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「かける……」
ある晩、恋人が俺の寝顔を見ながら、別の名前で俺を呼んだ。
痛みを堪えるみたいに苦し気な声だった。
気になった俺は、狸寝入りをやめて、誰のことかと恋人に尋ねた。
すると言いづらい時に彼がいつもするように、唇の端を舐めながら、罪を告白する罪人の顔で、ゆっくり答えが返ってくる。
「黙っていて悪かった。……お前の顔は、元カレそっくりなんだ」
「―――っ」
衝撃を受け、低く息を呑む。
目の前が真っ暗になって。何も信じられなくなった。
「…ってぇ……夢か」
寝ている間に、ベッドから転げ落ちてしまったらしい。
床で腰を強く打ち付けたらしく、起き上がろうとするとずきずきと痛みが走る。
「つーか、さむ」
腰を摩りながら、ひびかないように慎重に立ち上がり、部屋の中心寄りに設置した暖房器具のスイッチを押す。
体が徐々に温まってくると、今度は口寂しくなって胸ポケットに手をやる。
煙草よりも頼りない感触に首を傾げ、引っ張り出してみると、未開封のミントガムが出てきた。
「これ……」
煙草は嫌いだ、体に悪い。
代わりにこれでも食って紛らわせ。
と言われて、恋人に無理やり渡されたのはいつのことだったか。ミントガムは嫌いだと突き返すのに失敗し続け、結局いつも持ち歩く羽目になったのだと思い至る。
―――突き返す相手も、もういない、か……。
「賞味期限切れてるし」
別に今更口にする気にもなれなかったし、今更口にしたところでガムの味が舌にこびりついて、過去の記憶とともに纏わりついてくるだけだ。
そう分かっていても、物にまで自分たちの終わりを決定付けられたようで、腹が立つ。
「あ~っ、くっそ。煙草でも買ってくるか」
苛立ち紛れに癖毛の強い髪を掻き毟りながら、財布をポケットに突っ込んで家を出る。
三月も下旬だというのに、早朝の気温は冬と変わらない。
ジャンパーを上から羽織ればよかったと少し後悔したが、取りに戻る気は起きなかった。
「……俺、生きてんだなあ」
コンビニへ向かう道を歩きながら、自分の口元から白い息が上がるのを、不思議なものでも見る気分で呟く。
最愛の恋人と別れてから、やがて半年が過ぎようとしていた。
その間、時折胸が抉られるような痛みが襲い、血が出るほど掻き毟って、その痛さで正気に戻ったり。
やけ酒をしすぎて、瀕死のところを救急車で搬送されたり。
悪夢(元カレ関係)にうなされ続け、夜もろくに眠れなかったり。
自殺をはかろうとしたところを、偶然訪ねてきた友人に助けられたり。
振り返ってみると、なかなか荒んだ日々だった。
それでも今ここに生きていられるのは、周囲の助けが大きい。
おかげで、手に負えないほど落ち込んだのは、初めの一週間だけだった。
今でも思い返せば傷は痛むが、自殺をしようと思うほどではない。
むしろそれを考えた自分がいたという方が驚きだ。
その理由が恋人との別れ、というのだからなおさら。
―――あんな状態の怜音(れおん)初めて見たから、正直どう慰めたらいいか分からなかった。
ようやく立ち直ってきた俺に対し、長年の付き合いである友人が苦笑しながら言った。
「……本気だったんだ」
その時友人に返した言葉を、もう一度呟いてみる。
元々他人に対して興味が薄く、淡白な性格だと自他ともに認めていただけに、とても信じられないことだが、実際に自分の身に起こったことなのだ。
それは左手首に残った縫合が証明している。
忘れるな、忘れてはならないと訴えてくる傷跡は、たびたび錯覚として痛みを訴え、俺を縛る。
恋というのは、恐ろしい。
思った瞬間、一陣の風が首元をかすめ、俺は首をすくめた。
