これは私の物ではない

callas

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 咳が止まらない。
 のどが痛くて、身体が火を噴いたように熱く感じる。

 (み…水……)

 マリアンナはベッドサイドに置かれたテーブルの上に手を伸ばした。

 (確かまだあったはず……)

 中身が減って軽くなったピッチャーは、6歳…それも病人の手にはとても重く感じた。
 何とか取っ手を掴み、コップに水を注ごうとするも、中から出てきたのはほんの少しの水だった。

 それでも無いよりはマシと、口に流し込む。
 入れて時間のたった水は冷たさなどとうになかったが、乾いた身体にはいくらか効き目があったようで、少し楽になったような気がした。

 しかし、汗のかいた身体にはまだ水分が足りなかった。

 (水…取りに行かないと……)

 体を起こそうと力を入れたが、全く動けなかった。

 (…………来てくれるかわからないけど…もしかしたら……)

 マリアンナはテーブルの上に置かれたベルを鳴らしてみた。

 1分…
 2分……

 5分………

 10分……………

 部屋の前を誰かが通る気配もない。

 (はぁ……やっぱりダメか……)

 さっきの水も自分で準備したものだ。この家の使用人は余程のことがない限り、この部屋には近づこうともしない。みんな妹のサラの側に待機しているからだ。

 このベルの音も、聞こえていたら渋々でも誰かしらここに来るはずなのだが……

 この様子だと聞こえる範囲には誰もいないということか──

 (いつものことだけれど、今回は流石にキツイわ……)

 いつからか減っていった身の回りの世話をする使用人に合わせて、生きるために必死で出来ることを増やしていった。それもあって一通りできる頃には自分の周りには誰も残っていなかった。

 朝は自分で起きて着替え、部屋に置いてある道具─昔使用人が何もせず道具だけ置いていった─で出来るところを掃除し、シーツも自分で替えている。
 
 洗濯は自力では出来ないので、洗濯場まで持って行った。しかし以前『またあの子勝手に入れてるー。はぁこれもついでに自分でして欲しいわー』と言うのを聞いてしまい、それからは見よう見まねで自分でするようにした。
 今ではだいぶ手慣れてきたと思う─
 
 本来なら使用人の対応は雇い主の娘に対するではないが、その雇い主である両親がマリアンナに対して無関心なので、使用人たちも何をしても咎められないという認識だった。たまにストレスをぶつけられることもあった。
 
 (……頑張れ私……水を……せめて厨房に行けたら、誰かいるはず……流石にこの状況なら無視できない筈よ…………)

 両手を布団について必死で起き上がった。

 (ふふ……命がかかっていると思うと力って入るものね……)

 ベッドから降りて立ち上がろうとした瞬間、視界が揺れた──

 「あっ……」

 倒れる体を支える術も、人もいない。

 ドサッ

 部屋に響いた音を拾ったのは、マリアンナただ一人だった──
 




 ▽ ▼ ▽
 

 ──は目を開けた。

 掃除の行き届いた大きな部屋に可愛い装飾。
 今まで特に気にしたことなどなかったが、は違う。
 
 (は私の部屋じゃない……)

 キアラ・ヘルウィンズは5歳にして全てを思い出した──・・・

 


 マリアンナ・ヘルウィンズ─この家の長女として生まれ、僅か6歳にして命を落とした前世の自分…… 



 何の嫌がらせなのか、今世も同じ家に生まれた。

 一瞬時が戻ったのかとも思ったが、この家には記憶より大きくなったサラがいた。それで、ここは自分が死んだ後の世界なのだと納得した。

 (それにしても、前世はサラの姉……今世は妹……できれば関わりたくなかった……)

 マリアンナ自分が死んだ後の世界にいるのは不思議な感覚だった。まぁ死んですぐに生まれ変わっているみたいだから、特に変化がなくても当然か…

 (それにしても………お母様あの人妊娠してたのか……顔を会わせることが無かったから気づかなかった)

 なぜ同じ家族なのにこうも扱いに違いがあるのか…当時はわからなかったが今ならわかる気がする。

 ヘルウィンズ家の長女として生まれた私は、早々に始まった当主教育により、感情を表すことがなくなった。
 淑女たるものそうそう感情を表に出すなと教育をされたからだ。

 両親もそれは理解していたようだが、それでも表情の乏しい子供は可愛いげがなかったのだろう。

 後から生まれたサラは子供らしくニコニコしており、厳しい教育もされなかったので、伸び伸びと育てられた。

 子供らしく甘えてくるサラを両親は溺愛し、何時しかマリアンナの存在など忘れたように扱いだした。
 
 2年…2年だ……

 空気のように扱われることに堪えきれず、食事も部屋でとるようになってから、一切の交流がなくなった。それが2年続いた。

 存在がなくなったので、何時しか家庭教師もサラの方へと移っていった。内容も自分にしていた厳しい教育ではなく、マナーなど優しいものだ。

 日常がいっぱいいっぱいで、体力、精神共に疲れはてていたとき風邪をこじらせた。

 マリアンナが発見されたのは、ベッドから落ちて意識を失った次の日だった。

 毎朝決まった時間に食事を取りに来るマリアンナが、その日の朝は来なかったのだ。特に気にもしなかったが、昼も取りに来ないことを不審に思ったメイドが、ベッド横の床に倒れている彼女を発見したのだ。
 死亡からだいぶ時間が経っていたので、屋敷内は一気に大騒ぎとなった。

