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24、旅立ち
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旅は陸路の寝台列車で町を経由して行くことになった。油の本など一式入ったかばんのほかに、旅で必要になる持ち物をかばんに詰め込んだ。出発する前夜、有之助がいつも寝ている部屋に花がやってきた。
「明日、行かれるのですね」
「はい」
「お母様の様子が気になったときは、いつでも電話してください。私があなたに現状をお伝えしましょう」
有之助は思わず顔を上げた。「花さん。ありがとうございます」
「明日もお母様の所へ寄るのですか?」
「はい、病院に行ってから駅に行くつもりです」
花は有之助の隣に座った。
「この間は、きついことを言って申し訳ありませんでした」
「怒られて当然です。でも、どうして行くことを認めてくれたんですか?」
「認めるなんて、大層なことを私ができる立場ではありませんよ、有之助さん。ただ、父親の二の舞にだけはなってほしくなかっただけです。どうか、次男さんのことをよく見てあげてください」
「僕がですか?」
「誰にでも弱い部分はあります」
あんなに強いのに? 全く想像のつかないことだったので有之助は驚いた。
「前から思っていたんですけど、お二人を見ていると仲の良い家族を見ているような気持ちになるんです」有之助は本音をもらした。「変なこと言ってすみません。でも、絆があるような、そんな感じです」
花は数秒固まると、うれしそうにほほ笑んだ。
「私と彼は腐れ縁のようなものです」
「そうなんですか?」
「次男さんのお父様は商人をする傍ら、あの本のことを信じて世界中探し回っていました。私はその頃からこの店で働いていたので、よく彼からその話を聞いていました。次男さんは、高く売れるだろう、なんて言っていますが、早くに病気で亡くしたお母様のことで悔いているのでしょう」
「そんなことが?」
「彼から聞きませんでしたか?」
「いえ、なんにも」
「頑固で強がりなところは変わりませんね。実の父親が死んでも涙一つ流さなかった。とにかく弱みを見せたがらないんです。それが彼の強さでもあり、弱さでもある。いつか溜め込み過ぎて、心が凍り付いてしまうのではないかと私は案じているのです」
「大丈夫ですよ、花さん。次男さんは、僕の弱さを教えてくれるような優しい人です。心まで凍り付くような人だったら、そんなこと教えてくれませんよ。あの人からは強い情熱を感じるんです。だから氷じゃありません。次男さんの心には炎が燃えているんです」
少し間をおいて花は笑顔になった。
「そう言ってくれて、ありがとう」
翌朝、カーテンを開けると水平線がキラキラ輝いていた。有之助は母からもらったおしろいを取り出して鏡の前に立った。協会から逃げてくるとき、母が肌身離さず持っていたものの中にあったものだ。おしろいと、御精印帳。ほとんどは宝屋の屋敷に置いたままだったので、これだけでもそばにあるのはうれしいことだ。
有之助は筆をとり、水で溶かしたおしろいを目の下あたりに塗り付けてみた。
「有之助さん?」
振り向くと花の顔がのぞいた。振り返った有之助の目元にあるおしろいを見た花は驚いた。
「それはなんですか?」
「父さんの生まれ故郷に伝わる伝統なんです」
「すてき。これを着てみては?」
花は赤色の着物を手渡した。
「どうして……宝屋の屋敷に置いてきたはずなのに」
有之助はうれしさをにじませながら声を震わせた。
「お礼なら私ではなく、次男さんに言ってください。彼が交渉して取り返してくれたんですよ」
有之助は傷一つないきれいな着物をにぎりしめ、感激のあまり言葉を失った。着物を広げてみると、上品な赤地に銀の糸で鶴が刺しゅうされたデザインが変わらずキラキラ輝いていた。花は姿見の前で着物の着付けを手伝ってくれた。サイズが少し大きかったが、うまく調整して着る方法を教えてくれたので気にならなかった。腰に銀の刀をさし、あらためて鏡の前に立ってみるとなんだか誇らしい気持ちになった。
