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おなじ香り
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深い眠りについていたはずなのに、目を覚ましたのは
椛さんの身体が、いつのまにかわたしから離れたせいかもしれない。
「うん。じゃあ、お大事にって伝えておいて。かまわずゆっくり休むようにって」
椛さんが、小声で誰かと話しているのが聞こえて
「ん……」
寝返りを打つと、椛さんがスマホをベッドサイドに置き直すところだった。
もう朝、なんだ……。
まだ眠い……。
「ごめん。起こしちゃった?」
そう言って椛さんは、わたしの額にキスをくれる。
ついで、唇にも。
朝から甘い、はちみつの味……。
「おはよう、りんごちゃん」
「おはよう、ございます。電話、ですか?」
「うん、夏斗から。シェフが風邪で熱を出して、今日は休ませてくれって。すぐに仕事に行かなくちゃいけないから簡単なものしか作れないけど、りんごちゃんはなにが食べたい?」
「社長が、朝ごはん作ってくれるんですか……?」
「そのつもりだよ」
ん……
え?
まだ寝ぼけていた頭が、一気に冴え渡る。
がばっと跳ね起きた。
「朝ごはん、わたしに作らせてください!」
目をぱちくりさせる、椛さん。
手料理は、してあげたいと昨日から思ってたし
いまがチャンスだ!
「簡単なものなら、わたしも料理できますし。い、一応……社長の奥さん、ですし……」
うう、恥ずかしい。
言っていて自分で、顔が熱くなるのがわかる。
椛さんが、ふっと微笑んだ。
「やばいな」
やばい? なにが?
「りんごちゃん、かわいすぎ」
えっ……。
「い、いや、そんな」
「朝なのに、抱きたくなる。──朝だから、かな?」
「──!」
ますます顔を火照らせるわたしの唇に、もう一度キスを落とすと
椛さんは、本格的に身体を起こした。
「残念だけど、ほんとに時間がないから今朝はここまで。……この部屋のキッチンを使ってもらえるかな? たぶんシェフが使ってるキッチンだと、広すぎて慣れないと使い勝手が悪いと思う」
「あ……はい!」
しっかり顔を洗って、頭を冷やさないと。
椛さんのキスは、中毒性のあるキス。
うっかりすると、椛さんのキスは
昨日の昼間や夜のバスルームでのことを、わたしの身体に思い起こさせる。
わたしと椛さんが顔を洗って着替え終わったころに、水口夏斗がビニール袋を片手にやってきた。
「椛さまに言われたもの、持ってきたんですけど……ほんとにこれだけでいいんですか?」
ビニール袋の中身を見せられて、椛さんはうなずく。
「うん、問題ない」
あ、もしかして食材が入ってるのかな?
案の定、水口夏斗は
ビニール袋を、わたしに渡してきた。
「ほい、りんご」
彼が、わたしからあからさまに視線をそらしているのが気になるけど……
昨日のこと意識しすぎだってば、水口夏斗。
まあ、彼にしてみればあれがファーストキスだったわけだから
意識するなっていうほうが、難しいかもしれないけれど。
そんなことを思いつつ、ビニール袋の中身を見たわたしは絶句した。
だって……
卵がふたつとお醤油、それに
こちらはコンビニで水口夏斗が買ってきたのか、レンジでチンする白ごはん。
入っていたのは、それのみだったから。
「社長が食べたいものって、なんですか? これじゃ、具のないオムレツくらいしか作れませんけど……」
恐る恐るそう尋ねてみると、椛さんはにっこり微笑む。
「作るのは、また次の機会でいいよ。よく考えたら、りんごちゃんといま一緒に食べたいものってそれだったから」
「それって……具のないオムレツですか?」
椛さんは、かぶりを振って言った。
「たまごかけごはん」
「たまごかけ……ごはん?」
まさか椛さんの口から、そんな庶民的ごはんの友の名前が出てくるなんて。
「こういうときでもないと、うちでは食べる機会がなさそうだからね」
「いや、確かにそうですけど椛さま。そもそも椛さまは、たまごかけごはんの食べ方なんて知ってるんですか?」
いやいや水口夏斗、それは椛さんに対してあんまり失礼じゃないだろうか。
あ、でも……セレブの人たちってたまごかけごはんなんて存在すら知らない人ばかり、なのかな。
「テレビで見たから、知識はあるよ」
気分を害することなく、椛さん。
……それ、テレビで見るまでは知識すらなかったってことですよね?
