蛇に睨まれた蛙は雨宿りする

KAWAZU.

文字の大きさ
40 / 46

Ep.40 知らないの輪郭(後)≪曇りのち晴れ≫

しおりを挟む
 ◇
 
 生徒会棟のガラスに自分の顔が薄く映る。吸って、止めて、吐く——いつもの三拍子を一回だけしてから、取っ手に触れた。
 静かすぎる廊下には、前より薄いけれど相変わらず“選ばれた側”の空気が漂っている。以前やった“扉の前で五秒カウント”はやめた代わりに、ノックを二回。それだけで入る。

 放課後の生徒会室は木と紙の匂いに満ちていた。窓の外の光は薄く、机に四角い明かりが落ちている。他には誰もいない。掲示物の束がきっちり積まれた机の前で、神代が用紙を整えていた。

「雨宮、来てくれてありがとう」
「掲示、これ?」

 受け取ると、神代が間を測るように目を伏せた。

「うん。でもその前に——昨日の続き、してもいい?」
「……うん」

 会議用のテーブルを挟んで向かい合う。椅子の脚が床を擦ってやけに大きい音がした。

「雨宮が俺のこと“怖い”って言った理由、知りたい」
 神代が静かに言う。

「俺、神代くんが怖いの、その……蛇もあるけど」

 彼の腕の内側で、白い線が静かに瞬く。俺はちらっとそれを見て、目を戻す。

「たぶん……知らないからだ」

 言葉は素直に落ちた。神代は短く息を吸って目を細める。

「うん。俺も、雨宮に“知ってほしい”。それに俺も雨宮のことを、もっと知りたい」

 静かで少し冷たい声が、空気を撫でた。白い蛇の気配が細く首を上げる。

『知らなくていいこともあるが』
「ハクヤ」

 神代が穏やかに名を呼んだ。柔らかく微笑んでいるのに、空気の奥がわずかに震える。
 白い線が微かに揺れて、またゆっくりと腕の内側へ戻っていく。
(——ハクヤ。名前が)
 名前が与えられた瞬間、白い“何か”が“誰か”になった。怖さの形も少し変わる。

『蛇の圧、怖え~』
『蛙。静かにしろ』
「二人とも。話が進まない」

 神代の穏やかな目が、守護生物たちに「黙ってて」の温度を送る。ハクヤは静かに目を伏せ、ケロスケは俺の膝の上にぴょこんと隠れた。

「じゃあ、互いに“知る”時間が必要だって分かったことだし、最初の一歩は整理整頓」
「なんか、いきなり現実的だな」
「こういう場面に“素”が出るんだよ」
 
 そのまま資料整理を手伝う流れになった。机いっぱいに広げられた書類。文化部の申請書、掲示用のポスター、配布予定のプリント。
 ホチキスの芯が切れ、神代が引き出しを探る。几帳面に仕切られた箱から、補充用の芯が二種類出てきた。

「……どっちだっけ」
『左』と、ハクヤの低い声が落ちる。
 
 迷いはあるのにその手つきは静かだ。神代はまとめた書類束に配布先ごとに色分けした付箋を貼り、指先で角を揃える。その手の甲に薄い紙擦れの跡が見えた。

「去年の海浜公園で……いや、こっちは雨天時対応が……」

 独り言のように作業段取りを小声で唱える癖もある。そういえば以前、資料室でマニュアル確認していたときも、ブツブツと何か言ってた。几帳面、だけど完璧じゃない。
 付箋が一枚はみ出して、俺がそっと押し込むと「助かる」と即座に返ってくる。こういう自然に出る丁寧さは染みついた反射か、それとも……天然?
 
 一番意外だったのは、手元がちょっとだけ不器用なこと。ホチキス針が斜めって止め直したのが三回目。

『蛇のくせに案外ドジだな。こっちにほら、一枚落としてんぞー』
 ケロスケが端に落ちた資料を前足でつつく。

『静かに。主の集中を妨げるな』
『口調がお貴族様か、お前は』
(……ここ、動物園か)

 神代は落ちた資料を拾いながら少し照れた顔で笑う。

「几帳面だってよく言われるけど、本当はただのメモ魔なんだ」

 引き出しの中から出てきた手帳には、細かい文字と矢印でびっしり。メモの角が丸くすり切れていて、繰り返し確認している様子を物語っている。
 だからこそ本当は努力で“整えてる”人なんだなと思う。“整っている”のは才能じゃなく、整える習慣の結果だ。人間の体温が、そこにあった。
 
