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16年後の二人の章
7.火元
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執務室で真壁が仕事をしていると、響野が現れた。
「なんだ、休みにしなくてよかったのか?」
「急に休むと、西條の胃に穴が空くから、仕事に行けって、若桐さんに怒られた」
真壁の答えに、響野はゲラゲラ笑った。
そしてわざわざデスクを回り込んで真壁の隣に立つと、バンッと背中を叩く。
「顔がすっきりしたな」
「やめろ。おまえに叩かれると、内臓まで口から出そうだ」
ハハハと笑って、響野は扉に向かい──。
出ていく直前に足を止めて、振り返る。
「今日、また予約入れておくから、仕事が終わったら飲みに行こう」
「分かった。一応、若桐さんにも打診をして、来られるようだったら来てもらう」
「オッケー」
響野はサムズアップをすると、部屋から出ていった。
§
件の料亭の個室には、響野が持ち込んだタブレットがテーブルに置かれている。
「なんの戦略会議だよ」
座敷に入った若桐が言った。
「あ、これは、カミサンもズームで参加させようと思って……」
「莫迦! 妊婦になにさせてんだ!」
麗子は、いきなり若桐が響野を説教している姿が映し出されて笑った。
「若桐さん、お久しぶりです」
「よう、麗子ちゃん。体調は大丈夫かい?」
「はい。実家でゆっくりさせてもらってるので」
「気分が悪くなったら、早めに退席するんだぞ」
「やだ。若桐さんのほうが旦那より気遣い上手!」
うふふと麗子が笑う。
「あの~、ヒトリモンの若桐さんが、なんでそんなに分かるんです?」
「自分のカミサンじゃなくても、同僚に何人も妊婦がいたからな。がさつな訓練生から、守ってやらなきゃならないんだよ」
「さすが名前が守なだけありますね!」
「響野……おまえ、まだそんなオヤジギャク言うような年じゃねぇだろ……」
仲居が料理を運んで部屋から退出したところで、麗子がおもむろに切り出した。
「そろそろはっきりさせないと、本当に真壁君の昇進は立ち消えになっちゃうわ」
「と言ったところで、どうするべきか?」
ううーんと響野が腕を組む。
「これ以上、篠原少将に迷惑を掛ける訳にはいかん。とりあえず、今度の休みに俺が藤原君に話を聞きに行ってくる」
冷静に、若桐が言った。
「藤原三佐、今、どこ勤務なんです?」
「今は二佐だ。市ヶ谷で航空幕僚監部付の教育課勤務だぞ」
「うわ! サバサバ美女がますますバリキャリになってる!」
「当然だ。彼女の能力で、静浜勤務はむしろもったいないぐらいだったからな」
ふふんと笑った若桐に、ふと真壁が問うた。
「あの、もしかしてその教育課の話、若桐さんに来たんじゃ……?」
「や……そんな訳ねぇよ」
ふいっと、若桐は視線をそらす。
「やだっ! 静浜から市ヶ谷に移ると真壁君と離れちゃうから、断ったのっ!」
タブレットの向こうで、麗子が嬉しそうに叫んだ。
「違うってっ!」
「守さん……僕のために断ったんですか?」
「よせってば!」
「あー、そんで代わりに藤原さんを推した……と。そんであっちは、若桐さんが推すならって、ほいほい藤原さんをもらいうけた……と」
あーはいはい、と響野が頷く。
「やめろ! 違うと言ってるだろうがっ!」
「やだ、若桐さん、飲んでもないのに真っ赤じゃない。意外と可愛い~」
「ちょっと、トイレ行ってくる」
「若桐さん、逃げもいいけど早く戻ってくださいね。話進まないから」
響野夫婦がニヤニヤしている視線に耐えられず、若桐は席を立った。
§
休日、市ヶ谷駅の改札を抜けたところで、若桐は目についたカフェで甘口のコーヒーを購入した。
甘党の藤原に、差し入れのためだ。
若桐がアポイントを取ると、藤原はすぐにも応じてくれた。
入口にも話を通しておいてくれたらしく、身分証を提示するとすぐにも藤原が顔を出す。
「若桐さん、お久しぶりです」
「よう、久しぶり。これ、みんなで食ってくれ」
差し入れのカフェの他に、浜松で買ったうなぎパイの箱を差し出すと、藤原が笑う。
「相変わらずですね。ありがとうございます」
「いや、わざわざ時間を割いてもらってるからな」
面談室に通されて、若桐と藤原は向かい合った。
「それで、今日は?」
「うん。きみのところに、なんか身上調査のようなもの、なかったかい?」
「えっ、なんでご存知なんですか?」
「ああ、うん。実は……」
若桐は少し言葉を濁した。
「きみと、訓練生時代の真壁が、不倫していたという噂が出ていてな」
