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第二部
133.クロヴィスの思惑(後編)
しおりを挟む――『兄上を許さない』
その言葉に、部屋の空気が張り詰める。
特にクロヴィスの側近たちの表情は険しく、今にもアレクシスを咎めんばかりの勢いだったが――けれど、それだけだった。
クロヴィスは側近たちを右手で制し、唇に弧を描く。
そして、窘めるようにこう言った。
「確かにそう思うのも無理はない。私がここ数年に渡り、ルクレール侯について調べていたのは事実だからな。それに私は、リアムが死んだ兄の代わりであることも、お前との間にトラブルがあったことも知っていた。――だが、だからといって今回の騒ぎそのものが私のせいだと決めつけるのは、あまりに短絡的ではないか?」
「……では、兄上は否定すると?」
「ああ、断じて違うと断言する。そもそも、侯爵の本来の跡取りが死んだことを知らぬ貴族などいやしない。ルクレール侯相手だからと口にしないだけで、我らの親世代は皆知っていることだ。更に付け加えるなら、私生児が後継者の代替として引き取られることも、召使い同然の扱いを受けることも何ら珍しいことではない。それは各家門の問題であって、私が口を出すべきことではない」
「……っ」
――家門の問題。口を出すべきことではない。
その乾いた声に、アレクシスは押し黙る。
全てはクロヴィスの言う通りだったからだ。
リアムが父親から不当な扱いを受けていようが、それを止める権利も義務も、クロヴィスには有りはしない。
つまりクロヴィスは、見過ごしただけだと言っているのだ。
リアムの置かれた状況や、アレクシスとの間に起きた確執について知りながら、何かが起こるかもしれないとわかっていながら、実際に事が起こるまで待っていた。
止めることこそしなかったが、積極的に何かを起こそうとしたわけでもない。
だから、自分に責任はない、と。
それは到底納得できる答えではなかった。
けれどアレクシスは、これ以上問い詰めても無駄だと悟る。
クロヴィスの口ぶりからするに、これ以上答える気はないのだろうから。
――が、そう思ったそのときだ。
「とは言え」と口にしたクロヴィスの声色が、変わる。
「エリス妃を巻き込んでしまったことについては、私も責任を感じていてな。お前たちを利用させてもらった恩もある。"例の噂"はこちらで処理すると約束しよう」
「――!」
この言葉に、アレクシスはハッと顔を上げた。
例の噂とは当然、エリスの不貞に関する噂のことだ。
アレクシスは当初、決闘を終えたらリアムに謝罪文を公表させるつもりでいた。それをもって、あらゆる憶測を治めようと考えていた。だがリアムの死により、本来の目的を果たせなくなってしまった。
そのせいだろう。貴族たちは皆、ルクレール侯爵に同情心を寄せているのだ。
表立っては口にしないが、リアムのみならずオリビアまでもが命を落とすことになったのは、エリスのせいだと、裏で囁き合っている。良き友人関係であったはずのアレクシスとリアムの仲を壊した、悪女であると。
(確かに、俺一人ではどうしようもないところまで広まってしまったが……)
この一週間、アレクシスはエリスを一歩もエメラルド宮の外に出していないため、エリスはまだ噂の内容を知らないが、あと一月もすれば社交シーズンがやってくる。
そうなれば、いくらアレクシスが気をつけようと、エリスの耳に入ることになるだろう。
それも、アレクシスの悩みの種だった。
けれどクロヴィスは、それをどうにかすると言っている。
「それは願ってもないことですが、一体どのように?」
「噂を消すには新たな噂を流すのが最も効果的だ。不貞など霞んでしまうほどの、不祥事をな」
「それは、どういう……」
すると、アレクシスが呟いたそのときだ。
執務室の外でバタバタと騒がしい足音がして、扉が荒めにノックされる。と同時に、クロヴィスが「噂をすればだな」と呟いたと思ったら、「至急申し伝えたいことが」と焦りに満ちた声がして、一人の若い男が駆け込んできた。
胸元に青いヒナギクのバッジをつけていることから、内政官であることがわかる。
彼はこの場にアレクシスがいることに気付き一瞬怯んだが、クロヴィスの「用件を言え」という声に即座に反応し、一枚の書類を突き出すと、まくし立てるようにこう言った。
「たった今この書状が届き、ルクレール侯爵が本日付で議長を辞任されると……!」
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