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きらきら
しおりを挟む『吉野秋桜』
読めない。なんだこれ?植物かと思ったが人名らしい。というのも、それは筆跡も麗しく名前の欄に礼儀正しくおさまっていたから。
*
薄水色の手帳を拾ったのはついさっきのこと。移動教室から帰る途中、廊下で発見した。知らん振りを決め込んで通り過ぎても良かった。でも、どういうわけか拾ってしまった。
「誰のだろうな。海斗、それ落とし主に届けるの?」
隣にいた親友、橋本悠人が話し掛けてくる。ストレートの髪をさっぱり短くした、穏やかな好青年。
「いや……そうしたいんだけど何も考えてなかったわ」
「名前書いてない?裏表紙の見返しとか」
「あ、なるほど」
しかし他人の手帳である。開くのはやや気が引けた。そもそも、そういう名前欄に自分の名を律儀に書き込む奴がいるのか(俺は書き込んでいない)。なんとなく決心がつかず手先でくるくる回す。
「拾ったのなら、そういう所に躊躇しなくてもいいじゃん。持ち主は困ってるかもしれないし」
まぁそうか。そうだよな、と思い直し裏表紙を開けた。
それがさきの名前である。
*
「字が綺麗だから女子かな。よしの……こすもす?」
悠人が言った。
「え、こすもすって読むのこれ?えー……キラキラネームじゃん」
「いや俺も分かんないけど……うーん……そうだ俺ちょっと綾也に確認してくる」
「頼む」
同じクラスの矢野綾也は生徒会に所属しており、主に部活関係の名簿を整理している。そのため生徒の名前には相当詳しい。
「海斗ー、読み方分からないけど生物部の人らしいよ」
悠人が戻ってくる。
「おーさんきゅー!生物部か」
確かに手帳は生物室辺りの廊下に落ちていた。
ちなみに、俺が直接矢野と話せば良いのだが、なぜかこういう時はいつも悠人が嬉々として言伝てに行くためまぁいいか、となっている。
「んーでもな……生物部に知り合いとか居ないんだよな。悠人誰か知ってたりする?」
「いや?知らないなぁ」
「だよな~。あ~~なんなら生物室に届けときゃ良かったか」
他人の持ち物をなんの断りもなく持っている、というのはたとえそれが善意からであっても何となく居心地が悪い。
「でもさ」
口を開いたのは悠人だった。
「本人に渡さずとも、近場に届けるだけでもそのひとは助かるんじゃない」
そんな訳で、これから部活だという悠人と別れ俺は生物室に向かうことにした。よしのこすもす。よしのさん、可愛い女の子だといいな、なんて思いながら。
*
生物室は電気が点いていなかった。
「うわーマジかよ」
思わず肩を落とす。一縷の望みをかけて準備室にもノックしてみたが、『職員不在』のプレートが掛けられていた。ノックしてから気が付いた。うわぁ誰も見てなくて良かった……さすがにアホすぎる。
「見ちゃった」
「どぅわぁぁぁぁ!?」
やばいまずい、誰かに見られた上によりアホな声を出してしまった、いや違うそこじゃなくてえっと、まず、
「だ」
誰!?と言おうとして、言えなかった。なぜなら。
「生物室に何か用なの?」
振り返ったそこに居たのは、少年だったからだ。少年でありながら、ここ指定の制服を身に纏っていた。躰にぴったりとしていて誰かの借り物という感じはまるでない。眉の上できりりと揃えられた前髪は艶やかで、それが彼の大きな眼をより一層際立たせていた。瞬きをするたびに、長い睫毛の隙間から色素の薄い瞳がのぞく。背筋がぞわりとした。こんなに美しい少年がいるものか。
「何でそんな見るの?変な顔」
無意識に見つめてしまったらしい。くすくす笑う彼に何を言えば良いかは分からないのに、そこはかとない恥ずかしさから自分の顔が熱くなるのは分かった。それを打ち消すようにやっとの思いで口を開いたが、
「あの、君は誰かの弟さんなの?」
という質問しか出てこなかった。少年は制服を着ているが、高校生と言うには顔も躰も幼すぎる。何せ背丈が150前後しかないのだ。小学校5年生なのだと言われた方がしっくりくる。