「真壁?」
「静浜で、俺と教鞭取ってた時に教えた、背のでかい……」
「ああ! あの綺麗な顔した "どちて坊や" !」
藤原の返事に、若桐は思わず吹き出した。
「藤原君、きみ、年齢詐称してるのか?」
「あ、ネタが古すぎました? でもあの子、授業終わりに "どちてどちて" って質問攻めにしてくるの、得意だったじゃないですか」
「確かに……な」
──それでまぁ、俺は沼に落ちたし……。
さすがに言葉に出せず、若桐は苦い笑いを浮かべる。
「もっとも、あんなに熱心に聞いてきた生徒、あとにも先にもいなくて。教官冥利にはつきますけどね」
「そうだな」
「え……でも、あの真壁と、私が、不倫?」
「ああ。真壁に昇進の話が出たら、きみと不適切な付き合いがあったと密告があったらしい。もし、本当にそんな密告があったなら、市ヶ谷にきみを推した俺としては、きみの履歴に傷が付くと思ってな」
「傷って言えば、離婚した時点でボロボロですよ」
「そういえば、立ち入ったことを聞くようで申し訳ないが、その離婚は、どうして?」
「どうしてもなにも、旦那が海外に何人も現地妻を作ってたからですね。それで手一杯って時に、身上調査が入って。向こうの弁護士が浮足立ったのは、そういう理由なんですね」
「他人事みたいに言ってるが、身上調査で真壁の名前は出なかったのか?」
「私の耳にはなにも。ただ、静浜時代のことを根掘り葉掘り訊かれただけです」
──つまり、調査のメインは真壁ってことか……。
そう考えた若桐と、同じことを藤原も思ったらしい。
「タイミング的に、真壁の昇進を妬んだ "悪意ある密告" なんじゃないですか?」
「俺もそう思う。問題は、誰がそんなことをしたのか……ってことだな」
「そうですねぇ……。少なくとも、真壁が質問小僧で、当時の教官なら誰でも質問攻めにされたことはあったと思いますけど」
「藤原君は、魅力的だからな。当時も訓練生に、随分言い寄られていたんじゃないか?」
「既婚者になに言ってんだって感じですよね。……でも、訓練生のなんて単なる冷やかしですから、どうってこともありませんが……」
「……ああ、そういえば、セクハラ問題で悩んでいたなぁ……」
「まぁ、あの当時は上級士官が下級女性士官にセクハラするのは、当たり前の風潮残ってましたけどね」
「埴生さんと樋口さんと……他にもいたね」
「埴生さんのは、セクハラってよりは、距離なしに近かったですけどね」
アハハハハと、藤原が笑う。
「あとは……すぐに転勤になっちゃった、佐竹二佐とか! あ~、考えてみると、あの頃は若桐さんに相談ばっかりしてましたね!」
「あんまり役には立てなかったけどな」
頭を掻く若桐に、藤原は否定するように頭を振った。
「聞いてくれる男性がいるだけで、全然違いましたよ! 当時は服務相談室なんて形だけでしたし。若桐さんは、真面目に対応策考えてくれましたから」
「まぁ、ポケットにレコーダー仕込んどけ……とか、二人きりにならないように気をつけろ……ぐらいのアドバイスしか、出来なかったけどな」
二人は当時を思い出し、思わず笑う。
「話を戻すが、密告の件で旦那から慰謝料の減額要求でもされたのかい?」
「されましたね。もっとも、強気でけっぽりましたけど。……そういえば、真壁も若桐さんが推してた子……ですよね? そっちは大丈夫なんですか?」
「あまり大丈夫とは言い難いな。真壁は今、将補の候補に上がってるんだが、その密告の所為で話が流れそうなんだ」
「あら、大変! 私、いざとなったら証言立ちますから。必要な時は言ってくださいね」
「済まないな」
「いいえ! 若桐さんのおかげで、私も市ヶ谷勤めになれましたし。感謝してるんです」
実際、若桐は静浜を離れる気になれず、藤原に出世の道を譲った。
真壁はエリート中のエリートであり、一時はブルーインパルスのパイロットをこなし、その後も全国各地の基地を転勤に継ぐ転勤で、勤めたことのない場所がないに等しい。
若桐が静浜にこだわった理由は、表向きには "現場主義" で通しているが、実際のところ、真壁との時間を作りやすい環境だったからだ。
それをこうも素直に感謝されると、後ろめたさすら感じてしまう。
「きみと真壁の、ツーショットの証拠写真ってのもあってな」
「マジですか?」
若桐は、響野から借りた写真を、藤原に見せた。
受け取るまでは深刻な顔だった藤原が、写真を見た瞬間に笑い出した。
「やだ! こんなの証拠写真でもなんでもないですよ!」
「知ってるのか?」
「はい。これ……真壁と同期の……響野……?」
「響野がこれを?」
──あの莫迦、自分で撮った写真覚えてねぇのか……?
