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Ep.41 風の予告、特別の合図(前)≪曇りのち晴れ≫
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朝の昇降口は曇りに薄い光が滲んでいた。ガラス越しの白が紙面を透かし、掲示板の張り紙がぼんやり浮かんで見える。紙の隅はわずかに反り、ホチキスの銀だけがくっきり光っていた。
上の階から靴音と笑い声が降ってくる。誰かが冗談を言って、誰かが大げさに突っ込んで、また笑う。廊下を流れる声は、教室ごとの温度で少しずつ違う。軽い話の情報交換、昨日の噂の続きを拾う声。どれも遠くて、でも同じリズムで動いている。
朝の学校はいつもそんな音で満ちている。
そのざわめきの外側で、俺は掲示板を見上げた。昨日、図書館に貼ったのと同じ「地域ボランティア参加者募集」の張り紙がここにも増えている。
「おはよう、白河」
伸びをしていた白河が振り向く。少し眠そうな目。前髪の一束だけ跳ねていて、寝起きの正直さが出てる。
「おはよう。雨宮、早いな。……それ、見てた?」
「うん。昨日図書館にも貼ったやつと同じ」
「なるほど、それで既視感。こないだ言ってたの、これか」
紙には「海浜公園・ビーチクリーン」とある。集合時間、持ち物、服装、申し込み期限。生徒会と美化委員の連名。目で端から端までなぞって、息をひとつ落とす。
行き交う生徒たちの流れの中で、もう一つゆっくりとした足音が立ち止まった気配。
「お前ら朝から元気かよ。ねみぃ……」
背後から、寝ぼけた声。朱里だ。スマホを片手に半分だけ開いた目で近づいてくる。髪はきれいにセットされているのに、目蓋だけ重力に負けている。
「おはよう、って目つきヤバすぎ。寝ながら歩くなよ」白河が笑う。
「ほんと、目死んでる」
「おーい。人の顔ディスるのやめろ。俺、繊細なんだから」
俺たちは掲示の前を離れて教室へ向かう。廊下の先、遠くで誰かがロッカーを閉める音が響いた。踵のリズムに合わせて、白河がふと思い出したように言う。
「で、週末の予定どう? 気分転換にさ」
「土曜はバイト。日曜は空いてる」
俺は指を折って確認。
「どうだったっけな……」
朱里がスマホを開いて指でスケジュールを確認する。
「あー、俺日曜午後からバイ——」
そのとき、A組の扉が開いて神代が出てきた。白いシャツの襟が光を弾いて、歩くたびに薄い影が床に揺れる。落ち着いた歩幅で、自然にこちらへ向かってくる。
「おはよう。聞こえたよ。雨宮、日曜参加してくれるって?」
足が半歩だけ止まる。目が合った。普段通りの綺麗で穏やかな微笑は、朝早くても一寸の乱れもなく健在だ。
「あ……おはよう。うん、予定空いてるから」
口を開きかけた朱里が、音だけ飲み込んで俺と神代を見比べる。眉の角度がほんの少しだけ上がる。
「生徒会主催だよな」白河が会話の流れを戻す。「副会長窓口で申込書パス、オッケー?」
「出してもらえると助かるけど、“特別に”俺から受け付ける」
「とくべつ……?」思わず声が出た。
「俺が直接参加登録しておくよ。優先枠ってことで。参加は白河と雨宮の二人で——」
「俺も行く」
朱里の声が早かった。笑っているけど、目からもう眠気がすっかり消えていた。
「でも今、バイトって言ってなかった?」
神代は穏やかに首を傾げた。さらりと前髪が揺れて毛先が陽に透けている。
「気のせいだった。“俺たち三人”で参加入れといてよ、副会長」
笑顔の温度が一度、静かにぶつかった。二人とも柔らかいのに、芯だけ尖っているような感じ。気のせいだろうか。
「了解。じゃあ三人まとめて“特別枠”だね」
「へえ。副会長って案外柔軟」
神代は一瞬だけ考えるように目を細めて、口元だけで笑う。