「神代くんは、何もしなくても完璧なんだと思ってた」
「イメージと違って、がっかりした?」
 首を振って「しない」と答えると、神代は少しだけ首の角度を変える。

「本当に?」
「うん。……かわい——」と言いかけて、喉で止める。
「違う、そういう意味じゃなくて。……その、真面目で、いい」
 言葉の置き換えがぎこちなくても、神代は目を細めて小さな息をそのまま笑いに変えた。

「整えないと落ち着かない。性格、だよ」

 その言葉に胸の奥で小さく反応するものがあった。
 分かる気がした。神代が整えるのは、机の上でも、書類の角でもなく——自分自身の形だ。完璧に見えるように積み上げた努力を、努力だと悟らせないように整えている。その“整えた姿”でようやく安心できる人。
 俺だって似たようなものかもしれない。特別な何かがあるわけじゃないけど、「普通でいたい」自分の形を崩さないように整えてる。目立たないように、波を立てないように。
 それはどちらも「嘘」じゃなく、ちゃんと自分で選んだ形だ。違う立場で、違うやり方だけど——同じように自分を保つために“整えてる”。

(似てないのに、似てる)

 少しだけ妙な親近感を覚える。知った分だけ怖さが減る気がした。

『はい出ました“似てる”判定。ポイント高い~』
(黙れ)

「いい……と、思う」

 蚊の鳴く声でも神代には届いたらしい。ふっと笑う。次いで、ほんの冗談めかして——けれど、距離は半歩だけ近くなる。

「じゃあ、秘密だよ」

 小声でそう言って、神代は身を乗り出すように顔を寄せた。香りのない空気が一瞬で濃くなる。指先まで血の音が響いて、息の仕方を忘れそうだった。冗談なのは分かっているのに、心臓だけは素直すぎる。

「……な、なにが秘密」
「みんなのイメージ通りじゃない、本当の俺。ホチキス三回目とか、ね」

 穏やかな笑みの奥に、ほんの少しだけ意地悪い色。可愛いって言いかけたこと、やっぱりバレてた。意趣返しみたいなずるさが、逆に人間っぽくて——

『むしろ加点』
(だから黙れ)

 神代が止め直した針は、今度はきれいに揃っていた。

「……揃った」
「うん。揃った」
 見るべき角が、同じ向きになった気がした。
 
『蛇が折れねぇから、うちのが苦労してんだぞ』
『主は本能に正直なだけだ』
(本能?)

 嫌な想像が顔を出す。俺は両手でケロスケを庇うように持ち上げる。
 
「神代くん、……その、本能ってさ。ケロスケを……た、食べたいとかは、思ってないよな?」

 ケロスケの手が俺の親指をぎゅむ、と掴む。ハクヤは一瞬だけ目を細めて、すぐに視線を逸らした。
 神代はいつもの整った笑みを半歩だけ意地悪に傾ける。

「今のところは、ね」

 俺とケロスケの心臓が跳ねた。
 
 神代が目だけで笑う。「冗談」
 悪い冗談すぎる。
 でも、楽しそうだった。俺も変な汗が引いていく。 

『やめろ心臓に悪い!』
 ハクヤの目尻がわずかに和らいだ。——笑った? やっぱり“誰か”だ。
「どうした?」
「いや、……にぎやかだなって」
「にぎやかなの、嫌い?」
「嫌いじゃない。たぶん」
 本心だった。まだ蛇は怖い。けれど、怖さだけでは説明できない熱が胸に残る。

「今日は助かった」
「こっちこそ」

 書類の山が低くなり、机の面がやっと戻った。
 
 ◇
 
 外に出ると、雲の端が薄くほぐれて夕陽が細い帯になって坂道を撫でていた。風はぬるいけど、紙とインクの匂いがまだ指先に残っている。朝より歩幅がほんの少し広い。

「蛇の本能が食欲じゃなくて良かった」
 口に出したらケロスケが肩で笑った。

「……じゃあ神代って、なんであんなに俺に構うんだろ」
『“知らない”を埋めるのが好きなんじゃねぇの。特に逃げた相手なら、なおさらな』
「……それって、俺のこと?」
『他に誰がいんだよ』

(なるほど、本能=知識欲か。神代らしいかも)