「あ、違う、違う。響野は真壁の友人でしたね。響野じゃなくて……、ええっと……」
なんせもう16年も前の話だ。
そこで卒業アルバムでも持ち出して顔を見ながら……ならば、多少は記憶の蓋も開くが──。
そうそうすぐに思い出せるものでもないだろう……と、若桐は藤原が長考するあいだも辛抱強く待った。
「なんだっけなぁ……。かりじま……? だったかな? クラスのムードメーカーと言うか、ちょっとおふざけがすぎるのがいたじゃないですか」
「ああ……そう言われると、なんかいたな……」
だが、即座には思い出せない。
「とりあえず、名前は良い。そのかりじまが、撮ったと?」
「真壁は四角四面の生真面目だったでしょう? お堅い真壁をからかうのに、こういう写真撮ってたのがいて。注意した記憶があるんですよ」
「つまり、そのふざけただけの写真が、悪用されているだけだ……と」
「ええ。撮った生徒が見つかれば、私以上に重要な証人になると思いますよ」
なるほどと頷き、若桐は藤原に笑みを向ける。
「ありがとう。かりじまが誰かはわからんが、調べてみる。撮影者が分かったら、きみにも連絡をさせよう。向こうの弁護士の、言い訳の余地を潰したいだろう?」
「はい! なにからなにまで、お世話掛けます」
「いや、俺に出来ることなんて、些細なことだよ」
若桐は挨拶をして、藤原と別れた。
§
真壁の執務室の扉を、またしてもノックもなく開けて響野が入ってきた。
「おう、メッセージ見たかっ?」
「三佐、困ります!」
「西條君、ありがとう。少し、休憩入れてきて」
真壁は立ち上がると、西條に席を外すように言った。
西條は、真壁の顔を見て、それからちらっと響野の顔を見て、もう一度真壁を見たところで「わかりました」と言って席を離れた。
「こう頻度が高いと、本当に西條の胃に穴が空く。仕事が済んでからにしろ」
「いや、若桐さんの "かりじま" ってのが気になってなぁ」
響野はそのまま、執務室の応接セットにぼすんと腰を据えた。
「それは、僕も気になった。だが、たぶん狩谷か堂島のどっちかだろう」
「なんだ、調べたのか?」
「調べてはいない。同期の顔と名前は全部覚えている」
「教官の藤原さんは覚えてないのに、同期は覚えてるのかっ!」
「任務で必要な人間の顔と名前は、覚えておくに越したことはないだろう」
きっぱりと言い切られ、響野は少し呆れ顔になった。
「本当におまえは、合理主義だよ。若桐さん以外は」
響野のため息と、扉のノックはほぼ同時だった。
「入れ」
「堂島一尉、出頭しました!」
入ってきた顔に、響野は驚きを隠せない。
「なんで……」
「若桐さんのメッセージをもらったところで、呼んでおいた。浜松勤務だったからな」
堂島も、そこに響野がいるとは思ってなかったようだった。
「あ、えーと……」
「呼び出してすまない。ちょっと確認したいことがあって……」
真壁はタブレットの画面に、件の "証拠写真" を映し出す。
「この写真、きみが撮ったのか?」
「うわ! なんでこれを真壁が……!」
思わず口から出た言葉に、堂島は慌てて姿勢を正した。
同期だが、場所と時間を考えると一尉の自分は真壁や響野よりも格下なのだ。
「いいよ、今は同期として話そうぜ」
立ち上がった響野は、バンバンと堂島の背中を叩いた。
「この写真が、今更どうしたんだ?」
「心当たりがあるのかよ」
話しやすい響野が訊ねたほうがいいだろうと、真壁は黙ったまま、流れに任せた。
「ある……と言うか。撮ったのは俺じゃない、狩谷だ。ただ……あいつが先日、面白い画像が出てきたとか言って、送ってきたんだ」
「そりゃ、仲間内だけなら面白いで済むが……」
「え……っ?」
響野の一言に、堂島の顔が強張る。
「なんで、外部に出した?」
「まさかっ! 俺は出してない! 出したなら狩谷だろう!」
慌てふためく堂島を見て、真壁は少し考えた。
「狩谷が送った相手は、誰と誰なんだろう?」
「俺と……せいぜい同期の誰かだろう」