それを聞いた彼はにやりと笑った。
「残念、ぼくには兄も姉もいない」
「じゃあ、何でここに?」
「それはね」少年は少しいたずらっぽく指を立ててみせた。まるで秘密基地の場所を隠し通そうとしているような、小さな子供の悪あがきみたいにかわいい笑顔だった。
「僕がこの学校の高校3年生だからだよ」
「こ、高3!?嘘だ」
「嘘じゃない、ほんとう」
今自分が1年生。目の前の少年は3年生。ということは……
「え、そしたら、先輩……?」
「そうなの?じゃあ君は後輩?」
「あ、1年生……です」
「そっかぁ。でも僕も大体信じてもらえないしタメでいいよ。その方が自然でしょう」
見た目はどう見ても11歳かそこらなのに言葉は大人のそれなので、そのちぐはぐさになんだかどきどきした。
「う、うん。そしたら、そうする」
「はは、僕これでも数Ⅲやってるんだよ」
「り、理系なんだ」
「うん。得意科目は生物で、部活も生物部」
「へぇ……生物部……あっ!」
ここまで話したところで、俺は本来の目的をはたと思い出した。
「そうだ!手帳!」
「手帳?手帳がどうかしたの」
「さっき、ここの前で拾って。でも持ち主が何年生の誰かも分からないのに持ってきちゃったのが何か嫌でさ。だったら生物室に届けようと思って持ってきたんだ」
「あぁ、そうだったんだ」
少年は自分の真っ直ぐな髪をさらさらともてあそびながら言った。
「生物部でその手帳持ってるひと見たことあるな。渡しとこうか」
「えっいいの!?」
なんだか予想外にするすると事が進んだ。あれだけ躊躇っていたのになんだか拍子抜けだ。
「別にいいよ、でも本人に伝えるのに君が拾ったって言いたいから、」
名前を教えてもらってもいい?と彼は続けた。伊津海斗、と答えた。
「いづくん、っていうのか。なかなか珍しい名字だね」
「結構言われる。あ、言い忘れてた、ありがとう!!これ、お願いします」
俺は薄水色の手帳を差し出した。
「うん」
少年は俺よりもふたまわりほど小さな手でそれを受け取った。
「あの、そういえば」
俺が言うと、少年は何?といった風に顔を上げた。俺の身長が180近いので必然的に上目遣いをされる。鼻も口も小さく慎ましいままそこにあった。あぁ綺麗な顔だと思った。
「君の名前はなんて言うの」
「僕?」
そうだなぁ、と彼は言った。
「聞き取りづらいと思うから、ちょっと耳貸して」
「?うん」
言われるがままに身をかがめ、耳を少年に近付けた。と。
何の前触れもなく、はむり、と耳朶を食まれた。
「っっ!?ちょ、なになに!?」
驚くあまり反射的に顔を離した。何だ何だ何が起こった??
「ねえ、いづくんさ」少年の目が、瞳に俺を映してとろんとした。
「僕におんなじことしてくれたら、教える」
「え……?」
有無を言わせない、とはこのことなのかもしれない。否定も反対も出来る訳がなかった。おんなじことを、した。
「っ、あぅ」
少年の喉の奥から、微かに幼い声が漏れる。そのままわけが分からなくなって、舌を耳に這わせたところまでは覚えている。
*
「ねー、海斗。海斗ってば」
「……なんだよ」
朝、いつも通りの教室で話し掛けてきたのはいつも通り悠人だった。
「眠そうだな。手帳は大丈夫だった?」
「まぁなんとか。……渡しとくって言ってくれたひとがいたから」
「そうなの?良かったね。俺昨日のひと気になったからさ、綾也に詳しく調べてもらったんだよ」
いささか職権濫用な気はするが。
「へえ。そんで?」
「その人男だったんだよ!なんて読むと思う?」
「へー。なんだろな」
「あれっ反応薄い?」
「薄いも何も、ね……」
昨日、少年のような18歳に、掠れた声で囁かれた言葉を思い出した。
「僕の名前は、ね……アキオっていうんだ」
俺は目を閉じた。手帳に書き込まれた麗しく癖のない字を思い出しながら。
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