 ケロスケが小さく舌打ちみたいに息を鳴らし、横目で俺を見る。

『——ま、埋めてぇのは“空欄”だけじゃねぇんだろうけどな』
「え?」
『なんでもねぇ』

 肩の上でわざとらしくあくびをした。
 足元の影が少しだけ重なる。俺は自分でも分かるくらい小さく笑った。
 
「怖い理由が、少し減った気がする」

 自分で言って、胸の奥の形が変わるのがわかった。
 
 ◇ 

 窓の外、薄い雲の向こうに月が滲んでいる。
 課題ノートを開こうとしたところで、机の上のスマホが一度だけ震えた。最近作った、俺と朱里と白河の三人用グループラインの通知だ。

 画面には「AKARI」の名前。

 《【AKARI】今日のご指名どうだった🦊》
 《【AKARI】蛇、噛みついてこなかった?》

『雑な聞き方だな~』
 ケロスケが肩のあたりであきれた声を出す。

 指先でゆっくり文字を打つ。

 《【雨宮】噛まれてない》
 《【雨宮】ちょっと作業手伝っただけ》

 すぐに「白河」の吹き出しが続いた。

 《【白河】“だけ”って感じじゃなさそう》
 《【AKARI】だな 昼からってか》
 《【AKARI】最近ずっと様子おかしい》

「……観察しすぎだろ」
『バレバレだな、お前』
 ケロスケが小さく笑う。

 ここまで来て、まだ黙っているのも違う気がした。前に「これは全部、俺ひとりの問題だから」って勝手に決めつけたときの自分が、胸の奥で小さく顔をしかめる。

 《【雨宮】……あとさ》
 《【雨宮】ちゃんと言ってなかったことあって》

 数秒もしないうちに、二つの返事が落ちてくる。

 《【AKARI】こわ 何》
 《【白河】どうぞ》

 喉の奥で一度だけ息を飲んでから、慎重に親指を動かした。

 《【雨宮】実はこないだ神代にケロスケがバレた》

 一瞬だけ画面の上の「入力中」が消えたり点いたりする。
 それから、ほぼ同時に二つの吹き出しが弾けた。

 《【AKARI】は???》
 《【白河】やっぱり》

 朱里の「?」の数と白河の「やっぱり」の温度差に、思わず息が漏れた。

 《【AKARI】いつからだよ》
 《【AKARI】てか何で黙ってた》

 画面の白に、自分の迷いがそのまま映る気がする。逃げてれば、いずれ薄まると思っていた。
 でも、もうそういう感じでもない。

 《【雨宮】自分の問題だし 二人を巻き込みたくないと思ってた》
 《【雨宮】逃げてれば特に問題ないかなって ずっと》
 《【雨宮】でも もう逃げられないっていうか……逃げないようにしようかなって》

 送信ボタンを押した指先が、じんわり熱くなる。
 少し間を置いて、まず白河の文字が浮かんだ。

 《【白河】巻き込まれてる自覚はだいぶ前からある》
 《【白河】今さらだよ》

 続いて、AKARI。

 《【AKARI】そういうのは最初から共有しとけバカ》
 《【AKARI】でも“逃げない”ってワードは高評価👍》

 苦笑しながら読んでいると、さらに吹き出しが並ぶ。

 《【白河】じゃあ 神代の前で雨宮はもう見えないふりしてないってことな》
 《【白河】俺らも雨宮と神代の前でようやく話せる》

 《【AKARI】了解》
 《【雨宮】今まで気を使ってもらっててごめん》
 《【AKARI】むしろ湊が気を使いすぎな》
 《【白河】ほんとにな》

 最後に蛙のスタンプが一つ、ぴょこんと跳ねて会話が途切れた。

 画面を伏せると、胸の奥の何かが少しだけ軽くなる。
 「俺ひとりの問題だから」と決めつけて、誰にも触らせなかった荷物の取っ手を、ようやく二人の手にも握ってもらった感じ。

『やっとオレらも正規メンバー扱いってやつだな』
「……なんのメンバーだよ」

 ケロスケの声は相変わらずお気楽なのに、さっきまでよりずっと近く感じた。
 “一緒に知ってくれる人”がまた増えた。そんな感覚がじんわり広がる。

 スマホを伏せて、ようやくノートを開いた。机の上に開いた課題ノート、その端っこに一行だけ書いた。

《知らないから怖い。でも、知らないままじゃ、もっと怖い》

 ケロスケが肩の上で『哲学か?』と茶化す。

「違う。ただの反省」
 
 ペンを置き、窓の外を見る。月は薄く笑っているように見えた。
 今日の“怖い”は、昨日より少しだけ形が分かった。

 “逃げない”って、戦うことじゃない。
 “知ろうとする”ことも、たぶんそのひとつなんだ。
 
 雲がゆっくり流れて、月の輪郭を描き直す。胸の中でも、輪郭がひとつ更新される。明日の予報は晴れ時々曇り。天気は変わる。——なら、俺の見方だって変えられる。

 薄い光が机の端に落ちる。そこに指先を置いて、さっきの一行を指先でなぞる。
 知らないの輪郭が、少しだけやわらいだ。息をひとつ吸う。——次へ進む余白が、きちんと残っている。
 