 マリアンナの手には空になったピッチャーが握られており、どうみても自分で取りに行こうとして倒れたのは明白だった。

 メイドたちはそれぞれ必死に、『彼女が遠慮して私たちを呼ばずに、自分で取りに行こうとしたのだ』と主張するが、明らかに使用人の手が入っていないとわかる部屋の惨状に、常日頃からここには誰もついておらず、マリアンナはきちんとした世話をされていなかったという事実に、今更ながらに気づいた両親はとても悲しみ、後悔した。

 皮肉にもマリアンナが死んだことにより、再びその存在を認識したのだ。

 その騒ぎで動揺した公爵夫人の陣痛が早まった。予定日よりだいぶ早めの女の子だった。

 名前はキアラ─今世のマリアンナの名前だった。



 ▽ ▼ ▽



 「あんたより私の方が可愛がられているんだから!」

 サラは大声で喚くと、キアラが新しく買ってもらったネックレスを取り上げて部屋を出ていった。

 マリアンナの死後、当主候補となったサラには、生前の彼女と同じ教育が始まった。

 しかし、今まで甘えて育てられたサラには突如変わった教育内容を、すぐに受け入れることは出来なかった。

 
 更に、今までサラ自分が独占していた両親の時間を、キアラと共有することが許せず、その不満はまだ幼い妹へと向かった。

 (以前のマリアンナと同じ立場になっただけ……違うのは両親あの人たちがきちんとサラとの時間も大事にしているということ……あの頃の私より100倍もマシなのに……サラにはそれがわからないのね……)

 
 乱暴に閉められたドアを眺めてため息を吐いた。


 から五年──
 キアラは5歳、サラは9歳になっていた。

 

 前世と違い今世の自分を両親は可愛がってくれた。記憶がなかったキアラは素直にそれを受け止めていたが、5歳の時、池を覗いていたところをサラに突き落とされてから全てを思い出した。 

 (全てを思い出した今となっては、両親あの人たちの行動が何だか白々しく感じるわ……気持ち悪い…)

 その日からキアラは部屋をの場所に移した。

 

 (またいつ捨てられるかわからない不安を抱えるぐらいなら、初めから自分のものと思わなければいいのよ)

 マリアンナの部屋は、家具はそのままだった。そこにサラに破られなかった服を運び入れた。

 

 そして、マリアンナの時と同じような生活を始めた─

 朝は自分で着替え

 掃除は自分で

 食事も自分で厨房に取りに行き

 極力誰とも会わないように──



 だって……ねぇ……

 八つ当たりで破られる服も

 嫉妬で取られるアクセサリーも

 簡単に心変わりする愛情も

 手元から無くなるものなんて




 そんなもの要らないわ……


 


 








 ▽ ▼ ▽


 「あなたたち!キアラはどうしたの?」

 ヘルウィンズ公爵夫人は使用人に大きな声で怒鳴った。

 「奥様…申し訳ございません……総出で探しているのですがどこにも見つからなくて…あとはあの……マリアンナ様の部屋ぐらいしか……」

 「何ですって…あそこは……いや…あの子が知ってるはずないもの……」

 「お母様━」

 「どうしたのサラ?」

 「お勉強終わったの!一緒に遊んでくれるでしょう?」

 「今それどころじゃ……いえ……えぇ良いわよ。それならお庭でお茶にいたしましょう」

 「わーい」

 喜ぶサラを連れて庭に出ると、メイドにお茶の準備をさせた。今日あったことを楽しく話すサラに耳を傾けながら、内心はキアラのことを考えていた。

 (急にどうしたのかしら……もう我が子を失うようなことは嫌なのに……でもあまりキアラに構うとサラが不機嫌になって、手がつけられなくなるし……あぁ…)

 
 


 仲良くお茶をする二人の姿をキアラはマリアンナの部屋から眺めていた──

 (ある程度の技術と知識を身につけたら此処から出ていこう……)



 キアラがマリアンナの部屋にいることは直ぐに周知されたが、誰も部屋に近づくことはなかった。否、近付けなかった。皆過去の出来事に罪悪感を抱えていたので、己の罪の場所であるその部屋に近寄れなかったのだ。
 それでもサラは例外なく突撃してくるのだか─

 誰も来ないのをいいことに、キアラは順調に知識と技術を身につけていき、ついに社交デビューの年に家を出たのだった──







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