想えばいつも君を見ていた

霧氷

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ドーナツ論争

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「恵、いつも言ってるだろっ!」

「だ、だってぇ~美味しそうだったんだもんっ!」

「そう言って、ドーナツ屋に来るたびに山盛り買ってるだろっ!!」

「……。」

「……。」

テーブルの上には、トレイに山盛りになったドーナツが鎮座していた。


俺達三人は、佐伯の言っていた意味を漸く理解した。

「……。」

俺の視線は、隣に座る水品に行くと、捨てられた猫のように下を向いていた。

そりゃぁ、そうだろ。


「水品、このドーナツ…。」

「金森委員長が美味しいって教えてくれたから…。」

金森委員長までとはいかないが、それなりの量が盛られていた。

「だからって、七つも買ってくるかっ!?」

「っ!?ごめんなさい…。」


佐伯の怒りが、水品に向けられた。

水品は、肩を震わせ謝罪する。

震えた水品の姿は、か細く、崩れてしまいそうだ。

俺は、後悔した。

どうして、一緒に行かなかったんだろうと。

理由は簡単。金森委員長を信用していたからだ。

面倒見がよく、誰からも好かれる学級委員長。

何より、水品に対して変な感情は持っておらず、平等に接することが出来る。

『無害』。その言葉が、この中で、最も当て嵌まる相手。

これで相手が、晋二や佐伯、まして山賀だったら、絶対一緒に行っていた。

だけど、俺は、それをしなかった…。

それだけ、金森委員長は大丈夫だと言う信頼と自信があったのだ。


「謝ったって、解決しないだろ。だいたい、そんなに食えるのかっ?」

「そ、それは…。」

「恵に言われたからって、ポンポン買って…どうする気なんだ?」

「……。」

「水品、そうやって、人の顔色ばかりうかがって合わせているから、こういうことになるんだ。」

「……。」

佐伯の怒りは収まらず、重箱の隅を突く様に水品を詰る。

水品は恐怖からか、肩を竦め、小刻みに震えている。


「佐伯、それくらいにしろよっ!」

そんな水品の様子を見ていられなくなり、俺は庇うように、水品の前に出た。


「そうだぜ、佐伯。水品の七つなんて、可愛いもんだろっ!」

「つーか、金森委員長に教えてもらって、つい買っちゃったんだろ?大目に見てやれよ。」


晋二や山賀が言うのも最もだ。

金森委員長のトレイには、水品が買った個数をはるかに凌駕する量が盛られているのだ。


「…恵、いくつ買って来たんだ?」

「えっと…十個。」

「…はぁっ?」

「…十八個です。」

佐伯の凄みに、金森委員長は身を縮こませた。


「で、どうするんだ?この量。」

「皆で、食べるしかないよな…。」

見ているだけで、胸やけしそうだが、そんなことを言っている場合じゃない。

「割引券のおかげで、みんな百円だから、食べた数で、二人に金払えば良くね?」

「そうだな…。」

「俺はいいよ。」

「俺も。」

山賀の提案に、買っていない組の三人は賛同した。

「ほぉ…。」

隣から、ホッとしたような溜息が聞こえた。

水品も安心したのだろう。

俺は、そんな水品の肩に手を置き、

「良かったな。」

と、俺が耳元で囁く。すると、

「…うん…。」

水品は頷いてくれた。

それだけでも、俺は安心した。

正直な所、その安堵の表情を写真に撮りたいと思ったが、流石に飲み込んだ。



「じゃぁ、飲み物買ってくるぜ。瞬也、何がいい?」

「レモンジュースのトールサイズ、頼む。」
「オッケー。」

「佐伯は?」

「俺は、アイスコーヒーで、同じトールサイズ。」

「了解。」


話がまとまった後、晋二と山賀が四人分の飲み物を買いに行った。

残った俺達は、トレイの上のドーナツの山を改めて見ていた。




「水品。」

「!?」

佐伯が、下を向いていた水品に声を掛けた。

声を掛けられた水品は、肩を大きく弾ませた。

「さっきは、悪かった…言い過ぎた…。」

佐伯が水品に頭を下げ謝罪した。

「ううん。佐伯は悪くない。俺が、後先考えずに買ったから…。」

「いや、こういう店にあまり来たことがないのに、買う個数の基準なんて、知らないのは当たり前だ。それなのに、怒って悪かった…。」


個数の基準は、人それぞれ違う。

それを押し付けるのは、エゴでしかない。

だから、佐伯も怒ってしまったことを気にしているんだ。


「佐伯、もういいよ。」

「だけど…。」

「最終的に買ったのは、俺だから。だから、金森委員長のことも怒らないであげて。」

「水品…。」

水品は、自分の事より金森委員長の心配して、佐伯に頼んだ。


「曹太、ごめんね。僕も今度は、ちゃんと考えて買うよ。」

「そうしてくれ…俺も、頭ごなしに言うの止めるから。」

「うん。約束だよ。」

「あぁ…。」

金森委員長と佐伯の会話を聞いて、俺は、漸く胸を撫で下ろした。


「水品君、ありがとう。」

「ううん。金森委員長、ドーナツの事、色々教えてくれたから嬉しかった。普段買っている物と全然違うから良い勉強になった。」

「普段、どこでドーナツ買ってるの?」

