事だったからである。
アレックスの妹であるリサは、幼い頃に両親を亡くしてからずっと兄妹二人で暮らしてきた。
故に、ハリーが思う以上に刑事という職を理解してくれている。
だから、家族であっても秘密厳守が大原則である事など、百も承知の筈なのだ。
「どうしたの、急に?」
「あ…ごめんなさい。…別にお仕事の内容を聞こうと思ったんじゃないの。ただ…」
リサの顔にチラチラと浮かぶ不安の影に、ハリーはふと友人の外科医に貰ったアドバイスを思い出す。
警察病院に勤務する外科医のジョナサン曰く「妊娠中の婦女子の精神は、安定など決してしないけれど、それでも投げ遣りにならず気を使ってやるのが夫の勤め」なのだそうだ。
そして彼は「夫に出来る事など、せいぜいその程度なのだから気合いを入れて専念するように」とも言った。
そんな教訓じみた事しか言ってくれない友人に不服を述べると、「その他の事は、専門医と女に任しておくのが一番良い」と一笑に付されてしまった。
リサも、そして勿論ハリーにとっても初産である今度の事で、少しでも詳しい人間に適切なアドバイスをもらえたらと相談をしたのにと、あの時は少しばかり腹立たしく思ったが、こうなってみると確かにその通りで頭の下がる思いのハリーだった。
「リサ、大丈夫。そりゃあいつものように〝絶対の約束〟は出来ないけれど、でも出産の時は出来るだけキミの側にいられるようにするし…」
「え…」
リサは顔を上げ、それから慌てたように首を左右に振った。
「違うのっ。違うのよ、ハリー。確かに、出産の時にあなたがついていてくれた方が、私も安心できると思うけど、でもそれに気を取られてあなたがケガをしたりする方が、私は嫌だから」
「リサ?」
「だから、それについてはもう気持ちの整理はついているの。もしもあなたがいなくても、私ちゃんと一人で産むわ」
「じゃあ、どうして?」
ハリーの問いに、リサは少し迷うように俯いて、それから真っ直ぐハリーを見た。
「兄さんは…、子供が好きかしら?」
「なんだい、いきなり…、もしかして心配なの?」
「だって…、確かに兄さんは立派な人だと思うわ。正義感も人一倍強いし…。でもその所為で兄さんを嫌っている人もいっぱいいるわ。兄さんの仕事も増えていくわ。子供に構ってるヒマなんか無いって言われそうで…」
「リサ、それ本気で思ってるの?」
「え…?」
ハリーは立ち上がると、リサの隣に座り直した。
「キミと先輩…アレックス義兄さんのご両親は、買い物に出たマーケットで運悪く強盗と鉢合わせして、射殺されてしまったんだろう?」
「そうよ。…それで、兄さんはあんなにも犯罪を憎んでいるんだわ」
「うん、そう。自分達みたいな不幸な人を減らす為にね。だからとても仕事熱心で、一見すごく冷たく感じるけど、本当は誰より優しい人だ。その先輩が、たった一人の妹の子供を無碍にするワケ無いじゃないか」
「…でも」
「大丈夫だよ、リサ。そうだ、すっかり忘れていたけど、アレを見ればリサだってきっと安心する」
「………?」
ハリーはゴソゴソと上着のポケットを探り、クチャクチャになった一通の封筒を取り出した。
「なぁに、これ?」
受け取ったそれの封をそっと開くと、中には手帳のページをちぎったようなメモ紙が一枚入っていた。
取り出されたその紙に書かれた走り書きのような文字を見つめ、リサは目を丸くする。
「コレ…兄さんが?」
「そう。先輩、ちゃんと名前を考えてくれたんだ。…なんて、書いてある?」
「女の子だったらエリザベス。男の子だったらロイ。それから『私は病院に行かれないと思うが、無事を祈ってる』ですって。なんか、別人みたい」
まるで子供のように喜ぶリサを見て、ハリーも顔をほころばせた。
「安心した?」
「ええ。疑った事が恥ずかしいくらい」
俯くリサを、ハリーはそっと抱き寄せた。
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