「最近、雨宮とちゃんと話すようになった影響かな」
その一言が、空気に小さな波を立てた。冗談の顔をしてるのに、声の底の温度が違う。
胸の奥が一拍だけ強く鳴る。さっきまで耳に入っていた笑い声が、急に遠くなった。
なんで、とか、大げさだって突っ込みたいのに、喉のところで言葉が引っかかった。
一昨日、俺も神代を少しだけ知ったことで、怖さとの向き合い方を変えられるかもしれないと思えたからだ。俺が神代へ“影響”を与えたというのが本当なら、俺も同じくらい“影響”を受けてる。
開きかけた口を引き結ぶと、ぎゅっと鞄の持ち手を握り締めた。
隣で朱里がわずかに眉を動かし、視線をふいっと横へ逸らす。ふわりと羽を膨らませたスイを肩に乗せた白河が、一歩前に出る。
「ありがとな、神代」白河が軽く手を上げる。
「こちらこそ。日曜、晴れるといいね。じゃ、放課後に詳細送る」
神代は短く笑って、A組の方へ戻っていった。
その背を追うように、肩のあたりで白い光が細く揺れる。ハクヤだ。声は出さず、出席を取るみたいに一人ずつ目で数えてから、風に溶けるように消えた。
残された三人の間に、言葉より少し重い沈黙が残る。
俺と朱里と白河は二年B組に向かって歩き出す。窓に映る自分の顔は、いつもより血色が良い気がした。曇りでも光が少し優しかったせいかもしれない。そう思った瞬間、心臓の裏で一拍だけ理由のない熱が跳ねた。
「なぁ湊、“特別”ってさ」朱里がぼそっと言う。視線は前を向いたまま、声の端に笑いを混ぜて。
「ああ、白河の言ってた申請書パスのことだろ」
白河の顔が広いとか、神代が親切だとか。二人の人柄にあやかって、自分も優先枠に入れてもらった。ありがたい話だ。
「へぇ、そういう解釈ね」朱里はわざとらしく明るい声で言い、前髪をかき上げた。毛先をいじる指の動きが、何か語りたそうに見えた。
『相棒、そこだけは違う気がするけどなぁ』
(じゃあ、まだ参加者少なかったんじゃない?)
肩の上でケロスケがやれやれと笑う。
「急がないと予鈴鳴るぞ」白河が小走りになる。
予鈴のチャイムが遠くで鳴った。金属の響きが、柔らかい朝の空気を震わせた。
◇
上の階から靴音と笑い声が降ってくる。誰かが冗談を言って、誰かが大げさに突っ込んで、また笑う。廊下を流れる声は、教室ごとの温度で少しずつ違う。軽い話の情報交換、昨日の噂の続きを拾う声。どれも遠くて、でも同じリズムで動いている。
朝の学校はいつもそんな音で満ちている。
そのざわめきの外側で、俺は掲示板を見上げた。昨日、図書館に貼ったのと同じ「地域ボランティア参加者募集」の張り紙がここにも増えている。
「おはよう、白河」
伸びをしていた白河が振り向く。少し眠そうな目。前髪の一束だけ跳ねていて、寝起きの正直さが出てる。
「おはよう。雨宮、早いな。……それ、見てた?」
「うん。昨日図書館にも貼ったやつと同じ」
「なるほど、それで既視感。こないだ言ってたの、これか」
紙には「海浜公園・ビーチクリーン」とある。集合時間、持ち物、服装、申し込み期限。生徒会と美化委員の連名。目で端から端までなぞって、息をひとつ落とす。
行き交う生徒たちの流れの中で、もう一つゆっくりとした足音が立ち止まった気配。
「お前ら朝から元気かよ。ねみぃ……」
背後から、寝ぼけた声。朱里だ。スマホを片手に半分だけ開いた目で近づいてくる。髪はきれいにセットされているのに、目蓋だけ重力に負けている。
「おはよう、って目つきヤバすぎ。寝ながら歩くなよ」白河が笑う。
「ほんと、目死んでる」
「おーい。人の顔ディスるのやめろ。俺、繊細なんだから」
俺たちは掲示の前を離れて教室へ向かう。廊下の先、遠くで誰かがロッカーを閉める音が響いた。踵のリズムに合わせて、白河がふと思い出したように言う。
「で、週末の予定どう? 気分転換にさ」