改めて椛さんの存在が、わたしのいる世界とはまったく違う世界のものだと実感してしまう。
「あとはいいよ、夏斗。今朝はせっかくだし、ふたりきりで食事がしたいから」
「あ……はい。じゃ、俺……失礼します」
結局わたしのほうをちらりとも見ることもなく、水口夏斗は一礼して退室した。
あんな態度取られたら、わたしまで調子が狂っちゃうよ。
「どうしていまわたしと一緒に食べたいのが、たまごかけごはんなんですか?」
レンジでチンした白ごはんを、食器棚の中に入っていたふたつのお茶椀の中によそいつつ、わたしは尋ねてみる。
リビングの隣の、ダイニングスペースにいて
わたしからそれらを受け取る、椛さん。
「ごはんの友って言ったら、たまごかけごはんでしょ?」
「それは、わたしの実家ではそうでしたけど……もしかして社長、わたしの実家に行ったときにそうすりこまれました?」
だけど椛さんはそれには答えずに、「食べようか」とわたしをうながす。
ダイニングで向かい合わせに席に着き、ふたりで「いただきます」をして
卵を片手に──どうしても気になって、椛さんを観察してしまう。
だけど椛さんは、気にすることなく
慣れた手つきで、器用に片手で卵を割る。
そして、まず
用意していた小皿に、卵の黄身と白身をわけて
白身のほうを、白ごはんにかけてかき混ぜて──。
その様子を見ていたわたしは、ふとフラッシュバックした思い出に囚われて
つい、つぶやいてしまっていた。
「アキ、さん……」
そういえばアキさんの身体も
椛さんとおなじ、バニラの香りがした──。
「アキさんって、誰? 男?」
その声に、はっと我に返ると
椛さんが、穏やかな
でも、絶対零度を感じさせる微笑みをわたしに向けている。
「あ、いえ……なんでもないです」
慌てて椛さんとおなじようにして、わたしはたまごかけごはんを食べ始める。
幸い椛さんも、時間がなかったせいか
それ以上は追及してこずに、たまごかけごはんを食べる。
「おいしいね」
「はい!」
勢いよく答えたのは、ほんとうにたまごかけごはんがおいしかったから。
ホームレスの一員になる前まで
わたしの朝ごはんは、毎日これだった。
なじんだ、たまらなくなつかしい味に
胸の中まで、ほくほくとあたたかくなる。
ああ……椛さんと一緒に朝ごはんが食べられるなんて幸せだなあ。
昨日も一緒に食べたのに、今日のほうが断然そう思う。
ばかだな、わたし。
どうしていまごろ、アキさんのことを思い出したんだろう。
椛さんが、アキさんのはずないのに。
わたしがアキさんの名前を呼んでしまったって、椛さんは全然動揺なんてしなかった。
椛さんはアキさんのことなんて、ほんとうに知らないんだ。
当たり前、か……。
アキさんと過ごした、つかの間の日々がまた脳裏によみがえりそうになって
わたしは、それをかき消すように
たまごかけごはんを、かき込んだ。
椛さんの身体が、いつのまにかわたしから離れたせいかもしれない。
「うん。じゃあ、お大事にって伝えておいて。かまわずゆっくり休むようにって」
椛さんが、小声で誰かと話しているのが聞こえて
「ん……」
寝返りを打つと、椛さんがスマホをベッドサイドに置き直すところだった。
もう朝、なんだ……。
まだ眠い……。
「ごめん。起こしちゃった?」
そう言って椛さんは、わたしの額にキスをくれる。
ついで、唇にも。
朝から甘い、はちみつの味……。
「おはよう、りんごちゃん」
「おはよう、ございます。電話、ですか?」
「うん、夏斗から。シェフが風邪で熱を出して、今日は休ませてくれって。すぐに仕事に行かなくちゃいけないから簡単なものしか作れないけど、りんごちゃんはなにが食べたい?」
「社長が、朝ごはん作ってくれるんですか……?」
「そのつもりだよ」
ん……
え?
まだ寝ぼけていた頭が、一気に冴え渡る。
がばっと跳ね起きた。
「朝ごはん、わたしに作らせてください!」
目をぱちくりさせる、椛さん。
手料理は、してあげたいと昨日から思ってたし
いまがチャンスだ!
「簡単なものなら、わたしも料理できますし。い、一応……社長の奥さん、ですし……」
うう、恥ずかしい。
言っていて自分で、顔が熱くなるのがわかる。
椛さんが、ふっと微笑んだ。
「やばいな」
やばい? なにが?
「りんごちゃん、かわいすぎ」
えっ……。
「い、いや、そんな」
「朝なのに、抱きたくなる。──朝だから、かな?」
「──!」
ますます顔を火照らせるわたしの唇に、もう一度キスを落とすと
椛さんは、本格的に身体を起こした。
「残念だけど、ほんとに時間がないから今朝はここまで。……この部屋のキッチンを使ってもらえるかな? たぶんシェフが使ってるキッチンだと、広すぎて慣れないと使い勝手が悪いと思う」
「あ……はい!」
しっかり顔を洗って、頭を冷やさないと。
椛さんのキスは、中毒性のあるキス。
うっかりすると、椛さんのキスは
昨日の昼間や夜のバスルームでのことを、わたしの身体に思い起こさせる。
わたしと椛さんが顔を洗って着替え終わったころに、水口夏斗がビニール袋を片手にやってきた。
「椛さまに言われたもの、持ってきたんですけど……ほんとにこれだけでいいんですか?」
ビニール袋の中身を見せられて、椛さんはうなずく。
「うん、問題ない」
あ、もしかして食材が入ってるのかな?
