その腕は、やさしい地獄

沙夜

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鳥籠の扉が閉じる音

第三十一話「最後の夜の告白」

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伊織先輩の部屋は、彼自身をそのまま体現したような空間だった。
壁一面に、ジャンルを問わず、美しく整頓された本棚。無駄なものが一切置かれていない、簡素で上品な家具。そして、古い紙と、微かな珈琲の香りがした。
私は、その完璧な空間に気圧されながらも、興味のあった一冊を手に取り、彼の許可を得てソファの隅で読ませてもらった。

穏やかな時間は、夕方、寮の仲間たちが帰ってきたことで終わりを告げる。
その夜は、私のささやかな送別会も兼ねて、皆でリビングで映画を観ることになった。
ソファに座り、皆の笑い声を聞きながら、私はぼんやりとスクリーンを眺めていた。
もう満足に食事をとっていない身体は、鉛のように重い。猛烈な眠気が、何度も私を襲う。
(これが、皆と過ごす最後の夜なんだな……)
その事実が、すぐそこにあるはずなのに、ひどく現実感のない、遠い出来事のように感じられた。

やがて映画が終わり、皆が「おやすみ」とそれぞれの部屋に戻っていく。寮が静寂に包まれた時、それが、私の「最後の夜」の始まりの合図だった。

部屋に戻って荷物の最終確認をしていると、ドアが静かにノックされた。
そこに立っていたのは、伊織先輩だった。

「ごめん、こんな時間に。昼間貸した本、読み終わったかなって」
「あ、はい! 今、お返ししようと……」
「そっか。……よかったら、少しだけ、部屋で話さない?」

彼の誘いを、断れるはずがなかった。
再び彼の部屋に入り、私は読み終えた本を本棚に戻す。その背後で、伊織先輩が静かにドアを閉める音がした。

「面白かった?」
「はい。すごく……」

感想を言いかけた、その時だった。
気づけば、彼はすぐ隣に立っていた。

「ねえ、美緒ちゃん」
「……はい」
「僕、美緒ちゃんのことが好きなんよ」

あまりにも、普通の声色だった。
まるで天気の話をするかのように、彼は、とんでもないことを言った。
理解するのに、数秒かかった。

「……え?」
「美緒ちゃんは、どう思ってる?」
「私は……その……」

どう言えばいい?
好きです、と伝えたとして、何になる?
私は、明日には、もうこの世界からいなくなる人間なのに。

私が戸惑っていると、彼は悲しそうに、少しだけ瞳を潤ませた。
「……同じ気持ちやと思ってたのは、僕だけやったかな」
その表情に、私の最後の理性が、音を立てて崩れ去った。

「……私もっ……伊織先輩のことが、好き、です」

震える声で、ようやくそれだけを伝えるのが精一杯だった。
その瞬間、彼の表情が、ふわりと綻んだ。

「よかった。ほんなら、両思いやね」

そう言って、彼は優しく微笑んだ。
そして、そのまま流れるような、あまりにも自然な仕草で、私の唇に、自分のそれを重ねた。

驚きで、目を見開く。
最後の夜に訪れた、甘くて、切ない奇跡。
これが、私の初恋の結末。
私は、そっと目を閉じた。彼の腕が、私の背中に回されるのを感じながら。
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