「てか、堂島。今すぐ狩谷に電話しろ!」
迫る響野を、真壁が止めた。
「莫迦、まだ勤務中だぞ……」
「事は急を要するんだ。時間は関係ない」
「それほど急でもない。堂島、狩谷に写真を誰と誰に送ったのか、訊ねるメッセージを入れておいてくれ。響野、今日また予約を入れておいてくれるか? 若桐さんが戻ったら、改めて話をしよう。堂島も、付き合ってくれ」
「おう!」
響野は威勢よく返事をすると、どかどかと執務室を出ていった。
「一体……なんなんだ?」
ぽかんと、その背中を堂島が見送る。
「ちょっと込み入った話だから、後でちゃんと説明をする」
真壁が、答えた。
「なんだ、休みにしなくてよかったのか?」
「急に休むと、西條の胃に穴が空くから、仕事に行けって、若桐さんに怒られた」
真壁の答えに、響野はゲラゲラ笑った。
そしてわざわざデスクを回り込んで真壁の隣に立つと、バンッと背中を叩く。
「顔がすっきりしたな」
「やめろ。おまえに叩かれると、内臓まで口から出そうだ」
ハハハと笑って、響野は扉に向かい──。
出ていく直前に足を止めて、振り返る。
「今日、また予約入れておくから、仕事が終わったら飲みに行こう」
「分かった。一応、若桐さんにも打診をして、来られるようだったら来てもらう」
「オッケー」
響野はサムズアップをすると、部屋から出ていった。
§
件の料亭の個室には、響野が持ち込んだタブレットがテーブルに置かれている。
「なんの戦略会議だよ」
座敷に入った若桐が言った。
「あ、これは、カミサンもズームで参加させようと思って……」
「莫迦! 妊婦になにさせてんだ!」
麗子は、いきなり若桐が響野を説教している姿が映し出されて笑った。
「若桐さん、お久しぶりです」
「よう、麗子ちゃん。体調は大丈夫かい?」
「はい。実家でゆっくりさせてもらってるので」
「気分が悪くなったら、早めに退席するんだぞ」
「やだ。若桐さんのほうが旦那より気遣い上手!」
うふふと麗子が笑う。
「あの~、ヒトリモンの若桐さんが、なんでそんなに分かるんです?」
「自分のカミサンじゃなくても、同僚に何人も妊婦がいたからな。がさつな訓練生から、守ってやらなきゃならないんだよ」
「さすが名前が守なだけありますね!」
「響野……おまえ、まだそんなオヤジギャク言うような年じゃねぇだろ……」
仲居が料理を運んで部屋から退出したところで、麗子がおもむろに切り出した。
「そろそろはっきりさせないと、本当に真壁君の昇進は立ち消えになっちゃうわ」
「と言ったところで、どうするべきか?」
ううーんと響野が腕を組む。
「これ以上、篠原少将に迷惑を掛ける訳にはいかん。とりあえず、今度の休みに俺が藤原君に話を聞きに行ってくる」
冷静に、若桐が言った。
「藤原三佐、今、どこ勤務なんです?」
「今は二佐だ。市ヶ谷で航空幕僚監部付の教育課勤務だぞ」
「うわ! サバサバ美女がますますバリキャリになってる!」
「当然だ。彼女の能力で、静浜勤務はむしろもったいないぐらいだったからな」
ふふんと笑った若桐に、ふと真壁が問うた。
「あの、もしかしてその教育課の話、若桐さんに来たんじゃ……?」
「や……そんな訳ねぇよ」
ふいっと、若桐は視線をそらす。
「やだっ! 静浜から市ヶ谷に移ると真壁君と離れちゃうから、断ったのっ!」
タブレットの向こうで、麗子が嬉しそうに叫んだ。
「違うってっ!」
「守さん……僕のために断ったんですか?」
「よせってば!」
「あー、そんで代わりに藤原さんを推した……と。そんであっちは、若桐さんが推すならって、ほいほい藤原さんをもらいうけた……と」
あーはいはい、と響野が頷く。
「やめろ! 違うと言ってるだろうがっ!」
「やだ、若桐さん、飲んでもないのに真っ赤じゃない。意外と可愛い~」
「ちょっと、トイレ行ってくる」
「若桐さん、逃げもいいけど早く戻ってくださいね。話進まないから」
響野夫婦がニヤニヤしている視線に耐えられず、若桐は席を立った。