荷物をまとめて店の前に出ると車が止まっていた。小さな階段にちょこんと白知丸が背中を丸めて座っており、有之助を見るとうれしそうにニッコリ笑って立ち上がった。
「わぁ! その着物、すごく似合ってますね。まるであなたが着るために存在しているような、特別な感じがします」
「ありがとう」
「さみしくなります。手紙、書いてくださいね。元気でしているかどうかぐらい、知りたいですから」
「うん、書くよ」
白知丸はぐすっと鼻をすすってうつむくと、すぐにパッと笑顔になった。有之助は着物の袖を伸ばすと彼の目元を拭った。
「また会おうな、白知丸」
「はいっ!」
花が2人分の朝食が入った包みを渡してくれた。中から作り立てのいい香りがした。
「有之助さん、習ったことを忘れずに」
屋敷の方から現れた豊は、にこやかな顔で近寄ってきた。見送りをするため、わざわざ外まで来てくれたことには感謝しかなかった。
「あなたに教わったこと、絶対に忘れません」
花たちと立ち話をして待っていると、屋敷から次男が出てきた。彼もまた腰に黒い刀を携えている。
「次男さん」
有之助は次男の前に飛び出すと頭を下げた。
「ありがとうございました! 着物、取り返してくれて。これ……とても大事なものだったから、もう二度と戻らないんじゃないかって思って。こうして着られるなんて、うれしいです」
「礼には及ばない」
「次男さん、くれぐれもお気を付けて。なにかあればご連絡ください」
花はいつも通りの口調で言った。
2人は馬車に乗り込んだ。ふいに後ろでガタッと音がしたので振り返ると、猫の葉牡丹が荷物の隙間に顔をのぞかせてニャーと鳴いた。
「葉牡丹っ」
次男は間の抜けた声を出して車を止めさせると、葉牡丹を抱き寄せた。
「お前は留守番だと言っただろう」
葉牡丹を抱いたまま車を降りた次男は花に優しく渡し、頭をなでてから戻った。悲しそうな鳴き声だった。有之助は身を乗り出して遠ざかっていく花と葉牡丹、白知丸たちの姿を見送った。
「次男さん」
花の腕から飛び出した葉牡丹が、てくてく小さな歩幅で追い掛けてくるのが見えた。その姿を見た次男は、驚いてから目を閉じて前を向いた。
花は葉牡丹を追い掛けてくるとそっと抱き上げてくれたので、有之助はホッとした。やがて花たちの姿は完全に見えなくなった。
「明日、行かれるのですね」
「はい」
「お母様の様子が気になったときは、いつでも電話してください。私があなたに現状をお伝えしましょう」
有之助は思わず顔を上げた。「花さん。ありがとうございます」
「明日もお母様の所へ寄るのですか?」
「はい、病院に行ってから駅に行くつもりです」
花は有之助の隣に座った。
「この間は、きついことを言って申し訳ありませんでした」
「怒られて当然です。でも、どうして行くことを認めてくれたんですか?」
「認めるなんて、大層なことを私ができる立場ではありませんよ、有之助さん。ただ、父親の二の舞にだけはなってほしくなかっただけです。どうか、次男さんのことをよく見てあげてください」
「僕がですか?」
「誰にでも弱い部分はあります」
あんなに強いのに? 全く想像のつかないことだったので有之助は驚いた。
「前から思っていたんですけど、お二人を見ていると仲の良い家族を見ているような気持ちになるんです」有之助は本音をもらした。「変なこと言ってすみません。でも、絆があるような、そんな感じです」
花は数秒固まると、うれしそうにほほ笑んだ。
「私と彼は腐れ縁のようなものです」
「そうなんですか?」
「次男さんのお父様は商人をする傍ら、あの本のことを信じて世界中探し回っていました。私はその頃からこの店で働いていたので、よく彼からその話を聞いていました。次男さんは、高く売れるだろう、なんて言っていますが、早くに病気で亡くしたお母様のことで悔いているのでしょう」
「そんなことが?」
「彼から聞きませんでしたか?」
「いえ、なんにも」
「頑固で強がりなところは変わりませんね。実の父親が死んでも涙一つ流さなかった。とにかく弱みを見せたがらないんです。それが彼の強さでもあり、弱さでもある。いつか溜め込み過ぎて、心が凍り付いてしまうのではないかと私は案じているのです」