案の定、水口夏斗は
ビニール袋を、わたしに渡してきた。
「ほい、りんご」
彼が、わたしからあからさまに視線をそらしているのが気になるけど……
昨日のこと意識しすぎだってば、水口夏斗。
まあ、彼にしてみればあれがファーストキスだったわけだから
意識するなっていうほうが、難しいかもしれないけれど。
そんなことを思いつつ、ビニール袋の中身を見たわたしは絶句した。
だって……
卵がふたつとお醤油、それに
こちらはコンビニで水口夏斗が買ってきたのか、レンジでチンする白ごはん。
入っていたのは、それのみだったから。
「社長が食べたいものって、なんですか? これじゃ、具のないオムレツくらいしか作れませんけど……」
恐る恐るそう尋ねてみると、椛さんはにっこり微笑む。
「作るのは、また次の機会でいいよ。よく考えたら、りんごちゃんといま一緒に食べたいものってそれだったから」
「それって……具のないオムレツですか?」
椛さんは、かぶりを振って言った。
「たまごかけごはん」
「たまごかけ……ごはん?」
まさか椛さんの口から、そんな庶民的ごはんの友の名前が出てくるなんて。
「こういうときでもないと、うちでは食べる機会がなさそうだからね」
「いや、確かにそうですけど椛さま。そもそも椛さまは、たまごかけごはんの食べ方なんて知ってるんですか?」
いやいや水口夏斗、それは椛さんに対してあんまり失礼じゃないだろうか。
あ、でも……セレブの人たちってたまごかけごはんなんて存在すら知らない人ばかり、なのかな。
「テレビで見たから、知識はあるよ」
気分を害することなく、椛さん。
……それ、テレビで見るまでは知識すらなかったってことですよね?
改めて椛さんの存在が、わたしのいる世界とはまったく違う世界のものだと実感してしまう。
「あとはいいよ、夏斗。今朝はせっかくだし、ふたりきりで食事がしたいから」
「あ……はい。じゃ、俺……失礼します」
結局わたしのほうをちらりとも見ることもなく、水口夏斗は一礼して退室した。
あんな態度取られたら、わたしまで調子が狂っちゃうよ。
「どうしていまわたしと一緒に食べたいのが、たまごかけごはんなんですか?」
レンジでチンした白ごはんを、食器棚の中に入っていたふたつのお茶椀の中によそいつつ、わたしは尋ねてみる。
リビングの隣の、ダイニングスペースにいて
わたしからそれらを受け取る、椛さん。
「ごはんの友って言ったら、たまごかけごはんでしょ?」
「それは、わたしの実家ではそうでしたけど……もしかして社長、わたしの実家に行ったときにそうすりこまれました?」
だけど椛さんはそれには答えずに、「食べようか」とわたしをうながす。
ダイニングで向かい合わせに席に着き、ふたりで「いただきます」をして
卵を片手に──どうしても気になって、椛さんを観察してしまう。
だけど椛さんは、気にすることなく
慣れた手つきで、器用に片手で卵を割る。
そして、まず
用意していた小皿に、卵の黄身と白身をわけて
白身のほうを、白ごはんにかけてかき混ぜて──。
その様子を見ていたわたしは、ふとフラッシュバックした思い出に囚われて
つい、つぶやいてしまっていた。
「アキ、さん……」
そういえばアキさんの身体も
椛さんとおなじ、バニラの香りがした──。
「アキさんって、誰? 男?」
その声に、はっと我に返ると
椛さんが、穏やかな
でも、絶対零度を感じさせる微笑みをわたしに向けている。
「あ、いえ……なんでもないです」
慌てて椛さんとおなじようにして、わたしはたまごかけごはんを食べ始める。
幸い椛さんも、時間がなかったせいか
それ以上は追及してこずに、たまごかけごはんを食べる。
「おいしいね」
「はい!」
勢いよく答えたのは、ほんとうにたまごかけごはんがおいしかったから。
ホームレスの一員になる前まで
わたしの朝ごはんは、毎日これだった。
なじんだ、たまらなくなつかしい味に
胸の中まで、ほくほくとあたたかくなる。
ああ……椛さんと一緒に朝ごはんが食べられるなんて幸せだなあ。
昨日も一緒に食べたのに、今日のほうが断然そう思う。
ばかだな、わたし。
どうしていまごろ、アキさんのことを思い出したんだろう。
椛さんが、アキさんのはずないのに。
わたしがアキさんの名前を呼んでしまったって、椛さんは全然動揺なんてしなかった。
椛さんはアキさんのことなんて、ほんとうに知らないんだ。
当たり前、か……。
アキさんと過ごした、つかの間の日々がまた脳裏によみがえりそうになって
わたしは、それをかき消すように
たまごかけごはんを、かき込んだ。
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