箱庭の君

小町そと

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8 あらまし、その7

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悠然と歩く彼の後ろをついていく。

先程もそう思ったがこの男、かなりの上背がある。僕(163㎝)と20センチの差はあるだろう。この身長なら目立っていてもおかしくないはずだが、校内では一度も見掛けたことがない。白衣を着ている。恐らくは理系の教員だろう。

柔らかそうな猫っ毛を肩の辺りまで伸ばし、無造作に後ろで一つにまとめていた。暑くないのだろうか。
 
「俺は冷え症だから髪は少し長いくらいで丁度いいんだ」
 
心を読まれたかのような返答だ。やっぱり驚いて黙りこくってしまう。


この人は、信じられないことに――褒めてくれた。才能のないはずの僕の歌詞を。

ただ、彼の素性が知れない以上心から喜ぶことも出来ずにいた。本当に信じられない。ひょっとしたら……褒め言葉は何かの悪い冗談だったんじゃないだろうか。
 
彼は特別棟のドアを開け、僕が入りやすいように手で押さえていた。
 
「……あ、りがとうございます」
 
辛うじて声を絞り出す。礼には及ばぬといったふうに、男は会釈を返してきた。

悪い人では、なさそうだけど……。
 
廊下を進んで程なくして入ったのは生物室だった。科目選択の関係で来たのは一年生の時以来だ。

男はパチリと教室の電気をつけた。闇に慣れた目に蛍光灯がまぶしい。

と、男がこちらを振り向いた。若い。二十五歳くらいだろうか。かなり整った顔立ちをしている。
 
「この辺に座ろうか」
 
僕より低く耳にスッと入る声は、人に無条件で安心感を与えるものだった。
 

窓際の机。実験用のこの机は黒く、水道を隔てて二つ繋がっている。彼が指したのはその黒板側の方だった。
 
「きみに訊きたいことがいくつかあるんだ」
 
背もたれのない椅子を引き、座りながら彼は言った。
 
「名前は?」
 

「……砂川です」
 

「へぇ、地声は低めなんだな。下は?」
 

「ハルユキです」
 

「そうか」


彼は、ふっと微笑んだ。




「――さてハルユキくん。何で誰も居ない中庭で歌っていたの?」
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