「大丈夫ですよ、花さん。次男さんは、僕の弱さを教えてくれるような優しい人です。心まで凍り付くような人だったら、そんなこと教えてくれませんよ。あの人からは強い情熱を感じるんです。だから氷じゃありません。次男さんの心には炎が燃えているんです」
少し間をおいて花は笑顔になった。
「そう言ってくれて、ありがとう」
翌朝、カーテンを開けると水平線がキラキラ輝いていた。有之助は母からもらったおしろいを取り出して鏡の前に立った。協会から逃げてくるとき、母が肌身離さず持っていたものの中にあったものだ。おしろいと、御精印帳。ほとんどは宝屋の屋敷に置いたままだったので、これだけでもそばにあるのはうれしいことだ。
有之助は筆をとり、水で溶かしたおしろいを目の下あたりに塗り付けてみた。
「有之助さん?」
振り向くと花の顔がのぞいた。振り返った有之助の目元にあるおしろいを見た花は驚いた。
「それはなんですか?」
「父さんの生まれ故郷に伝わる伝統なんです」
「すてき。これを着てみては?」
花は赤色の着物を手渡した。
「どうして……宝屋の屋敷に置いてきたはずなのに」
有之助はうれしさをにじませながら声を震わせた。
「お礼なら私ではなく、次男さんに言ってください。彼が交渉して取り返してくれたんですよ」
有之助は傷一つないきれいな着物をにぎりしめ、感激のあまり言葉を失った。着物を広げてみると、上品な赤地に銀の糸で鶴が刺しゅうされたデザインが変わらずキラキラ輝いていた。花は姿見の前で着物の着付けを手伝ってくれた。サイズが少し大きかったが、うまく調整して着る方法を教えてくれたので気にならなかった。腰に銀の刀をさし、あらためて鏡の前に立ってみるとなんだか誇らしい気持ちになった。
荷物をまとめて店の前に出ると車が止まっていた。小さな階段にちょこんと白知丸が背中を丸めて座っており、有之助を見るとうれしそうにニッコリ笑って立ち上がった。
「わぁ! その着物、すごく似合ってますね。まるであなたが着るために存在しているような、特別な感じがします」
「ありがとう」
「さみしくなります。手紙、書いてくださいね。元気でしているかどうかぐらい、知りたいですから」
「うん、書くよ」
白知丸はぐすっと鼻をすすってうつむくと、すぐにパッと笑顔になった。有之助は着物の袖を伸ばすと彼の目元を拭った。
「また会おうな、白知丸」
「はいっ!」
花が2人分の朝食が入った包みを渡してくれた。中から作り立てのいい香りがした。
「有之助さん、習ったことを忘れずに」
屋敷の方から現れた豊は、にこやかな顔で近寄ってきた。見送りをするため、わざわざ外まで来てくれたことには感謝しかなかった。
「あなたに教わったこと、絶対に忘れません」
花たちと立ち話をして待っていると、屋敷から次男が出てきた。彼もまた腰に黒い刀を携えている。
「次男さん」
有之助は次男の前に飛び出すと頭を下げた。
「ありがとうございました! 着物、取り返してくれて。これ……とても大事なものだったから、もう二度と戻らないんじゃないかって思って。こうして着られるなんて、うれしいです」
「礼には及ばない」
「次男さん、くれぐれもお気を付けて。なにかあればご連絡ください」
花はいつも通りの口調で言った。
2人は馬車に乗り込んだ。ふいに後ろでガタッと音がしたので振り返ると、猫の葉牡丹が荷物の隙間に顔をのぞかせてニャーと鳴いた。
「葉牡丹っ」
次男は間の抜けた声を出して車を止めさせると、葉牡丹を抱き寄せた。
「お前は留守番だと言っただろう」
葉牡丹を抱いたまま車を降りた次男は花に優しく渡し、頭をなでてから戻った。悲しそうな鳴き声だった。有之助は身を乗り出して遠ざかっていく花と葉牡丹、白知丸たちの姿を見送った。
「次男さん」
花の腕から飛び出した葉牡丹が、てくてく小さな歩幅で追い掛けてくるのが見えた。その姿を見た次男は、驚いてから目を閉じて前を向いた。
花は葉牡丹を追い掛けてくるとそっと抱き上げてくれたので、有之助はホッとした。やがて花たちの姿は完全に見えなくなった。
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