§
休日、市ヶ谷駅の改札を抜けたところで、若桐は目についたカフェで甘口のコーヒーを購入した。
甘党の藤原に、差し入れのためだ。
若桐がアポイントを取ると、藤原はすぐにも応じてくれた。
入口にも話を通しておいてくれたらしく、身分証を提示するとすぐにも藤原が顔を出す。
「若桐さん、お久しぶりです」
「よう、久しぶり。これ、みんなで食ってくれ」
差し入れのカフェの他に、浜松で買ったうなぎパイの箱を差し出すと、藤原が笑う。
「相変わらずですね。ありがとうございます」
「いや、わざわざ時間を割いてもらってるからな」
面談室に通されて、若桐と藤原は向かい合った。
「それで、今日は?」
「うん。きみのところに、なんか身上調査のようなもの、なかったかい?」
「えっ、なんでご存知なんですか?」
「ああ、うん。実は……」
若桐は少し言葉を濁した。
「きみと、訓練生時代の真壁が、不倫していたという噂が出ていてな」
「真壁?」
「静浜で、俺と教鞭取ってた時に教えた、背のでかい……」
「ああ! あの綺麗な顔した "どちて坊や" !」
藤原の返事に、若桐は思わず吹き出した。
「藤原君、きみ、年齢詐称してるのか?」
「あ、ネタが古すぎました? でもあの子、授業終わりに "どちてどちて" って質問攻めにしてくるの、得意だったじゃないですか」
「確かに……な」
──それでまぁ、俺は沼に落ちたし……。
さすがに言葉に出せず、若桐は苦い笑いを浮かべる。
「もっとも、あんなに熱心に聞いてきた生徒、あとにも先にもいなくて。教官冥利にはつきますけどね」
「そうだな」
「え……でも、あの真壁と、私が、不倫?」
「ああ。真壁に昇進の話が出たら、きみと不適切な付き合いがあったと密告があったらしい。もし、本当にそんな密告があったなら、市ヶ谷にきみを推した俺としては、きみの履歴に傷が付くと思ってな」
「傷って言えば、離婚した時点でボロボロですよ」
「そういえば、立ち入ったことを聞くようで申し訳ないが、その離婚は、どうして?」
「どうしてもなにも、旦那が海外に何人も現地妻を作ってたからですね。それで手一杯って時に、身上調査が入って。向こうの弁護士が浮足立ったのは、そういう理由なんですね」
「他人事みたいに言ってるが、身上調査で真壁の名前は出なかったのか?」
「私の耳にはなにも。ただ、静浜時代のことを根掘り葉掘り訊かれただけです」
──つまり、調査のメインは真壁ってことか……。
そう考えた若桐と、同じことを藤原も思ったらしい。
「タイミング的に、真壁の昇進を妬んだ "悪意ある密告" なんじゃないですか?」
「俺もそう思う。問題は、誰がそんなことをしたのか……ってことだな」
「そうですねぇ……。少なくとも、真壁が質問小僧で、当時の教官なら誰でも質問攻めにされたことはあったと思いますけど」
「藤原君は、魅力的だからな。当時も訓練生に、随分言い寄られていたんじゃないか?」
「既婚者になに言ってんだって感じですよね。……でも、訓練生のなんて単なる冷やかしですから、どうってこともありませんが……」
「……ああ、そういえば、セクハラ問題で悩んでいたなぁ……」
「まぁ、あの当時は上級士官が下級女性士官にセクハラするのは、当たり前の風潮残ってましたけどね」
「埴生さんと樋口さんと……他にもいたね」
「埴生さんのは、セクハラってよりは、距離なしに近かったですけどね」
アハハハハと、藤原が笑う。
「あとは……すぐに転勤になっちゃった、佐竹二佐とか! あ~、考えてみると、あの頃は若桐さんに相談ばっかりしてましたね!」
「あんまり役には立てなかったけどな」
頭を掻く若桐に、藤原は否定するように頭を振った。
「聞いてくれる男性がいるだけで、全然違いましたよ! 当時は服務相談室なんて形だけでしたし。若桐さんは、真面目に対応策考えてくれましたから」
「まぁ、ポケットにレコーダー仕込んどけ……とか、二人きりにならないように気をつけろ……ぐらいのアドバイスしか、出来なかったけどな」