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~

無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。 自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。

30歳まで独身だったので男と結婚することになった

あかべこ
BL
※未完 4年前、酒の席で学生時代からの友人のオリヴァーと「30歳まで独身だったら結婚するか?」と持ちかけた冒険者のエドウィン。そして4年後のオリヴァーの誕生日、エドウィンはその約束の履行を求められてしまう。 キラキラしくて頭いいイケメン貴族×ちょっと薄暗い過去持ち平凡冒険者

病んでる愛はゲームの世界で充分です!

書鈴 夏(ショベルカー)
BL
ヤンデレゲームが好きな平凡男子高校生、田山直也。 幼馴染の一条翔に呆れられながらも、今日もゲームに勤しんでいた。 席替えで隣になった大人しい目隠れ生徒との交流を始め、周りの生徒たちから重い愛を現実でも向けられるようになってしまう。 田山の明日はどっちだ!! ヤンデレ大好き普通の男子高校生、田山直也がなんやかんやあってヤンデレ男子たちに執着される話です。 BL大賞参加作品です。よろしくお願いします。 11/21 本編一旦完結になります。小話ができ次第追加していきます。

愛だの恋だの馬鹿馬鹿しい!

蘇鉄
BL
「俺は誰とも関わりたくないんだけどなあ、おかしいなあ?」 『回答。ユーザー様の行動が微妙に裏目に出ています。シミュレーション通りにならず当システムは困惑しております( ゚Д゚)』 平和な学生生活を手に入れるために生活サポートAIシュレディンガーと共に色々と先回りして行動していたらいつの間にか風紀委員やら生徒会やらに追い回される羽目になっていた物部戯藍。 街を牛耳る二大不良チームも加わる中、執着される理由がわからず困惑しつつも彼は平穏な生活の為に逃げ回る。 彼は愛も恋も信じない。それはとても不確かなものだから。バカバカしいまやかしだと決めつけて。 ※ 不定期更新です

俺の“推し”が隣の席に引っ越してきた

雪兎
BL
僕の推しは、画面の向こうにいるはずだった。 地味で控えめなBLアイドルグループのメンバー・ユウト。彼の微笑みと、時折見せる照れた横顔に救われてきた僕の、たった一つの“秘密”だった。 それなのに、新学期。クラスに転校してきた男子を見て、僕は思わず息をのむ。 だって、推しが…僕の隣に座ったんだ。 「やっと気づいてくれた。長かった〜」 ――まさか、推しの方が“僕”を見ていたなんて。 推し×オタクの、すれ違いと奇跡が交差する、ひとくち青春BLショート。

キスの仕方がわかりません

慶野るちる
BL
全寮制男子校に入学した市原はクラス委員長になったため書類を提出しに生徒会室に行くと、そこに一人いた、初対面の副会長の近藤に襲われてしまう。  混乱するも相部屋の同級生・松川に助けられて元気を取り戻したある日、生徒会長の桜野から仕事を手伝って欲しいと依頼される。  最初は近藤に無視されていたが手伝う中で近藤から告白され、近藤への印象が少しずつ変わっていく市原だが。 表紙:Photo by Markus Spiske on Unsplash / powered by かんたん表紙メーカー様

兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?

perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。 その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。 彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。 ……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。 口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。 ――「光希、俺はお前が好きだ。」 次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。

聞いてた話と何か違う!

きのこのこのこ
BL
春、新しい出会いに胸が高鳴る中、千紘はすべてを思い出した。俺様生徒会長、腹黒副会長、チャラ男会計にワンコな書記、庶務は双子の愉快な生徒会メンバーと送るドキドキな日常――前世で大人気だったBLゲームを。そしてそのゲームの舞台こそ、千紘が今日入学した名門鷹耀学院であった。 生徒会メンバーは変態ばかり!?ゲームには登場しない人気グループ!? 聞いてた話と何か違うんですけど! ※主人公総受けで過激な描写もありますが、固定カプで着地します。 他のサイトにも投稿しています。

処理中です...