ある晩、恋人が俺の寝顔を見ながら、別の名前で俺を呼んだ。
痛みを堪えるみたいに苦し気な声だった。
気になった俺は、狸寝入りをやめて、誰のことかと恋人に尋ねた。
すると言いづらい時に彼がいつもするように、唇の端を舐めながら、罪を告白する罪人の顔で、ゆっくり答えが返ってくる。
「黙っていて悪かった。……お前の顔は、元カレそっくりなんだ」
「―――っ」
衝撃を受け、低く息を呑む。
目の前が真っ暗になって。何も信じられなくなった。
「…ってぇ……夢か」
寝ている間に、ベッドから転げ落ちてしまったらしい。
床で腰を強く打ち付けたらしく、起き上がろうとするとずきずきと痛みが走る。
「つーか、さむ」
腰を摩りながら、ひびかないように慎重に立ち上がり、部屋の中心寄りに設置した暖房器具のスイッチを押す。
体が徐々に温まってくると、今度は口寂しくなって胸ポケットに手をやる。
煙草よりも頼りない感触に首を傾げ、引っ張り出してみると、未開封のミントガムが出てきた。
「これ……」
煙草は嫌いだ、体に悪い。
代わりにこれでも食って紛らわせ。
と言われて、恋人に無理やり渡されたのはいつのことだったか。ミントガムは嫌いだと突き返すのに失敗し続け、結局いつも持ち歩く羽目になったのだと思い至る。
―――突き返す相手も、もういない、か……。
「賞味期限切れてるし」
別に今更口にする気にもなれなかったし、今更口にしたところでガムの味が舌にこびりついて、過去の記憶とともに纏わりついてくるだけだ。
そう分かっていても、物にまで自分たちの終わりを決定付けられたようで、腹が立つ。
「あ~っ、くっそ。煙草でも買ってくるか」
苛立ち紛れに癖毛の強い髪を掻き毟りながら、財布をポケットに突っ込んで家を出る。
三月も下旬だというのに、早朝の気温は冬と変わらない。
ジャンパーを上から羽織ればよかったと少し後悔したが、取りに戻る気は起きなかった。
「……俺、生きてんだなあ」
コンビニへ向かう道を歩きながら、自分の口元から白い息が上がるのを、不思議なものでも見る気分で呟く。
最愛の恋人と別れてから、やがて半年が過ぎようとしていた。
その間、時折胸が抉られるような痛みが襲い、血が出るほど掻き毟って、その痛さで正気に戻ったり。
やけ酒をしすぎて、瀕死のところを救急車で搬送されたり。
悪夢(元カレ関係)にうなされ続け、夜もろくに眠れなかったり。
自殺をはかろうとしたところを、偶然訪ねてきた友人に助けられたり。
振り返ってみると、なかなか荒んだ日々だった。
それでも今ここに生きていられるのは、周囲の助けが大きい。
おかげで、手に負えないほど落ち込んだのは、初めの一週間だけだった。
今でも思い返せば傷は痛むが、自殺をしようと思うほどではない。
むしろそれを考えた自分がいたという方が驚きだ。
その理由が恋人との別れ、というのだからなおさら。
―――あんな状態の怜音(れおん)初めて見たから、正直どう慰めたらいいか分からなかった。
ようやく立ち直ってきた俺に対し、長年の付き合いである友人が苦笑しながら言った。
「……本気だったんだ」
その時友人に返した言葉を、もう一度呟いてみる。
元々他人に対して興味が薄く、淡白な性格だと自他ともに認めていただけに、とても信じられないことだが、実際に自分の身に起こったことなのだ。
それは左手首に残った縫合が証明している。
忘れるな、忘れてはならないと訴えてくる傷跡は、たびたび錯覚として痛みを訴え、俺を縛る。
恋というのは、恐ろしい。
思った瞬間、一陣の風が首元をかすめ、俺は首をすくめた。
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