二人は当時を思い出し、思わず笑う。
「話を戻すが、密告の件で旦那から慰謝料の減額要求でもされたのかい?」
「されましたね。もっとも、強気でけっぽりましたけど。……そういえば、真壁も若桐さんが推してた子……ですよね? そっちは大丈夫なんですか?」
「あまり大丈夫とは言い難いな。真壁は今、将補の候補に上がってるんだが、その密告の所為で話が流れそうなんだ」
「あら、大変! 私、いざとなったら証言立ちますから。必要な時は言ってくださいね」
「済まないな」
「いいえ! 若桐さんのおかげで、私も市ヶ谷勤めになれましたし。感謝してるんです」
実際、若桐は静浜を離れる気になれず、藤原に出世の道を譲った。
真壁はエリート中のエリートであり、一時はブルーインパルスのパイロットをこなし、その後も全国各地の基地を転勤に継ぐ転勤で、勤めたことのない場所がないに等しい。
若桐が静浜にこだわった理由は、表向きには "現場主義" で通しているが、実際のところ、真壁との時間を作りやすい環境だったからだ。
それをこうも素直に感謝されると、後ろめたさすら感じてしまう。
「きみと真壁の、ツーショットの証拠写真ってのもあってな」
「マジですか?」
若桐は、響野から借りた写真を、藤原に見せた。
受け取るまでは深刻な顔だった藤原が、写真を見た瞬間に笑い出した。
「やだ! こんなの証拠写真でもなんでもないですよ!」
「知ってるのか?」
「はい。これ……真壁と同期の……響野……?」
「響野がこれを?」
──あの莫迦、自分で撮った写真覚えてねぇのか……?
「あ、違う、違う。響野は真壁の友人でしたね。響野じゃなくて……、ええっと……」
なんせもう16年も前の話だ。
そこで卒業アルバムでも持ち出して顔を見ながら……ならば、多少は記憶の蓋も開くが──。
そうそうすぐに思い出せるものでもないだろう……と、若桐は藤原が長考するあいだも辛抱強く待った。
「なんだっけなぁ……。かりじま……? だったかな? クラスのムードメーカーと言うか、ちょっとおふざけがすぎるのがいたじゃないですか」
「ああ……そう言われると、なんかいたな……」
だが、即座には思い出せない。
「とりあえず、名前は良い。そのかりじまが、撮ったと?」
「真壁は四角四面の生真面目だったでしょう? お堅い真壁をからかうのに、こういう写真撮ってたのがいて。注意した記憶があるんですよ」
「つまり、そのふざけただけの写真が、悪用されているだけだ……と」
「ええ。撮った生徒が見つかれば、私以上に重要な証人になると思いますよ」
なるほどと頷き、若桐は藤原に笑みを向ける。
「ありがとう。かりじまが誰かはわからんが、調べてみる。撮影者が分かったら、きみにも連絡をさせよう。向こうの弁護士の、言い訳の余地を潰したいだろう?」
「はい! なにからなにまで、お世話掛けます」
「いや、俺に出来ることなんて、些細なことだよ」
若桐は挨拶をして、藤原と別れた。
§
真壁の執務室の扉を、またしてもノックもなく開けて響野が入ってきた。
「おう、メッセージ見たかっ?」
「三佐、困ります!」
「西條君、ありがとう。少し、休憩入れてきて」
真壁は立ち上がると、西條に席を外すように言った。
西條は、真壁の顔を見て、それからちらっと響野の顔を見て、もう一度真壁を見たところで「わかりました」と言って席を離れた。
「こう頻度が高いと、本当に西條の胃に穴が空く。仕事が済んでからにしろ」
「いや、若桐さんの "かりじま" ってのが気になってなぁ」
響野はそのまま、執務室の応接セットにぼすんと腰を据えた。
「それは、僕も気になった。だが、たぶん狩谷か堂島のどっちかだろう」
「なんだ、調べたのか?」
「調べてはいない。同期の顔と名前は全部覚えている」
「教官の藤原さんは覚えてないのに、同期は覚えてるのかっ!」
「任務で必要な人間の顔と名前は、覚えておくに越したことはないだろう」