「土曜はバイト。日曜は空いてる」
俺は指を折って確認。
「どうだったっけな……」
朱里がスマホを開いて指でスケジュールを確認する。
「あー、俺日曜午後からバイ——」
そのとき、A組の扉が開いて神代が出てきた。白いシャツの襟が光を弾いて、歩くたびに薄い影が床に揺れる。落ち着いた歩幅で、自然にこちらへ向かってくる。
「おはよう。聞こえたよ。雨宮、日曜参加してくれるって?」
足が半歩だけ止まる。目が合った。普段通りの綺麗で穏やかな微笑は、朝早くても一寸の乱れもなく健在だ。
「あ……おはよう。うん、予定空いてるから」
口を開きかけた朱里が、音だけ飲み込んで俺と神代を見比べる。眉の角度がほんの少しだけ上がる。
「生徒会主催だよな」白河が会話の流れを戻す。「副会長窓口で申込書パス、オッケー?」
「出してもらえると助かるけど、“特別に”俺から受け付ける」
「とくべつ……?」思わず声が出た。
「俺が直接参加登録しておくよ。優先枠ってことで。参加は白河と雨宮の二人で——」
「俺も行く」
朱里の声が早かった。笑っているけど、目からもう眠気がすっかり消えていた。
「でも今、バイトって言ってなかった?」
神代は穏やかに首を傾げた。さらりと前髪が揺れて毛先が陽に透けている。
「気のせいだった。“俺たち三人”で参加入れといてよ、副会長」
笑顔の温度が一度、静かにぶつかった。二人とも柔らかいのに、芯だけ尖っているような感じ。気のせいだろうか。
「了解。じゃあ三人まとめて“特別枠”だね」
「へえ。副会長って案外柔軟」
神代は一瞬だけ考えるように目を細めて、口元だけで笑う。
「最近、雨宮とちゃんと話すようになった影響かな」
その一言が、空気に小さな波を立てた。冗談の顔をしてるのに、声の底の温度が違う。
胸の奥が一拍だけ強く鳴る。さっきまで耳に入っていた笑い声が、急に遠くなった。
なんで、とか、大げさだって突っ込みたいのに、喉のところで言葉が引っかかった。
一昨日、俺も神代を少しだけ知ったことで、怖さとの向き合い方を変えられるかもしれないと思えたからだ。俺が神代へ“影響”を与えたというのが本当なら、俺も同じくらい“影響”を受けてる。
開きかけた口を引き結ぶと、ぎゅっと鞄の持ち手を握り締めた。
隣で朱里がわずかに眉を動かし、視線をふいっと横へ逸らす。ふわりと羽を膨らませたスイを肩に乗せた白河が、一歩前に出る。
「ありがとな、神代」白河が軽く手を上げる。
「こちらこそ。日曜、晴れるといいね。じゃ、放課後に詳細送る」
神代は短く笑って、A組の方へ戻っていった。
その背を追うように、肩のあたりで白い光が細く揺れる。ハクヤだ。声は出さず、出席を取るみたいに一人ずつ目で数えてから、風に溶けるように消えた。
残された三人の間に、言葉より少し重い沈黙が残る。
俺と朱里と白河は二年B組に向かって歩き出す。窓に映る自分の顔は、いつもより血色が良い気がした。曇りでも光が少し優しかったせいかもしれない。そう思った瞬間、心臓の裏で一拍だけ理由のない熱が跳ねた。
「なぁ湊、“特別”ってさ」朱里がぼそっと言う。視線は前を向いたまま、声の端に笑いを混ぜて。
「ああ、白河の言ってた申請書パスのことだろ」
白河の顔が広いとか、神代が親切だとか。二人の人柄にあやかって、自分も優先枠に入れてもらった。ありがたい話だ。
「へぇ、そういう解釈ね」朱里はわざとらしく明るい声で言い、前髪をかき上げた。毛先をいじる指の動きが、何か語りたそうに見えた。
『相棒、そこだけは違う気がするけどなぁ』
(じゃあ、まだ参加者少なかったんじゃない?)
肩の上でケロスケがやれやれと笑う。
「急がないと予鈴鳴るぞ」白河が小走りになる。
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