「いつもは、家の近くのパン屋さんで買うんだ。」

「パン屋さん?」

「家の近くに、老舗のパン屋さんがあって、そこのドーナツが一番おいしいんだ。」

「どんなドーナツが売ってるの?」

そう尋ねた金森委員長の瞳に、再び光が灯ったことに気付いた。

おそらく、佐伯も気づいたのだろう。

佐伯がいる方向から、小さな溜息が聞こえた。


「俺が好きな素朴な味もあるけど、チョコ、コーヒー、ストロベリー、ピーチ、ブルーベリー、メロン、バター、ホイップ…他にも色々な味があるよ。」

「水品君、今度連れてってっ!」

「えっ!?…でも…。」


水品の話を聞いた金森委員長は、手を勢いよくテーブルについて、前のめりに水品に懇願した。

水品も突然ことで驚き、後退した。

「ドーナツと聞いたら黙ってられないっ!その洋菓子みたいなラインナップ、食べてみたいっ!!」

「…わ、分かった。今度、一緒に行こう…。」

「ありがとうっ!!」

金森委員長は、羽を広げた孔雀のように満面の笑顔になった。

その隣で、佐伯が頭を抱えているのを見て、俺は心の中で同情した。




「たっ、ただいま~っ!」

晋二と山賀が戻って来た。

「お帰り。」

「おぅ。ほい、瞬也、レモンジュース。」

「サンキュー。」

飲み物と引き換えに、俺は代金を晋二に渡した。


「…ん?」

視線をテーブルに戻した俺は、違和感に気付いた。


ドリンクカップが多いのだ。


「おい、晋二、何で二個も買って来たんだ?」

「いや~コーラにするかぶどうジュースにするか迷ったから両方買って来た。」

「…腹壊すなよ。」

「大丈夫大丈夫。」


「じゃぁ、食べようぜっ!」

晋二の言葉に、皆、それぞれドーナツを手に取った。


「…あんっ…。」


俺が食べたのは、モカドーナツ。

名前からしたら、少し渋みが残るかと思ったが、そんなことは無く、コーヒーシュガー中に練り込まれていて、ほんのりとした甘さが口の中に広がった。

しかし、そんな甘さなどすぐには感じなくなった。それは…。


「う~ん、幸せ~。」

満面の笑みを浮かべる金森委員長。

その手には、砂糖が大量に生地に練り込まれ、中からはクリームが見える。

それは、フレドで最も甘いと言わる『ハニー・エンジェル』というドーナツだ。

販売されてから、五年。不動の二位を取り続けている一品だ。


その甘みもだが、問題は質量だ。他のドーナツの三倍近くはある。

それを、細身の金森委員長は、味わいながらも、尋常じゃない速さで消費していく。

「……。」
「……。」

見ているだけで、胸焼けしそうな光景だ。

どうやら、水品と山賀も俺と同じ気持ちなのか、ドーナツを手に持ったまま、チラチラと金森委員長を見ている。

佐伯は慣れているのだろう。

金森委員長の方を見ず、無心にドーナツを口に運んでいる。晋二は…

「うめぇ~空きっ腹には、これだなっ!」

次から次へと、掃除機のようにドーナツを食べていて、周りなど見えている筈がない。

俺は、左隣の水品に目線を送る。

水品は、『クラシック』と言われる、余計な物が一切使われていない素材そのままの味が楽しめるドーナツを、ハムスターのように頬張っていた。

「…美味しい…。」

ポツリと呟く称賛の言葉は、相変わらず小声だが、普段よりキーが高い。

「なぁ、写真撮ってもいい?」

「写真?」

「何だ、土沢。フォト窓にアップでもするのか?」

「食べ物や風景だけね。」

『フォト窓』とは、写真投稿アプリで、撮った写真を投稿すると、世界中の人に見てもらえる。

設定によっては、評価もされ、海外では、一枚の写真で、テレビ出演が叶った人もいるらしい。


「土沢って写真部だったっけ?」

「うん、軽音楽部と兼部してるんだ。もちろん、趣味ってのもあるけど。」

「へぇ~初めて聞いた。」

山賀は納得したように、手元のドリンクを口に含む。

「で、写真撮ってもいいかな?」

「いいよ。」

「…おぐ、けー…。」

口の中に大量のドーナツを詰め込んだ晋二が、親指を立てながら言った。

「檜山、全部食べてから喋れ。」

「わぁ、がった…。」

全然分かっていない。と、誰もがツッコみたくなったが、晋二の食欲に、皆何も言わなくなった。


俺は一通り、皆の手元にあるドーナツを撮り終えると、

「あれ?ハニー・エンジェルは?」

トレイに残っていた巨大ドーナツが無くなっていることに気付いた。

「…ゴクッ…ごめん、今、食べ終わっちゃった…。」

口の周りについたクリームを拭いながら金森委員長は謝る。

「そっか。あれ、写真映えすると思ったんだけど…。」

「じゃぁ、もう一個買ってくるよっ!」

「えっ!?いや、何もそこまで…。」

「ううん。もう一個食べたいから行ってくるっ!」

「あっ、ちょっ!!」

そう言いながら、金森委員長は、財布を片手に佐伯がいるのとは、反対側を通って一階の売り場に向かった。

「おい、佐伯…止めなくて良かったのか?」

「止めるのも怒るのも疲れたよ…。」

山賀の質問に、佐伯はアイスコーヒーを啜りながら答えた。


その疲れ切った様子に、俺達は心の中で、手を合わせた。





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