きっぱりと言い切られ、響野は少し呆れ顔になった。
「本当におまえは、合理主義だよ。若桐さん以外は」
響野のため息と、扉のノックはほぼ同時だった。
「入れ」
「堂島一尉、出頭しました!」
入ってきた顔に、響野は驚きを隠せない。
「なんで……」
「若桐さんのメッセージをもらったところで、呼んでおいた。浜松勤務だったからな」
堂島も、そこに響野がいるとは思ってなかったようだった。
「あ、えーと……」
「呼び出してすまない。ちょっと確認したいことがあって……」
真壁はタブレットの画面に、件の "証拠写真" を映し出す。
「この写真、きみが撮ったのか?」
「うわ! なんでこれを真壁が……!」
思わず口から出た言葉に、堂島は慌てて姿勢を正した。
同期だが、場所と時間を考えると一尉の自分は真壁や響野よりも格下なのだ。
「いいよ、今は同期として話そうぜ」
立ち上がった響野は、バンバンと堂島の背中を叩いた。
「この写真が、今更どうしたんだ?」
「心当たりがあるのかよ」
話しやすい響野が訊ねたほうがいいだろうと、真壁は黙ったまま、流れに任せた。
「ある……と言うか。撮ったのは俺じゃない、狩谷だ。ただ……あいつが先日、面白い画像が出てきたとか言って、送ってきたんだ」
「そりゃ、仲間内だけなら面白いで済むが……」
「え……っ?」
響野の一言に、堂島の顔が強張る。
「なんで、外部に出した?」
「まさかっ! 俺は出してない! 出したなら狩谷だろう!」
慌てふためく堂島を見て、真壁は少し考えた。
「狩谷が送った相手は、誰と誰なんだろう?」
「俺と……せいぜい同期の誰かだろう」
「てか、堂島。今すぐ狩谷に電話しろ!」
迫る響野を、真壁が止めた。
「莫迦、まだ勤務中だぞ……」
「事は急を要するんだ。時間は関係ない」
「それほど急でもない。堂島、狩谷に写真を誰と誰に送ったのか、訊ねるメッセージを入れておいてくれ。響野、今日また予約を入れておいてくれるか? 若桐さんが戻ったら、改めて話をしよう。堂島も、付き合ってくれ」
「おう!」
響野は威勢よく返事をすると、どかどかと執務室を出ていった。
「一体……なんなんだ?」
ぽかんと、その背中を堂島が見送る。
「ちょっと込み入った話だから、後でちゃんと説明をする」
真壁が、答えた。
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航空自衛隊の教官方宿舎。鉄と静寂に包まれたその一室で、教官・真壁百合緒は訓練生・白鳥貴雄と一線を越えてしまった。
かつて、複座戦闘機の事故で最愛の主操縦士・若桐守を失った真壁は、深い喪失を抱えたまま時を止めて生きている。教官という仮面の奥に隠した傷跡は、誰にも触れさせなかった。――本来なら、訓練生にも。
だが、白鳥の無邪気さは残酷なほど真壁を揺さぶる。
忘れたはずの温もり。
封じたはずの欲望。
そして、自分を見つめる瞳は、若桐とは似ても似つかないのに、なぜか焼きついて離れない。
これは、過去に縛られた男と、未来ごとその心を奪おうとする若者の物語。
禁忌の関係の果てに、彼らが見つけるのは――赦しか、それとも。
◎作品説明◎
こちらの作品は、複数のサイトに投稿されています。
ふたなり治験棟 企画12月31公開
ほたる
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「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
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ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
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