ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

文字の大きさ
188 / 198
第二部

133.クロヴィスの思惑(後編)

しおりを挟む

 ――『兄上を許さない』

 その言葉に、部屋の空気が張り詰める。
 特にクロヴィスの側近たちの表情は険しく、今にもアレクシスを咎めんばかりの勢いだったが――けれど、それだけだった。

 クロヴィスは側近たちを右手で制し、唇に弧を描く。
 そして、たしなめるようにこう言った。

「確かにそう思うのも無理はない。私がここ数年に渡り、ルクレール侯について調べていたのは事実だからな。それに私は、リアムが死んだ兄の代わりであることも、お前との間にトラブルがあったことも知っていた。――だが、だからといって今回の騒ぎそのものが私のせいだと決めつけるのは、あまりに短絡的ではないか?」
「……では、兄上は否定すると?」
「ああ、断じて違うと断言する。そもそも、侯爵の本来の跡取りが死んだことを知らぬ貴族などいやしない。ルクレール侯相手だからと口にしないだけで、我らの親世代は皆知っていることだ。更に付け加えるなら、私生児が後継者の代替スペアとして引き取られることも、召使い同然の扱いを受けることも何ら珍しいことではない。それは各家門の問題であって、私が口を出すべきことではない」
「……っ」

 ――家門の問題。口を出すべきことではない。
 その乾いた声に、アレクシスは押し黙る。

 全てはクロヴィスの言う通りだったからだ。
 リアムが父親から不当な扱いを受けていようが、それを止める権利も義務も、クロヴィスには有りはしない。

 つまりクロヴィスは、見過ごしただけ・・だと言っているのだ。
 リアムの置かれた状況や、アレクシスとの間に起きた確執について知りながら、何かが起こるかもしれないとわかっていながら、実際に事が起こるまで待っていた。

 止めることこそしなかったが、積極的に何かを起こそうとしたわけでもない。
 だから、自分に責任はない、と。


 それは到底納得できる答えではなかった。

 けれどアレクシスは、これ以上問い詰めても無駄だと悟る。
 クロヴィスの口ぶりからするに、これ以上答える気はないのだろうから。

 ――が、そう思ったそのときだ。

「とは言え」と口にしたクロヴィスの声色が、変わる。

「エリス妃を巻き込んでしまったことについては、私も責任を感じていてな。お前たちを利用させてもらった恩もある。"例の噂"はこちらで処理すると約束しよう」
「――!」

 この言葉に、アレクシスはハッと顔を上げた。

 例の噂とは当然、エリスの不貞に関する噂のことだ。
 アレクシスは当初、決闘を終えたらリアムに謝罪文を公表させるつもりでいた。それをもって、あらゆる憶測を治めようと考えていた。だがリアムの死により、本来の目的を果たせなくなってしまった。

 そのせいだろう。貴族たちは皆、ルクレール侯爵に同情心を寄せているのだ。
 表立っては口にしないが、リアムのみならずオリビアまでもが命を落とすことになったのは、エリスのせいだと、裏で囁き合っている。良き友人関係であったはずのアレクシスとリアムの仲を壊した、悪女であると。


(確かに、俺一人ではどうしようもないところまで広まってしまったが……)


 この一週間、アレクシスはエリスを一歩もエメラルド宮の外に出していないため、エリスはまだ噂の内容を知らないが、あと一月もすれば社交シーズンがやってくる。
 そうなれば、いくらアレクシスが気をつけようと、エリスの耳に入ることになるだろう。

 それも、アレクシスの悩みの種だった。

 けれどクロヴィスは、それをどうにかすると言っている。


「それは願ってもないことですが、一体どのように?」
「噂を消すには新たな噂を流すのが最も効果的だ。不貞など霞んでしまうほどの、不祥事スキャンダルをな」
「それは、どういう……」

 すると、アレクシスが呟いたそのときだ。

 執務室の外でバタバタと騒がしい足音がして、扉が荒めにノックされる。と同時に、クロヴィスが「噂をすればだな」と呟いたと思ったら、「至急申し伝えたいことが」と焦りに満ちた声がして、一人の若い男が駆け込んできた。
 胸元に青いヒナギクのバッジをつけていることから、内政官であることがわかる。

 彼はこの場にアレクシスがいることに気付き一瞬怯んだが、クロヴィスの「用件を言え」という声に即座に反応し、一枚の書類を突き出すと、まくし立てるようにこう言った。


「たった今この書状が届き、ルクレール侯爵が本日付で議長を辞任されると……!」
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

処理中です...