Black/White

琉斗六

文字の大きさ
39 / 89
第二部:ハリー

23

しおりを挟む
 数日後、ロイの入院している警察病院に、エリザベスを伴ったマクミラン夫妻の姿があった。
 ハリーは顔見知りの医者に連絡を取り、ロイの様子が安定した頃合を見計らってやってきたのである。
 初めに、同じ病院にいるイーストンに会った。
 意識は戻っていたがまだ会話は出来ず、窓越しでの面会ではあったが、確実に回復しているようだった。

「あの子も、元気だと良いわ」
「そうだね」

 来る途中の車の中で、ハリーはようやくリサに事の次第を説明した。リサは少し怒っていたようだが、それはハリーにではなく、モンテカルロに対してであるようだった。

「先に、ドクターに会っていくだろう?」
「私は良いわ、外で待ってる。あんまり、聞きたくない話を聞かされそうだから」
「そうだね」

 ハリーは医者に会いに行き、リサはエリザベスと廊下でハリーを見送った。

「やあ、ハリー、待ってたんだよ」
「僕を? 何かあったのかい?」

 ハリーの姿を見ると医者は立ち上がり、そのままハリーの背中を押して廊下に出た。

「こんにちわ、ドクター」
「おや、これはリサ奥さん。おいハリー、奥さんまで連れて来たのかい? マズイなあ」
「おいジョナサン、どうしたって言うんだ? 何があったか説明してくれよ。リサも大体の事は知ってるから…」

 ジョナサンはしばらく困ったような顔をしていたが、決心したように顔を上げた。

「それじゃあ、大丈夫かどうかはそっちで決めてくれ。ハリー退行現象って知ってるか?」
「…そりゃあ…、名前ぐらいならね」

 戸惑ったように答えるハリーに、ジョナサンはふうんと頷いてみせる。

「じゃあ、どんな状態かは?」
「…字面を見れば、大体のところは解るけど…。実質的にどんなものかは、解らないな。専門家でもないし…」
「キミはホントに正直者だな。よくあんな職を続けていられると、感心するよ」
「余計なお世話だ。それでなんなんだ? ハッキリ言えよ」
「ああ、そうだったな。歩きながら説明するよ、行こう」
「おい、待てよ。勝手なヤツだな」

 置いて行かれたハリーとリサは、エリザベスを抱き上げて慌てて後を追う。

「つまりだな、う~ん。ああいった患者にはたまにあるんだよ。その、何だ、退行現象ってヤツがな」
「まさかロイが、なったのか?」

 ハリーは一瞬足を止めて、医者を見た。ジョナサンは少し困ったような顔のまま頷いてみせる。

「うん、そのまさかなんだよ。俺もなるとは思わなかったんだけど…。発作を起こす前は、質問にもちゃんと答えていたし…。…あの坊や、なんか悩みとか抱えてたんじゃないの?」
「悩みを抱えていると…、なるんですか?」
「なりやすい。と言う方が、正しいね。退行現象ってのは、一種の現実逃避なんですよ、奥さん。嫌な事のある現在じゃなくって、楽しくってしょうがなかった過去に帰りたいとか、大人じゃ許されないけれど、子供なら許されるとか。解ります?」

 医者の問いに、ハリーとリサは顔を見合わせた。
 言われた事が、解らない訳ではない。
 解りすぎて、困っているのだ。
 それは憶測に過ぎないけれど。しかしロイは、アレックスの死を自分の非としてリサに審判を願い出た程だったのだから。

「ほらそこだよ。あ、言っとくけど多分キミ達のコト、全然判らないと思うから、そのつもりでね」

 二人は黙って頷き、特別病室の扉を開けた。
 明るい光が差し込む室内の、真っ白なベッドの縁に座った少年の姿が目に映る。
 彼は、手に持った大きな本をジッと見つめていた。
 大きな文字と、画面いっぱいに描かれた絵で出来ている。それは、市販されている絵本だった。

「こんにちは」

 リサは少年の正面に膝をつくと、彼の顔を覗き込むようにして声をかける。
 一瞬、吃驚したように顔を上げた少年は、大きく瞬きをした後でリサに向かってニッコリと笑いかける。
 あまりに無防備で、しかも本当に無垢な笑顔を浮かべた少年に、ハリーはロイにも普通に笑う事が出来るのかと、奇妙に感心してしまった。

「なにを読んでいるの?」

 しかし少年はリサの問いに答えず、すぐに目線を本の方へと戻して、その単純なストーリーの世界に没頭してしまう。

「ああ、そうそう。言い忘れてた」

 扉越しにこちらを見ていたジョナサンが、不意に思い出したように口を開いた。

「その子、口が利けないからね」
「どうしてっ?」

 思わず振り返って問うハリーに、ジョナサンはちょっとだけ肩を竦めてみせる。

「原因は、申し訳ないけど全く不明なんだ。病院中たらい回しにしたけどダメだった。多分記憶と一緒に戻るだろうって言うのが、携わった医師全員の結論。悪いね」
「悪いと思うなら何とかしろよ」

 珍しく毒づいたハリーに、医者は苦い笑みを浮かべただけでなにも言わなかった。

「まま、おにいちゃんがりずにこのごほんを、くれるって」

 不意にエリザベスがリサのスカートの裾を引き、手に持っていた本を差し出してくる。

「えっ?」
「まぁ、リズ。これはお兄ちゃんのでしょう?」
「ううん、りずにくれるって。ごほんをくれて、りずのあたまをなでなでしてくれたわ」

 エリザベスは本を持ったままロイの側に寄り、ベッドの上によじ登った。
 隣に座った少女の頭を、確かにロイがそっと撫でている。

「ほう、これは驚いたな。この状態になってから、人に興味を持ったのは初めてだよ」

 感心したように呟いた医者を、ハリーは恨めしげな目線で見てしまう。

「それで、いつ退院できるのかしら?」
「退院? もういつでも大丈夫ですよ、身体の方に異常は認められませんから」

 ジョナサンは、怒っているハリーを無視して、リサに愛想を振りまいた。

「リサ、まさか…」
「どうしたのハリー、退院手続きをしてきてちょうだい。今日連れて帰るわ、この子」
「だってリサ…」
「言ったでしょう。私はこの子にしてあげられるだけの事はなんでもしてあげたいの。この子がこんな風になってしまったのは、兄さんの所為よ。そうでしょう?」
「それは、そうだけど…」
「それにね、兄さんもそれを望んでいると思うの。兄さんは、この子が幸せになる事を望んでいたんだから…」

 リサの大きな瞳がハリーを捉える。その目に、ハリーが逆らえる筈もなかった。

「解ったよ。すぐに戻ってくるから、待っててね」

 ハリーは会計に走っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

処理中です...